草野心平《原音》抄
『原音』筑摩書房、1977年 Nojiri-fantasy(1976.10.23) 〈ひどい寒波軍團を引率して。〉 〈氷河時代がやつてきた。〉 湖畔に繁ってたブリックリペアやシギラリヤも。 いまはもう葉つぱも落ち哀れな裸の。 デンシンバシラのやうに突ったつてる。 倒れてしまつたレピドデンドロンの列を跳び越え。 跳び越え。大角鹿がきちがひのやうに突つ走ってゆく。 何處へ行く六匹の大角鹿。 夜になると白磁にかはった Kurohimeから。 ドスーンドスーン鬼灯(ほほづき)色の火が噴きあがり。 よだれだらだらの熔岩は堅雪の肌をどろどろ流れ。 濛濛の湯気が沸きあがる。 干潟のやうなナウマン象のからだに。 毛が生えはじめた。 ちよつとやそつとちや仕様がない。 自分の吐く息で長い鼻毛の穴が氷つて息苦しい。 湖畔の氷をビュンビュンひつぱたくと鼻先は赤ギレの血になった。 以前のやうに水を吸ひ。 怒りと恐怖を思ひつきりビューッと夜天に噴きあげたい。 けれどもNojiriは氷っている。 けれども何處かに水はあるだらうと氷盤を湖心の方に歩いてゆく。 突如。 気が狂つたやうに走りだした。 ビシビシッと氷は割れナウマンの大きな圖體はもんどり打って水しぶきをあげ。 もがいて脚をばたつかせ一度は頭が割れ目から出たが。 一瞬。その小さな眼玉に Kurohime の火が映つたきりで。 到頭もぐりつぱなしになってしまった。 〈ひどい寒波軍團を引率して。〉 〈氷河時代がやつてきた。〉 幻の満月宴(1977.8.10) 千二百平方米のやや正方形の庭には樹木や草花は一本もない 大谷石でかこまれている中は一面きれいに刈込まれた芝生である。 そのまんなかに物凄くでつかいデコボコの花崗岩が一つだけ沈んでいる。 それに登るためにはどうしても梯子に頼るしかない。 項上もデコボコではあるが真ん中がゆるやかにへこんで涸れているときもあるが大抵は透明な雨水がたまつている。 その直径一米ほどの言はば湖をかこんで十四五人の連中が車座になることが出来る。 はじつぼの割れ目にチビた五葉松がちちかんでいたりイハヒバが根をもぐらしていたりする。 満月の夜は友達と共に夜宴をやる。。 恰度月の出の頃はウィスキーや一升罎をぶらさげたり珍なる着類をもつたりして男女の友等が登つてゆく。 「我々は正義を重んずる勇者である。」 これはロッキード事件で度度新聞紙上に寫真と一緒に登場したことのある某代議士の選舉演説の一節だが。その壯大さに驚いて日記帖のスペースに書きとつておいたものである。 私達はそのやうな壯大な正義などは微塵ももつていない。勇者でもない。 只飲み且つ喰らひ且つ論じ且つ大笑ひしたりする。 月が天心に移ってくると直徑一米の湖にレモン色のまんまるが浮ぶ。 それを合圖にしてといふわけでもないが次次に歌が出てくる仕儀になる。 あたりに家は一軒もないのだから遠慮は要らない。 近頃の私の癖はラ・マルセイエエズの曲に合はして「蛙連邦行進曲」蛙語で歌ふことである。 然しだれもかれも敗けるものではなく危い危い! 裸立踊をするのもいる。 身邊幻想(1977.8.30) 直徑一米もある黑牡丹。 こいつはどうやらビロードでできてある。 手をのばして觸らうとすると牡丹はない。 ビロードの感觸もない。 けれども一米もの牡丹はある。 また手をふれる。 牡丹はない。 遠く。 ダッタン人の一列の長靴の音。 間もなくその靴音も消え。 蛇紋岩の洞窟のなかである。 (さ。おかゆ。)(これは梅干。)(これ。いなどの胡麻和へよ。)(さ。おかゆ。) おれは片眼をあける。 羅漢の顔がすぐ眼の前にある。銀の匙を持ってる。 八髭のやうな眉毛の下に鋭い眼玉が沈み。鼻は團子鼻。 おれにおかゆを食はしているのは女科白の羅漢なのか。 (もう少しいかが。それともお茶?) 黑牡丹モドキの平べったい布團に横たはり。 おれは乳首を吸っていた。 乳首は午後三時頃ひらく山櫻の蕾のやうな色をしている。 吸ふと蕾はふくらんだ。 淡雪の腿のつけねから一筋の血が腹にまで流れている。 おれは髪の毛に鼻をもぐらし。 数本の毛を歯でかみきつた。 それをゆつくりロの中で細かくきざみ。 喉におとした。 ふと気がつくと奈良興福寺の阿修羅がおれの肘にもたれて眼をつむっていた。 黑牡丹も洞窟も羅漢も。 そして阿修羅も消え。 おれは三十米もある鱗木の林の中を歩いている。 そして米粒ほどの三つのイボを探している。 おれにとつては参星だ。 イボ。イボ。 鱗木の林のなかをかきわけながら。 すひこまれるやうにおれは闇の中にはひってゆく。 螢が二三匹とんでいる。 黑い砂利がどこまでも續いて素足が痛い。 螢が何千と多くなった。 黑い砂利は石英砂だった。 石英砂のなかをセルリアンの川が流れている。 (なんだお前裸か。世話をかけない積りだな。) 大きな亂杭歯をむきだして。 奪衣婆が哄つている。 ハハア。三途の川の渡し場だな。とおれは思ふ。 (フンドシもないのか。) 奪衣婆があふ向けにおれを倒し胸の上に棒立ちになった。 おれの胸には五寸釘がぞろつと生えた。 (五寸釘なんかへイチャラさ。) 婆のからだは少しばかりもちあがり。 (なんにもないとは然し殊勝な奴だな。) (そのしよんぼりしたのをひつこぬいてやるか。) (ヒッヒッ。)(ヒッヒッ。) (最後の御慈悲だ。少しふくらましてやるか。) (ヒッヒッヒッ。) 凄い闇。 おれの二つの眼に向うから。 おれ自身の二つの眼が光つて迫ってくる。 黑い雪(1977.2.15) 東京のどまんなかの。 夕暮れ時の石と綠の庭園に。 ちらちら雪がふつている。 花咲爺が撒いてるやうな灰色の雪が。 あたりはあんまり靜かすぎ。 無言沈默は却つて騷騷しくオレを動かす。 オレはなりたい全く別の動物に。 まんまと一匹の龍に化けてしまつたオレは。 いつの間にか。 ビュンビュン尾つぼをふりまはし。 天のまんなかにもぐつてゆく。 東京はもうぼんやりの點になり。 見えなくなり。 曲りくねりの胴體は濡れ。 オレのルビーの眼玉にいま映るのは。 二十世紀の。 もんもん渦巻く黑い雪だ。 人間鈍感(1977.8.9) 見知らない猫共が四五匹。 とうしてウチのまはりをうろつくのか。 と思つてから二日目にやうやく自分にも解つたのだ。 リオの發情の匂ひが。 電波みたいに流れてるるんだなと。 十三夜の池の鯉たちは自分が掌を叩くと。 或ひは水をじやぼつかせると。 短距離競争のやうにこつち目がけて泳いでくる。 腹の側線が銳いからだ。 地球何千億の動物のなかで。 人類は頭脳だけは超特級だが。 五感はいたつて鈍いやうだ。 鳥達が夏多通して一張羅なのは。 暑寒に鈍いためではない。 内部に神秘な機開が恐らく。 あるからだらう。 ライオンや豹がマタタビに狂喜するのは何故だらう。 馬醉木を馬が喰べないのは經験からではなく感だらう。 雄の雉がなきながら突如。 バタバタバタととび去ってからしばらく經ち。 極くかすかな地震があった。 蝶がほんものの蝶になるときの。 輝が殻を破ってぬけ出すときの。 あの凄いメカニズム。 或る日突然(1977.9.5) 地球のなかは煑えたきるマグマ。 いま自分はその地殼の一部を。 その胡麻粒にも足りない一點を歩いている。 月もない。 ヌルデの下を。 このはてで陸はつき海。 海海海海。 そのはては陸。 そのはては。 海 そのはては。 ぐるーッとまはつて。 歩いてる自分。 暗い天。 そのはては。 死。 そのはては。 (もしも世界がこのままで進むならば。) 或る日突然。 全部の死。 哈密《ハミ》(1977.8.24) 東西南北。 見えるのは總て地平線だけである。 その東の天末に湖がある。 薄青く震へてる湖。 草一本木一本ない。 砂と小石の堅い南湖ゴビ。 その廣漠のまんなかにマッチ箱の形をした赤煉瓦建ての中國民航局哈密航空站。 そのまん前から只一本のコンクリートの滑走路が延びてゐる。 プロペラ機が甘肅の酒泉をたってから一時間十分の間。私は一瞬の休みもなく眼下に展ける大廣茫を見つづけてゐたが。あつたのは弱水。水のない渴いた河。 東の天末の湖は蜃氣樓である。 ゴビ上空の大氣の溫度が局部的に違ふのだらうか。 地上は平べつたいこんな途方もない大圓なのに。 どこで屈折光線のいたづらが起つてるのだらうか。 再びプロペラが廻りだした。 新疆ウイグル自治區の首都鳥魯木齊に向つて離陸した。 天山の。五千六百米のバガタの麓の街に向つて。 バガタの雪はテロテロ光つてるだらう。 さやうならだ。 哈密よ。震へる湖よ。 註・私が新疆ウイグル自治區のハミやウルムチやゾガンコウ等に行つたのは一九五六年の十月だつた。二十一年後の現在でもハミで見た旱海(蜃氣樓)は未だに私の記錄に鮮かである。 胃袋も眠れ(1977.1.7) タイムレススリープのやうな器用な藝はオレにはとても出来ないが。 タイムレスイーティングなら却つてどうやら向くらしい。 だから夜晝二十四時間のあひだに四度か六度のママゴトのやうな食ひ方をする。 オレの肉體のなかのどろどろの臓物たち。 色とりどりの胃袋その他に晝はない。 晝があつたのはたつた一度。 突如メスがはひつて切りとられた時に手術室の光を見たのだ。 それからオレの胃袋は三分の一になつた。 それから再び。 オレの内臓たちはドス暗い闇の中での暮しにもどつた。 夕食の主食は正三合の酒である。 それから小指一本位の量の肴が五六種類他は要らない。 さうして早く眠る。 さうしてだから夜中に眼ざめる。 夜中の盗み酒は冷たくてうまい。 シャム猫のリオもオレの布團の上で眠つてるし眼ざめているのはオレ以外には夜も徹夜の鉢植えの花たち。 寝床の上でゆつくりゆつくり冷やを飲む。 one cup 二つ飲んだからいい睡眠薬といふものだ。 さあ。オレよ眠らう。 天の星たちも大分傾いた筈の午前三時だ。 胃袋も眠れ。 心臓に眠られるとそれは困るが鼓動は微かであつてくれ。 六時頃までオレのすべてよ。 もわあつと休息をとつてくれ。 音別《おんべつ》海岸(1977.11.18) 枯れて倒れているウドのたいぼくや。 これも枯れて倒れている蕗のたいぼくの青灰色の團扇ッ葉や。 縮れて倒れている大鬼羊歯などを踏みながら。 徑もなく小徑もなく。 枯れ倒れの植物群の下の見えない土はぐにやぐにやし。 オレのからだは左に搖れ右に曲り。 危ぶなつかしく歩いてゆく。 一千九百七十六年十一月十日。 徑はなくとも土地はカチンとしていていい筈なのにどこまで續くぐにやぐにや。 右にゆらめくとガクアヂサイにぶつつかり。その枯れ花がオレの頭の上にあつたり。 左手にはこれも枯れ花をつけたシシウドが突つたつている。 その下をかいくぐり漸く崖つぷちらしいところに出た。 根室線ノ赤錆ビタ二本ノレールガ眼下ニノビ。 空ハ重タイ鉛一色。 十五時半ナノニ。 モウタ暮ノ気配ガシテ。 シグナルノ灯ハ。 空気ノナカニ澱ンデルルビー光。 悲シイ美シイルビー光。 この急勾配を七十三歳の脚ではとても降りきれない。 突つたつたまんま海のある方向を見るが海は見えない。 と。草原のつきたところに突如眼にはひつた流木の木。 ああ。あれだ。 あんな裸木が砂濱のあつちこつちに埋って。 そのトンガリは鉛の空を指してるだらう。 貝殻などもちらばつてるにちがひない。 重たい空を映して海もどんよりの鉛色。 僅かになだらかな波打ぎはに白い唐草模様が動いてるだけだらう。 その砂濱にあぐらをかいて。 オレは灰色の流木を描く。 スケッチブックを持つてきてたらオレはよたよたこの急勾配を降りただらう。 スケッチブックを持つてきてでもオレはやつばり降りないだらう。 濕つぼい枯草の上にスケッチブックを放りなげ。 その上に腰をおろし。 しばらくはシグナルのルビー光を見てるだらう。 そしてたちあがりオレは無言で言ふだらう。 さやうならよ。 見えないPacific。 さやうなら天(1977.3.29) 春は空の。 面白くない季節。 ギーンの空。 キーンの空。 は退陣する。 さうしてうすぎたない空に變る。 炎える夏の。 砲彈雲の動きもいいが。 透明なglass-blueになるおそい秋まで。 さやうなら。 天。 花の初物(1977.1.8) 一九七七年一月七日一八時一〇分前。 拙宅床の間の牡丹小梅の最初の一輪がパッとひらいた。 そのうしろの濃灰色の壁には自筆の龍虎の軸が懸っている。 このやうな配置たたずまひに自分が在ることは古稀界隈の生涯まで曾て經験したことのない事柄である。 (白梅の鉢は自分の發企ではなく三男萬吉が舊臘持参したものではあるが。) 翌八日晝。きのふの一輪に密接してるもう一つが全開した。 數へてみると蕾は他に百六十三個。 それらも間もなく開くだらう。 開いて花芯から酸素を吹きだすだらう。 きのふの一輪をまともに見て自分は珍しく只その白い満開の一輪だけをスケッチした。 蜘蛛の糸ほどの細い澤山の雄蕋が無數にピンと延びその各各に淡い黄色いちつちやな團子をつけている。 雌蕋は花芯のうるんでる一つの穴である。 それらを包む白い淡雪の花びらたち。 永いこと對座していた果てに自分は。 きのふ開いた最初の一輪を二本の指でもぎとつた。そしてその薄綠の夢ごと自分は食つたのである。 味といふ程ではないがいくぶん苦くいくぶん香り無色透明である。 一九七七年一月八日一四時一〇分。 冷たい水をのみ。 今年あふ色色の花花を思ひ。 それらを食ふことを思ひ。 もつともつと殘酷にならうと思ひ。 殘酷がそろそろわが身に迫ってくる餘生など思つたのである。 ナイヤガラの虹(1977.8.8) NHK・TVを見て dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh 何千もの白龍が一列縱隊。 眞つさかさまに落下もぐりこむ。 濛濛濛濛の水煙が逆上する。 dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh 地球にはいくつもの心臟の鼓動はあるが。 この眼前の大鼓動。 そして水煙のもうもうのなかに突如。 虹の流線。 dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh dohdohdohdoh 不盡山(1977.1.4) 黑い。 逆さ摺鉢。 ぐるりはいちめん。 關根正二の。 ヴァミリオン。 黑不盡(1977.2.11) カッキリ黑い 向うの不盡のうしろ側に。 何千匹もの青鬼が並び。 みんな夫夫火吹竹から。 一齊に力一杯。 縦横無盡に噴きあげてる。 黄や赤やヴァミリオンの炎。 逆上する。 その火の瀧。 或る冬眠蛙の獨白(1977.10.24) 霙かな。それとも雪かな。 浸みこんでくるのはいいな。 おれのからだはうるほつてくる。 却つてもわーッとうるほつてくる。 雪かな。それとも氷雨かな。 おれの上の方に根を張つてるアカンサスなんかは寒さのために枯れたらうか。 それともあのギザギザの葉つばは重たい雪を我慢して支へているかな。 微かにはひつてくるこの音はなんだ。 ジェット機かな。 それとも大型トラックかな。 却つて電気マッサーヂみたいで気持がいいや。 腹はちつともすかないし。 土の中だから地獄かもしれないが。 地獄賛成。 そのうちに春がくればさ。のこのこと。 おれが夢みる夢ときたらいつも桃色の靄に包まれる夢だ。 まぶしい光と空気のなかに這ひあがるが。 それはそれで兩眼微笑さ。 鯉と蛙(1977.9.9) 不協和音(1977.7.22) 冬の稻妻(1976.11.30) ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり 突如。 青い稻妻。 バリバリーン。 ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり ししししししししゆきふりしきり 雲I(1977.1.4) セルリアンの空を。 白い時間が流れてゐる。 雲II(1977.4.6) 有風無風突風を暗示する。 雲の。 千變。 群青の天の。 萬化水煙。 疾風のなかの鯉のぼり(1977.5.1) 疾風は樹樹の綠を大きくゆさぶり。 綠の波波。 その向う。 三つの鯉のぼりは左にゆれ右にゆれ。 風を孕んでふくれあがりつんのめり。 赤。青。黄色の切れのながい尻つぱたちは。 逆立ちになって空に突つ立つ。 武蔵境日赤の第三病棟五階十六號室のベッドに胡坐をかき。 テレビジョンのメエディの行進を見たり。 狂ひ舞ひ舞ふ鯉のぼり。 思ひ出す。 Arturo Giovanitti の。 "Arrows in the Gale" あの暗い悲しい正しい悲劇。 また思ひ出す。 超半世紀前の阿武隈山麓の生家の庭の。 五月の節句の八本並んだ武者繪の大きな幟旗(ノボリバタ)。 こんな風だと。 バリバリ。 バタバタ。 水ふくらんだ兩眼レンズに。 炎のやうにゆれて逆立つ鯉のぼり。 雑詠抄(1977.4.8) 絹莢の豌豆たちは一列に寒波くぐりぬけ綠うぶうぶ。 諸葛菜摩訶不思議かもいづこよりわが庭の端に薄き紫。 櫻咲き同時に咲くやセルロイド 唾。 夜のしじま三時四十八分十五秒。 地球はいましづかしづかに廻りをり。 三合が七合になり夜は更けぬ。 おもんみる七十四の茫茫や。 俳句など柄にはあらじ眠りたし。 シクラメン見えさる酸素われにくれよ二酸化炭素なれにおくらん。 恢復(1977.5.4) 恢復とはありがたいことだ。 はずむうれしさだ。 いつもいつも張りきつてる健全な人人には。 到底味はへない愉快な愉悦だ。 パン屑がめあてなので。 病院には内緒なんだが。 毎日テラスに場がきて。 今朝は初めての九羽もきて。 到頭おれの部屋までとびおりて。 窓の外は鉛色の。 雲がいちめん大きな壁になつてるが。 その奥の。 大群青の天體に。 おはやうの挨拶でもしたい。 そんな気持ちだ。 悔恨(1977.4.22) 夫夫みんなちがつた綠をふきだし。 綠はだんだん同じ綠にならうとする。 さうではないな。 夫夫ちがつた綠の重なり綠の層。 エゴの木。 欅。 橡。 メタセコイヤ。 槐。 錦木。 朴の新芽は綠の筆。 イロハカエデノアコーディオン。 シドケの頭の若い渦卷。 鞍馬苔の瑠璃のギザギザ。 濃綠の藪蘇鐵。 powder-green の楢の新綠。 色んな綠のなかに山ツツジのヴァミリオンや。 アカメガシワの半透明のピンクもまじる。 白山吹の白。 ムラサキシホの薄紫。 エビネの黃。 つぶつぶのアケビの花の象牙色。 ああ。 全體。 新しい薄い綠を主體にした色色の色の。 曼陀羅。 こんなすばらしい饗宴のなかでとぐろまく悔恨。 二日醉。 カナカナ(1977.7.26) 遠い雷鳴を伴奏にして。 雨の中の。 甲高い。 透明音。 茅葺の屋根から落ちる。 白い丸い。 光る水滴。 自分のパン食(1976.11.26) カンパンを歯で二つに割って。 一つにはバターをぬり。その上に。 紫蘇の実の味噌漬けをふりかけパリパリ食べる。 もう半分には手製のコケモモのジャムをぬり。 また別の二つに割った片身にはブルーチーズ。 も一つにはバターの上に梅漬けの汁をたらし。 別のにはバラ園の冬咲きの花びらをバターにのっけ。 Cid Corman 夫妻がつくってくれたライブレッドには。 その薄切りにブルーチーズ。 カマンベールの上には紫蘇巻き杏漬けの汁をたらし。 時にはカナダのカエデの蜜。 時にはイギリスのグーズベリ・リザーヴ。 時にはバターの上にイクラをのっけ。 時には卵の黄身でまぶした納豆をすこし。 まるで東西ごちゃまぜの妙ちきりなままごとだ。 鰯のぶつ切りをまた食ひたい(1977.7.29) 朝食(1977.9.2) 酒と肴 I(1977.8.22) 今夜の酒の着は三センチ角ほどのビフテキ・モドキとレタス三枚。 ニンニクの油いためと柚味噌の薄切二枚。 茄子と胡瓜の一夜味噌漬。 アレキサンドリヤ五粒とキュウイー一個。 三瓶さんが持ってきてくれたトマトと細い細いインゲンと。 村長がくれた鰻の肝一ト串と鰻の骨のカラ揚げと。 ガラスのコップにさしてある葛の紅紫の蝶蝶花。 薄いあまさ。杳(かす)かな香り。 まだ咲かない蕾の列もムシャムシャ喰い。 その間。 主食として one cup 三杯の冷やを飲んであがりとした。 II(1977.9.3) 鰻の骨のカラ揚げの残りをチョッピリ。 役場の人が採ってくれた岩魚とゴリの甘露煮をチョッピリ 野菜煮をチョッピリ。 矢内和尚持参の鰹の刺身をチョッピリ。 トマトをチョッピリ。 ピオーネをチョッピリ。 山男幸三郎さんが持ってきてくれた長さ二センチから三センチのもったいない松草を五つか六つ。 みんなチョッピリ。 チョッピリ・プラス・チョッピリが三分の一の胃袋には恰度満杯。 ところがチョッピリたちをつまみ乍(なが)らの。 one cup 三杯の冷やは悠悠流れこむ。 流石液体はちがったものだ。 天山文庫での物音(1977.7.26)

天の聲(1977.7.29) 五年間もぢつとしていた。 まつくらな土の中が。 その故里である筈なのに。 カナカナ カナカナ。 カナカナカナカナ。 カナカナ カナカナカナカナ。 まるで。 天の聲のコーラスである。 サッコ・ヴァンゼッチの手紙抄(1977.7.22) 前書き 一九七七年七月二十一日の新聞に「50年ぶり無罪宣告」の見出しで次のやうな記事が新聞にでた。 【ワシントン十九日=共同】映畫「死刑臺のメロディー」などを通じて世界的に知られ二十世紀の米國史上でも最大の誤審事件とみられていたサッコ・バンゼッティ事件に對し十九日、ズカキス・マサチューセッツ州知事は「裁判は全面的に誤りであった」との公式宣言を發表、五十年ぶりに兩氏の汚名と不名譽が取り除かれた。 サッコ氏はくつ屋、バンゼッティ氏はその友人の魚の行商人で、ボストンに住んでいたイタリア移民。一九二一年に一萬五千ドルの給料袋を奪う強盗殺人事件が起きたとき、貧乏で無政府主義だったこの二人が逮捕され、裁判で死刑を宣告された。この後六年にわたって新しい物證に基づく再審請求が次々に出されたが、検察側はこれをすべて退けた。二五年十一月には別件で捕まった殺人犯マデイロスが問題の強盗殺人を自供したのにマサチューセッツ州當局は裁判のやり直しを拒否し、二七年八月二十三日、二人は電気いすで處刑された。 死刑の四ヵ月前に、獄中から家族にあてた手紙のなかでバンゼッティ氏は裁判以來の六年間に全世界から洪水のように寄せられた激勵や支援運動に感謝し「サッコと私は、一生の間にこれほど寛容、正義、人間同士の理解に對して貢献できるとは夢にも思いませんでした。正直なくつ屋と貧しい行商人がやがて受ける死の苦しみは私たちの勝利でもあります」と書きつづっている。 ズカキス・マサチューセッツ州知事は最近、法律顧問に事件を再調査させた結果、裁判が誤っていたとの結論に達した。二人の刑死からほぼ半世紀たつ十九日、同知事は記念式典を開いて公式宣言を發表し次のように述べた。 「裁判は不公正に満ちていたと信ずべき強い理由がある。六週間の裁判中、検察側がわざとうその證據を陪審員に提供し、被告に有利な證據を隠し、新しい證據を調査するのを怠り、サッコ氏が徵兵忌避をしているといって、陪審員に偏見を植えつけた——などがそれである。サッコ、バンゼッティ兩氏とその家族、その子孫から一切の汚名と不名譽が取り除かれる」 同知事はその際「二人に死後恩赦を與えるのは、初めから二人が有罪であったことを意味するのではない」と述べるとともに、刑死五十周年の八月二十三日を「サッコ・バンゼッティ追憶記念日」と宣言した。(以下略) 前橋神明町二十七番地の棟割長屋の借家に。サッコ・ヴァンゼッチを救への(多分アメリカで印刷された)ポスターが唐紙に四つの鋲で止められてあつた。 新聞紙をチャブ臺代りに暮していた當時の。それはたつた一つのわが家の装飾だつた。 やきとりの屋臺を麻布十番から新宿角筈の。舊紀伊國屋の裏手の露路に移した頃。自分たちは十二荘の借家に住んでた。植木一本ない裏庭の前の二階家は藝妓や酒や三味線の待合だつた。 配達された豚の臟物を竹串に刺し。また鳴子坂のとり屋に行き。毎日バケツ二つをぶらさげてきた。バケツの中には鶏の首や翹や脚やとぐろをまいた腸などがいつばいつまっていた。庖丁の峯で腸の中の汚物をしごきだし。水洗ひしトサカと一緒にお湯でゆで。更に水洗ひして。適度に切つて串に刺した。脚はタレのだしやわが家のスープ材。一段落ついてブリキの鑵に並べてから。自分はバケツ一枚のすつぱだかでサッコ・ヴァンゼッチの手紙を譯した。それはどの位續いたか。譯してばかりはいられない。風呂敷で包んだブリキの鑵を背中にしよつてテクテク角筈まで歩いていつた。歸りは夜更け。またテクテク歸るのだが。歩いてばかりはいられない。ガスがないからたき木になるものなどを物色しながら。 「サッコ・ヴァンゼッチの手紙抄」は木村鐵工場に勤めていた西山勇太郎が名刺刷りのまんまるな印刷機で刷つてくれた。内容は「二人は斯うして死んだ」「サッコ・ヴァンゼッチ略傳」サッコの手紙(九通)ヴァンゼッチの手紙(八通)だつた。發賣所は溪文社。 その頃自分は二十九歳。四十五年前のことである。いま自分は天山文庫のペッドの上に胡坐をかき。茫茫の過去を獨り想う。しみじみ想う。 そして思った。 空気よ思ひつきりひろがれと。 虻(アブ)たちよ。 唸れと。 紅梅 どうして紅の花が咲きどうして。 ふくいくとした香りをわかせるのだらう。どうして。 肌荒いごつごつの幹から。 若若しい枝がのび。 点点点点。点点。 紅の花がひらく。 けれどもどうして。 どうして紅の花がひらくのか。 どうしてその花花は匂ふのか。 梅にも生年月日があり。 それがあの緻密な年輪の渦のはじまりである筈だがどうしてそれは生れるのか。 年輪は時間の堅い凝縮。 いのちの象徴。 そのいのちから点点点点の花花たち。 けれどもそれはどうして紅なのかどうして匂ふのか。 どうして雪は。 紅梅のまはりに餘計降りたい気持ちになるのか。 降つて積つてそして晴れて紅梅の紅を更に鮮やかにしたいのか。(そんな馬鹿な。) けれどもどうしてごつごつの生命(いのち)のはてに。 ひらく花花が紅なのかどうしてそれは匂ふのか。 生の夕暮が迫つたとき その人に。 生の夕暮れが迫つたとき。 ルオウの沼に。 葦たちが。 くしの齒のやうに並んでゐた。 その人に。 生の夕暮れが迫つたとき。 幻年とそして少年が。 花びらのやうに入りまじり。 それがいつしか。 雪になつてた。 その人こ。 生の夕暮れが迫つたとき。 なんの齒なのか光る齒が。 そして風が音たて。 あたりは暗く寒くなり。 竹笛のやうに鳴つてゐた。 その人こ。 生の夕暮れが迫つたとき。 灯が消えて。 順序正しく辷つていつた。 人人はもうしめだしをくひ。 その人だけが眠りはじめた。 遠望不盡(1977.9.20) 二階の窓をあけるといきなりまぶしい金と綠。 朴の木。槐。メタセコイヤ。月桂樹。 初初しい午前六時の光を浴びて。 微風にゆらぐ葉つぱたちの金と綠。 きのふは夜中まで。 颱風の餘波の暴風と豪雨に襲はれた葉つぱたちの。 今朝は燦燦の光を浴びての。 爽やかおしやべりの金と綠。 そして物干臺から見える。 櫟林の真上遊かの。 全く久しぶりの青灰色の不盡の全貌。 その上天は薄い薄いセルリアン。 更にそのセルリアンの手前の方を。 獨眼にも分るシホカラトンボの一隊が。 (ゆふべは何處にどうしていたのか知らないが。) まるで気狂ひのやうに群れとんでいる。 曼珠沙華(1977.9.24) お濠端の綠のスロープのところどころに血が噴きでている。 血が噴きでているというしか他に言いようのない曼珠沙華の血が綠のなかから噴きでている。 * あれらは。 リコリンなどを含む。 アルカロイドの。 なんとも美しい。 毒の花だ。 草平異變(1977.10.9) 草平はボラに似た平べつたい貌をしている。と言へばそんな顔してる身内かと思はれさうだが。幾分身内に近くはあるが魚である。その弟分に草太草之介の二尾がいる。草平はオレの眼尺によれば七十八センチ程。それに續いて身長は草太草之介の順である。ウチの池に住みついてから十四年程になるが。所澤の養魚場から買つてきたもので今よりはずつと小さかつた。 ドイツ継のド黑は國立時代からだから十八年のつきあひになるが草平の方が身長はある。けれどもド黑の方がでつぷりしている。 丹子や銀之丞。安兵衛。リエ。(ああ。死んでしまつた黄金のイザナギ。イザナミ。またアベべやお七。その他その他。)雪子やボデボデ。三十二尾の鯉たちと一緒に。そして仲よく草魚兄弟も自由悠悠泳いでいる。 朴やメタセコイヤ。カヘデや特大錦木の葉洩れ陽の斑らな光をゆらつかせて。 池のはじつぼにコンクリの不粹な洗ひ場がある。そこに血まみれになつた草平が喘いでいた。鱗がはじきだされて飛び散っていた。周章てるなと自分にいひきかせながらオレは風呂場からタオルを持つてきた。それで包んでゆつくり池に辷らした。水の中を草平はするするつと流れていつたが深みに着くとあふ向けになつて白い腹を見せた。泳いでいるときにはかいまみたことのない白い腹だつた。雌か雄か本當は初めつからオレには分らなかつた。 南京城外の玄武湖に舟を浮べ蓮や菱の群落のあひだに糸を垂れ釣したことがあつた。かかつてきたのは小さな魚だつた。なんの魚かと訊くと。権を漕いできた黑い芭蕉布の老女は草魚(ツアオイイ)といつた。草魚のコドモといつた。 そのころのことであつたらう。日本内地はもう既に食糧不足に悩み。そして。揚子江界隈で採られた草魚の稚魚たちは荷物船にのつかつて日本に渡つてきた。そして利根川界隈に放流されたものらしい。 オレのウチの三兄弟は初めて渡つてきた連中の二代目三代目あたりらしく。〈震ヶ浦のものですよ。〉と所澤の養魚場のオヤヂは言つた。 ウチの魚が死んだら。無理してもそれらを食ふことが魚たちへの仁義だとオレは心得ていた。食はずに土に埋めるのは仁義にはづれるとオレは思つていた。そしてそれを度度實行した。けれどもパニックのやうに一度にごそつとやられたときはすぐ畑に埋めた。赤煉瓦でふちどつた玄とベンの墓の隣りが魚たちの共同墓地だつた。 雑居させるのは嫌ひなくせに雑居をたのしむところもオレにはあって。 時には虹鱒を入れたり。鰻や鯰。ハヤなども入れたりした。 ここ数年カルキなどによるパニックもなかつたし。病気での天然死の場合には直ぐ土の中に埋めるよりは。ほんの僅かの時間ではあるが。自分の體内に魚の死に神を同居させたかつたからでもある。 人類は魚類を殺して食ふのだが生存のために當然の仕打ちである。 〈死魚を食ふなどとは低俗で馬鹿だ。〉 己れのエネルギーで立ちあがれと希つてるその裏で。食はふかそれとも土に埋めるか。そんな気持ちの一瞬が鳶の影のやうに自分の脳裡に映つたときオレはイヤーナ気がした。衰弱しきつてる自分にはどつちみち草平のからだはでつか過ぎる。 草平がぐらつと寝返りを打つた。貌のあたりにおとされた鹽をプカプカ吞みこんで。直ぐまたあふ向けになつたけれども。呼吸は突如はげしくなり尾鰭はピリピリ痙攣し。やがてもんどり打つようにして青灰色の背中を見せた。また然しひつくりかへり。またぶるるッと立ちなほり。遂ひにやうやく草平はいつもの草平のかたちになつた。そして靜かに動きだしたのである。前向きに動きだしたのである。あつちこつち。血だらけだつたところは白つぽい斑らになって。 もともと草魚たちはコヒ科の連中だからウチの鯉たちとは親威である。ハヴァロフスク邊のアムールや北ヴェトナムの大きな水動脈。そして揚子江は無論のことその界隈の川や湖にワンサいるといふ。三米程の大ものもいるらしいがオレは見たことがない。(鰱魚の三米ものは鎮江で見たことがある。それのエラだけを買つて。葦でしばりつけてる貧しい老婆の顔をオレはまだ憶えている。) どうして然し草平は。ぶざまなコンクリの洗ひ場などに跳びあがつたのか。二タ月程前にも一度あつた。クサソテツのわきの庭土の上で全身をよじつたりそり返つたりしてバタついていた。直ぐ池に放したが。見つけ方が早かつたからだらう。あふ向けになつて白い腹を見せることはなかつた。飛び散つた鱗(うろこ)が四五枚。濡れて庭土にへばりついてた。 ウチの池はもう老いぼれている。コンクリの底のどつかにヒビでもはひつているのかもしれない。水嵩が減ることがある。そんなときは池の端の錦木としては大型な。その枝にゴムホースをひつかけ水をおとす。(それはもういつものことだ。)けれども草平が跳びあがつたのは二度だけである。草太も草之介も曾てない。何故だらう。それを解明するためには私自身草平にならなければ分らない。落ちて泡だつ水の音は草平を歡喜させるのだらうか。それともそれは恐怖なのか。夫は夫。疪だらけの草平よ。忍び耐へて極限の三米ほどの大物になれ。