哲学与权力的谈判:德勒兹访谈录 中日版翻译出入
中译本是商务印书馆的刘汉全版(不知道有没有其他版?)
日版参考为『ジル・ドゥルーズ 記号と事件1972-1990年の対話』宮林 寛=訳
ISBN4-309-70617-7
在主观上觉得出入挺大的地方做了笔记,日语就不翻译了。
P104
这是力量与从中产生的形式的一种关系。
フーコーが考えていたのは、諸力の関係と、そこから生まれる支配的形態なのですから。
p109
思想是能。
思考するとは、能動的になることです。
p111之后的所有“主观性”,日语版都是“主体性”
p112
权力是力量,与力量相关。
権力は力であり、力の関係であって、形態ではない。
这是一种可以使我们抗拒、躲避、用生或死反对权力的力量与自身的关系。
つまり抵抗し、姿を消し、生や死を逆用して権力に対抗すべく、自己との関係によって力の関係を「二重化する」こと。
p113
这是一个强化的方式而非人格的主体。
強度の様態であって人称的主体ではない。
p122
广泛使用了“人们”这第三人称
日语版本是「誰か」
无耻的人是达赞。(日语版没有这句话)
p125
外的线,这是我们的酷似者,是具有一切相异性的酷似者。
外の線は私たちの分身であり、分身の他者性を伴っている
p137的“代言者”日语版为“媒介者”
p142 的“现身说法者”日语版为“作り話の現行犯”
p149
“替换”日语版为“選択”
替换发生在创造力和制服权力之间。
創造をおこなう力(これは視聴覚表現にも文学にも含まれている)と、家畜化を推進する権力のあいだで選択がおこなわれるのです。
p151
人们对我们解释说,战争的可能性不仅来自特定的外来入侵者,也产生于防止反应亢奋或衰败(由此产生了原子力量严加控制的重要性)。
つまり戦争勃発の危険は、特定の外敵が侵略行為を起こす可能性からうまれるとはかぎらない、自国の抑制反応が暴走したり、崩壊したりする場合にも戦争が起こりうるというのです。
p160
两种东西与风格相对立:一是均一的语言,再就是膨胀为惰性、无理性的混乱性,任何确切的东西都无法再极端之中通过。
文体の成立を妨げるものは二つあります。体系言語の等質性がひとつ、そしてもう一つは逆に非等質性が大きすぎるため、非等質性が差異の不在や無償性にすがたを変えてしまい、極と極のなんの間をはっきりしたものが何一つ通過しなくなる場合。
p193的“再现”日语版为“代理=表象”
p194的“不适时”日语版为“反時代的なもの”,“反实现”为“逆=実行”
p195在“生成不是来自历史”那段漏了一句话,为
生成変化をとげるためには、つまり新しい物を創造するためにこうした条件に背ナと向けなければならないのです。
p201结尾漏了一句话,且结尾句翻译出入很大。
漏句为これはあなたが「ピエタ」とおっしゃたものと同じです。
正是在每一次这样的企图中,对控制的抗拒能力,或者相反,对控制的顺从成都,受到评定。创造和人民是同时需要的。
抵抗する能力はどれだけのものか、あるいは逆に管理への服従はどのようなものなのかということは、具体的なこころみのレベルで判断される。人民<と>大衆が同時に必要なのです。
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睡觉的Aho 赞了这篇日记 2020-12-23 20:30:26