2018年7月3日(火) 天声人语
2018年7月3日(火)付 歌丸師匠、逝く
「まだ生きてます」「死ぬ死ぬ詐欺なんて言われてます」。ここ数年、桂歌丸師匠はしばしば自分の病状を噺(はなし)のマクラに使った。車イスで会場に入り、酸素吸入器を鼻につけて演じる。「声が出なかったらただのミイラ」と自らを笑いにした▼横浜の遊郭に生まれ、中学3年の秋に入門した。「ハマっ子だから、何かの拍子に語尾が『じゃん』になる。江戸っ子職人のたんかが売り物の噺には近づきません」。若いころからやせぎすで、好んで鶴や幽霊を演じた▼落語界で広く知られた勉強家。とりわけ江戸・明治期の名人、三遊亭円朝の残した古典を現代によみがえらせた。当時の口演筆記を読み込む。先達のビデオテープをすり切れるまで見返す。自ら台本を書く。録音しては体にたたき込んだ▼寄席での姿を知らずとも、テレビを通じ、独特の話芸に声を上げて笑った人も多いだろう。半世紀以上続く長寿番組「笑点」の大喜利の看板であり続けた▼笑点の司会を降りたあとの昨年6月、東日本大震災の被害に遭った宮城県松島町の寺院で落語会を開いた。体力の衰えは隠しようがなかったものの、花魁(おいらん)を演じれば声に艶(つや)があり、しぐさに色香が漂った。芸のたしかさ、奥深さに魅せられた▼「拍手がほしいとか、拍手が少ないとか噺家は絶対に言ってはいけない。拍手は強要するもんじゃない」と語った。享年81。ともすれば笑いの欠乏しがちな現代に、品のよい笑いを届け続けてくれた。その生涯に惜しみなく拍手を送りたい。