脱政治化の仕方
ここで、ランシエール(Jacques Rancière)にならって、〈政治的なもの〉を中和し、脱政治化する複数の言説戦略をみてみましょう。
アルシ・ポリティクス
共同体主義タイプの脱政治化。閉じられて有機的に組織された同質的な共同体に人は帰属するがゆえに、そこでは政治的な出来事は生じえない。
パラ・ポリティクス
リベラリズム・タイプの脱政治化。政治的抗争を受け入れはするが、それを認知された党派/代表間の競争へと再定式化する。ホッブズから、現代ではロールズ、ハーバーマスにいたる潮流。
メタ・ポリティクス
マルクス主義タイプの脱政治化。階級闘争のような政治的抗争は肯定されるものの、それは別の場面(つまり経済的過程)の影にすぎず、さらに究極の目標は、政治の消去にある。
そして、スラヴォイ・ジジェクはこのランシエールの区分にもう一つ、つけ加えています。それはカール・シュミットの友/敵理論です。シュミットは、政治的なものを友/敵を分割する振るまいである、という点で敵対性の次元に位置づけますが、しかしそれもやはり政治的なものを否認しているというのです。
ウルトラ・ポリティクス
政治の直接の軍事化を介して抗争を極端にまで押し上げることで、抗争を脱政治化させる。
ーー酒井隆史『暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)』p.103-4
つまるところ、「脱政治化」というアンチテーゼは、「政治化」=「生存戦略」がないと成り立たないもの。なぜ?デカルト的な主体(「戦略」)を批判するために、マキャベリズム的な主体(「戦術」)をーーつまり、「自分自身」を「政治的な正当性」から脱却して「自然的な正当性」に当てはまらないとはならない仕事ーー遂行せねばならん。しかしコレによって本当に「討論」即ち「公衆論議」即ち「政治(まつりごと)」を棄絶することが出来るのか?「脱政治化」自身でさえも、「口々」によって立ち上げたもの即ち「政治的なもの」に間違いはない。それでも「脱政治化」を口にする?無論今香港で行なっていることは、「あるイデオロギーへの拒絶」で断じて「脱政治化」ではないので討論に外しましょう。
極論だが、シュミットが「論議」即ち「まつりごと」する事を「敵味方識別メカニズム」による消去したように、ジジェクも同じく、「議論」を拒絶しているのだ。この二人は、手段でしか求めていない、究極なマキャベリストかも知れない。ただ、然様な行為は未だに多くいるーー無論この二人に遠く及ばない形而下的な「論議」ーー我々も、形而上にしか求めべからず。
アルシ・ポリティクス
共同体主義タイプの脱政治化。閉じられて有機的に組織された同質的な共同体に人は帰属するがゆえに、そこでは政治的な出来事は生じえない。
パラ・ポリティクス
リベラリズム・タイプの脱政治化。政治的抗争を受け入れはするが、それを認知された党派/代表間の競争へと再定式化する。ホッブズから、現代ではロールズ、ハーバーマスにいたる潮流。
メタ・ポリティクス
マルクス主義タイプの脱政治化。階級闘争のような政治的抗争は肯定されるものの、それは別の場面(つまり経済的過程)の影にすぎず、さらに究極の目標は、政治の消去にある。
そして、スラヴォイ・ジジェクはこのランシエールの区分にもう一つ、つけ加えています。それはカール・シュミットの友/敵理論です。シュミットは、政治的なものを友/敵を分割する振るまいである、という点で敵対性の次元に位置づけますが、しかしそれもやはり政治的なものを否認しているというのです。
ウルトラ・ポリティクス
政治の直接の軍事化を介して抗争を極端にまで押し上げることで、抗争を脱政治化させる。
ーー酒井隆史『暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)』p.103-4
つまるところ、「脱政治化」というアンチテーゼは、「政治化」=「生存戦略」がないと成り立たないもの。なぜ?デカルト的な主体(「戦略」)を批判するために、マキャベリズム的な主体(「戦術」)をーーつまり、「自分自身」を「政治的な正当性」から脱却して「自然的な正当性」に当てはまらないとはならない仕事ーー遂行せねばならん。しかしコレによって本当に「討論」即ち「公衆論議」即ち「政治(まつりごと)」を棄絶することが出来るのか?「脱政治化」自身でさえも、「口々」によって立ち上げたもの即ち「政治的なもの」に間違いはない。それでも「脱政治化」を口にする?無論今香港で行なっていることは、「あるイデオロギーへの拒絶」で断じて「脱政治化」ではないので討論に外しましょう。
極論だが、シュミットが「論議」即ち「まつりごと」する事を「敵味方識別メカニズム」による消去したように、ジジェクも同じく、「議論」を拒絶しているのだ。この二人は、手段でしか求めていない、究極なマキャベリストかも知れない。ただ、然様な行為は未だに多くいるーー無論この二人に遠く及ばない形而下的な「論議」ーー我々も、形而上にしか求めべからず。