「国是三論」と「政治と学問」
国是三論
1.天・富国論
この部分は、まず貿易と鎖国の害を分析した。貿易では、横井氏は当時に流行していた鎖国論に強調された貿易の五つの害を挙げた(有用物と無用の物の交換、外国へ出す物が多ければ国内の消費が不足、不足してくれば値段が高い、商人だけが利益を得る、国内の金銀が不足、などの五つの害)。そして、横井氏は鎖国政策の害を分析した。彼によれば、鎖国体制の下に、封建制度における大名たちは重税によって日常生活を維持していた。このように、領民と大名の間が離心となるので、軍民ともに攘夷をすることは不可能になっている。これは鎖国の害である。そのため、政治の変革について、世界万国の事情に従って、「公共の道」をもって新しい政治を追求すべきである。
次に、問題は藩の政治に移る。藩の政治をどうすればいいのかという問題に対し、横井氏は以下の回答を与えた。第一に、封建制の下に藩を孤立しないようにしたほうがいい。つまり、商売や貿易のことを行うことによって、ほかの藩とのつながりを作ることである。また、藩内の産業では、領民を救済しながら、藩の力によって産業支援を進めることも大事である。そして、武士が治民の道具であり、武士に対し、名誉を重視しない武士を武士の身分を放棄させた、と横井氏は主張した。第二に、藩の財源を確保するために、藩による生産販売の管理は重要である。
さらに、横井氏は通商及び西洋をモデルとしての改革に関することを検討した。彼によれば、交易は天地間の最も根元的法則であるため、交易を進めるべきである。現在(19世紀中期)では、万国間の形勢が変化し、過去の政治を改革しなければならないのであろう。横井氏はアメリカの状況を例としてその道理を論じた。アメリカは建国以来、まず、世界戦争を制止する理念を出した。また、アメリカの政治において、智識が集まって政治を進める。最後、アメリカの大統領は世襲制ではなく、民衆の選挙によって選ばれたのである。従って、アメリカ流の政治は、異端ではなく、先王の理想政治に合致する政治であろう。これに対し、中国(清国)は腐敗や保守などの堕落的政治状況に陥っていた。アヘン戦争以降、帝国の名誉は既に失われてきた。
2.地・強兵論
強兵について、横井氏は、まず列強と対抗できる強い海軍の建設を緊要なこと、としている。外部の情勢から見れば、日本は危険的な状態にあった。イギリスやロシアの東進によって、日本に対する脅威は益々強くなった。島国たる日本にとっては、自国を防衛するため、強い海軍を建設することは当然のことである。そうしなければ、結果として、堕落の清国は例である。また、日本内部の情勢では、鎖国政策は既に維持できない状態となった。従って、鎖国政策を変革する新しい政策を作ることは緊要なことではないだろうか。
しかし、幕府の命令がなければ、一藩の力によって海軍を建設することは不可能であろう。この現状に対し、横井氏は武士の中に勇壮の人を選んで、航海や漁獲などの活動を行うべきだ、としている。それによって、海外の情勢を把握し、将来幕府の政策変革を待っている。また、海軍を作り出すことについて、軍の士気を奮い立つため、武士道精神も重要である。以上の準備を完成すれば、幕府の海軍建設命令が到来する時、軍艦や海戦戦術の研究を進めるべきである。
3.人・士道
横井氏は、武士にとっては、文武両道を身につけることは職分である。特に、治国について、この二つのものはいずれも欠かせないのである。しかし、近年(19世紀中期)以来、文武両道を言及する場合、専ら武が強調された。これに対し、横井氏は、日本の多くの人々は文武両道が一源であることを知らない、としている。よって、彼は文武一体を強調した。もともと、文武両道は心や道の問題であるが、今では技術のことになってしまう。そのため、忠孝をもって正しい心を治めて胆を練る必要がある。
君父に忠孝を尽くすことは天性とは言え、まったく教育をしなければダメである。要するに、三代の教えを教育の内容として、治教の活動をすべきである。それによって、理想的な政治が可能になる。
政治と学問
この部分は数篇の筆録、論策及び書状の集合である。幕末の乱世に立った横井氏はこれらの文章によって、激動な変革期における新政治に向かう思想を作り出した。以下は重要なポイントに関する整理である。
1.実学
「遊学雑誌」という文章において、横井氏は政治の実際に役立つ学問を心に掛けることを表した。
2.党争の問題
「藤田東湖宛」の中に、横井氏は水戸藩の改革における党争の問題を言及した。彼は中国の歴史を例として、党争への批判をしていた。横井氏によれば、党派の争いのやりきれなさは、いつの世にも変わらないことである。改革の中に、必ず小人が集まって改革者を非難してその名を攻撃した。以前の欧陽修や朱子もこの問題に対し議論をした。今の世では、外夷からの脅威が益々強くなるので、根本から政治をやり直すことは必要である。この立場から、横井氏は藤田氏らの改革に対し、支持の態度を表した。
3.学政一致
儒教の視点から見れば、政治の根本は人の才能を育て良い風俗をつくるところにある。これに対し、横井氏は日本の政治と人材の問題を指摘した。すなわち、日本は既に政治に適応する人材を育成できなくなる。なぜなら、学政が不一致からである。秦漢以降、学問は修身のことになり、世の中のことへの注目は薄くなる。この点に対し、横井氏は不満である。彼によれば、学問と政治の合致が重要であり、学校では、政治の現実を推動できるような学問が伝授されなければならない。
また、政治における学校の重要性も重視すべきのである。学校は政治の根本であり、学校がないと倫理と道徳が確立せず。人材の志気を養えず、風俗の教化も行えないのである。学校では、教官の選択は大事なことであろう。教官の選択について、二つの難関があり、選択の基準(詩文優先か政治優先か)と人材の不足(優秀な人物の場合、藩政にとっても重要だ)である。
4.夷虜応接大意
対外の方針について、有道の国と交際し、無道の国とは交際しないのである。これは対外の方針に関する横井氏の態度である。横井氏によれば、外交の根本原則は天地仁義という大義である。
これまでの外夷への態度について、主に三つの観点がある。第一に、最下策の「和議」、第二に、鎖国の旧習を維持すること、第三に、無礼な夷人と戦争することなどのである。これについて、横井氏は異なる意見を持っていた。すなわち、必戦の覚悟を決めた上で、天地大義に従って外夷の使者を応接すべき、と彼は最良の策としていた。
5.時勢に従う
「吉田悌蔵宛」では、横井氏は戦争か和議か、どちらも間違いた。現実の情勢に立って、時に応じた勢いに随って処置したほういいである、と主張した。
6.政教一致
「村田巳三郎宛」においては、横井氏は宗教に関することを言及した。彼によれば、日本には人心を一致される政治がないようである。これに反して、西ヨーロッパでは、キリスト教は人心を一致させる作用を進める。国家の内部において、国王でも平民でも、同じ信仰があり、国内における政令は容易に施行しようである。彼は魏源の『海国図志』を参考し、列国の事情を分析した。ここにおいて、彼は清国の事情を検討した。彼によれば、清国の儒者は詩文経書しか知らず、儒学における現実への関心が全く忘れられた。これは政教不一致の問題でもある。ゆえに、清国は政治衰退になっている、と彼は判断した。
また、彼はロシアにおける儒学経典の翻訳や研究を参考し、もともとの先王の理想である儒学は、キリスト教と同じように、政教一致のこと、と認識した。