【天声人語】 ヒロシマを残す 2019年8月6日
小さなツルハシと大きなリュックを抱え、原爆投下からまもない広島市内を連日歩き回る男性がいた。探したのは破壊の跡をとどめる石や瓦、鉄片など。「ガラクタ拾い屋」などと奇異の目を浴びても収集の熱は冷めなかった▼のちに広島の原爆資料館の初代館長を務めた地質研究者、長岡省吾(しょうご)氏である。「実家はいつもガラクタでいっぱいでした」と次男の錬二(れんじ)さん(77)はふりかえる▼終戦直後、焼け野原で拾う物といえば鍋や釜だった。それら金物には目もくれない。家計は妻のハルヨさんが書店を切り盛りして支えた。「石段に残った人の影や溶けた石灯籠(どうろう)の台石を見て探究心に火がついたのでしょう」と錬二さん。近所からは「溶けた石や瓦からピカドンの毒が移るのが怖い」と苦情も出た▼それでも一心に収集する長岡氏を見て、手伝う人の輪が生まれる。焼け残った衣服、溶けた瓶、ひしゃげた自転車などが次々と集まった。念願の資料館は1955年の8月6日に開館。館長を6年半務めて退き、73年に亡くなった▼つい先日、展示更新が済んで4年半ぶりに全面オープンした資料館を訪ねた。外国からの見学者の多さに驚く。焦げた弁当箱や溶けた三輪車の前で若い男性がフーッと低く息を吐く。感極まってうずくまる少女もいた▼見るほどに、歩むほどに、見学の列が黙り込んでいく。実物ならではの訴求力だろう。原爆という狂気を後世に伝えることに生涯を捧げた「ガラクタ拾い屋」の思いが全館を満たしていた。
残存的广岛
【译】在原子弹投下不久,有一位带着小小的钉子镐背着大大的背包,连日在广岛市内奔走的男性。他所寻找的是遗留下破坏的痕迹的石头、瓦片和铁片。即使被当作“捡破烂”,受到人们的奇异的目光,其收集的热情仍旧没有冷却。
这位便是后来成为广岛原爆资料馆的第一任馆长,地质研究者长冈省吾。他的二儿子练二回忆道:“家里总是堆满了废品”。
战争结束不久,在烧焦的原野上捡的东西无非就是铁锅铁壶。但他却对那些五金用品不屑一顾。由妻子春代打理书店维持家计。“或许是看到残留在石阶上的人影和融化的石灯笼的基石,燃烧起父亲的探究心吧”。练二说道。旁边的邻居还抱怨“害怕从融化的石头和瓦片上传染原子弹爆炸后的产生的毒物”。
但是,看到一心收集这些东西的长冈,帮忙的人也多了起来。烧焦了的衣服,融化的瓶子,压扁的自行车等不断地收集起来。心心念念地资料馆终于在1955年8月6日开放。担任馆长6年半后辞任,73岁去世。
终于在前几日,完成展示更新后,访问了时隔四年才全面开放的资料馆。来自外国的参观者非常多,让人惊讶。在烧焦的便当盒盒融化的三轮车前,一位年轻的男性“哎”地轻轻叹气。还有因为太过激动而直接蹲坐在地上地少女。越是往前参观,往前走着,参观的队伍越是沉默。这或许就是只有实物才有的冲击吧。为了将原爆这一疯狂的行为传达给后世,而奉献自己一生“捡废品的人”的想法,充斥着资料馆。