【春秋】2020/1/17付 阪神地震 不可忘却
▼1948年といえば、まだ戦後の混乱期である。この年の6月28日、福井市と周辺は大地震に襲われた。死者3769人。空襲の傷痕が残る市内は烈震の追い打ちをくらい、8割以上の家屋が全壊したといわれる。気象庁が震度階に「7」を設けたのはその翌年だった。
说起1948年,仍处在战后混乱期。这一年的6月28日,福井市及周边遭遇大地震。死亡人数达到3769人。经历空袭后伤痕累累的城市又遭遇强震的重创,据说8成以上的房屋完全损毁。第二年,气象厅在地震级别中设计了【7】这个数字。
▼究極の揺れを想定した震度7(激震)だが、新設から46年間も適用されることなく歳月が流れた。流れを断ち切ったのは、25年前のきょう起きた阪神大震災である。言いかえれば、あの日までの半世紀近く、戦後日本は巨大地震を体験せずに過ごした。奇跡的な高度成長を実現させた昭和の栄光は、そのたまものでもある。
设想摇晃程度到达顶级的震级7级(强震),诞生后46年间从未用过,岁月静好。打断其延续性的是25年前的阪神大地震。换句话说,在那一天之前的近半个世纪,战后的日本从未体验过巨型地震的威力。正因为这样的恩赐,才有取得奇迹般高度发展的昭和荣光。
▼「阪神」以後の平成時代は、せきを切ったように震度7が続発した。新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震。かつての半世紀は、たんに幸運に過ぎなかったのだ。そして、いずれ必ず、南海トラフ地震はやってくる。内閣府の想定では死者は最大23万人。いまのままの備えで日本社会は災禍を乗り越えられるだろうか。
【阪神】之后的平成年代好像竞赛般接连发生7级强震。新泻县中越地震、东日本大地震、熊本地震。原来曾经的那半个世纪只不过是运气。所有,总有一天会发生南海海沟地震。根据内阁府的预测,最大死亡人数将达23万人。按照现在的准备状态,日本社会真的躲过这场灾难吗?
▼戦中から戦後にかけて、列島は相次いで大地震に見舞われている。43年鳥取地震、44年東南海地震、45年三河地震、46年南海地震と続き、福井地震にいたるのだから無慈悲なことこのうえない。そんな時代の再現があっても不思議ではないのがこの国である。95年1月17日。あの朝の衝撃の光景を、思い出さねばならない。
从战中到战后,列岛相继遭遇大地震。43年鸟取地震,44年东南海地震,45年三河地震,46年南海地震结束后接着就是福井地震,再也没有比这更悲惨的事情了。就算这个时代重现也毫不奇怪,日本就是这样的国家。95年1月17日,必须牢记那天早上令人震惊的景象。