平成29年1月18日
午前、母さんは荷物を片付けた。私は朝寝坊をした。出発しようとした時、父さんは実家からの電話を受けた。おじいさんの病状が悪くなったという情報を手に入れた。しかたがなくて、行く先を変えた。
午後4時ごろ、父さんの実家に着いた。黄色くて細長い紙が外の枝の上に繋いでいた。それをみて、何かあったということが分かった。おじいさんがなくなった。屋内に棺おけがあった。その前でひざまずいた。どうすればよいか、さっぱりわからなかった。親戚が悲しげに泣いていた。父さんと母さんは白い麻の布と麻の帯を身にまとった。私は黒い靴を着替えた。
この日が遅かれ早かれ来る。私は知っていた。この一か月ごろ、病気と戦ったのは辛かったでしょう。あの世に行ったら、辛さもなくなったでしょう。そう思えば、悲しみがすこし控えた。
おばあさんと話し合った。「以前、おまえのおじいさんと一緒にテレビの天気予報を見て、威海の番になった時、おじいさんはこれはおまえの居場所だなあと言った。」これを聞いて、涙が控えられなさそうになった。何も言えなかった。ただおばあさんの手をしっかりと握りしめた。