巴托克第四弦乐四重奏曲
日本作家恩田陆在「蜜蜂与远雷」这本书里对巴托克的钢琴协奏曲有如此的描述。
“ 巴托克的音乐, 不知为何常让人联想到户外的场景。听他的曲子, 总感觉自己敞开双臂走在大自然中, 不时有清风吹拂而过。
匈牙利, 罗马尼亚, 斯洛文尼亚,从东欧到中欧, 巴托克收集了多种多样的民族音乐, 他的旋律带着其他音乐家的曲子里看不到的地方特色, 沉淀着森林的颜色, 风的颜色, 水的颜色。生动无比, 有些忧郁, 有种平面的感觉— 简直就是巴托克。”
虽然没有其他那些作曲家的曲目那么有人气, 但绝对也是在音乐殿堂里牢牢占据一席之位的现代作曲家吧。诚然如村上先生在书中所言, 聴巴托克的音乐時不能做其他的事情。这样会完全没有领悟到乐段里那些细节的波动, 不过真的完全要欣赏完的话, 也是很花费时间的。
说起「四重奏」我也总是会想起2017年那部同名的日剧, 当然那个只是以一个四人组合来讲述普通平凡人, 普通平凡的几个音乐爱好者的日常生活故事。并不是每个四重奏组合都可以像茱莉亚组合登上世界音乐的顶峰。但是他们还是爱好着, 并作为生活的一部分来对待, 这就是普通人不完整的人生。我想这对所有其他有着类似爱好的普通人来说, 要认识这样的不完整, 并把喜好作为一种信念坚持下去,无论结果。这样无论做什么事都会愉快很多。
バルトークの弦楽四重奏曲というと、よほどタフな筋金入りクラシック・ファンでなければ、まず怯んでしまうのではないかと思い(個人的推測)。僕だってそんなにしょっちゅうはレコードをターンテーブルに載せない。聴き通すにはそれなりの気力が必要とされるから。何かをしながらついでに聴くというようなわけにはいかない。でも長い人生には「バルトークの弦楽四重奏曲を聴きたい」と思う特別な時間がたまにあり、そういう時にはその音楽がけっこう役に立ってくれる。そしていったんその中に足を踏み入れると、そこにあるのが「うん、そうだよな」と理屈抜きで肌身で共感できる、血も涙もある音楽世界であることが理解できる。
说起巴托克的弦乐四重奏曲,如果不是相当硬朗已经过一番磨练的古典音乐迷的话,我想首先会胆怯吧(个人的推测)。我也不会经常把(这张)唱片放在唱盘上。因为要一直听下去,就需要相应的毅力。不能边做什么边听。但是,在漫长的人生中,偶尔会有“想听巴托克的弦乐四重奏”这样特别的时间,这种时候那个音乐就恰好发挥了作用。然后一旦步入其中,那里就会有“ 嗯呢, 就是这样的吧” 没什么特别理由的,相由心生般的产生共鸣,理解这个既有血又有泪的音乐世界。
「二十世紀の三大悲劇はヒトラーと原爆と現代音楽だ」と放言した人がいて(誰だっけ?)、「なるほど」と小さく肯きながらも、バルトークの弦楽四重奏曲は聴き応えのある立派な音楽だと僕は思う。
“ 二十世纪的三大悲剧事希特勒,原子弹和现代音乐” 有人曾信口开河道(是谁来着?)我虽然微微点头说 “原来是这样啊” ,但还是觉得巴托克的弦乐四重奏是值得一听的那种杰出的音乐。
うちにあるバルトークの弦楽四重奏全集LPはこの三種類で、どれも一九六〇年代に録音されたものだが、さて、とれを選択するかはなかなか難しいところだ。いずれも熱の入った優れた演奏で、どれを選んでもまず間違いはないもだが、もちろんそれぞれ少しずつ演奏の特質、傾向は異なっている。
家里有的巴托克的弦乐四重奏全集的LP唱片就是这三种,都是一九六零年代录音的产物,那么无论选择哪一张都是相当困难的。 每一张都是热情洋溢的优秀演奏,无论选择哪一张都不会错,当然各自演奏的特征, 倾向也会有些许的差异。
三者のうちでいちばん先鋭的なのは、やはりジュリアードSQだ。元々現代音楽を得意とするこのカルテット。どこまでも緻密でプラグマティック、四人の呼吸の合わせ方には一瞬の乱れもない。まるで精密機械のようだ。しかしそれでいてパッションの温度に不足はない。クォリティー的にも、これはひとつの時代を代表する演奏と言えるだろう。ジュリアードはバルトーク全集を全部で三度録音しているが、これは二度目のものだ。
三张唱片里最激进的还属是茱莉亚弦乐四重奏。 这个四重奏原本就很擅长现代音乐。到处都是务实的细致,四个人的呼吸调合连一丝的错乱也没有。完全像是精密的机械。而且激情并未由此而不足。从质量上而言,这称得上是一个时代的代表性的演奏了。 茱莉亚一共三次录制了巴托克的全集, 这是第二次的录音。
タートライSQの演奏はジュリアードに比べると、より円満な(非鋭角的な)印象がある。彼らの演奏には、そこにあるメロディーをできるだけ忠実に歌おうという意識が強く感じられる。彼らがハンガリー出身のグループであることも、それに関係しているかもしれない。熱心な民謡採集者としてのバルトークの一面が、ここではより意識されているような気がする。特に三楽章は滴るような美しさをもって演奏される。
Tatrai 塔特拉伊四重奏的演奏与茱莉亚的相比的话, 有更加圆满(没有锐利突出的角)的印象。他们的演奏, 能强烈感受到旋律尽可能的忠实于歌曲的意识。 他们是来自于匈牙利的组合, 或许与这也有关系。 巴托克作为热情的民谣采集者的的一面, 感觉在这里更加有意识的被表现出来。特别是第三乐章,演奏出了非常鲜艳的美感。
チェコのグループ、ノヴァークSQの演奏スタイルは、ジュリアードとタートライの大体中間というところか。音楽の構造を明瞭に視覚化しながらも、ジュリアードよりは「息の詰まらない」音楽を作っていこうという姿勢が見える。特に三楽章のピッチカート演奏はチャーミングだ。
捷克的组合, Novak诺瓦克的四重奏演奏的风格,大体上是介于茱莉亚和 中间吧。虽然音乐的构造被清晰的视觉化了, 但比起茱莉亚,更能看到作出了“令人窒息的” 音乐姿态。 特别是第三乐章拔奏的演奏非常令人着迷。
いずれにせよジュリアードの二度目の「全集」が出て、その見事な精度が世の注目を集めた後では、誰しもがその演奏との比較を受けることを意識せずにはいられなかったはずだ。ジュリアードSQのリーダー、ロバート・マンさんの書いたメモワールを読むと、ジュリアードSQがデビューした当時はブダペストSQの全盛期で、彼らが手をつけない「現代もの」をレパートリーの中心にしないことには立ちゆかなかったということだ。
不管怎样,茱莉亚的第二次的“ 全集” 出版了, 在其出色的精确度引起世界的瞩目后, 谁都应该意识到要和这个演奏做比较。在茱莉亚四重奏的首席罗伯特・曼恩所写的回忆录中曾读到,茱莉亚四重奏初露头角的时候,当时是布达佩斯四重奏最鼎盛的时代,他们也有以无法以擅长的“现代之物” 作为剧目的中心进行演奏这样的事。 (注:这件事是指在1961年的时候, 罗伯特曾接到华盛顿国会图书馆音乐部门负责人Dr. Harold Spivacke 的电话。 他曾邀请当时年轻的茱莉亚弦乐四重奏组合在馆里的伊丽莎白·斯普拉格·柯立芝礼堂(Elizabeth Sprague Coolidge Auditorium)在一些特殊场合演奏一些有难度的布达佩斯弦乐四重奏从未触及过的现代曲目。这次Dr Spivacke 则询问茱莉亚弦乐四重奏是否想取代布达佩斯弦乐四重奏, 成为国会图书馆的“ 当家” 四重奏组合。)
バルトーク
贝拉·维克托·亚诺什·巴托克(匈牙利语:Béla Viktor János Bartók,1881年3月25日-1945年9月26日),出生于匈牙利纳吉圣米克洛斯(今罗马尼亚境内),二十世纪最伟大的作曲家之一、匈牙利现代音乐的领袖人物,同时也是钢琴家,民间音乐学家。他的很多创举剧烈震动了整个20世纪艺术圈, 一些专家们甚至坚信他的才华可以与贝多芬相提并论。
SQ
弦乐四重奏(String Quartet),顾名思义,就是“由四把弦乐器组合而成的室内乐形式”。它包含两把小提琴、一把中提琴以及一把大提琴,是最主要和最受欢迎的室内乐类型。
ジュリアードSQ
美国茱莉亚弦乐四重奏组(Juilliard String Quartet)成立于1946年,是世界最著名的四重奏组之一。自1962年取代布达佩斯四重奏成为美国华盛顿国会图书馆的“当家”四重奏组以来,朱利亚一直在世界上享受着崇高的声誉。在美国,他们有着大批的热心听众,是美国当之无愧的室内乐“第一家庭”。
这是组合最初的四位成员:
罗伯特· 曼恩Robert Mann - 首席小提琴手
罗伯特·考夫Robert Koff - 第二小提琴手
拉斐尔·希耶尔Raphael Hillyer - 中提琴手
阿瑟·维诺格拉德 Arthur Winograd - 大提琴手
