村上春树 02 |(中日双语)《终究悲哀的外国语》(03)
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【斯蒂芬・与郊外恶梦】
20 死皮赖脸的人,一旦开头断难收场。其本人坚信自己正确,对别人所言置若罔闻。而不明真相的人见其言之凿凿很可能信以为真。
偏執狂的なしつこさがあるから、一度何かを始めたらとことんやめない。本人は自分が正しいと信じているから、他人のいうことになんか一切耳を傾けない。確信を持っているから、知らない人は言われたことをそのまま信じてしまうかもしれない。
21 美国郊外的普通住宅规模都相当大。这些郊外住宅大多是各地开发的高级商品住宅。同日本郊外密密麻麻首尾相连的商品住宅相比,两者在质上有天壤之别。但惟其一家一家占地广阔,也就不难窥知其中荡漾的某种深重的孤独感和隔绝感。空旷的地表上一座孤零零房子,从旁边看上去总给人以空不设防的印象。日本的房子诚然逼仄得让人透不过气,但因此也在感觉上有了“众人中的一人”那样的匿名性。而美国恰恰相反,因其宽广而无处可逃,一旦有什么只能硬着头皮迎面接受。
アメリカの郊外の普通の家というのは、みんなかなり規模が大きい。こういう郊外住宅の多くは地域ごとに開発された高級建て売りである。もちろん日本の郊外に溢れるちまちまとした建て売り住宅に比べたら、質において天地ほどの差があるわけだけれど、でも一軒一軒の敷地が広い分だけ、そこには何かしら深い孤独感、孤絶感のようなものがうかがえる。広い敷地の中にぽつんと家が建っているものだから、傍から見ていてもなんとなく無防備な印象を受ける。日本の家は確かに狭くてたてこんでいてうっとしいけれど、そのぶん<多くの人たちの中の一人>的匿名性があるような気がする。でもアメリカでは全く逆で、広いぶんだけ逃げ場がない、何かがあったら正面からしっかりと引き受けざるを得ない、ということになってしまう。
22 另外还有不知邻人在干什么的恐惧感。这种郊外住宅区式的恶梦,恐怕便是多数美国人内心深处的所思所感。否则,不至于拍摄那么多以郊外住宅为舞台的精神病(psychopath)电影。这种阴森森凄惨惨看后令人不快的精神病影片之所以引起人们的共鸣(因为有共鸣才有人看吧),我想大概是它基本上表现出了如今美国中产阶级某种内心深处的不安。也就是说,只要在郊外买一座可以停两辆汽车的大房子安顿下来人生就算定局,这种往日的美国梦已渐渐行不通了。他们中的大部分人为逃离犯罪增多的大城市而来到郊区,然而并未因此从恐怖中解脱出来。郊外存在郊外的恐怖。我觉得,“只要按部就班做下去就能成功”这样的乐观性--中产阶级的最大法宝--正在逐渐失去其效力和说服力。
それから隣の人が何をしているのかわからないという怖さもある。こういったサバービア的な悪夢(あくむ)は、おそらくアメリカ人の多くが内心では密かに感じていることなんじゃないかと僕は推察する。もしそうじゃなかったら、サバービアを舞台にした「サイ*パス」映画がこんなにたくさん作られるわけがないだろうと思う。そのような不気味で陰惨で後味の悪い「サイ*パス」映画が人々の共感を呼ぶのは(おそらく共感を呼ぶからこそ観客が入るのだろう)、基本的にはそれが今のアメリカの中産階級が心の底で感じているある種の不安を表象しているからではないかと僕は思う。郊外に車二台分のガレージのついた大きな一軒家を買って落ち着けば、それで人生は一応あがり、というかつてのアメリカの夢はもうだんだん通用しなくなっているということだ。彼らの多くは犯罪の増加した都会を逃れて郊外にやってきた。しかしそれで彼らが恐怖から解放されたわけではない。郊外には郊外の恐怖というものが存在するのだ。「ごく普通にやっていれば、だいたいうまくいくものだ」という楽観性ー中産階級にとっての最大の宝ーがだんだんその効力と説得力を失いつつあるように僕は感じられる。
【谁杀死了爵士乐】誰がジャズを殺したか
23 来美国生活后,逛旧唱片店物色旧爵士乐唱片成了一大乐趣,甚至可以说成了最主要的娱乐。我喜欢爵士乐,13岁就开始搜集唱片,直到现在。不过并非所谓收藏家。一来生性没有那么不屈不挠,二来不乐意对不外乎是“东西”的对象物挥金如土(总之就是小气),所以怎么也成不了收藏家。但有一点,也许可以说是唯一的执着,若是40年代至60年代的旧爵士乐,我认为即使音质多少有问题也最好用过去的唱片(不是CD)来听。在美国,花上5至10美元就能搞到相当不错的。于是嘴里说着这个便宜那个也不贵东买西买,唱片膨胀起来了(or 不知不觉买了很多)。若眼睛碰上(or一旦进入视线),还是会不由自主地伸出手去。
アメリカに来て暮らすようになってから、中古レコード店をまわってジャズの古いレコードを漁ることが、大きな楽しみになってしまった。一番の娯楽と言ってもいいくらいだ。僕はジャズが好きで、13の歳からこれまでずっとレコードを集めてきたけれども、いわゆるコレクターというのではない。もともとそれほど綿密な性格でないうえに、たかがものに対して法外なお金を払うのが嫌な性分なので(要するにケチだ)、なかなかコレクターにまではなれない。でも唯一のこだわりといえるかもしれないけれど、1940年代から60年代にかけての古いジャズだけはCDではなく、多少音質に問題があっても昔ながらのレコード盤で聴いた方がいいと思っている。アメリカでは5ドルから10ドル見当で結構面白いものが手に入るので、「これは安い」「これも安い」と買い求めているうちに知らず知らずレコードがたまってしまう。やはり目の前にあるとつい手が出る。
24 大学毕业后我经营了7年所谓的爵士乐酒吧,差不多从早到晚都听爵士乐。原来就是为尽可能多听爵士乐才做那个买卖的,因此无论工作多累都一点儿也不觉得苦,只要那里响着爵士乐即可。我也年轻,很多情况下都属于乐天派。我的基本态度是:干自己喜欢的事一般都能干好。而且幸运的是,当时的确干得顺利。总之,我过的是白天爵士乐晚上爵士乐的生活。由于时不时要现场演奏,年轻的音乐家们经常到酒吧来,工作完了时常和他们一起喝酒聊爵士乐聊到天亮。他们当然很穷,我也背负着巨额债款从早上干到深夜,但我觉得生活中到底有着某种美好的东西。
僕は大学を出てから7年ばかりジャズ喫茶店みたいなものを経営していたので、その頃はほとんど朝から晩までジャズを聴いていた。もともと少しでも長い時間ジャズを聞きたくてその商売を始めたようなものだから、忙しくても仕事がきつくても、その当時は全然苦痛ではなかった。そこにジャズが鳴っていればそれでよかった。僕も若かったし、多くの局面において楽天的だった。「好きなことをやってるんだから、だいたいそれでうまくいくだろう」というのが僕の基本的な姿勢だった。そして幸運なことに、その時にはそれでうまくいっていた。とにかくジャズに明けジャズに暮れるという生活を、僕は送っていた。時々ライフをやっていたせいで、若いミュージシャンがよく店に遊びに来ていたし、仕事が終わった後、彼らと一緒に酒を飲んで朝までジャズの話をしたりすることもよくあった。彼らはもちろん貧乏だったし、僕だって多額の借金を抱えて朝から夜中まで働いていたわけだけれど、それでもそういう生活には何かしら素晴らしいものがあったように思う。
25 为当专业作家而关掉酒吧之后,出于逆反心理,一段时间里可以说几乎不听爵士乐了。听爵士乐诚然喜欢,但与自己从零开始创造什么相比,毕竟是性质截然不同的东西。一旦体会到创造的喜悦,仅仅以“听”为工作便渐渐变得难以忍受了。可以说,这种类似自我分裂的东西在我身上不断增殖。所以关掉酒吧时就像终于卸去了长期背负的重荷,全身瘫软了。
専業作家になるために店を辞めてからは、その反動で、一時期ほとんどと言ってもいいくらいジャズを聴かなくなってしまった。ジャズを聴くのは好きだけれど、自分でゼロから何かを創造するというのはそれとは全く違った種類のものだ。そういう創り出す喜びを一度知ってしまうと、「ただ聴くだけ」ということを仕事にしているのがだんだん辛くなってくる。そういった一種の自己分裂みたいなものが僕の中で進行していたのだといっていいかもしれない。だから店を辞めた時には、長い間背負っていた重荷をようやく降ろした後みたいに、なんだかぐったりと疲れてしまっていた。
26 如此这般,虽然热心听爵士乐听了30年之久,但就个人经历来说还是不敢轻易自称“我是爵士乐迷”。说爱憎相间未免言过其实。但其中确有一种不能简单以喜欢或厌恶等字眼表达的东西。种种回忆、感触、空气、矛盾、欣喜、自我厌恶以及谜团搅成了一锅粥,又在爵士乐一词的回响中凝为一体。它们在爵士乐里浸泡得太久太彻底了,已经无法分辨地牢牢粘黏在了那里,而这毕竟令人难受。老实说,得以单纯地果敢地同过去一刀两断地欣赏爵士乐是最近才有的事。爵士乐酒吧关门已过去了十年,盘根错节的东西终于一点点松懈、消解。
そんなわけで、もう30年も熱心にジャズを聴いていながら、「私はジャズ・ファンです」とそれほど簡単に名乗れない個人的な経緯のようなものがある。愛憎入り乱れるというといささかオーバーだけれど、やはり好きとか嫌いとかといった言葉で簡単に済ませてしまえないものがそこにはあると思う。いろいろな記憶やら感触やら空気やら矛盾やら喜びやら自己嫌悪やら謎やらがぐしゃぐしゃに入り乱れて、ジャズという言葉の響きのなかに一つに詰め込まれているのだ。あまリにも長い間どっぷりとジャズに浸かりきっていたので、そういうものが分別不能なままにそこにしっかりとへばりついてしまった。こういうのはやはりきつい。正直にいって、過去のことには関係なく、単純に純粋に楽しんでジャズを聴けるようになったのは、つい最近のことだ。ジャズ喫茶を辞めて10年たって、ようやく少しずつわだかまりのようなものが解けて、吹っ切れてきたという感じがある。
27 不时有人说来美国听真正的爵士乐真不错啊,可我实际上几乎没有去过纽约的爵士乐俱乐部。现场演奏一般开始得很晚,对于我这样早起早睡的人有点勉强。演奏结束后还要花一个小时开车回家,想想都心烦,而为此订旅馆也有些小题大做,若问我是否情愿如此去听爵士乐现场演奏,遗憾的是我会回答NO。
アメリカに来て本場の生のジャズが聴けていいですね、と言う人が時々いるけれど、実際にはNYのジャズ・クラブを訪れるような機会はほとんどない。ジャズ・クラブのライブというのはだいたい夜遅く始まるし、僕みたいな早寝早起きの人間にはいささかしんどい。演奏が終わったあとでまた一時間かけて車を運転して家に帰るのは、考えただけで億劫だし、かといってその為にホテルを取るというのも大仰である。そこまでしてジャズのライブを聴きに行きたいというと、残念ながら答えはノオだ。
28 有新爵士乐也乐于听,觉得到底是爵士乐好的时候也是蛮多的。可是其中没有深深打动人心的东西,没有此时此刻有什么正在降生的兴奋。对那样的东西,对曾经活在我火热记忆中的东西,作为我已经没有多大兴趣,如此而已。
新しいジャズだって聴けば楽しいし、やっぱりジャズっていいなあと思うことだって多いのだ。でもそこには心を深く揺り動かすものがない。今ここで何かが生まれつつあるのだという興奮がない。僕としてはそういうものに、かつての熱気の記憶で成立しているようなものに、あまり興味が持てないというだけのことなのだ。
【伯克利归来的路上】バークレーからの帰り道
29 十一月初我去了位于伯克利的加利福尼亚州立大学,大约4个星期。讲演,主持每周一次的讨论会。我教别人是有生以来破天荒头一次,而且用的是拙劣无比的英语,不用说,累得一塌糊涂。从东海岸到西海岸,虽说同是大学,同是大学生,但我再次感到差别相当之大。普林斯顿大学是所谓老牌精英私立大学,学费也高,学生以东部上层白人家庭子弟为主,校园内人口密度极低。相比之下,加利福尼亚州立大学是十足的平民化,种族方面五色杂陈,政治上向来以激进闻名。就班上气氛而言,相对来说,伯克利活跃而普林斯顿稳重。教授方面,普林斯顿大体西装革履,而伯克利甚至有穿短裤者。差异就是如此明显。用汽车打比方,普林斯顿大学是古典优雅的Bentley(宾利),而伯克利则是明亮欢快的杂牌美国车。相互之间当然不对脾性。在晚宴等场合,若话题转到普林斯顿大学,加利福尼亚人就会像京都人讲东京坏话一样,争先恐后地横挑鼻子竖挑眼(哈哈哈,要是大阪人也在,京都人也会被笑死吧)。对他们来说,普林斯顿简直成了道貌岸然的权威主义代名词。
11月の初めから約四週間ばかり、バークレーにあるカリフォルニア州立大学に行ってきた。講演をして、それから週に一回のウィークリー・セミナーを持つためである。生まれてこのかた誰かにものを教えるというのは全く初めてのことであり、おまけにそれも誠に拙い(つたない)英語でやるわけだから、当然のことながらヘトヘトに疲れてしまった。東海岸から西海岸にやってくると、同じ大学、同じ大学生と言っても随分違うものだなあという思いを新たにすることになる。プリンストンはいわゆる伝統的なエリート私立大学で授業料も高く、学生は東部の上層白人家庭の子弟が中心、キャンパスの人口密度も圧倒的に少ない。それに比べるとバークレーは州立大学で学生は人種的にはもうぐしゃぐしゃ、いかにも庶民的で、政治的には昔からラディカルで有名である。クラスの雰囲気もどちらかといえば、バークレーの方が活発で、プリンストンの方が穏やかという感じがある。教授だってプリンストンではだいたいがきちんとネクタイをしているけれど、バークレーでは半ズボンの人だっている。それくらい違う。自動車に譬えていえばプリンストン大学がクラシックなベントレー、バークレーが明るく楽しいコンバーティブルのアメ車といった感じになるのだろうか。もちろんお互い肌があうわけはない。パーティーなんかでも、話題がプリンストン大学に及ぶと、京都人が東京の悪口を言うのと同じくらいの熱心さであれこれとケチをつける。彼らにとってはプリンストンというのは、スノッブな権威主義の代名詞みたいなものなのである。

30 伯克利大学那种十分自由宽松的氛围我也中意得很,但若问我想不想迁来居住,那又另当别论。说憋屈普林斯顿真的憋屈,或许没有加利福尼亚的阳光,可是若把聚精会神写小说放在第一位,那么未尝不是理想的居住地。不分心,多余的杂音一概没有。伯克利诚然是好玩的城市,但对于现在的我来说有些过于热闹。可能是年纪的关系,眼下想在安安静静的地方自由自在的工作和生活。
バークレーの大学としてのいかにも自由な風通しのいい雰囲気は僕もすっかり気に入ってしまったのだが、だからここに移ってきて住みたいかというと、これはまた別の問題になる。プリンストンは退屈だといえば、確かに退屈な町かもしれない。そこにはカリフォルニアの太陽もないかもしれない。でも集中して小説を書くということを第一義におけば、これはまあ理想的なところだ。気が散らないし、余計な雑音もまるでない。バークレーは楽しい場所だけれど、今の僕にとってはいささか賑やかすぎる。歳のせいかもしれないけど、当分は静かなところでのんびりと仕事をしながら暮らしたい。
31 我们(日本人)无疑是善于拿来什么的人种,拿来的方式也在长达几千年的时间里进化得极为得体和洗练。
僕らは間違いなく何かを取り込むことに長けた人種だし、ものすごく洗練された取り込みシステムを何千年にも亘って進化させてきた人種なのだ。
【黄金分割与丰田・皇冠】
32 在日本住的时候我根本不开车。基本上是在东京生活,没车也感觉不到不便。不过6年前在意大利住的时候,由于生活太不方便了,只好一咬牙考了驾驶执照。在罗马买车,几个月时间开车转遍市区和近郊之后,我深深感到在欧洲有车是何等便利和快活,仅凭有车开这一点,便可使如此崭新的世界展现在眼前。这样,旅居欧洲期间,一有时间我就开车到处乱跑。意大利大体跑遍了,还翻过阿尔卑斯山脉去了奥地利和德国。希腊也去了,英国也开着车游行过了。土耳其转了四个星期。
僕は日本に住んでいるあいだは車というものを全く運転しなかった。だいたいずっと東京で暮らしていたから、車がなくてもほとんど不便を感じなかったのだ。でも6年ほど前にイタリアに住んだ時に、あまりの生活の不便さに音を上げ、あきらめて一念発起して免許をとった。そしてローマで車を買い、何ヶ月か市内や近郊を運転して回った後でつくづくこう思った。ヨーロッパで車を持つというのはなんと便利で楽しいことだろう、車を持って運転するだけで、こんなにも新しい世界が開けるものなのか、と。そんなわけで、ヨーロッパに住んでいる間に、暇を見つけては車でいろんなところに行った。イタリアはだいたい回ったし、アルプスを越えてオーストリア、ドイツにも行ったし、ギリシャにも行ったし、イギリスでも車で旅行した。トルコは四週間も運転して回っていた。
33 从欧洲回来,在日本住了一年,是不是也开车出去一下,老实说没多大意思。我主要在东京城内的工作场所和自家之间往返60公里左右,若问我这样的路程开起来是否快活,回答是算不上有多快活。无非拉着自己在A地点和B地点之间往返而已。什么首都高速公路,简直无聊至极。也开着车做过短途旅行,谈不上多么有趣。为什么没趣呢?大概因为日本这个国家基本上不是用来开车旅行的。所以,开车没什么可欢欣鼓舞,不如说让人着急上火、心烦意乱的时候更多。在日本旅行,我觉得还是乘电车好一些,而只能开车去的地方则几乎没有。
ヨーロッパから戻って一年間日本に住んで、ここでもちょくちょく車を運転していたのだが、正直言ってあまり面白くはなかった。僕は主として東京都内の仕事場と家との間60キロばかりを往復していたのだけれど、そういう道のりを運転していて楽しいかというと、別に楽しくはない。ただ荷物を載せてA地点とB地点を往復しているというだけである。首都高速道路なんてただただうんざりするだけだ。車で小旅行したこともあったけれど、取り立てて面白いというわけではない。どうして面白くないかというと、これは多分、日本という国が基本的に、車で旅行するようにはできてないからだろう。だから運転していても心躍るようなことはあまりなくて、苛立ってストレスがたまることの方が多い。日本の旅行は、車よりのんびりと電車で行く方がいいような気がする。車でしかいけないというような場所もほとんどないし。
【关于精力旺盛的女人们的考察】元気な女の人たちについての考察
34 在美国自我介绍实在费力,那里有一个“理想答案”,若不准确地在那上面着陆,就不能取得理解。反过来,一旦恰到好处嵌入所期待的版式,一般的事情就会网开一面。如此情形体验过几次之后,我切实感到美国这个国家虽然标榜是自由国度,可还是有着不无僵硬的框框(原则),相比之下,欧洲社会不管怎么说,说老奸巨猾也好,终究具有圆融无碍的柔软性。当然,这种倾向也可能在美国东部知识阶层中表现得尤其明显。
アメリカで自己紹介するというのも本当に大変なのである。何しろそこには「期待される回答像」というのが確実にあって、そこにうまく着地しないとなかなか納得してもらえないからだ。その代わり期待されているフォーマットに一度すぽっとはまってしまうと、大抵のことは大目に見てくれる。こういうのを何度も体験すると、アメリカという国は自由の国を標榜している割には、いささか外枠(タテマエ)が硬すぎるところがあるなと実感することになる。それに比べれば、ヨーロッパ社会は何と言っても老獪というか、融通無碍(ゆうずうむげ)な柔軟性を備えてる。最もこれはアメリカ東部の知識階級社会に特に顕著に見られる傾向なのかもしれない。
35 在我的印象中,美国女人好像都能明确说出自己在做什么什么事,都备有一两个任何人听来大体上都会点头称是的那种具体的什么,我从个人角度称之为PC(Politically Correct,政治正确)标志。以她们的眼光看,我应该雇佣别人当秘书,我工作上的事交给秘书办,而我的太太应该从事有助于增加履历的工作或者某种自发自觉自愿性质的志愿者服务那样的事。只有这样,女性才能摆脱丈夫的阴影,获得精神独立。如果这样能使女性幸福,那么我对她们以如此形式自立下去没有任何意见。但另一方面,人各有自己的情况,也大可不必全世界所有女性都活成一个模式。尤其我这人生活中始终贯彻“自己是自己,他人是他人”的想法,若如此这般变得千篇一律,变不能不多少生出疑问:事情真是这个样子的?
僕の印象でいくと、どうもアメリカの女の人はだいたい「自分はこういうことをしています」と口に出してはっきりと言えて、誰もそれで「なるほど」と一応納得してしまうような形ある何かを一つくらいはきちんと用意しているようだ。僕はそういうのを個人的にPCトークンと呼んでいる。彼女たちの見地からいえば、僕は誰か秘書を雇って、僕の仕事に関する用事はその秘書に任せて、うちの奥さんは自分のキャリアを積むための仕事を、あるいは何か自発的に自分の中心から出てきたボランティアのような作業をするべきなのだということになる。そうすることによって、女性は夫の影から抜け出して、初めて精神的な自立を得ることができるはずだと。そうすることによって、その女性が幸せになれるのなら、彼女がそのような形で自立していくことに対して僕には何の異論もない。でもそれと同時に、人にはそれぞれ事情というものがあるし、世界中の女性が同じ一つの生き方をしなくてはならないというわけでもないだろうと思う。特に僕は終始一貫して「自分は自分、他人は他人」という考え方で生きている人間なので、そういう風に何もかもをジェネラライズされてしまうと、「そういうものかね?」といささか懐疑的にならざるを得ない。
36 来美国生活起来,令人佩服的就是上述对男女平等主义的强烈关注,或者不如说男女平等这一观点早已牢牢植根于生活之中。大学的文学研究方面,男女平等主义也方兴未艾。我倒不是对盛极一时的男女平等主义文学批评吹毛求疵。只是我觉得,事物的正确要素恐怕是从根本上含有疑念的东西,或者说正当的要素本来就发端于朴素的自然的疑念。从怀疑当中陆续不断地产生诸如“大体固然如此而实际是否这样”,“其实可能这样”的假说,各种各样的假说的聚集将生成一个重要的可变的要素。可是倘若这一个个假说在某个时候固定了、僵化了,失去本来的可变性从而变成无人不晓的停滞的命题,那么,其中势必产生某种宿命的斯大林主义。我所担心的乃是这种斯大林主义式的细部僵化倾向,而绝非男女平等主义文学批评整体。
アメリカにきて暮らしてみて、やはり感心させられるのはかくのごときフェミニズムに対する関心の強さである。というより、フェミニズムという視点が既にはっきりと生活に定着している。大学の文学研究においてもフェミニズムの勢いは非常に強い。僕は別に隆盛を極めているフェミニズム文学批判に文句をつけているわけではない。ただ僕は思うのだけれど、物事の正しいモーメントというものは、本来的に根本に疑いの念を含んでいるものではないだろうか。というか、本来正当なモーメントというものはあくまで素朴な自然な疑いに端を発したものであるはずだ。そのような疑いの中から「一応こういうことになっているけど、実はこうではないか」「いや、実はこうではないか」という仮説が次々と生まれ出てきて、その様々な仮説の集積によって一つの重要な可変的モーメントが生じるのではないか。しかしある時点でそのような仮説の一つ一つが固定化され定着されて本来の可変性を失い、誰にでもわかる留まったテーゼとなってしまうと、そこにはある宿命的なスターリニズムが生じることになる。僕が心配に思うのはそういうスターリニズム的細部固定化傾向についてであって、決してフェミニズム文学批判全体についてではない。
37 我实际目睹如此精力旺盛的女人时,不由深深折服:美国的男女平等主义原来是从这样的地方自下而上茁壮生长出来的。总的来说,较之搬弄理论之人,在倾向上我更容易为实际动手的人所吸引。作为我,如果可能的话,更想生活在不拘于这种革命法庭审判式的细枝末节的世界里。总之,对于那种依仗什么(无论其高举的思想是否正确)而动辄吆五喝六威风八面之人(无论男女),我基本上是不相信的。
僕としてはそういう実際の元気な女の人を見ていると、アメリカのフェミニズムというのはこういうところから草の根的に、健全に生まれ出ているんだなと強く納得することになる。僕はどちらかといえば、理屈をつける人たちより、現実に体を動かしている人たちに引かれる傾向がある。僕としてはできることなら、あまりそういう革命法廷的な枝葉末節(しようまっせつ)にこだわらない世界でまっとうに暮らしたいものだと思う。いずれにせよ、掲げる思想の正否はともあれ、何かをかさにきてやたら大声を出して威張っているような人は、それがたとえ男だろうが女だろうが、基本的に信用できないというのが僕の考え方なのだ。
38 我想,美国这个国家好像有这样一种倾向:“概念”这个东西一旦确立,就会无限膨胀开去,越来越强大,成为理想主义的(and/or)、排他性的东西。常说“自然模仿艺术”,而这里似乎多是“人模仿概念”。将这一概念以YES/NO的方式无比执着而深刻地追求下去,就会发生以正常神经看来无法置信的走火入魔的事情。我猜想这恐怕是因为这个国家是由种族上和宗教上来源各所不同的人聚集形成的,以致“共同概念”这个东西和共同语言具有同样重要的价值。其作用大约类似于拢紧木桶的箍。不过坦率地说,交谈起来有时会感到无聊,感觉上就像上高中时在课外学习室里被一个认真的女班委追问为什么“村上君的想法有点儿怪”。
思うのだけれど、アメリカという国では「概念」というものが一度確立されると、それがどんどん大きく強くなっていって、理想主義的(and/or)、排他的になる傾向があるようだ。よく「自然が芸術を模倣する」と言われるが、ここでは「人間が概念を模倣する」ケースが多いみたいな気がする。この概念をイエス・ノオでどこまでも熱心にシリアスに追求していくと、まともな頭で考えるとちょっと信じられないようなファナティックなことが起こる。おそらく人種的にも宗教的にもいろんなオリジンの人が集まってできた国なので、共通概念というものが共通言語と同じような大きな価値を持っているからではないかと僕は想像する。それが樽をまとめるたがのような役割を果たしているのだろう。でも正直にいって、時々話していて退屈することがある。高校の時のホームルームで真面目な学級委員の女の子に「村上君の考え方はちょっとおかしいです」と追及されているような気分になる。