《春秋》7月27日
東宮御所や帝国劇場を設計した谷口吉郎は、多くの記念碑のデザインを手がけたことで知られる。子息も建築家の吉生氏で、親子の功績をたたえ、昨日オープンした「金沢建築館」にずらり写真が展示されていた。第1号は1947年の作家、徳田秋声の文学碑である。
▼曾设计过东宫御所和帝国剧院的谷口吉郎,因设计过许多纪念碑而闻名。其子吉生也是建筑家,在昨日开馆的“金泽建筑馆”里展示了一幅幅父子俩的作品,赞赏他们的功伟。第一幅便是在1947年为作家德田秋声设计的文学碑。
▼その後、79年に世を去るまで、島崎藤村の墓所、佐藤春夫や森鴎外の詩碑など各地で名だたる人にまつわるモニュメントに携わった。「過去」や「記憶」を巡り、鋭敏な感性を持っていたらしく、文人や画家が筆を供養する「筆塚」の例を引き「形見の造形は、機能を乗りこえて『いのち』を発する」との文を残している。
▼从那之后直到他79年去世,谷口吉郎为岛崎藤村设计了墓地、为佐藤春夫和森鸥外设计了诗碑等,做起了为各地名人设计纪念碑的工作。围绕“过去”和“记忆”,谷口似乎有股敏锐地感知力,他拿文人和画家供奉笔的“笔冢”为例,留下了这样一段文字“纪念碑的的造形,能够超越其本身的功能散发出‘生命力’”。
▼先の大戦の犠牲者を慰霊する建造物も重要な作品だ。六角形の屋根に覆われて花が絶えない東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑、さらに日本兵2万人以上が戦死した硫黄島の碑に、2016年、当時の天皇・皇后両陛下が訪れたフィリピン・ルソン島の比島戦没者の碑などだ。今年もせみ時雨や強い日差しに戦争を思う季節である。
▼为战死的人设计慰灵碑也是他的重要作品之一。有被六角形屋檐覆盖、香火不断的东京千岛渊战死者墓苑,甚至还有战死2万以上日士兵的硫磺岛之碑、位于菲律宾·吕宋岛的在菲律宾战争死亡的将士之碑等,2016年当时的天皇和皇后两位殿下曾经到访过这里。今年也是,蝉时雨(注1)和光照强的时节,也是让人反思战争的季节。
注1:指蝉的叫声象阵雨一样,忽快忽慢,文中应该是指夏季。
▼ふだんは黙したままのいしぶみだが、真摯に向き合い、額(ぬか)ずけば、戦いの無謀さや悲惨を雄弁に物語ってくれるはずだ。それが谷口のいう造形の「いのち」なのでもあろう。自国第一や大衆迎合主義が新たな常識になりつつある世界の中で「いのち」との交感は軽んじられ始めてはいないか。令和最初の夏に不安がよぎる。
▼平时沉默寡言的石碑啊,如果我真心与它相对,对它致敬的话,相信它一定会对我滔滔不绝地控诉战争的鲁莽草率和悲惨。而这也正是谷口口中的造形的“生命力”所在吧。在“本国第一”和“大众迎合主义”正在成为新的常识的世界里,也许人们正逐渐忽视“生命”的相互感知。令和的第一个夏天掠过一丝不安。