MOMA 2010/05/28 with Judy
Ulay and Abramović, they said goodbye to each other on the Great Wall.
In 1976, after moving to Amsterdam, Abramović met the West German performance artist Uwe Laysiepen, who went by the single name Ulay. They were both born on the same day.
........................................................
In 1988, after several years of tense relations, Abramović and Ulay decided to make a spiritual journey which would end their relationship. Each of them walked the Great Wall of China, starting from the two opposite ends and meeting in the middle. As Abramović described it: “That walk became a complete personal drama. Ulay started from the Gobi desert and I from the Yellow Sea. After each of us walked 2500 km, we met in the middle and said good-bye.”
.....“We needed a certain form of ending, after this huge distance walking towards each other. It is very human. It is in a way more dramatic, more like a film ending … Because in the end you are really alone, whatever you do.”
http://www.google.co.uk/images?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&gbv=2&tbs=isch%3A1&sa=1&q=Ulay+and+Marina&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=&start=0
http://www.moma.org/explore/inside_out/2010/05/10/visitor-viewpoint-momas-mystery-man/#more-6173
Something I was very interested in is that she said she’s not interested in doing anything she’s not afraid of. I find it fascinating that she has to do something that she’s afraid of all the time, but she’s done it over all these years, and she gets over the fear, she goes over the fear. I don’t know how to explain, it’s almost like she flies over the fear, the danger, the risk… and I love that. It’s all about taking risks, and going beyond, and pushing the limits. I like these words that she said: “Who sets the limits?” I’m not saying it right, but it’s a very profound phrase because we think we can only go so far, but she’s teaching us that we can go beyond what we think we can do and I love that about her.
http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2010/marinaabramovic/marina_exhibition.html
http://www.zimbio.com/pictures/upoNbvTpFo9/MoMA+Celebrates+Marina+Abramovic+Artist+Present/ZSrLSp4JOWp/Ulay
ごめんなさい、カルダーです。私は大体な形しか覚えていないです。失礼しました。
「欲望」の上海は「黄昏」へ、そして「絶望」へ行く道は、「朝日」から「日没」へ、「生」から「死」へと同様、一つのサイクルだと思っています。最初から結果が決まっているサイクルです。
死の覚悟を持ちながら生を大事にして生きていくことは、簡単に言えますが、「死」を忘れてしまうか、「生」の有難さを無視するか、なかなか難しいのです。個人や国も、似ていたもんです、国は大勢な人たちの集合体だから。この集合体は個人の「異」を潰し、「同」を表現する巨人だと思っています。なので、国も性格と感情を持っている生き物です。
「絶望」に向かって、世界が常に中心を移すことによって、繰り返して「甦」を演出しているのです。だが、世界はこれ以上グロバーになりますと、国の個性がなくされ、世界が一つになるつまらない日に向かうかもしれません!原点を遡りますと、クソアメリカ文化インフレサーのせいではないでしょうか。なぜ私はこの虫のように見える英文字を覚えなければならないの!
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追伸*今回はMOMAができてから一番規模の大きいperformance展示らしいです。performanceがいよいよ終わるという記念だとも思われる。
気になったのは、彼女の早期作品の中にUlayというドイツ人の男性と共演しているものが多かったですが、途中にUlayがきえました。
お二人の間に何にかあったのか、そして、どうやって別れたのかについて興味ができました。
早速 調べてみました。10年の間に彼らの共演した作品はほとんどのが「一つの体、二つの頭」を中心にして展開されたようです。この「核」を分かってから、ほぼ全部をわかってきました。http://www.google.co.uk/images?um=1&hl=en&lr=&newwindow=1&c2coff=1&tbs=isch:1&q=Abramovi%C4%87+and+Ulay&sa=N&start=0&ndsp=20
76年にオランダで出会ってから、一緒に活動し始った。88年に限界を感じ、お別れのperformanceをしました。二人がそれぞれ万里の長城の両端より歩き始め、それぞれ5千キロを歩いて真ん中に会ってから別れました。http://fast.mediamatic.nl/f/rqqp/image/2190-465-313-size.jpg(作品タイトル:The Lovers)
彼女は46年にユーゴスラビアに生まれ、ご両親とも軍人、父は国のために数々の勲章をもらった。彼女は自分の母国を含め、ロシアと中国に対しての不満が作品にうまく表現しているので、展示場でこの万里の長城をモチーフにしたこのビデオ作品を見たときに、「政治」だと思いましたが、結局、あれはUlayとの別れだった。
考えてみましたら、小野洋子は彼女の大先輩ですよね。レノンが早く射殺されて、いまでも美しい愛のイメージが残っている。ある意味では、あの結果もperformanceの一つだと言えるね。もしレノンが生きていれば、小野洋子はどんなお別れのperformanceをデザインしてくれるのか。
なぜか三島由紀夫のことも思い出しました。
2010/5/29 imichi imichi@mov-art.co.jp
- Hide quoted text -
AOI さま
ニューヨークアート情報ありがとう。情報断絶ブロイラー生活を送っていると新鮮なそちらの空気がPC通じて流れてくるようです。
現代美術が知識と情報だけの若いキュレターや評論家によって作られているようで不満や不安がいっぱいです。「黄昏のニューヨーク」
にはもう何も生まれてこないような気がします。世界文化遺産に登録すべき時がきているのではないでしょうか。「絶望の東京」も同じかも知れません。
そして「欲望の上海」も何の疑問もなくその2つの後を懸命におっかけているようです。コピーandペーストをやっているようです。
50年代60年代を生で知っている私にとって複雑な感情をおぼえます。
ネオンをニオンと発音するのですか?カルダーをカルダンというのでしょうか?
辛口メールでごめんなさい。
IMICHI
On 2010/05/29, at 20:47, Aoi Ryu wrote:
http://www.google.co.uk/search?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&tbo=p&tbs=vid:1&q=Marina+Abramovi%C4%87&start=0&sa=N
昨日はこの人の展示をみにいってきました。現場で彼女はpermanceをやっていました。以前は本とか、雑誌で彼女の作品をみましたが、ほぼ全作品を揃えた個展ははじめてでした。共産主義に対しての不満にも、エロチックなやり方で表す。でも、表現の仕方がなかなかうまいだと思います。
コンセプトと言うならば、私はBruce Nauman の作品は大好きです。めっちゃ頭のいい人です。6月2日よりMOMAで個展が開く予定です。今度またただ券を配る金曜にプチ旅をしに行きます。:)
http://www.google.co.uk/search?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&ndsp=20&tbs=vid:1&q=Bruce+Nauman&start=0&sa=N
カルダンの作品は三点もありました。階段の真上の天井よりぶら下げているものは二点、庭には常設のオブジェが一点。肺の底から空気をだして一生懸命に吹いて遊びました。楽しかったです。佐倉にある美術館に彼の個展を見に行ったことを思い出しました。チラシで空気を流して作品を動かそうとしたが、女性のstaffに注意されました。
In 1976, after moving to Amsterdam, Abramović met the West German performance artist Uwe Laysiepen, who went by the single name Ulay. They were both born on the same day.
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In 1988, after several years of tense relations, Abramović and Ulay decided to make a spiritual journey which would end their relationship. Each of them walked the Great Wall of China, starting from the two opposite ends and meeting in the middle. As Abramović described it: “That walk became a complete personal drama. Ulay started from the Gobi desert and I from the Yellow Sea. After each of us walked 2500 km, we met in the middle and said good-bye.”
.....“We needed a certain form of ending, after this huge distance walking towards each other. It is very human. It is in a way more dramatic, more like a film ending … Because in the end you are really alone, whatever you do.”
http://www.google.co.uk/images?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&gbv=2&tbs=isch%3A1&sa=1&q=Ulay+and+Marina&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=&start=0
http://www.moma.org/explore/inside_out/2010/05/10/visitor-viewpoint-momas-mystery-man/#more-6173
Something I was very interested in is that she said she’s not interested in doing anything she’s not afraid of. I find it fascinating that she has to do something that she’s afraid of all the time, but she’s done it over all these years, and she gets over the fear, she goes over the fear. I don’t know how to explain, it’s almost like she flies over the fear, the danger, the risk… and I love that. It’s all about taking risks, and going beyond, and pushing the limits. I like these words that she said: “Who sets the limits?” I’m not saying it right, but it’s a very profound phrase because we think we can only go so far, but she’s teaching us that we can go beyond what we think we can do and I love that about her.
http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2010/marinaabramovic/marina_exhibition.html
http://www.zimbio.com/pictures/upoNbvTpFo9/MoMA+Celebrates+Marina+Abramovic+Artist+Present/ZSrLSp4JOWp/Ulay
ごめんなさい、カルダーです。私は大体な形しか覚えていないです。失礼しました。
「欲望」の上海は「黄昏」へ、そして「絶望」へ行く道は、「朝日」から「日没」へ、「生」から「死」へと同様、一つのサイクルだと思っています。最初から結果が決まっているサイクルです。
死の覚悟を持ちながら生を大事にして生きていくことは、簡単に言えますが、「死」を忘れてしまうか、「生」の有難さを無視するか、なかなか難しいのです。個人や国も、似ていたもんです、国は大勢な人たちの集合体だから。この集合体は個人の「異」を潰し、「同」を表現する巨人だと思っています。なので、国も性格と感情を持っている生き物です。
「絶望」に向かって、世界が常に中心を移すことによって、繰り返して「甦」を演出しているのです。だが、世界はこれ以上グロバーになりますと、国の個性がなくされ、世界が一つになるつまらない日に向かうかもしれません!原点を遡りますと、クソアメリカ文化インフレサーのせいではないでしょうか。なぜ私はこの虫のように見える英文字を覚えなければならないの!
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追伸*今回はMOMAができてから一番規模の大きいperformance展示らしいです。performanceがいよいよ終わるという記念だとも思われる。
気になったのは、彼女の早期作品の中にUlayというドイツ人の男性と共演しているものが多かったですが、途中にUlayがきえました。
お二人の間に何にかあったのか、そして、どうやって別れたのかについて興味ができました。
早速 調べてみました。10年の間に彼らの共演した作品はほとんどのが「一つの体、二つの頭」を中心にして展開されたようです。この「核」を分かってから、ほぼ全部をわかってきました。http://www.google.co.uk/images?um=1&hl=en&lr=&newwindow=1&c2coff=1&tbs=isch:1&q=Abramovi%C4%87+and+Ulay&sa=N&start=0&ndsp=20
76年にオランダで出会ってから、一緒に活動し始った。88年に限界を感じ、お別れのperformanceをしました。二人がそれぞれ万里の長城の両端より歩き始め、それぞれ5千キロを歩いて真ん中に会ってから別れました。http://fast.mediamatic.nl/f/rqqp/image/2190-465-313-size.jpg(作品タイトル:The Lovers)
彼女は46年にユーゴスラビアに生まれ、ご両親とも軍人、父は国のために数々の勲章をもらった。彼女は自分の母国を含め、ロシアと中国に対しての不満が作品にうまく表現しているので、展示場でこの万里の長城をモチーフにしたこのビデオ作品を見たときに、「政治」だと思いましたが、結局、あれはUlayとの別れだった。
考えてみましたら、小野洋子は彼女の大先輩ですよね。レノンが早く射殺されて、いまでも美しい愛のイメージが残っている。ある意味では、あの結果もperformanceの一つだと言えるね。もしレノンが生きていれば、小野洋子はどんなお別れのperformanceをデザインしてくれるのか。
なぜか三島由紀夫のことも思い出しました。
2010/5/29 imichi imichi@mov-art.co.jp
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AOI さま
ニューヨークアート情報ありがとう。情報断絶ブロイラー生活を送っていると新鮮なそちらの空気がPC通じて流れてくるようです。
現代美術が知識と情報だけの若いキュレターや評論家によって作られているようで不満や不安がいっぱいです。「黄昏のニューヨーク」
にはもう何も生まれてこないような気がします。世界文化遺産に登録すべき時がきているのではないでしょうか。「絶望の東京」も同じかも知れません。
そして「欲望の上海」も何の疑問もなくその2つの後を懸命におっかけているようです。コピーandペーストをやっているようです。
50年代60年代を生で知っている私にとって複雑な感情をおぼえます。
ネオンをニオンと発音するのですか?カルダーをカルダンというのでしょうか?
辛口メールでごめんなさい。
IMICHI
On 2010/05/29, at 20:47, Aoi Ryu wrote:
http://www.google.co.uk/search?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&tbo=p&tbs=vid:1&q=Marina+Abramovi%C4%87&start=0&sa=N
昨日はこの人の展示をみにいってきました。現場で彼女はpermanceをやっていました。以前は本とか、雑誌で彼女の作品をみましたが、ほぼ全作品を揃えた個展ははじめてでした。共産主義に対しての不満にも、エロチックなやり方で表す。でも、表現の仕方がなかなかうまいだと思います。
コンセプトと言うならば、私はBruce Nauman の作品は大好きです。めっちゃ頭のいい人です。6月2日よりMOMAで個展が開く予定です。今度またただ券を配る金曜にプチ旅をしに行きます。:)
http://www.google.co.uk/search?hl=en&newwindow=1&c2coff=1&ndsp=20&tbs=vid:1&q=Bruce+Nauman&start=0&sa=N
カルダンの作品は三点もありました。階段の真上の天井よりぶら下げているものは二点、庭には常設のオブジェが一点。肺の底から空気をだして一生懸命に吹いて遊びました。楽しかったです。佐倉にある美術館に彼の個展を見に行ったことを思い出しました。チラシで空気を流して作品を動かそうとしたが、女性のstaffに注意されました。