考据_zz自wikipedia 『ヘアヌード』
ヘアヌード
この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。
ヘアヌードは(主として女性の)陰毛が修正されずに写っているヌード写真・映像。日本ではかつて修正が義務付けられるなどの規制があったが1990年代始めに事実上の解禁状態となり、一大ブームを巻き起こした。
なお、「ヘアヌード」は和製英語。講談社の元木昌彦が仕掛け人となり『週刊現代』上で、「ヌード」に陰毛を意味する和製英語「アンダーヘア」を組み合わせ「ヘア・ヌード」と表記した事に始まる(本来英語で陰毛はpubic hair)。元木はこの功績から「ヘアヌードの父」と呼ばれることもある。英語圏ではそもそも陰毛だけに着目されることはあまりないため同義語は存在しないが、俗語としてはfull frontalなどが近い。
目次 [非表示]
1 写真におけるヘアヌード
1.1 概説
1.2 話題を呼んだヘアヌード写真集
2 映画におけるヘアヌード
2.1 概説
2.2 ヘアヌードシーンを含む日本映画
2.3 ヘア無修正で劇場公開された外国映画
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
写真におけるヘアヌード [編集]
概説 [編集]
ヘアヌード
スタジオ撮影のヘアヌード
モノクロ写真のヘアヌード
従来、警察当局では、写真表現に関しては主に陰毛が写っているか否かを基準にわいせつを判断し、取締りを行ってきた。表現の自由を求める写真家は、りんごなどの小道具を使って巧みに陰毛を隠したり、「単なる影」と言い逃れのできるような微妙なライティングを行うなど涙ぐましい努力を重ねてきた。あるいは雑誌編集者が製版の段階で修正を行うなどして、陰毛を隠してきた。
1980年頃、成人向けの書店で「ビニ本」と呼ばれるビニール袋入りの写真集が販売されていた。半透明の下着を身に付けた女性モデルの陰毛がうっすらと透けて見えているものであり、しばらくブームになったが、扱っていた書店が摘発を受けたことで終焉を迎えた(非合法に販売されていた「裏本」などの販売は2006年半ばまで続いたが、その後は姿を消した)。一方では「毛がなければいいのだろう」ということで、写真家清岡純子らによる発毛前の少女ヌードがひそかに愛好されるといった奇妙な事態も見られた。
1980年代、末井昭編集の雑誌『写真時代』(1981年-1988年)では荒木経惟らによるヌードを掲載したが、時々陰毛が写っている事があり警視庁に呼び出されては注意を受けていた。ロバート・メイプルソープの写真集「Lady リサ・ライオン」(宝島社、1984年)もあったが、これは女性ボディビルダーの写真で多くの読者が求めるものとは少し異なっていたようである。「ブルータス」誌の特集「裸の絶対温度」も芸術写真に名を借りて陰毛の写った写真が掲載されていた(1985年-)が、あくまで例外的な存在であった。
こうした状況が一気に変わったのが篠山紀信撮影の樋口可南子写真集「ウォーターフルーツ」(1991年2月)である。この写真集では数枚の写真に陰毛が写っていたが、警視庁では摘発を行わなかった。関連業界ではこれを先例と捉えて陰毛の写った写真集を次々と出版し始め、なし崩し的に事実上の「ヘア解禁」状態に至ることとなった。同年秋には当時のトップアイドル・宮沢りえが写真集『Santa Fe』で突然のヘアヌードを発表、これらによって一挙にヘアヌード写真集ブームが巻き起こったのである。
当時のヘアヌード写真集のマーケットは非常に大きく、著名人から一般人、中高生から中高年に至るまで幅広い層のモデルがその裸身をレンズの前にさらけ出していった。堅実な活動を続けていた実力派女優らも数多くがヘアヌードを披露し話題を集めたほか、人気のピークを過ぎたアイドルがヘアヌードによる話題づくりで再起を図るといった戦略的アプローチも多々見られた。
1997年頃には菅野美穂らのヘアヌードによって再びヘアに注目が集まり、第2次ヘアヌードブームとも言うべきムーブメントが到来した。しかし一方で多くの著名人はかつての「話題づくり」の横行によって生まれた落ちぶれイメージからヘアヌードを敬遠するようになり、また1999年施行の児童ポルノ法によって未成年モデルのヌードが事実上禁止されたことなどから話題性のあるモデルの調達が困難となり売り上げが激減、1990年代末ごろまでには完全に沈静化した。
その後のヌード写真集においてもヘアヌードブームで生まれた表現路線は踏襲されているものの、かつてのように「ヘア」を前面に押し出した広告戦略はあまり見られないものとなっている。
話題を呼んだヘアヌード写真集 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
樋口可南子『water fruit』(篠山紀信撮影、1991年2月)
ヘアヌード解禁の記念碑的写真集。
宮沢りえ『Santa Fe』(篠山紀信撮影、1991年11月)
新聞の全面広告が話題になる。
島田楊子『KirRoyal』(遠藤正撮影、1992年)
石田えり『罪-immorale-』(ヘルムート・ニュートン撮影、1993年3月)
世界的に著名な写真家による写真集。
川島なお美『WOMAN』(渡辺達生撮影、1993年)
『YELLOWS』(五味彬撮影、1993年)
高岡早紀 『one、two、three』(篠山紀信撮影、1995年)
藤田朋子『遠野小説』(荒木経惟撮影、1996年)
発売直後に急遽発売中止となり、その際に行った記者会見が話題となった。その後は古本屋で高額で取引されるようになった。
原千晶『BORABORA』(篠山紀信撮影、1997年)
菅野美穂『Nudity』(宮澤正明撮影、1997年8月)
20歳の誕生日に発売。記者会見でなぜか涙を見せたことなども話題に。
林葉直子『SCANDAL』(テイアイエス 、1998年)
剛毛な陰毛が話題に。
葉月里緒菜 『RIONA』(篠山紀信撮影、1998年)
杉田かおる 『女優ごっこ」 (篠山紀信撮影、 1998年)
一時低迷していたのが、写真集発売後にバラエティー番組で人気が復活
レオナ『レオナの杜』『碧きレオナ』(大友正悦撮影、1998年)
小島聖『West by South』(篠山紀信撮影、1999年)
川上麻衣子『MAIKO KAWAKAMI』(篠山紀信撮影、2001年)
ヘア解禁前の1983年に撮影された17歳時の未公開ヘアヌード写真を収録。
松坂慶子『さくら伝説』(毛利充裕撮影、2002年)
50歳の初ヌードながら大いに話題を呼ぶ。
かでなれおん『はだかのれおん』(篠山紀信撮影、2004年)
叶美香『Sweet Goddess』(叶恭子撮影、2006年)
小島可奈子『Moon&Sun』(橋本雅司、毛利充裕撮影、2006年)
神楽坂恵『はだいろ』 (講談社、2008年)
hitomi『LOVE LIFE2』(幻冬舎、2009年)
妊娠中に撮影された「マタニティーヌード」で、一般のヘアヌードとは異なり同世代女性からの反響が大きかったのが特徴。妊婦のあいだでヌード撮影ブームを起こし[1][2]、少子化対策担当相の小渕優子からも肯定的なコメントが出された[3]。
細川ふみえ 『fumming』 (篠山紀信撮影、2009年12月講談社)
映画におけるヘアヌード [編集]
概説 [編集]
日本における映画興行では、映倫という自主規制組織による審査を通る必要があり、かつては陰毛についてはぼかし処理をかけるという規則があった。
「情熱の画家ゴヤ」(1971年ソ東ドイツ映画)が公開されたときゴヤが「裸のマハ」を描く場面でモデルのヘアがスクリーン上に映し出されたが、芸術性の高い作品ゆえ当局も手が出せなかった。 その後、1985年6月、第1回東京国際映画祭においてマイケル・ラドフォード監督のイギリス映画『1984年』(1984年製作)がぼかし無しの状態で上映された。この作品では女優のスザンナ・ハミルトンらが陰毛を露出するシーンがあるが、東京における初めての大規模映画祭開催とあって製作者側への配慮から例外措置が取られ、その後も同映画祭内に限って陰毛描写を認める流れができあがった。
1992年5月、フランス映画『美しき諍い女』が一般公開では初めて、ぼかしのないヘアヌードシーンを含んだ状態で上映された。映倫がこの上映を認めた背景としては、ヌードモデルをテーマにした作品でありヘアヌードシーンが映画の大半に及ぶため修正を入れると内容への影響が大きいこと、写真において前年に「ヘア解禁」が行われていたこと、さらにはこの作品は前年の第4回東京国際映画祭において既にぼかし無しの状態で上映されていたことなど、複合的な環境があげられる。
映倫はこの作品の審査から陰毛修正を「原則」レベルに緩め、性行為と直接関わりのないヘアヌードシーンについては実質的に無修正が恒常化することになった。1994年には『愛の新世界』における鈴木砂羽・片岡礼子のヌードシーンが日本映画史上初のヘアヌードとなり、その後徐々に製作サイドにも浸透しつつある。ヘア解禁以前に公開された作品については2000年代、「ヘア無修正版」などと称してDVD等のメディアで再リリースされる例が増加している。
ヘアヌードシーンを含む日本映画 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
出演者のヘアヌードを含む映画の一覧。ビデオ映画も含める。
1994年 - 『愛の新世界』(高橋伴明監督、鈴木砂羽・片岡礼子[4])
1993-05-08 『墨東綺譚』 ([新藤兼人]監督、墨田雪)
1995年 - 『南京の基督』(區丁平監督、富田靖子[5])
1996年 - 『スワロウテイル』(岩井俊二監督、藤井かほり)
1996年 - 『「物陰に足拍子」より MIDORI』(廣木隆一監督、嶋田博子)
1996年 - 『新任女教師 淫らな噂』(成瀬正行監督、石川萌)
1997年 - 『OPEN HOUSE』(行定勲監督、椎名英姫)
1997年 - 『鍵』(池田敏春監督、川島なお美)
1997年 - 『紅色の夢』(中田昌宏監督、冴木かおり・夏生ゆうな)
1998年 - 『D坂の殺人事件』(実相寺昭雄監督、大家由祐子)
2000年 - 『三文役者』(新藤兼人監督、荻野目慶子)
2000年 - 『花を摘む少女と虫を殺す少女』(矢崎仁司監督、川越美和)
2000年 - 『ビジターQ』(三池崇史監督、内田春菊・中原翔子)
2000年 - 『不貞の季節』(廣木隆一監督、星遙子)
2000年 - 『弱虫 チンピラ』(望月六郎監督、宮前希依[6])
2002年 - 『コンセント』(中原俊監督、市川実和子)
2003年 - 『花と蛇』(石井隆監督、杉本彩・未向)
2004年 - 『ガールフレンド』(廣木隆一監督、河井青葉)
2004年 - 『完全なる飼育 赤い殺意』(若松孝二監督、伊東美華)
2004年 - 『でらしね』(中原俊監督、黒沢あすか)
2004年 - 『透光の樹』(根岸吉太郎監督、秋吉久美子)
2004年 - 『花井さちこの華麗な生涯』(女池充監督、黒田エミ)
2004年 - 『ふくろう』(新藤兼人監督、伊藤歩)
2005年 - 『ゲルマニウムの夜』(大森立嗣監督、早良めぐみ)
2005年 - 『サンクチュアリ』(瀬々敬久監督、山下葉子・未向)
2005年 - 『花と蛇2 パリ/静子』(石井隆監督、杉本彩・荒井美恵子・不二子)
2005年 - 『欲望』(篠原哲雄監督、板谷由夏)
2006年 - 『ストロベリーショートケイクス』(矢崎仁司監督、中村優子)
2007年 - 『松ヶ根乱射事件』(山下敦弘監督、安藤玉恵・川越美和[7])
2007年 - 『人が人を愛することのどうしようもなさ』(石井隆監督、喜多嶋舞[8]、美景[9])
2008年 - 『泪壺』(瀬々敬久監督、小島可奈子)
2008年 - 『世界で一番美しい夜』(天願大介監督、月船さらら)
2008年 - 『ノン子 36歳(家事手伝い)』(熊切和嘉監督、坂井真紀)
2009年 - 『美代子阿佐ヶ谷気分』(坪田義史監督、町田マリー)
ヘア無修正で劇場公開された外国映画 [編集]
西暦は日本公開年。代表例のみ。
1999年 - 『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ピアース監督、ヒラリー・スワンク)
2006年 - 『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、菊地凛子[10])
2007年 - 『ラスト、コーション』(アン・リー監督、タン・ウェイ)
2008年 - 『シルク (映画)』(フランソワ・ジラール監督、渡辺奈緒子)
この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。
ヘアヌードは(主として女性の)陰毛が修正されずに写っているヌード写真・映像。日本ではかつて修正が義務付けられるなどの規制があったが1990年代始めに事実上の解禁状態となり、一大ブームを巻き起こした。
なお、「ヘアヌード」は和製英語。講談社の元木昌彦が仕掛け人となり『週刊現代』上で、「ヌード」に陰毛を意味する和製英語「アンダーヘア」を組み合わせ「ヘア・ヌード」と表記した事に始まる(本来英語で陰毛はpubic hair)。元木はこの功績から「ヘアヌードの父」と呼ばれることもある。英語圏ではそもそも陰毛だけに着目されることはあまりないため同義語は存在しないが、俗語としてはfull frontalなどが近い。
目次 [非表示]
1 写真におけるヘアヌード
1.1 概説
1.2 話題を呼んだヘアヌード写真集
2 映画におけるヘアヌード
2.1 概説
2.2 ヘアヌードシーンを含む日本映画
2.3 ヘア無修正で劇場公開された外国映画
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
写真におけるヘアヌード [編集]
概説 [編集]
ヘアヌード
スタジオ撮影のヘアヌード
モノクロ写真のヘアヌード
従来、警察当局では、写真表現に関しては主に陰毛が写っているか否かを基準にわいせつを判断し、取締りを行ってきた。表現の自由を求める写真家は、りんごなどの小道具を使って巧みに陰毛を隠したり、「単なる影」と言い逃れのできるような微妙なライティングを行うなど涙ぐましい努力を重ねてきた。あるいは雑誌編集者が製版の段階で修正を行うなどして、陰毛を隠してきた。
1980年頃、成人向けの書店で「ビニ本」と呼ばれるビニール袋入りの写真集が販売されていた。半透明の下着を身に付けた女性モデルの陰毛がうっすらと透けて見えているものであり、しばらくブームになったが、扱っていた書店が摘発を受けたことで終焉を迎えた(非合法に販売されていた「裏本」などの販売は2006年半ばまで続いたが、その後は姿を消した)。一方では「毛がなければいいのだろう」ということで、写真家清岡純子らによる発毛前の少女ヌードがひそかに愛好されるといった奇妙な事態も見られた。
1980年代、末井昭編集の雑誌『写真時代』(1981年-1988年)では荒木経惟らによるヌードを掲載したが、時々陰毛が写っている事があり警視庁に呼び出されては注意を受けていた。ロバート・メイプルソープの写真集「Lady リサ・ライオン」(宝島社、1984年)もあったが、これは女性ボディビルダーの写真で多くの読者が求めるものとは少し異なっていたようである。「ブルータス」誌の特集「裸の絶対温度」も芸術写真に名を借りて陰毛の写った写真が掲載されていた(1985年-)が、あくまで例外的な存在であった。
こうした状況が一気に変わったのが篠山紀信撮影の樋口可南子写真集「ウォーターフルーツ」(1991年2月)である。この写真集では数枚の写真に陰毛が写っていたが、警視庁では摘発を行わなかった。関連業界ではこれを先例と捉えて陰毛の写った写真集を次々と出版し始め、なし崩し的に事実上の「ヘア解禁」状態に至ることとなった。同年秋には当時のトップアイドル・宮沢りえが写真集『Santa Fe』で突然のヘアヌードを発表、これらによって一挙にヘアヌード写真集ブームが巻き起こったのである。
当時のヘアヌード写真集のマーケットは非常に大きく、著名人から一般人、中高生から中高年に至るまで幅広い層のモデルがその裸身をレンズの前にさらけ出していった。堅実な活動を続けていた実力派女優らも数多くがヘアヌードを披露し話題を集めたほか、人気のピークを過ぎたアイドルがヘアヌードによる話題づくりで再起を図るといった戦略的アプローチも多々見られた。
1997年頃には菅野美穂らのヘアヌードによって再びヘアに注目が集まり、第2次ヘアヌードブームとも言うべきムーブメントが到来した。しかし一方で多くの著名人はかつての「話題づくり」の横行によって生まれた落ちぶれイメージからヘアヌードを敬遠するようになり、また1999年施行の児童ポルノ法によって未成年モデルのヌードが事実上禁止されたことなどから話題性のあるモデルの調達が困難となり売り上げが激減、1990年代末ごろまでには完全に沈静化した。
その後のヌード写真集においてもヘアヌードブームで生まれた表現路線は踏襲されているものの、かつてのように「ヘア」を前面に押し出した広告戦略はあまり見られないものとなっている。
話題を呼んだヘアヌード写真集 [編集]
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樋口可南子『water fruit』(篠山紀信撮影、1991年2月)
ヘアヌード解禁の記念碑的写真集。
宮沢りえ『Santa Fe』(篠山紀信撮影、1991年11月)
新聞の全面広告が話題になる。
島田楊子『KirRoyal』(遠藤正撮影、1992年)
石田えり『罪-immorale-』(ヘルムート・ニュートン撮影、1993年3月)
世界的に著名な写真家による写真集。
川島なお美『WOMAN』(渡辺達生撮影、1993年)
『YELLOWS』(五味彬撮影、1993年)
高岡早紀 『one、two、three』(篠山紀信撮影、1995年)
藤田朋子『遠野小説』(荒木経惟撮影、1996年)
発売直後に急遽発売中止となり、その際に行った記者会見が話題となった。その後は古本屋で高額で取引されるようになった。
原千晶『BORABORA』(篠山紀信撮影、1997年)
菅野美穂『Nudity』(宮澤正明撮影、1997年8月)
20歳の誕生日に発売。記者会見でなぜか涙を見せたことなども話題に。
林葉直子『SCANDAL』(テイアイエス 、1998年)
剛毛な陰毛が話題に。
葉月里緒菜 『RIONA』(篠山紀信撮影、1998年)
杉田かおる 『女優ごっこ」 (篠山紀信撮影、 1998年)
一時低迷していたのが、写真集発売後にバラエティー番組で人気が復活
レオナ『レオナの杜』『碧きレオナ』(大友正悦撮影、1998年)
小島聖『West by South』(篠山紀信撮影、1999年)
川上麻衣子『MAIKO KAWAKAMI』(篠山紀信撮影、2001年)
ヘア解禁前の1983年に撮影された17歳時の未公開ヘアヌード写真を収録。
松坂慶子『さくら伝説』(毛利充裕撮影、2002年)
50歳の初ヌードながら大いに話題を呼ぶ。
かでなれおん『はだかのれおん』(篠山紀信撮影、2004年)
叶美香『Sweet Goddess』(叶恭子撮影、2006年)
小島可奈子『Moon&Sun』(橋本雅司、毛利充裕撮影、2006年)
神楽坂恵『はだいろ』 (講談社、2008年)
hitomi『LOVE LIFE2』(幻冬舎、2009年)
妊娠中に撮影された「マタニティーヌード」で、一般のヘアヌードとは異なり同世代女性からの反響が大きかったのが特徴。妊婦のあいだでヌード撮影ブームを起こし[1][2]、少子化対策担当相の小渕優子からも肯定的なコメントが出された[3]。
細川ふみえ 『fumming』 (篠山紀信撮影、2009年12月講談社)
映画におけるヘアヌード [編集]
概説 [編集]
日本における映画興行では、映倫という自主規制組織による審査を通る必要があり、かつては陰毛についてはぼかし処理をかけるという規則があった。
「情熱の画家ゴヤ」(1971年ソ東ドイツ映画)が公開されたときゴヤが「裸のマハ」を描く場面でモデルのヘアがスクリーン上に映し出されたが、芸術性の高い作品ゆえ当局も手が出せなかった。 その後、1985年6月、第1回東京国際映画祭においてマイケル・ラドフォード監督のイギリス映画『1984年』(1984年製作)がぼかし無しの状態で上映された。この作品では女優のスザンナ・ハミルトンらが陰毛を露出するシーンがあるが、東京における初めての大規模映画祭開催とあって製作者側への配慮から例外措置が取られ、その後も同映画祭内に限って陰毛描写を認める流れができあがった。
1992年5月、フランス映画『美しき諍い女』が一般公開では初めて、ぼかしのないヘアヌードシーンを含んだ状態で上映された。映倫がこの上映を認めた背景としては、ヌードモデルをテーマにした作品でありヘアヌードシーンが映画の大半に及ぶため修正を入れると内容への影響が大きいこと、写真において前年に「ヘア解禁」が行われていたこと、さらにはこの作品は前年の第4回東京国際映画祭において既にぼかし無しの状態で上映されていたことなど、複合的な環境があげられる。
映倫はこの作品の審査から陰毛修正を「原則」レベルに緩め、性行為と直接関わりのないヘアヌードシーンについては実質的に無修正が恒常化することになった。1994年には『愛の新世界』における鈴木砂羽・片岡礼子のヌードシーンが日本映画史上初のヘアヌードとなり、その後徐々に製作サイドにも浸透しつつある。ヘア解禁以前に公開された作品については2000年代、「ヘア無修正版」などと称してDVD等のメディアで再リリースされる例が増加している。
ヘアヌードシーンを含む日本映画 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
出演者のヘアヌードを含む映画の一覧。ビデオ映画も含める。
1994年 - 『愛の新世界』(高橋伴明監督、鈴木砂羽・片岡礼子[4])
1993-05-08 『墨東綺譚』 ([新藤兼人]監督、墨田雪)
1995年 - 『南京の基督』(區丁平監督、富田靖子[5])
1996年 - 『スワロウテイル』(岩井俊二監督、藤井かほり)
1996年 - 『「物陰に足拍子」より MIDORI』(廣木隆一監督、嶋田博子)
1996年 - 『新任女教師 淫らな噂』(成瀬正行監督、石川萌)
1997年 - 『OPEN HOUSE』(行定勲監督、椎名英姫)
1997年 - 『鍵』(池田敏春監督、川島なお美)
1997年 - 『紅色の夢』(中田昌宏監督、冴木かおり・夏生ゆうな)
1998年 - 『D坂の殺人事件』(実相寺昭雄監督、大家由祐子)
2000年 - 『三文役者』(新藤兼人監督、荻野目慶子)
2000年 - 『花を摘む少女と虫を殺す少女』(矢崎仁司監督、川越美和)
2000年 - 『ビジターQ』(三池崇史監督、内田春菊・中原翔子)
2000年 - 『不貞の季節』(廣木隆一監督、星遙子)
2000年 - 『弱虫 チンピラ』(望月六郎監督、宮前希依[6])
2002年 - 『コンセント』(中原俊監督、市川実和子)
2003年 - 『花と蛇』(石井隆監督、杉本彩・未向)
2004年 - 『ガールフレンド』(廣木隆一監督、河井青葉)
2004年 - 『完全なる飼育 赤い殺意』(若松孝二監督、伊東美華)
2004年 - 『でらしね』(中原俊監督、黒沢あすか)
2004年 - 『透光の樹』(根岸吉太郎監督、秋吉久美子)
2004年 - 『花井さちこの華麗な生涯』(女池充監督、黒田エミ)
2004年 - 『ふくろう』(新藤兼人監督、伊藤歩)
2005年 - 『ゲルマニウムの夜』(大森立嗣監督、早良めぐみ)
2005年 - 『サンクチュアリ』(瀬々敬久監督、山下葉子・未向)
2005年 - 『花と蛇2 パリ/静子』(石井隆監督、杉本彩・荒井美恵子・不二子)
2005年 - 『欲望』(篠原哲雄監督、板谷由夏)
2006年 - 『ストロベリーショートケイクス』(矢崎仁司監督、中村優子)
2007年 - 『松ヶ根乱射事件』(山下敦弘監督、安藤玉恵・川越美和[7])
2007年 - 『人が人を愛することのどうしようもなさ』(石井隆監督、喜多嶋舞[8]、美景[9])
2008年 - 『泪壺』(瀬々敬久監督、小島可奈子)
2008年 - 『世界で一番美しい夜』(天願大介監督、月船さらら)
2008年 - 『ノン子 36歳(家事手伝い)』(熊切和嘉監督、坂井真紀)
2009年 - 『美代子阿佐ヶ谷気分』(坪田義史監督、町田マリー)
ヘア無修正で劇場公開された外国映画 [編集]
西暦は日本公開年。代表例のみ。
1999年 - 『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ピアース監督、ヒラリー・スワンク)
2006年 - 『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、菊地凛子[10])
2007年 - 『ラスト、コーション』(アン・リー監督、タン・ウェイ)
2008年 - 『シルク (映画)』(フランソワ・ジラール監督、渡辺奈緒子)