岛田庄司推理小说演讲稿 (中日文对照)
岛田庄司老师关于推理小说发展历史的演讲。
主要介绍了推理小说,本格mystery小说,新本格mystery小说等概念,以及日本推理小说的发展历史。
鉴于这篇演讲价值非凡,现贴出来和大家共享。
讲稿由本人翻译,转载请注明出处。
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今回のこの講演では、「本格ミステリー」とは何かについて話したいと考えている。
この文芸ジャンルはさまざまな呼び名を持っている。「探偵小説」、「推理小説」、「ミステリー」、また「本格ミステリー」という具合に。
「探偵小説」と「本格ミステリー」、ほかにもただ「ミステリー」という言葉が存在しているけれども、 「探偵小説」と「ミステリー」、また「本格」の「ミステリー」とはどのように違うのか。その説明をまずしなくてはならないだろう。
これらの言葉のうち、「推理小説」という言葉と「本格」という言葉は日本人の発明になるもので、英語にはない。他は英語からの翻訳である。
这次的讲演我主要想讲一讲“本格mystery小说”是什么。
这一文学类别有很多名字,比如“侦探小说”、“推理小说”、“mystery小说”,以及“本格mystery小说”。
在“侦探小说”和“本格mystery”之外还存在“mystery小说”这个名词。那么“侦探小说”和“mystery小说”以及“本格”的“mystery小说”之间又有何不同呢?首先必须要说明这一点。
在这些概念中,“推理小说”和“本格”是日本人的发明,并非来自英语,其他的都是英文的翻译。
「推理小説」という言葉は、この文学発展の過程で日本の事情から作られたもので、忘れてもらっても大きな問題はないが、「本格」という言葉は重要である。そして「本格ミステリー」という言葉が最も重要であり、私が今中国の才能に最も期待するのが、この種類の小説である。
そうなら「本格ミステリー」とはどういう小説のことか。創作の際にどんな条件を持たせれば、「本格ミステリー」と呼び得る小説になるかについても、説明の要がある。
「本格」という言葉は、台湾では最近よく受け入れられ、正確な理解もされるようになってきているが、多くの天才が潜んでいると確信し、最も期待する中国においては、この新文学のジャンルについて、まだ正確な理解がなされている段階にはおそらくない。今回私がこの国にやってきた最大の使命は、この新文学の概念をこの国に伝え、多くの才能たちに創作を呼びかけることなので、今からこれをやってみたい。
また今後、このジャンルがさらに隆盛を増し、アジアを中心に世界中に伝播し、歴史的な実りを達成するかどうかは、ここ中国の才能、すなわち華文の才能たちにかかっていると言えるので、今後も機会がある限り幾度でもこの地を訪れ、こうした仕事を続けていきたいと考えている。
“推理小说”这个概念是这一文学类别在日本的发展过程中被创造出来的,并没有特别的意义,但“本格”这个概念却很重要,“本格mystery小说”尤其重要,我对于中国人才能的期待就在于这种小说上面。
那么“本格mystery小说”到底是一种什么样的小说呢?我有必要说明一下“在创造的过程中,具备怎样的条件的小说才能被称作‘本格mystery小说’”。
“本格”这个概念最近在台湾得到了正确的理解,但是在隐藏着很多天才的中国——也就是我抱有最高期待的中国——恐怕还没有达到这个阶段。这一次我到中国的最大使命,便是在这个国家传播这个新的文学类别,呼吁那些才能出众的人投身创作。
而且今后这一文学类别的进一步发展、以及以亚洲为中心在世界上传播能否达成历史性的成就,都与中国的人才,也就是使用汉语的人才相关。所以,今后只要有机会,我都会来中国,继续这样的工作。
一八〇九年、マサチューセッツ州ボストンで俳優夫婦の子として生まれた、エドガー・ポーという不幸なスコットランド系アイルランド人がいた。彼は三歳で両親に死なれ、孤児となる。ヴァージニア州リッチモンドの裕福な商人、ジョン・アランに養子として引き取られ、エドガー・アラン・ポーを名乗ることになる。
ヴァージニア大学を一年で放校、陸軍士官学校を放校になるなどしながら成長、一八三八年、二十七歳の時に、十三歳のヴァージニアという娘と結婚する。
フィラデルフィアの新興の雑誌「グレアムズ・マガジン」に、月給五十ドルで編集と執筆に参加、一八四一年に『モルグ街の殺人事件』を発表する。
しかしこの直後、最愛の妻が肺結核で吐血、一八四七年に死亡する。以来ポーは酒に溺れるようになり、阿片チンキによって自殺も試みるが果たさず、一八四九年の十月、ボルチモア市の路上に倒れているところを通行人に発見される。病院に担ぎ込まれるが、まもなく死亡する。酒場で倒れたとする説もある。
しかし彼の死後、『モルグ街の殺人事件』は、次第に大きな意味を持つ作品になっていき、「探偵小説」という新ジャンルを世界に船出させることになる。
また科学的な事実を小説に取り入れる彼の作風は、フランスのジュール・ベルヌに着目されて、「SF小説」発生の引き金ともなった。
1809年,在美国马萨诸塞州的波士顿,一对演员夫妇的儿子埃德加·坡出生了。他是一个不幸的苏格兰系爱尔兰人。三岁时,由于双亲故去,他成了一名孤儿,被弗吉尼亚州里奇蒙德的富裕商人——约翰·爱伦收为养子,此后改名为埃德加·爱伦·坡。
他在弗吉尼亚大学读了一年,随即被开除。后来又读了陆军士官学校,然后也被开除。在那之后,也就是1838年,27岁的坡和13岁的弗吉尼亚结了婚。
坡在费城的一家新办杂志《格雷厄姆杂志》做编辑以及撰稿人,月薪50美金,并于1841年发表了《莫格街凶杀案》。
可是在这之后,坡最爱的妻子因为肺结核而吐血,于1847年病故。在那之后,坡沉溺于酒精,甚至试图使用鸦片药剂自杀。1849年10月,坡倒在巴尔的摩的街上,随后被过人发现。虽然被送到了医院,但是随即不治身亡。还有一种说法说他死在了酒店。
可是在坡死后,《莫格街凶杀案》逐渐变成了意义非凡的作品,开创了“侦探小说”这一新的文学类别。
另外因为坡喜欢将科学发现引入小说中的做法引起法国人儒勒·凡尔纳的注意,也成为了“sf小说”的起源。
『モルグ街の殺人事件』によってポーが創案した新文学は、最新科学の情報や、真相探求の手法をストーリーに採り入れることで、殺人事件の追及を、科学者の論理思索にまで高めるものだった。
そしてそれまで盛んであった幽霊描写を科学発想で解体、リアルに説明する創作のスタイルを提案するが、この精神は海を渡ってコナン・ドイルという英国人に引き継がれ、彼がシャーロック・ホームズという科学者の活躍譚を聖書並みのベストセラーにすることで、流儀を文学の一角に定着させる。
続いて同じ英国人のアガサ・クリスティーが、この文学を女性たちの間にも広め、再び海を渡ったアメリカのヴァンダインが、この小説群の魅力を質的に解析、傑作出現の確率を高める提案を行い、これを受け入れたやはり米国人のエラリー・クイーンが、名作を連発してジャンルを黄金時代に押しあげた──、二十世紀前半までの探偵小説の歩みは、このように把握することができる。
すなわちこの文芸新ジャンルは、英米二国の才能たちが、大西洋をはさんで競い合うことで成長させてきたといえる。
坡通过《莫格街凶杀案》创造出的这一种新文学将最新的科学技术做为探求真相的手法引入故事之中,把杀人事件真相的调查抬到了科学家进行思索的高度。
由此之前盛行的幽灵描写被瓦解,真实地说明事件的创作类型得到了提倡,这种精神又越洋过海被英国人柯南·道尔继承。他创造出了夏洛克·福尔摩斯系列这样一个科学活跃的侦探形象,一跃成为和圣经相同级别的畅销书籍,在文学领域奠定了一个风格流派。
接着,英国人阿加莎克里斯蒂将这种文学在女性读者当中推广开来。随后,这种精神再度渡海,由美国的范达因继承,他对这种文学做了本质上的分析,提出了一个旨在提高优秀作品出产率的提案。接受了这种提案的美国作家艾勒里 奎因,用接连不断的名作开创了“侦探小说”的黄金时代。“侦探小说”在二十世纪前50年的轨迹,大概可以这样来把握。
换句话说,这种新的文学流派的形成,是和英美两国诸多作家这种跨大西洋的竞争所密不可分的。
ヴァンダインは、高名な「二十則」というものを提唱するが、二十の諫めの精神をひと言で言うなら、ひたすらに論理的であれ、ということに尽きる。この実現のため、恋愛や、東洋の魔術趣味、あるいは超自然現象といったファンタジー的要素は、論理思考の材料たり得ないので排除すべき、と主張した。
そうした上で彼は、これを徹底するための提案をさらに行う。
作品の舞台装置には、雰囲気のある独立家屋を用意するのがよく、登場人物たちはこの舞台周辺を限定的にうごめく怪しげな人物たちに限るのがよく、物理的にも動機的にも理解がむずかしい不可解な事件が発生し、この事件では必ず一人ないし複数の人物が死亡すべきで、これを外来した名探偵が、読者もすでに心得ている情報のみを用いて論理的に推論し、犯人を指摘するのがよい。
すなわち推理の材料は、前段階で読者にもフェアに提供されるべきであり、その上で犯人は、できる限り意外な人物であることが望ましい──。
こうしたゲーム性を厳に踏まえることが、傑作を歩留まり高く招聘する、つまりこういう探偵小説が一番面白い、という指摘をヴァンダインは行い、自身の創作を通して証明して見せる。
范达因所提倡的“二十条守则”十分著名。不过有人也把这称为“二十戒律”,因为他有些过于追求理论。为了遵循这“二十戒律”,他主张排除一切不符合逻辑思维的东西,像恋爱啊,东洋的魔术啊,超自然现象这种带有fantasy文学要素的东西,就都不能幸免了。
这样做似乎仍然不够,范达因进一步提出了更为彻底的提议。
比如,在作品的舞台设置方面,最后应该设置在一个独立的民宅里面,出场人物不应该超出这个范围,嫌疑人也也是如此。然后就是发生“从物理上很难解释”,或者“动机不明”的不可能事件,在这个事件里面,必须有多人死亡。侦探必须是从局外之人,为了解决这个事件而来,他必须用读者已经掌握的线索,作出逻辑推理,从而找出犯人。
换句话说,所有的推理材料,必须在揪出犯人之前就提供给读者,在这个基础之上,再尽可能地把犯人设置成一个出乎读者意料的人物。
范达因认为,这样一来,侦探小说就可以保持一个公平的游戏性,就可以提高杰作的成品率。也就是说,遵循这种原则的侦探小说才是最有意思。范达因是这么主张的,同时他也是这么做的,他通过自身的创作来向世人证明了这一点。
エドガー・アラン・ポーが創案した「探偵小説」とは、簡単に言えば、「謎→解決」という背骨を必ず物語の中心軸に持った小説のことである。短編であれ、長編であれ、また物語がどのような方向に盛りあがりを見せようとも、展開の中心には必ずこうした背骨の貫きが存在している。そういう小説のことである。
何故このような奇怪な事件や不思議な現象が発生したのか、理解がむずかしい不可解事が物語の早い段階で起こり、現象は細部までよく読み手に説明され、続く中断で、中心人物によって発生の理由が熟考される経過が物語の肉となる。結末にいたってこの謎がついに、そしてすっかり解かれ、その構造が読者の想像を越えていたため、読み手が驚き、納得する、時に感動する。そういう段取りを持つ小説のことで、この謎の現象を起こした犯人や、現象が起こった理由を、読者が作中人物とともに「探偵」するので、「探偵小説」と呼ばれた。
爱伦坡创立的“侦探小说”,简单地说,其模式就是“提出谜题——解决谜题”,他的小说当中必然会以这种模式为中心,故事也必然会以这种模式发展开来。短篇也好,长篇也好,不管故事向哪个方向发展,展开的中心必然是这样一种模式。所以说,爱伦坡写的就是这么一种小说,这是他的小说的“骨架”。
在这种小说里面,一开始会是不知为何突然发生的奇怪事件,随后,让人很难理解的现象接连发生,作者得仔细地描写这种现象的细节,随后向读者描述这种由中心人物所引起的故事经过,故事发生的理由必须合理,必须是经过深思熟虑的。以上这些便构成了小说的“肉”。
在小说的结尾,谜题被解开,这个时候,如果谜题超出了读者的想象,那么读者就会感到惊讶,继而认同,甚至会觉得感动。
这种模式的小说,有引起谜题现象的犯人,或者引起现象的理由,读者会和书中的人物一起当侦探,破解谜题,因此我们把这种模式的小说称为“侦探小说”。
一方、こういう小説群の他所に、単に「ミステリー」と呼ばれる一群の小説群があり、これは神秘的な現象が描かれた小説全般のことをそう呼ぶ。
すなわち超常現象、怪奇現象、また幽霊物語もそうであるし、詩的で幻想的なできごとを描いた小説、あるいはハリウッド映画が得意とする冒険ファンタジーのストーリーなども、すべてこの「ミステリー」という分類に入る。
そしてこの「ミステリー」現象には、科学的、合理的な理由説明はなくともよい。読み手は、展開にひそむ神秘性、非日常性に、強く、あるいはゆるやかに翻弄される体験、それ自体を楽しむ。
ポーの「モルグ街の殺人事件」もまた、ドアが閉められ、窓が釘付けされた石造りの建物内の部屋、すなわち人間ならば侵入が不可能な密室に、幽霊的存在が侵入し、中にいた女性を惨殺して暖炉上の煙突内部に押し込める、という奇怪な事件なので、これはあきらかに幽霊現象の範疇にあり、「ミステリー」小説の条件を充たすから、「モルグ街」は「ミステリー」小説でもある。
しかし「モルグ街の殺人事件」が、それまでのミステリー小説と大きく異なっていたことは、この幽霊現象が、実は現実的な発生理由を持っていて、霊的、神話的と見えた現象に、作者がきちんと合理的な説明をつけたことにある。
そしてこの説明に、当時発生し、発展しつつあった最新科学の方法と、科学者としての視点、冷静で論理的な追究態度を用いたことが、革命的に新しかった。
この新しさに多くの才能が強い魅力を感じて創作のレースに参加したので、「探偵小説」という新文学のジャンルが英語圏に発生した。
另一方面,还有一批小说被称为“mystery”小说。这是一种对描写神秘现象小说的统称。
也就是说,这是一种描写超自然现象,怪异现象,或者幽灵事件等具有诗意、幻想性质的事物的小说。另外好莱坞电影里经常出现的那种冒险、奇幻的故事,也被归入了“mystery”小说的范畴。
这种“mystery”小说,即使没有科学合理的解释也是可以的。读者在这种小说里享受的是随着小说情节展开带来的神秘性以及非日常性,或者是在轻松愉悦当中被作者愚弄的精神体验。
爱伦坡的《莫格街凶杀案》和在它之前出现的“mystery小说”不同之处在于,小说里面虽然有幽灵现象,但是这些现象能够用现实合理的理由来解释,就算是出现灵魂,神话般的现象,但是作者能够用符合逻辑的说明自圆其说。
另外就是,这种解释和说明,是和当时日新月异的最新科学方法相关的,作者能从一个科学家的视角出发,用了冷静的态度和缜密的逻辑来解释不合理现象,这一点在当时是一个革命性的突破。
被这种崭新的题材所吸引,众多才华横溢的作家开始参与到这种创作的竞赛当中,由此,“侦探小说”这种崭新的文学流派便在英语文化圈里诞生了。
その後、ポーの原点に見るような幽霊現象、すなわち「ミステリー」は伴わず、ただ殺人事件が起こり、この犯人が不明で、探偵という職業人がこの殺人犯を「探偵」行動によって追跡、特定していく過程を描く小説も「探偵小説」と呼ばれるようになり、このジャンルの主眼は、むしろこちらに移っていく。
つまり「ミステリー」は排除され、「探偵」行為のみに書き手や読者の関心が向けられるようになって、「探偵小説」のジャンルは完成する。こうした簡素化された構造が多くの書き手を吸引して、アメリカを中心に黄金時代が築かれていく。
从那以后,侦探小说逐渐淡化了爱伦坡小说里的那种幽灵现象——也就是“mystery”现象——慢慢将重点放到单纯的杀人事件当中。在这种事件里面,谁是犯人成为了主要的谜团,而小说描写的重点也变成了侦探追踪犯人,进行侦破的过程。
换句话说,侦探小说这种流派的完全建立,是建立在对“mystery”现象的排除,转而专注于侦探行为的描写等一系列特征基础之上的。这种简化了的构造,吸引了众多作家,由此以美国为中心,开创了一个黄金时代。
この新文学の創作レースには、アジアでは日本が最も熱心に参加するが、それはアメリカにおけるこの黄金時代の、知的な華やかさに憧れてのものである。日本人はこのジャンルに、「本格」の「探偵小説」という新しい用語まで創案して熱中する。すなわちこの「本格」という言葉は、日本人の発明になるもので、英語にはない。
この語や経緯の詳しい説明はのちに譲るが、探偵が犯人を調査していく過程で、さかんに「推理」と呼ぶ思索を行うので、日本人はこの小説を「推理小説」とも呼ぶようになり、この推理の内容が、格別に高度で論理的であり、水準より鮮やかで、説得力あるものを「本格的」な「推理小説」、あるいは「本格的」な「探偵小説」と呼んで、日本人は賞賛するようになっていく。
すなわち「本格」の「探偵小説」であるためには、推理の論理が一定量以上に高度、または独自的な印象を醸す必要がある。
在这中新文学创作的竞赛当中,位于亚洲的日本被美国黄金时代迸发出的那种知性的华丽所吸引,萌发了一种强烈的参与愿望。日本人的热情十分高涨,甚至为了这种新流派的文学,创造了“本格侦探小说”这种专有名词。也就说说,“本格”这个词是日本人自己造出来的,并不是英语翻译过来的。
我们在这里向大家简单地介绍一下“本格”这个词的含义,至于这个词被创造出来的详细过程就不赘述了。
侦探在调查犯人的过程当中,他的思考行为可以被成为“推理”,因此,日本人又把“侦探小说”成为“推理小说”。而这种推理的内容,理论程度特别高,水平特别出类拔萃,说服力特别强的那种才被称为“本格推理小说”,换句话说,“本格”的“侦探小说”,是日本人的一种赞赏之词。
换句说话,要想成为“本格”的“侦探小说”,推理的理论性必须达到一定的高度,另外还必须给读者留下独特的印象才行。
犯人不明の探偵小説というばかりでなく、ポーの「モルグ街」の神秘的な雰囲気を継続したミステリー物語も依然書かれているが、こうした小説の場合も、現象発生の理由を説明して事態を解決する後段の文章が、水準以上に高度で論理的であるものを「本格」の「ミステリー」と呼ぶ。
こちらの小説はフーダニットではなく、多くハウダニット、つまりこの神秘現象がどのようにして起こったかという「理由」を推理する趣向の小説になることが多い。
「本格探偵小説」が書きつくされてアイデアが枯渇して見える現在、こちらの「本格ミステリー」の方向に、より将来があるように自分は考えている。
最後のものが「本格ミステリー」という小説群の説明になるが、「本格探偵小説」でなく、その一部分をなす「本格ミステリー」は、解明を目指した推理論理の高度さ、理知性を達成するため、また前段提示の解明目標たる神秘現象を支えるためにも、最新科学の成果を学んで用いることがしばしば有効である。
これは十九世紀に現れたポーの「モルグ街」もまさしくそうであったため、原点におけるポーの精神にもよく合致するし、「本格ミステリー」とはもともとそのように、科学発想と相性がよい小説の群れである。
二十一世紀が明けた現在、そして将来、この傾向はますます加速すると思われる。幾多の驚くべき達成が、最新科学のフィールドには存在しているからである。このため、昨今やや行き詰りを見せはじめた「本格探偵小説」、その一部をなす「本格ミステリー」の活力復活のためには、このような考え方、つまりはポーの原点に立ち返って発想することが必要であり、自分は考えて、自分は現在主張を続けている。
本格mystery小说,不仅仅是那种具有神秘犯人的侦探小说。本格mystery小说还必须具备爱伦坡《莫格街凶杀案》中的那种神秘的气氛,在具备这些条件之下,在解释说明小说事态原因的时候,如果还能具有高超逻辑水平的推理过程,那才能称得上是“本格mystery小说”。
这样的小说,并不是写“who done it”,而是“how done it”。换句话说,就是神秘现象是如何发生的,并解释这种发生的理由,以此为宗旨的小说。
在本格侦探小说题材和灵感几乎被用尽的今天,我认为这种本格mystery小说才是本格小说发展的方向。
最后我想说说本格mystery小说这种小说类型。本格mystery小说是本格侦探小说的一部分,但并不等同于本格侦探小说。它以高度的逻辑性推理来解释谜题,为了达到知性小说的效果,它必须在小说的前部给出能够解释神秘现象的必要提示。在本格mystery小说里,应该经常地运用最新的科学研究成果。
爱伦坡作于十九世纪的《莫格街凶杀案》正是这样的小说。这和爱伦坡原点的精神是相一致的。本格mystery小说正是这样一种和科学幻想紧密联系的小说类型。
在二十一世纪之初的现在,以及将来,我坚信,这种倾向必将加速发展。因为我们的世界当中,已经出现了数量惊人的科研成果。因此,尽管本格侦探小说的发展停滞不前,但为了让作为其一部分的本格mystery小说恢复生机,我认为这种方法是切实可行的。也就是说,我们应该回到爱伦坡的原点,去重新施展我们的想象力。
英米の探偵小説黄金時代が逝き、アングロサクソンたちに代わってこの文学を継承した者は、地球を西廻りに進んだ地域に暮らす、日本人であった。日本人はこの新文学に「HONKAKU」という新呼称を与え、ヴァンダインとは別角度からの創作提案を行った。
「本格」という呼称をジャンルに与えた者は、甲賀三郎という日本人作家であった。しかし彼は、ある探偵小説を「本格」と規定する際の条件を、細かく指示してはいない。用語の定義も示さなかった。
この名称は、時代を経るにつれて探偵小説を、「本格探偵小説」と、そうでない探偵小説とに分類することを要求するものとなっていくが、もともと甲賀は、探偵小説の創作例全体から、本格の小説のみを区別して取り出すことを考えてはいなかった。
英美侦探小说的黄金时代逝去之后,替代盎格鲁撒克逊人,将这种文学继承发扬的便是生活在亚洲的日本人。日本人给这种新的文学起了一个新的称呼,“本格”,并从异于范达因的角度开始进行创作。
富裕这种文学“本格”称呼的人,是日本作家甲贺三郎。不过,他并没有做出具体的说明,规定什么样的侦探小说才是“本格”小说。当然了,他也没有对本格这个词做出定义。
在那个时候,侦探小说已经发展到了必须将侦探小说分为“本格侦探小说”和“非本格侦探小说”的程度了。但甲贺三郎并没有有将本格小说从侦探小说中独立出来的打算。
甲賀の時代の日本の探偵小説は、江戸川乱歩が開発した、江戸ふうの見世物小屋センスのものが主流を占めていた。
江戸時代(十七~十八世紀)ふうの見世物小屋とは、小人や、体が変形した奇形の人たち、あるいはろくろ首、牛女、カッパなどの恐ろしげなものを、料金を取って一般に見せていたもので、乱歩流儀の小説は、この通俗見世物的な存在がもしも世間に解放され、犯罪とともに暗躍していたなら──、と発想して描かれた、怪談に近い御伽噺であった。
甲贺时代的日本侦探小说,是由江户川乱步为开端的。那时候的题材大多数是带有江户时代色彩的畸形秀。
江户时代(十七-十八世纪)的畸形秀,以展示反常现象、畸形生物为主,比如侏儒,身体畸形的人,脖子可长可短的怪物,牛女,河童之类的样子可怕的东西。这种展示收入门票,向大众开放。
而乱步流派的小说正是出于这种假设:这些畸形的存在被释放到世间之后,会在暗中引起什么样的犯罪呢。乱步流派的小说从这里出发,描写出了一部部近似于怪谈的传奇故事。
江戸ふうの見世物小屋は、大正期に入れば「衛生博覧会」と名を変え、生き残っていく。これは、大衆に衛生の観念を啓蒙するためと主張して興行認可を取った、やはり通俗見世物で、性病や寄生虫、感染症による病変人体を展示して、料金を徴収した。
しかし実のところ観衆は、衛生観念の学習より、怖いもの見たさや、お化け屋敷見物の感覚で、病変人体を観にいった。
こうした衛生博覧会発想も、日本では探偵小説の創作動機に大いに活用された。多数の読者がいたゆえであるが、この競作には現役の医学者も大いに参加して、人体をベースに、医学的気味悪さの開陳が競われた。
江户时代色彩的畸形秀,在进入大正时期以后更名为“卫生博览会”,留存了下来。官方认为让人们看看一些因性病、寄生虫、传染病等发生病变的人体,对于启蒙大众的卫生观念有一定作用,允许这种收费的人体展示。
不过实际上,人们根本不是为了学习卫生观念才去看那些恐怖的东西,他们在观看病变人体的时候,大多都是抱着一种想看怪物的猎奇心态。
甲賀三郎は、こうした自国の時流をやむを得ないものとして許容しながらも、この傾向の作品群を、英米に興ったものとは違うので「変格の探偵小説」と呼んで、あえて一群の異種として把握することを提案した。
これはおそらく、こうした作風を本道から区別し、脇に寄せることをも言外に主張したものと思われる。欧米流の探偵小説の本道とはこれらは異なっている、という懸念や不安が、彼にあったゆえであろう。
そして見世物小屋とか、お化け屋敷発想でない欧米型の理知的な探偵小説を、「本格の探偵小説」と呼んで中央に置くことを提案した。
すなわち甲賀は、探偵小説という文芸ジャンルを、本来的に推理の論理性「高」を目指す知的な小説群としてとらえ、一定水準以上に高度な論理性を有した作例を、「本格」のものと呼んで、ジャンル振興のために讃える慣習をスタートさせたといえる。
这种流派的小说在日本盛行一时,因此也被当时的时代所允许。甲贺三郎注意到这种风格的小说和英美流行的那种完全不一样,因此他提出了一个新的概念,把这些小说称为“变格侦探小说”,这就等于把它们视为了一种异类。
所谓“变格”,就是说,这种风格的小说并没有走侦探小说的“正道”,言外之意,他们走的是旁门左道。这些小说走的是和欧美侦探小说不一样的路子,因此甲贺三郎的心里多少有点担心和不安。
后来,甲贺三郎又进一步提出,那种没有畸形秀,没有怪物、猎奇内容的、欧美型的理性侦探小说,才是“本格侦探小说”。
换句话说,侦探小说这种形式的文学流派,本来就应该是高度注重推理逻辑的知性小说,而且,具有一定水准的高度逻辑性的作品,才能称作“本格”。因此,从那时候开始,“本格”一词开始变成了一种称赞,它专门授予那些为振兴侦探小说做出贡献的作品。
これは大海を隔てた日本人の、欧米の栄光を追尾せんとする態度であり、欧米の凌駕などはかけらも発想されてはいなかった。ところが黄金期を遥かな過去にした今、欧米の「本格もの」は姿を消しかかった。一方「本格」の語とともにこれを引き継いだ日本では、このジャンルの隆盛が続き、今日に至るも失速というまでの衰えは見せていない。
そうであるなら、ここには考慮すべき重大事が潜む。「本格」という語によって行った日本人のジャンル理解に、より深い提言性があったということになる。
ポー創案の探偵小説は、すなわち日本において、新たなスタートを切った。
与欧美隔海相望的日本人,只是抱着一种追随欧美荣光的态度,并没有打算凌驾于欧美之上。不过,在黄金时代早已逝去的欧美,如今却早已经看不到“本格的东西”了。另一方面,在继承了“本格”这种东西的日本,“本格”的东西却依然兴盛,至今仍然没有衰落的趋势。
甲賀は、館など閉鎖限定的な空間内で、事件がゲームとして終始することを、取りたてて称揚はしなかった。また数十に及ぶヴァンダインのきめ細かな縛りにも拘泥せず、見世物小屋式のセンスでなく、「理知的な推理を軸とする小説であれ」という程度の鷹揚な希望を、「本格」という一語に託して述べた。
甲賀考案のわずか一語、「本格」という語彙による鼓舞の方が、本格創作という文化の振興と延命には有効であったことを、その後の歴史は示している。この点もまた、決定的に重要である。
甲贺三郎并不赞成将杀人事件作为游戏限定在“馆”等封闭空间里面。他希望这种小说能够不受范达因守则的束缚,也不希望出现畸形秀似的猎奇内容,因此,他将这种“以逻辑性推理为主轴的小说形式”的发展寄希望于“本格”这一词语当中。
本格,这一甲贺三郎当初并未对其严加规划的词语,成为了鼓舞本格创作,振兴本格文化,将这种文化延续至今的生命源泉。后来的历史将为我们展示本格这一词语重要的、具有决定性的意义。
「本格」は、日本を発して台湾に受け継がれ、中国に伝播し、韓国に及んで、広大なアジア地域に広がりを見せようとしている。
これを、科学の時代とともにアメリカで発生した新文学が、百五十年の時間のうちに方法論が整備され、日本語や華文など、アジア文化を中心軸として、第二の発展期を引き寄せようとしている、と受けとめても大きな誤りではあるまい。
本格一词在日本出现,继而被台湾地区继承发扬,后来又在中国大陆传播开来,并进入韩国,扩展到亚洲各地。
这种伴随科学发展在美国诞生的新文学,经过150年的发展,形成了自己的理论。本格小说以亚洲文化为中心,通过日语,中文等语言的传播,必将迎来第二个发展时期。
日本にも新本格のブームという、アメリカに七十年遅れたヴァンダイン主義の復権とも呼ぶべき現象があった。この時代が、本格の最も美味な部分を探偵小説の読者にアピールした功績は大きい。しかし今日はこれもやんで、館志向のコード型というこの創作メソッドも、永続的なものではなかったことを、われわれは再度学ぶにいたった。
アジア本格の時代の黎明という新たな時代の初日に立った今、われわれはポーの「モルグ街」の原点に再び、しかも正しく立つことが求められている。
「本格」という日本語は、今日の視点からは、ヴァンダインの提言を充分に有効なものとして認めながら、使命は終えたものとしていったん棚上げにし、ポー流の原点に立ち戻ろうと主張するものに、今は聞こえる。徹底して論理的であろうとする学究的な態度は、「モルグ街」においてこそ、最も顕著に示されているからである。
在日本,发生了一股“新本格”热潮。在美国提出范达因主义的70年之后,这股热潮可以成为称为范达因主义的复兴。在这个时代里,本格用其最出色的部分打动了侦探小说读者的心灵。这其中,新本格运动的功绩不可磨灭。不过,现如今新本格运动已经停止,馆类型的代码型的创作方法也不可能永远持续下去,我们已经到了重新学习的时候。
今天,亚洲的本格可以成为正处于黎明时刻,我们要回归爱伦坡《莫格街凶杀案》的原点,寻求正确的的方法,从那里汲取营养。
有人说,从今天的视点来看,本格这个词,虽然充分而又积极地继承并发扬了范达因的提议。但它的使命已经终结。我们姑且将这个说法束之高阁而不谈,我们主张重新回到爱伦坡的原点。如果打算彻底地用逻辑、学术的态度来探讨的话,我们认为《莫格街凶杀案》才是最能够彰显这一态度的原点。
百五十年にわたる探偵小説の膨大な作群の全体を、仮にひとつの才能による仕事ととらえれば、「モルグ街」は処女作にあたる。よく言われるように、処女作はおうおうにしてのちのすべての作例の萌芽を含むが、試しに以下のようにこの作をとらえると、この考え方は妥当である。
「モルグ街」は、「探偵小説の嚆矢」であると同時に「密室小説の嚆矢」である。「モルグ街」は「動物を用いた殺人計画小説」の第一号である。「モルグ街」は、「警察小説」のジャンルを切り開いたさきがけである。「モルグ街」は、「異様な残虐さで殺害された被害者」という趣向の小説の第一号にあたる──。実際「モルグ街」の後方には、そうした小説群の長い系譜の列ができている。
经过150年发展的侦探小说,已经发展出一大批作品。而如果想要抓住侦探小说的要领,就必须回到侦探小说的处女作——《莫格街凶杀案》。就像人们经常说的那样,一个作家的处女作里面往往包含了其所有作品的萌芽。因此,我认为,要想找到一类作品的要领,就必须回到这类作品的处女作。我认为这种思维方式是妥当的。
《莫格街凶杀案》不但是侦探小说的开端,同时还是密室小说的开端。《莫格街凶杀案》是第一个运用动物来实施杀人计划的小说。《莫格街凶杀案》也是一部开创了“警察小说”这种类型的小说。《莫格街凶杀案》还是第一部带有“将被害人用变态的手法虐杀”倾向的小说。实际上,在《莫格街凶杀案》的后面,我们可以列出一大长串小说的谱系。
しかし不思議にもあまり言われないことだが、述べてきたように「モルグ街」の最重要な要素は、時代の最新科学を、幽霊譚に出遭わせた慧眼にある。
幽霊譚がいわゆる「ミステリー」であり、最新科学の成果、およびそれを導いた科学者の態度が「本格」の語を説明している。
つまり「本格ミステリー」とは、こうした二種の異物の出遭いと、それによって生じた融合、いわば遺伝子レヴェルの結合によって生まれた、ハイブリッドの文学のことである。
不过,虽然这不能说是不可思议,但《莫格街凶杀案》中最重要的一个因素,就是它让时代的最新科学遇上了幽灵传说。我认为在这一点上,爱伦坡的眼光十分独到。
幽灵传说,其实就是“mystery”。在《莫格街凶杀案》,爱伦坡结合最新的科学成果,从倡导科学的科学家的立场出发,以“本格”的语言解释了这一切。
也就是说,本格mystery这种东西,本来就是由两种完全相异的东西的相遇、融合而成的。换句话说,在遗传基因里面,就已经包含了“叛逆”的因素,本格mystery是一种文学上的混血儿。
ヴァンダイン以降の本格ミステリーは、事件の真相探索を、野球のようにゲームとして完成するため、指紋や血液型、微物収集など、十九世紀の科学捜査方法以上の新しい方法を作中に導入することを嫌がっている。
「アジア本格」という来るべき新時代においては、探偵小説が野球に似た推理のゲームであった時代は終わらせてかまわない。「アジア本格」とは、新世紀の新しい文学であるからだ。
そうなら最新科学情報の作中への導入をためらう理由はなくなり、英米の探偵小説群のように、真相探求の手段を「モルグ街」時点で凍結させ、アンタッチャブルとする必要もなくなる。むしろそうしてはならず、最新科学の導入は最重要の優先課題ともなる。二十一世紀のモルグ街は、新世紀の科学者としての探偵を必要とするからだ。
范达因以后的本格mystery,一直拘泥于像棒球那样的游戏性,因此,在探索事件真相的时候,一直不愿意引入十九世纪以来的科学搜查方法,比如指纹、血液分析,细微证据的收集等等。
我认为“亚洲本格”的时代早晚会来临。而“亚洲本格”将是新世纪的新文学。因此,我们不妨让棒球游戏一般的侦探小说时代结束吧。
既然如此,我们就没有道理不把最新的科研成果导入作品当中了。我们也没有必要像早期英美侦探小说那样,把侦探的侦查手段限制在《莫格街凶杀案》的时代了。
其实,我觉得我们已经到了必须这么做的时候了。将最新的科学技术引入小说,将是目前最重要最优先的课题。二十一世纪的莫格街,必须有新世纪科学家侦探的身影。
英米から日本を経由した「本格ミステリー」について述べてきたが、一方西南アジアには、日本の提案とはまったく無縁に、英米の影響のみで探偵小説を発展させてきた地域もある。英国から地球を東方向に廻ったインドである。
二十一世紀の今、探偵小説はこうした東西方向からの旅を終え、再会の前夜に立ってもいる。
そんなおり、台北に現れた島田賞は、受賞作品を台湾、中国、タイランド、日本の四カ国で翻訳刊行する。そして今後、もしも発展が得られる幸運があるなら、刊行地域を英米の直接影響圏に広げることも目標としている。
虽然我简单介绍了一下“从英美发源经由日本的‘本格mystery小说’的情况”,不过在另一方面,西亚、南亚仍然是英美侦探小说的的天下,目前那里还和日本的提议无缘。
其中最为突出的就是印度。
在二十一世纪的今天,东西方的侦探小说已经到了结束旅行、迎来再次相会的前夜。
因此,现在在台北的岛田奖的获奖作品,正由台湾地区,中国大陆,泰国,日本四个国家地区一起合力翻译发行。相信在今后,如果能有幸发展到一定的程度,我们将努力将作品打入欧美市场的直接影响圈。
主要介绍了推理小说,本格mystery小说,新本格mystery小说等概念,以及日本推理小说的发展历史。
鉴于这篇演讲价值非凡,现贴出来和大家共享。
讲稿由本人翻译,转载请注明出处。
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今回のこの講演では、「本格ミステリー」とは何かについて話したいと考えている。
この文芸ジャンルはさまざまな呼び名を持っている。「探偵小説」、「推理小説」、「ミステリー」、また「本格ミステリー」という具合に。
「探偵小説」と「本格ミステリー」、ほかにもただ「ミステリー」という言葉が存在しているけれども、 「探偵小説」と「ミステリー」、また「本格」の「ミステリー」とはどのように違うのか。その説明をまずしなくてはならないだろう。
これらの言葉のうち、「推理小説」という言葉と「本格」という言葉は日本人の発明になるもので、英語にはない。他は英語からの翻訳である。
这次的讲演我主要想讲一讲“本格mystery小说”是什么。
这一文学类别有很多名字,比如“侦探小说”、“推理小说”、“mystery小说”,以及“本格mystery小说”。
在“侦探小说”和“本格mystery”之外还存在“mystery小说”这个名词。那么“侦探小说”和“mystery小说”以及“本格”的“mystery小说”之间又有何不同呢?首先必须要说明这一点。
在这些概念中,“推理小说”和“本格”是日本人的发明,并非来自英语,其他的都是英文的翻译。
「推理小説」という言葉は、この文学発展の過程で日本の事情から作られたもので、忘れてもらっても大きな問題はないが、「本格」という言葉は重要である。そして「本格ミステリー」という言葉が最も重要であり、私が今中国の才能に最も期待するのが、この種類の小説である。
そうなら「本格ミステリー」とはどういう小説のことか。創作の際にどんな条件を持たせれば、「本格ミステリー」と呼び得る小説になるかについても、説明の要がある。
「本格」という言葉は、台湾では最近よく受け入れられ、正確な理解もされるようになってきているが、多くの天才が潜んでいると確信し、最も期待する中国においては、この新文学のジャンルについて、まだ正確な理解がなされている段階にはおそらくない。今回私がこの国にやってきた最大の使命は、この新文学の概念をこの国に伝え、多くの才能たちに創作を呼びかけることなので、今からこれをやってみたい。
また今後、このジャンルがさらに隆盛を増し、アジアを中心に世界中に伝播し、歴史的な実りを達成するかどうかは、ここ中国の才能、すなわち華文の才能たちにかかっていると言えるので、今後も機会がある限り幾度でもこの地を訪れ、こうした仕事を続けていきたいと考えている。
“推理小说”这个概念是这一文学类别在日本的发展过程中被创造出来的,并没有特别的意义,但“本格”这个概念却很重要,“本格mystery小说”尤其重要,我对于中国人才能的期待就在于这种小说上面。
那么“本格mystery小说”到底是一种什么样的小说呢?我有必要说明一下“在创造的过程中,具备怎样的条件的小说才能被称作‘本格mystery小说’”。
“本格”这个概念最近在台湾得到了正确的理解,但是在隐藏着很多天才的中国——也就是我抱有最高期待的中国——恐怕还没有达到这个阶段。这一次我到中国的最大使命,便是在这个国家传播这个新的文学类别,呼吁那些才能出众的人投身创作。
而且今后这一文学类别的进一步发展、以及以亚洲为中心在世界上传播能否达成历史性的成就,都与中国的人才,也就是使用汉语的人才相关。所以,今后只要有机会,我都会来中国,继续这样的工作。
一八〇九年、マサチューセッツ州ボストンで俳優夫婦の子として生まれた、エドガー・ポーという不幸なスコットランド系アイルランド人がいた。彼は三歳で両親に死なれ、孤児となる。ヴァージニア州リッチモンドの裕福な商人、ジョン・アランに養子として引き取られ、エドガー・アラン・ポーを名乗ることになる。
ヴァージニア大学を一年で放校、陸軍士官学校を放校になるなどしながら成長、一八三八年、二十七歳の時に、十三歳のヴァージニアという娘と結婚する。
フィラデルフィアの新興の雑誌「グレアムズ・マガジン」に、月給五十ドルで編集と執筆に参加、一八四一年に『モルグ街の殺人事件』を発表する。
しかしこの直後、最愛の妻が肺結核で吐血、一八四七年に死亡する。以来ポーは酒に溺れるようになり、阿片チンキによって自殺も試みるが果たさず、一八四九年の十月、ボルチモア市の路上に倒れているところを通行人に発見される。病院に担ぎ込まれるが、まもなく死亡する。酒場で倒れたとする説もある。
しかし彼の死後、『モルグ街の殺人事件』は、次第に大きな意味を持つ作品になっていき、「探偵小説」という新ジャンルを世界に船出させることになる。
また科学的な事実を小説に取り入れる彼の作風は、フランスのジュール・ベルヌに着目されて、「SF小説」発生の引き金ともなった。
1809年,在美国马萨诸塞州的波士顿,一对演员夫妇的儿子埃德加·坡出生了。他是一个不幸的苏格兰系爱尔兰人。三岁时,由于双亲故去,他成了一名孤儿,被弗吉尼亚州里奇蒙德的富裕商人——约翰·爱伦收为养子,此后改名为埃德加·爱伦·坡。
他在弗吉尼亚大学读了一年,随即被开除。后来又读了陆军士官学校,然后也被开除。在那之后,也就是1838年,27岁的坡和13岁的弗吉尼亚结了婚。
坡在费城的一家新办杂志《格雷厄姆杂志》做编辑以及撰稿人,月薪50美金,并于1841年发表了《莫格街凶杀案》。
可是在这之后,坡最爱的妻子因为肺结核而吐血,于1847年病故。在那之后,坡沉溺于酒精,甚至试图使用鸦片药剂自杀。1849年10月,坡倒在巴尔的摩的街上,随后被过人发现。虽然被送到了医院,但是随即不治身亡。还有一种说法说他死在了酒店。
可是在坡死后,《莫格街凶杀案》逐渐变成了意义非凡的作品,开创了“侦探小说”这一新的文学类别。
另外因为坡喜欢将科学发现引入小说中的做法引起法国人儒勒·凡尔纳的注意,也成为了“sf小说”的起源。
『モルグ街の殺人事件』によってポーが創案した新文学は、最新科学の情報や、真相探求の手法をストーリーに採り入れることで、殺人事件の追及を、科学者の論理思索にまで高めるものだった。
そしてそれまで盛んであった幽霊描写を科学発想で解体、リアルに説明する創作のスタイルを提案するが、この精神は海を渡ってコナン・ドイルという英国人に引き継がれ、彼がシャーロック・ホームズという科学者の活躍譚を聖書並みのベストセラーにすることで、流儀を文学の一角に定着させる。
続いて同じ英国人のアガサ・クリスティーが、この文学を女性たちの間にも広め、再び海を渡ったアメリカのヴァンダインが、この小説群の魅力を質的に解析、傑作出現の確率を高める提案を行い、これを受け入れたやはり米国人のエラリー・クイーンが、名作を連発してジャンルを黄金時代に押しあげた──、二十世紀前半までの探偵小説の歩みは、このように把握することができる。
すなわちこの文芸新ジャンルは、英米二国の才能たちが、大西洋をはさんで競い合うことで成長させてきたといえる。
坡通过《莫格街凶杀案》创造出的这一种新文学将最新的科学技术做为探求真相的手法引入故事之中,把杀人事件真相的调查抬到了科学家进行思索的高度。
由此之前盛行的幽灵描写被瓦解,真实地说明事件的创作类型得到了提倡,这种精神又越洋过海被英国人柯南·道尔继承。他创造出了夏洛克·福尔摩斯系列这样一个科学活跃的侦探形象,一跃成为和圣经相同级别的畅销书籍,在文学领域奠定了一个风格流派。
接着,英国人阿加莎克里斯蒂将这种文学在女性读者当中推广开来。随后,这种精神再度渡海,由美国的范达因继承,他对这种文学做了本质上的分析,提出了一个旨在提高优秀作品出产率的提案。接受了这种提案的美国作家艾勒里 奎因,用接连不断的名作开创了“侦探小说”的黄金时代。“侦探小说”在二十世纪前50年的轨迹,大概可以这样来把握。
换句话说,这种新的文学流派的形成,是和英美两国诸多作家这种跨大西洋的竞争所密不可分的。
ヴァンダインは、高名な「二十則」というものを提唱するが、二十の諫めの精神をひと言で言うなら、ひたすらに論理的であれ、ということに尽きる。この実現のため、恋愛や、東洋の魔術趣味、あるいは超自然現象といったファンタジー的要素は、論理思考の材料たり得ないので排除すべき、と主張した。
そうした上で彼は、これを徹底するための提案をさらに行う。
作品の舞台装置には、雰囲気のある独立家屋を用意するのがよく、登場人物たちはこの舞台周辺を限定的にうごめく怪しげな人物たちに限るのがよく、物理的にも動機的にも理解がむずかしい不可解な事件が発生し、この事件では必ず一人ないし複数の人物が死亡すべきで、これを外来した名探偵が、読者もすでに心得ている情報のみを用いて論理的に推論し、犯人を指摘するのがよい。
すなわち推理の材料は、前段階で読者にもフェアに提供されるべきであり、その上で犯人は、できる限り意外な人物であることが望ましい──。
こうしたゲーム性を厳に踏まえることが、傑作を歩留まり高く招聘する、つまりこういう探偵小説が一番面白い、という指摘をヴァンダインは行い、自身の創作を通して証明して見せる。
范达因所提倡的“二十条守则”十分著名。不过有人也把这称为“二十戒律”,因为他有些过于追求理论。为了遵循这“二十戒律”,他主张排除一切不符合逻辑思维的东西,像恋爱啊,东洋的魔术啊,超自然现象这种带有fantasy文学要素的东西,就都不能幸免了。
这样做似乎仍然不够,范达因进一步提出了更为彻底的提议。
比如,在作品的舞台设置方面,最后应该设置在一个独立的民宅里面,出场人物不应该超出这个范围,嫌疑人也也是如此。然后就是发生“从物理上很难解释”,或者“动机不明”的不可能事件,在这个事件里面,必须有多人死亡。侦探必须是从局外之人,为了解决这个事件而来,他必须用读者已经掌握的线索,作出逻辑推理,从而找出犯人。
换句话说,所有的推理材料,必须在揪出犯人之前就提供给读者,在这个基础之上,再尽可能地把犯人设置成一个出乎读者意料的人物。
范达因认为,这样一来,侦探小说就可以保持一个公平的游戏性,就可以提高杰作的成品率。也就是说,遵循这种原则的侦探小说才是最有意思。范达因是这么主张的,同时他也是这么做的,他通过自身的创作来向世人证明了这一点。
エドガー・アラン・ポーが創案した「探偵小説」とは、簡単に言えば、「謎→解決」という背骨を必ず物語の中心軸に持った小説のことである。短編であれ、長編であれ、また物語がどのような方向に盛りあがりを見せようとも、展開の中心には必ずこうした背骨の貫きが存在している。そういう小説のことである。
何故このような奇怪な事件や不思議な現象が発生したのか、理解がむずかしい不可解事が物語の早い段階で起こり、現象は細部までよく読み手に説明され、続く中断で、中心人物によって発生の理由が熟考される経過が物語の肉となる。結末にいたってこの謎がついに、そしてすっかり解かれ、その構造が読者の想像を越えていたため、読み手が驚き、納得する、時に感動する。そういう段取りを持つ小説のことで、この謎の現象を起こした犯人や、現象が起こった理由を、読者が作中人物とともに「探偵」するので、「探偵小説」と呼ばれた。
爱伦坡创立的“侦探小说”,简单地说,其模式就是“提出谜题——解决谜题”,他的小说当中必然会以这种模式为中心,故事也必然会以这种模式发展开来。短篇也好,长篇也好,不管故事向哪个方向发展,展开的中心必然是这样一种模式。所以说,爱伦坡写的就是这么一种小说,这是他的小说的“骨架”。
在这种小说里面,一开始会是不知为何突然发生的奇怪事件,随后,让人很难理解的现象接连发生,作者得仔细地描写这种现象的细节,随后向读者描述这种由中心人物所引起的故事经过,故事发生的理由必须合理,必须是经过深思熟虑的。以上这些便构成了小说的“肉”。
在小说的结尾,谜题被解开,这个时候,如果谜题超出了读者的想象,那么读者就会感到惊讶,继而认同,甚至会觉得感动。
这种模式的小说,有引起谜题现象的犯人,或者引起现象的理由,读者会和书中的人物一起当侦探,破解谜题,因此我们把这种模式的小说称为“侦探小说”。
一方、こういう小説群の他所に、単に「ミステリー」と呼ばれる一群の小説群があり、これは神秘的な現象が描かれた小説全般のことをそう呼ぶ。
すなわち超常現象、怪奇現象、また幽霊物語もそうであるし、詩的で幻想的なできごとを描いた小説、あるいはハリウッド映画が得意とする冒険ファンタジーのストーリーなども、すべてこの「ミステリー」という分類に入る。
そしてこの「ミステリー」現象には、科学的、合理的な理由説明はなくともよい。読み手は、展開にひそむ神秘性、非日常性に、強く、あるいはゆるやかに翻弄される体験、それ自体を楽しむ。
ポーの「モルグ街の殺人事件」もまた、ドアが閉められ、窓が釘付けされた石造りの建物内の部屋、すなわち人間ならば侵入が不可能な密室に、幽霊的存在が侵入し、中にいた女性を惨殺して暖炉上の煙突内部に押し込める、という奇怪な事件なので、これはあきらかに幽霊現象の範疇にあり、「ミステリー」小説の条件を充たすから、「モルグ街」は「ミステリー」小説でもある。
しかし「モルグ街の殺人事件」が、それまでのミステリー小説と大きく異なっていたことは、この幽霊現象が、実は現実的な発生理由を持っていて、霊的、神話的と見えた現象に、作者がきちんと合理的な説明をつけたことにある。
そしてこの説明に、当時発生し、発展しつつあった最新科学の方法と、科学者としての視点、冷静で論理的な追究態度を用いたことが、革命的に新しかった。
この新しさに多くの才能が強い魅力を感じて創作のレースに参加したので、「探偵小説」という新文学のジャンルが英語圏に発生した。
另一方面,还有一批小说被称为“mystery”小说。这是一种对描写神秘现象小说的统称。
也就是说,这是一种描写超自然现象,怪异现象,或者幽灵事件等具有诗意、幻想性质的事物的小说。另外好莱坞电影里经常出现的那种冒险、奇幻的故事,也被归入了“mystery”小说的范畴。
这种“mystery”小说,即使没有科学合理的解释也是可以的。读者在这种小说里享受的是随着小说情节展开带来的神秘性以及非日常性,或者是在轻松愉悦当中被作者愚弄的精神体验。
爱伦坡的《莫格街凶杀案》和在它之前出现的“mystery小说”不同之处在于,小说里面虽然有幽灵现象,但是这些现象能够用现实合理的理由来解释,就算是出现灵魂,神话般的现象,但是作者能够用符合逻辑的说明自圆其说。
另外就是,这种解释和说明,是和当时日新月异的最新科学方法相关的,作者能从一个科学家的视角出发,用了冷静的态度和缜密的逻辑来解释不合理现象,这一点在当时是一个革命性的突破。
被这种崭新的题材所吸引,众多才华横溢的作家开始参与到这种创作的竞赛当中,由此,“侦探小说”这种崭新的文学流派便在英语文化圈里诞生了。
その後、ポーの原点に見るような幽霊現象、すなわち「ミステリー」は伴わず、ただ殺人事件が起こり、この犯人が不明で、探偵という職業人がこの殺人犯を「探偵」行動によって追跡、特定していく過程を描く小説も「探偵小説」と呼ばれるようになり、このジャンルの主眼は、むしろこちらに移っていく。
つまり「ミステリー」は排除され、「探偵」行為のみに書き手や読者の関心が向けられるようになって、「探偵小説」のジャンルは完成する。こうした簡素化された構造が多くの書き手を吸引して、アメリカを中心に黄金時代が築かれていく。
从那以后,侦探小说逐渐淡化了爱伦坡小说里的那种幽灵现象——也就是“mystery”现象——慢慢将重点放到单纯的杀人事件当中。在这种事件里面,谁是犯人成为了主要的谜团,而小说描写的重点也变成了侦探追踪犯人,进行侦破的过程。
换句话说,侦探小说这种流派的完全建立,是建立在对“mystery”现象的排除,转而专注于侦探行为的描写等一系列特征基础之上的。这种简化了的构造,吸引了众多作家,由此以美国为中心,开创了一个黄金时代。
この新文学の創作レースには、アジアでは日本が最も熱心に参加するが、それはアメリカにおけるこの黄金時代の、知的な華やかさに憧れてのものである。日本人はこのジャンルに、「本格」の「探偵小説」という新しい用語まで創案して熱中する。すなわちこの「本格」という言葉は、日本人の発明になるもので、英語にはない。
この語や経緯の詳しい説明はのちに譲るが、探偵が犯人を調査していく過程で、さかんに「推理」と呼ぶ思索を行うので、日本人はこの小説を「推理小説」とも呼ぶようになり、この推理の内容が、格別に高度で論理的であり、水準より鮮やかで、説得力あるものを「本格的」な「推理小説」、あるいは「本格的」な「探偵小説」と呼んで、日本人は賞賛するようになっていく。
すなわち「本格」の「探偵小説」であるためには、推理の論理が一定量以上に高度、または独自的な印象を醸す必要がある。
在这中新文学创作的竞赛当中,位于亚洲的日本被美国黄金时代迸发出的那种知性的华丽所吸引,萌发了一种强烈的参与愿望。日本人的热情十分高涨,甚至为了这种新流派的文学,创造了“本格侦探小说”这种专有名词。也就说说,“本格”这个词是日本人自己造出来的,并不是英语翻译过来的。
我们在这里向大家简单地介绍一下“本格”这个词的含义,至于这个词被创造出来的详细过程就不赘述了。
侦探在调查犯人的过程当中,他的思考行为可以被成为“推理”,因此,日本人又把“侦探小说”成为“推理小说”。而这种推理的内容,理论程度特别高,水平特别出类拔萃,说服力特别强的那种才被称为“本格推理小说”,换句话说,“本格”的“侦探小说”,是日本人的一种赞赏之词。
换句说话,要想成为“本格”的“侦探小说”,推理的理论性必须达到一定的高度,另外还必须给读者留下独特的印象才行。
犯人不明の探偵小説というばかりでなく、ポーの「モルグ街」の神秘的な雰囲気を継続したミステリー物語も依然書かれているが、こうした小説の場合も、現象発生の理由を説明して事態を解決する後段の文章が、水準以上に高度で論理的であるものを「本格」の「ミステリー」と呼ぶ。
こちらの小説はフーダニットではなく、多くハウダニット、つまりこの神秘現象がどのようにして起こったかという「理由」を推理する趣向の小説になることが多い。
「本格探偵小説」が書きつくされてアイデアが枯渇して見える現在、こちらの「本格ミステリー」の方向に、より将来があるように自分は考えている。
最後のものが「本格ミステリー」という小説群の説明になるが、「本格探偵小説」でなく、その一部分をなす「本格ミステリー」は、解明を目指した推理論理の高度さ、理知性を達成するため、また前段提示の解明目標たる神秘現象を支えるためにも、最新科学の成果を学んで用いることがしばしば有効である。
これは十九世紀に現れたポーの「モルグ街」もまさしくそうであったため、原点におけるポーの精神にもよく合致するし、「本格ミステリー」とはもともとそのように、科学発想と相性がよい小説の群れである。
二十一世紀が明けた現在、そして将来、この傾向はますます加速すると思われる。幾多の驚くべき達成が、最新科学のフィールドには存在しているからである。このため、昨今やや行き詰りを見せはじめた「本格探偵小説」、その一部をなす「本格ミステリー」の活力復活のためには、このような考え方、つまりはポーの原点に立ち返って発想することが必要であり、自分は考えて、自分は現在主張を続けている。
本格mystery小说,不仅仅是那种具有神秘犯人的侦探小说。本格mystery小说还必须具备爱伦坡《莫格街凶杀案》中的那种神秘的气氛,在具备这些条件之下,在解释说明小说事态原因的时候,如果还能具有高超逻辑水平的推理过程,那才能称得上是“本格mystery小说”。
这样的小说,并不是写“who done it”,而是“how done it”。换句话说,就是神秘现象是如何发生的,并解释这种发生的理由,以此为宗旨的小说。
在本格侦探小说题材和灵感几乎被用尽的今天,我认为这种本格mystery小说才是本格小说发展的方向。
最后我想说说本格mystery小说这种小说类型。本格mystery小说是本格侦探小说的一部分,但并不等同于本格侦探小说。它以高度的逻辑性推理来解释谜题,为了达到知性小说的效果,它必须在小说的前部给出能够解释神秘现象的必要提示。在本格mystery小说里,应该经常地运用最新的科学研究成果。
爱伦坡作于十九世纪的《莫格街凶杀案》正是这样的小说。这和爱伦坡原点的精神是相一致的。本格mystery小说正是这样一种和科学幻想紧密联系的小说类型。
在二十一世纪之初的现在,以及将来,我坚信,这种倾向必将加速发展。因为我们的世界当中,已经出现了数量惊人的科研成果。因此,尽管本格侦探小说的发展停滞不前,但为了让作为其一部分的本格mystery小说恢复生机,我认为这种方法是切实可行的。也就是说,我们应该回到爱伦坡的原点,去重新施展我们的想象力。
英米の探偵小説黄金時代が逝き、アングロサクソンたちに代わってこの文学を継承した者は、地球を西廻りに進んだ地域に暮らす、日本人であった。日本人はこの新文学に「HONKAKU」という新呼称を与え、ヴァンダインとは別角度からの創作提案を行った。
「本格」という呼称をジャンルに与えた者は、甲賀三郎という日本人作家であった。しかし彼は、ある探偵小説を「本格」と規定する際の条件を、細かく指示してはいない。用語の定義も示さなかった。
この名称は、時代を経るにつれて探偵小説を、「本格探偵小説」と、そうでない探偵小説とに分類することを要求するものとなっていくが、もともと甲賀は、探偵小説の創作例全体から、本格の小説のみを区別して取り出すことを考えてはいなかった。
英美侦探小说的黄金时代逝去之后,替代盎格鲁撒克逊人,将这种文学继承发扬的便是生活在亚洲的日本人。日本人给这种新的文学起了一个新的称呼,“本格”,并从异于范达因的角度开始进行创作。
富裕这种文学“本格”称呼的人,是日本作家甲贺三郎。不过,他并没有做出具体的说明,规定什么样的侦探小说才是“本格”小说。当然了,他也没有对本格这个词做出定义。
在那个时候,侦探小说已经发展到了必须将侦探小说分为“本格侦探小说”和“非本格侦探小说”的程度了。但甲贺三郎并没有有将本格小说从侦探小说中独立出来的打算。
甲賀の時代の日本の探偵小説は、江戸川乱歩が開発した、江戸ふうの見世物小屋センスのものが主流を占めていた。
江戸時代(十七~十八世紀)ふうの見世物小屋とは、小人や、体が変形した奇形の人たち、あるいはろくろ首、牛女、カッパなどの恐ろしげなものを、料金を取って一般に見せていたもので、乱歩流儀の小説は、この通俗見世物的な存在がもしも世間に解放され、犯罪とともに暗躍していたなら──、と発想して描かれた、怪談に近い御伽噺であった。
甲贺时代的日本侦探小说,是由江户川乱步为开端的。那时候的题材大多数是带有江户时代色彩的畸形秀。
江户时代(十七-十八世纪)的畸形秀,以展示反常现象、畸形生物为主,比如侏儒,身体畸形的人,脖子可长可短的怪物,牛女,河童之类的样子可怕的东西。这种展示收入门票,向大众开放。
而乱步流派的小说正是出于这种假设:这些畸形的存在被释放到世间之后,会在暗中引起什么样的犯罪呢。乱步流派的小说从这里出发,描写出了一部部近似于怪谈的传奇故事。
江戸ふうの見世物小屋は、大正期に入れば「衛生博覧会」と名を変え、生き残っていく。これは、大衆に衛生の観念を啓蒙するためと主張して興行認可を取った、やはり通俗見世物で、性病や寄生虫、感染症による病変人体を展示して、料金を徴収した。
しかし実のところ観衆は、衛生観念の学習より、怖いもの見たさや、お化け屋敷見物の感覚で、病変人体を観にいった。
こうした衛生博覧会発想も、日本では探偵小説の創作動機に大いに活用された。多数の読者がいたゆえであるが、この競作には現役の医学者も大いに参加して、人体をベースに、医学的気味悪さの開陳が競われた。
江户时代色彩的畸形秀,在进入大正时期以后更名为“卫生博览会”,留存了下来。官方认为让人们看看一些因性病、寄生虫、传染病等发生病变的人体,对于启蒙大众的卫生观念有一定作用,允许这种收费的人体展示。
不过实际上,人们根本不是为了学习卫生观念才去看那些恐怖的东西,他们在观看病变人体的时候,大多都是抱着一种想看怪物的猎奇心态。
甲賀三郎は、こうした自国の時流をやむを得ないものとして許容しながらも、この傾向の作品群を、英米に興ったものとは違うので「変格の探偵小説」と呼んで、あえて一群の異種として把握することを提案した。
これはおそらく、こうした作風を本道から区別し、脇に寄せることをも言外に主張したものと思われる。欧米流の探偵小説の本道とはこれらは異なっている、という懸念や不安が、彼にあったゆえであろう。
そして見世物小屋とか、お化け屋敷発想でない欧米型の理知的な探偵小説を、「本格の探偵小説」と呼んで中央に置くことを提案した。
すなわち甲賀は、探偵小説という文芸ジャンルを、本来的に推理の論理性「高」を目指す知的な小説群としてとらえ、一定水準以上に高度な論理性を有した作例を、「本格」のものと呼んで、ジャンル振興のために讃える慣習をスタートさせたといえる。
这种流派的小说在日本盛行一时,因此也被当时的时代所允许。甲贺三郎注意到这种风格的小说和英美流行的那种完全不一样,因此他提出了一个新的概念,把这些小说称为“变格侦探小说”,这就等于把它们视为了一种异类。
所谓“变格”,就是说,这种风格的小说并没有走侦探小说的“正道”,言外之意,他们走的是旁门左道。这些小说走的是和欧美侦探小说不一样的路子,因此甲贺三郎的心里多少有点担心和不安。
后来,甲贺三郎又进一步提出,那种没有畸形秀,没有怪物、猎奇内容的、欧美型的理性侦探小说,才是“本格侦探小说”。
换句话说,侦探小说这种形式的文学流派,本来就应该是高度注重推理逻辑的知性小说,而且,具有一定水准的高度逻辑性的作品,才能称作“本格”。因此,从那时候开始,“本格”一词开始变成了一种称赞,它专门授予那些为振兴侦探小说做出贡献的作品。
これは大海を隔てた日本人の、欧米の栄光を追尾せんとする態度であり、欧米の凌駕などはかけらも発想されてはいなかった。ところが黄金期を遥かな過去にした今、欧米の「本格もの」は姿を消しかかった。一方「本格」の語とともにこれを引き継いだ日本では、このジャンルの隆盛が続き、今日に至るも失速というまでの衰えは見せていない。
そうであるなら、ここには考慮すべき重大事が潜む。「本格」という語によって行った日本人のジャンル理解に、より深い提言性があったということになる。
ポー創案の探偵小説は、すなわち日本において、新たなスタートを切った。
与欧美隔海相望的日本人,只是抱着一种追随欧美荣光的态度,并没有打算凌驾于欧美之上。不过,在黄金时代早已逝去的欧美,如今却早已经看不到“本格的东西”了。另一方面,在继承了“本格”这种东西的日本,“本格”的东西却依然兴盛,至今仍然没有衰落的趋势。
甲賀は、館など閉鎖限定的な空間内で、事件がゲームとして終始することを、取りたてて称揚はしなかった。また数十に及ぶヴァンダインのきめ細かな縛りにも拘泥せず、見世物小屋式のセンスでなく、「理知的な推理を軸とする小説であれ」という程度の鷹揚な希望を、「本格」という一語に託して述べた。
甲賀考案のわずか一語、「本格」という語彙による鼓舞の方が、本格創作という文化の振興と延命には有効であったことを、その後の歴史は示している。この点もまた、決定的に重要である。
甲贺三郎并不赞成将杀人事件作为游戏限定在“馆”等封闭空间里面。他希望这种小说能够不受范达因守则的束缚,也不希望出现畸形秀似的猎奇内容,因此,他将这种“以逻辑性推理为主轴的小说形式”的发展寄希望于“本格”这一词语当中。
本格,这一甲贺三郎当初并未对其严加规划的词语,成为了鼓舞本格创作,振兴本格文化,将这种文化延续至今的生命源泉。后来的历史将为我们展示本格这一词语重要的、具有决定性的意义。
「本格」は、日本を発して台湾に受け継がれ、中国に伝播し、韓国に及んで、広大なアジア地域に広がりを見せようとしている。
これを、科学の時代とともにアメリカで発生した新文学が、百五十年の時間のうちに方法論が整備され、日本語や華文など、アジア文化を中心軸として、第二の発展期を引き寄せようとしている、と受けとめても大きな誤りではあるまい。
本格一词在日本出现,继而被台湾地区继承发扬,后来又在中国大陆传播开来,并进入韩国,扩展到亚洲各地。
这种伴随科学发展在美国诞生的新文学,经过150年的发展,形成了自己的理论。本格小说以亚洲文化为中心,通过日语,中文等语言的传播,必将迎来第二个发展时期。
日本にも新本格のブームという、アメリカに七十年遅れたヴァンダイン主義の復権とも呼ぶべき現象があった。この時代が、本格の最も美味な部分を探偵小説の読者にアピールした功績は大きい。しかし今日はこれもやんで、館志向のコード型というこの創作メソッドも、永続的なものではなかったことを、われわれは再度学ぶにいたった。
アジア本格の時代の黎明という新たな時代の初日に立った今、われわれはポーの「モルグ街」の原点に再び、しかも正しく立つことが求められている。
「本格」という日本語は、今日の視点からは、ヴァンダインの提言を充分に有効なものとして認めながら、使命は終えたものとしていったん棚上げにし、ポー流の原点に立ち戻ろうと主張するものに、今は聞こえる。徹底して論理的であろうとする学究的な態度は、「モルグ街」においてこそ、最も顕著に示されているからである。
在日本,发生了一股“新本格”热潮。在美国提出范达因主义的70年之后,这股热潮可以成为称为范达因主义的复兴。在这个时代里,本格用其最出色的部分打动了侦探小说读者的心灵。这其中,新本格运动的功绩不可磨灭。不过,现如今新本格运动已经停止,馆类型的代码型的创作方法也不可能永远持续下去,我们已经到了重新学习的时候。
今天,亚洲的本格可以成为正处于黎明时刻,我们要回归爱伦坡《莫格街凶杀案》的原点,寻求正确的的方法,从那里汲取营养。
有人说,从今天的视点来看,本格这个词,虽然充分而又积极地继承并发扬了范达因的提议。但它的使命已经终结。我们姑且将这个说法束之高阁而不谈,我们主张重新回到爱伦坡的原点。如果打算彻底地用逻辑、学术的态度来探讨的话,我们认为《莫格街凶杀案》才是最能够彰显这一态度的原点。
百五十年にわたる探偵小説の膨大な作群の全体を、仮にひとつの才能による仕事ととらえれば、「モルグ街」は処女作にあたる。よく言われるように、処女作はおうおうにしてのちのすべての作例の萌芽を含むが、試しに以下のようにこの作をとらえると、この考え方は妥当である。
「モルグ街」は、「探偵小説の嚆矢」であると同時に「密室小説の嚆矢」である。「モルグ街」は「動物を用いた殺人計画小説」の第一号である。「モルグ街」は、「警察小説」のジャンルを切り開いたさきがけである。「モルグ街」は、「異様な残虐さで殺害された被害者」という趣向の小説の第一号にあたる──。実際「モルグ街」の後方には、そうした小説群の長い系譜の列ができている。
经过150年发展的侦探小说,已经发展出一大批作品。而如果想要抓住侦探小说的要领,就必须回到侦探小说的处女作——《莫格街凶杀案》。就像人们经常说的那样,一个作家的处女作里面往往包含了其所有作品的萌芽。因此,我认为,要想找到一类作品的要领,就必须回到这类作品的处女作。我认为这种思维方式是妥当的。
《莫格街凶杀案》不但是侦探小说的开端,同时还是密室小说的开端。《莫格街凶杀案》是第一个运用动物来实施杀人计划的小说。《莫格街凶杀案》也是一部开创了“警察小说”这种类型的小说。《莫格街凶杀案》还是第一部带有“将被害人用变态的手法虐杀”倾向的小说。实际上,在《莫格街凶杀案》的后面,我们可以列出一大长串小说的谱系。
しかし不思議にもあまり言われないことだが、述べてきたように「モルグ街」の最重要な要素は、時代の最新科学を、幽霊譚に出遭わせた慧眼にある。
幽霊譚がいわゆる「ミステリー」であり、最新科学の成果、およびそれを導いた科学者の態度が「本格」の語を説明している。
つまり「本格ミステリー」とは、こうした二種の異物の出遭いと、それによって生じた融合、いわば遺伝子レヴェルの結合によって生まれた、ハイブリッドの文学のことである。
不过,虽然这不能说是不可思议,但《莫格街凶杀案》中最重要的一个因素,就是它让时代的最新科学遇上了幽灵传说。我认为在这一点上,爱伦坡的眼光十分独到。
幽灵传说,其实就是“mystery”。在《莫格街凶杀案》,爱伦坡结合最新的科学成果,从倡导科学的科学家的立场出发,以“本格”的语言解释了这一切。
也就是说,本格mystery这种东西,本来就是由两种完全相异的东西的相遇、融合而成的。换句话说,在遗传基因里面,就已经包含了“叛逆”的因素,本格mystery是一种文学上的混血儿。
ヴァンダイン以降の本格ミステリーは、事件の真相探索を、野球のようにゲームとして完成するため、指紋や血液型、微物収集など、十九世紀の科学捜査方法以上の新しい方法を作中に導入することを嫌がっている。
「アジア本格」という来るべき新時代においては、探偵小説が野球に似た推理のゲームであった時代は終わらせてかまわない。「アジア本格」とは、新世紀の新しい文学であるからだ。
そうなら最新科学情報の作中への導入をためらう理由はなくなり、英米の探偵小説群のように、真相探求の手段を「モルグ街」時点で凍結させ、アンタッチャブルとする必要もなくなる。むしろそうしてはならず、最新科学の導入は最重要の優先課題ともなる。二十一世紀のモルグ街は、新世紀の科学者としての探偵を必要とするからだ。
范达因以后的本格mystery,一直拘泥于像棒球那样的游戏性,因此,在探索事件真相的时候,一直不愿意引入十九世纪以来的科学搜查方法,比如指纹、血液分析,细微证据的收集等等。
我认为“亚洲本格”的时代早晚会来临。而“亚洲本格”将是新世纪的新文学。因此,我们不妨让棒球游戏一般的侦探小说时代结束吧。
既然如此,我们就没有道理不把最新的科研成果导入作品当中了。我们也没有必要像早期英美侦探小说那样,把侦探的侦查手段限制在《莫格街凶杀案》的时代了。
其实,我觉得我们已经到了必须这么做的时候了。将最新的科学技术引入小说,将是目前最重要最优先的课题。二十一世纪的莫格街,必须有新世纪科学家侦探的身影。
英米から日本を経由した「本格ミステリー」について述べてきたが、一方西南アジアには、日本の提案とはまったく無縁に、英米の影響のみで探偵小説を発展させてきた地域もある。英国から地球を東方向に廻ったインドである。
二十一世紀の今、探偵小説はこうした東西方向からの旅を終え、再会の前夜に立ってもいる。
そんなおり、台北に現れた島田賞は、受賞作品を台湾、中国、タイランド、日本の四カ国で翻訳刊行する。そして今後、もしも発展が得られる幸運があるなら、刊行地域を英米の直接影響圏に広げることも目標としている。
虽然我简单介绍了一下“从英美发源经由日本的‘本格mystery小说’的情况”,不过在另一方面,西亚、南亚仍然是英美侦探小说的的天下,目前那里还和日本的提议无缘。
其中最为突出的就是印度。
在二十一世纪的今天,东西方的侦探小说已经到了结束旅行、迎来再次相会的前夜。
因此,现在在台北的岛田奖的获奖作品,正由台湾地区,中国大陆,泰国,日本四个国家地区一起合力翻译发行。相信在今后,如果能有幸发展到一定的程度,我们将努力将作品打入欧美市场的直接影响圈。