2023.3.15 『天声人语』・大江健三郎的逝世
「知る」と「分かる」はどう違うのか。作家の大江健三郎さんは「知る」から「分かる」に進むと、自分で知識を使いこなせるようになると定義した。その先には「悟る」があって、まったく新しい発想が生まれる、と。
"知る(知道)"和"分かる(理解)"有什么不一样呢?作家大江健三郎定义为,从"知道"到"理解"就是自己能够熟练应用知识。再进一步就是"领悟",能够产生全新的想法。
その大江さんが「知る」難しさにつまずいたことがある。1960年代の沖縄だ。日本人とは何か。答えを得ようとくり返し訪れた。だが沖縄を知れば知るほど「絶対的な優しさとかさなりあった、したたかな拒絶」に出合ったと『沖縄ノート』に書いている。
大江先生在"知道"上遇到过困难。那就是1960年代的冲绳。日本人究竟是什么?为了寻求答案,大江先生几次走访冲绳。然而,大江先生在《冲绳札记》里这样写,"对冲绳了解得越多,就越能体会到绝对的温和下,是坚决的拒绝"。
日本という国は沖縄の声にずっと耳をふさいできた。拒絶は歴史の波に翻弄されたとの思いゆえだろう。大江さんは戸惑いつつも、ノートを投げやりに閉じることなく人々に向き合い、米軍基地問題などについて発言を続けた。
日本这个国家一直对冲绳的声音充耳不闻。冲绳之所以抗拒日本,也许是因为被历史的车轮倾轧过吧。尽管大江先生感到困惑,但他并没有随便地合上札记,而是始终直面人们,并对冲绳内的美军基地等问题发表意见。
沖縄にとどまらない。憲法、原発、反核......。戦後を代表する文学者は、同時に、行動する知識人でもあった。88歳での訃報に接し、存在感の大きさを改めてかみしめている。
不只是冲绳。宪法,核电,反核......。大江先生作为代表战后的文学家,同时是一位行动的知识分子。听说了他88岁的去世的消息,我更加深刻感受到了存在感的巨大。
告白すれば、あの難解な文体には、てこずった。それが、ひざに置いた画板上の原稿用紙から生まれたのだと、このたび知った。大江さんの万年筆を直した職人に話を聞いたことがある。依頼された2本のペン先は、同じ角度で刃先のようにすり減っていたそうだ。
说句实话,他那晦涩的文体实在是令我棘手。我此次得知,大江先生是将稿纸放在膝上的画板上,如此创作的。我还曾与一位修复过大江先生钢笔的工匠交谈过。据他所言,被委托修复的两支钢笔,都于同一个角度有刀刃一般的磨损。
現代における個人と共同体の関係といったテーマと切り結び、救済の物語を紡ぎ続けてきた。そんな姿が浮かぶ。生み出した作品や評論は巨大な山脈となり、日本文学の風景を大きく変えた。
与现代的主题"个体和社会的关系"相交锋,不断编织着救赎的故事ーー大江先生的此般形象浮现眼前。他所创作的作品,发表的评论文章构成了巨大的山脉,极大地改变了日本文学的面貌。
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