《ノルウェイの森》(挪威的森林)
喜欢日文书的人,大多曾经或还在读村上春树吧。
村上的书,大多带有忧郁的,茫然的,孤独的,焦躁的,压抑着欲望的,青春期的气息。
很多人都是从那本《ノルウェイの森》(挪威的森林)开始与村上的相伴之旅,我大概也是。

隔很多年之后我再翻这本书,用更宽广的视野,结合村上春树的个人经历,故事发生的时代背景,以及书名对应的“The Beatles(甲壳虫乐队)”的歌曲“挪威的森林”,又有了新的不同感受。或许更贴近村上写作的初衷吧。
村上春树,出生于1949年。《ノルウェイの森》成书于1987年,书中的主要故事背景发生在1968年-1969年。主人公渡辺(ワタナベ)20岁,与1969年的村上同岁。
1969年,对于“The Beatles(甲壳虫乐队)”有特殊的意义。他们在萨维尔街3号的红砖楼顶进行了最后一次公开演出。次年解散。单曲“Norwegian Wood”(挪威的森林)发表于1965年。
村上在散文集《无比芜杂的心绪》中写道,“关于Norwegian Wood这个歌名,还有个趣味盎然的说法。是在纽约一个派对上,一位在乔治·哈里森的经纪事务所供职的美国女子告诉我的,而她声称“是听他本人亲口说的”。“Norwegian Wood其实不是真正的歌名。一开始的歌名叫‘Knowing She Would’。想想歌词的前后内容,你明白它的意思吧?(即是说,‘Isn’t it good, knowing she would?’这样岂不好,知道她想要?)但是唱片公司提出异议,宣称不能灌录这种是非不分的词句。你看,当时这样的限制还很严格嘛。于是约翰·列侬当场玩了个谐音游戏,把knowing she would改成了Norwegian Wood。这么一来,不就真相难辨了么?这个歌名其实是一种玩笑哦。”
书中有几处十分吸引人,让我印象深刻的段落。
开头这样写道:
“僕は三十七歳で、そのときボーチング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着港しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨会羽を着た整備たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れ始めた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルヴェイの森」だった。そして、そのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもと比べものにならない激しく僕を混乱させ揺り動かした。“ --《ノルヴェイの森》(上)講談社文庫版、第一章、第7页。
巨大的波音客机,大雨中的汉堡机场,孤立的旗帜和广告牌,都构成了歌曲“挪威的森林“的完美背景。
我特别喜欢下面这段,画面感很强。仿佛一种无用的,转而即逝,却能永恒铭记的美。但美得不够强壮,没有足够力量拯救虚弱的精神世界。
“僕は緑の小さなベッドの端っこで何度も下に転げ落ちそうになりながら、ずっと彼女の体を抱いていた。緑は僕の胸に鼻を押し付け、僕の腰に手を置いていた。僕は右手を彼女の背中にまわし、左手でベッドの枠をつかんで落っこちないように体を支えていた。性的に高揚する環境とはとてもいえない。僕の鼻先に緑の頭があって、その短くカットされた髪がときどき僕の鼻をムズムズさせた。
「ねえ、ねえ、ねえ、何か言ってよ」と緑が僕の胸に顔を埋めたまま言った。
「どんなこと?」
「なんだていいわよ。私が気持ちよくなるようなこと」
「すごく可愛いよ」
「ミドリ」と彼女は言った。「名前つけて言って」
「すごくってどれくらい?」
「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」
緑は顔を上げて僕を見た。「あなたって表現がユニークねえ」
「君にそう言われると心が和むね」と僕は笑って言った。
「もっと素敵なこと言って」
「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向うからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そう言うのって素敵だろ?」
「すごく素敵」
「それくらい君のことが好きだ」
緑は僕の胸にしっかりと抱きついた。「最高」と彼女は言った。「そんなに好きなら私の言う事なでも聞いてくれるわよね?怒らないわよね?」
「もちろん」と僕は言った。そして彼女の短くてやわらかい小さな男の子のような髪を撫でた。「大丈夫。心配ないよ。何もかもうまくいくさ」
「でも怖いのよ、私」と緑は言った。“
--《ノルヴェイの森》(下)講談社文庫版、第九章、第171-173页。
1968年,全球爆发了多起大规模的社会运动,日本也不例外。因为日本高度经济成长的后遗症明显化,1968年夏由东京大学学生发起学生运动,当时的东京大学半数以上学生参与了这次运动,并构成了日本全国学生运动的一个重要组成部分。学运以1968年6月15日 东大医学部学生占据安田讲堂为高潮,直至1969年1月18日-19日机动队强行解除学生的封锁,在东大内逮捕450人以上,此后学运进入低潮。对此村上春树在书中也提到机动队进入校园的背景描述。
村上春树是1968年,19岁时考入早稻田大学文学部。入校时,正值60年代末的日本学生运动狂潮期。大学长期遭封锁而停课,深受影响的村上几乎没有上课。面临如火如荼的学生运动,村上原本采取支撑的态度,虽未曾参加过任何团体,却也在个人所能做到的范围内尽量采取行动,但后来随着反体制的派系间对立加深,竟闹出人命,使他开始对运动的方式感到幻灭。这种感受和态度,通过书中主人公渡边(ワタナベ)进行了表述。
「夏休みのあいだに大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に篭っていた学生を全員逮捕した。その当時はどこの大学でも同じようなことをやっていたし、とくに珍しい出来事ではなかった。大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなもの学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリゲート封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。彼らは大学という機関のイニシアチブの変更を求めていただけだったし、僕にとってはイニシアチブがどうなるかなんてまったくどうでもいいことだった。だからストが叩きつぶされたところで、とくに何の感慨も持たなかった。
--《ノルヴェイの森》(下)講談社文庫版、第四章、第100页。
这种激情与幻灭复杂交错的情感,书中的绿子(ミドリ)用一首自己创作的歌曲表露无遗。
“あなたのためにシチューを作りたいのに
私には鍋がない。
あなたのためにマフラーを編みたいのに
私には毛糸がない。
あなたのために詩を書きたいのに
私にはペンがない。
——緑作詞·作曲「何もない」
最后再回过头来听披头士的“挪威的森林”
I once had a girl
Or should I say
She once had me.
She showed me her room,
Isn‘t it good?
Norwegian wood.
She asked me to stay and she told me to sit anywhere,
So I looked around and I noticed there wasn‘t a chair.
I sat on a rug
Biding my time,
Drinking her wine.
We talked until two,
And then she said,
is time for bed?
She told me she worked in the morning and started to laugh,
I told her I didn‘t,
and crawled off to sleep in the bath.
And when I awoke
I was alone,
This bird has flown,
So I lit a fire,
Isn‘t it good?
Norwegian wood.
歌词中充满的那种人生的幻灭与对与世界的迷惘感受,在书中贯穿了始终。
仿佛北宋诗人晏殊写的名句中“无可奈何花落去,似曾相识燕归来”中体现出的感慨,人生苦短,虚幻无常。面对这种无力感,主人公们看似消极的不迎合,不关心和自我放纵,其实又何尝不是一种摆脱命运的挣扎,和与之对抗的勇气呢?