绘梨香事件 脱輪証言之谜
● 日文原文援引自:
http://std2g.web.fc2.com/datsurin/datsurin.html
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
——————————————————————————————————————
●夜間の遭遇
このときの状況は 宮崎の供述と合致する。
这一情形,和宫崎的供述是一致的。
――遺体をどこかにすてようと場所を走っている時、車の車りんの一こが、みぞにはまってしまい、動けなくなってしまったのです。遺体をつんでいるし、だれかにみつかったらこまると思い、ここにすてるしかなかったのです。遺体を森の中にすててから、車の所にもどってみると、とうりがかりの2人位の男の人が来て、その内の一人の人が私の車を運転して助けてくれました。――
(8月13日の上申書より)
在我在尸体遗弃地点旁行车的时候,路面上的一个凹槽将我的车卡住了。尸体这样留在车上很麻烦,于是就带着尸体离开车子找地方丢弃。尸体遗留在森林中,车子就在不远处。来了两个男子帮忙把我的车开动起来。
(宫崎在8月13日所写的上申书)
(朝日新聞89年8月19日夕刊より)
目撃者のA氏、T氏らは、飯能市方面から走り来て、脱輪車の正面に車を停めた。図解をするとこんな状況である。
目击者A先生和T先生,从饭能市方向过来,在脱轮车的前方停车。图为模拟当时的情形。
宮崎も目撃者も「辺りは真っ暗だった」と供述している。街灯など一本も無い夜の山道、ヘッドライトは互いの車の前部を照らすのみ。
目撃者の言うカローラIIはハッチバック型、宮崎のラングレーN13はセダン型。その特徴が分かる車体後部は闇に溶け込んでいたはずである。
そんな真っ暗な中で、なぜ後部がハッチバック型と断言できたのかが、そもそも不思議な話だ。
宫崎的这两位目击者称那时“一片漆黑”,是连一盏路灯都没有的夜间的山路,只靠着两辆车的车灯照亮。目击者称看到的车是花冠II两厢,可是宫崎的车是兰利N13轿车,两种车比较显著的区别就在于车体后部的长度。不过,在当时黑暗的情况下,车体后部融入在黑暗中而难以辨识的可能性也是有的。
兰利・N13型
花冠II(88~90年モデル)
小池氏の文章では「一人は犯人といっしょに後ろから車を押した」と書いているが、創作である。脱輪車を引き上げるのに、後ろから押しても何にもならない。記事の通り一人が運転し、一人が車の前部を持ち上げた、が正解だ。二人は車の後部に回る必要がなかったのだ。
小池先生在文章中称是“犯人和一个人在车后面推”。可是,把车轮陷在凹槽里的车子拉上来,从车后面推根本没有用啊。报道里说的一个人开车,另一个人抬车头那样的情况,才是更加接近事实的形容吧。两个目击者是根本没必要走到车后部的。
●どこまで確かな記憶なのか?
记忆真的确切吗?
二人は親切で脱輪車を助けただけで、目の前の男を「もしや連続誘拐犯…?」と思って観察した訳ではない。しかも二人への事情聴取が行われるのは12月27日から。脱輪から18日後である。
仮にあなたが、何かの用で初対面の人と会い、数分ほど立ち話をして別れたとしよう。18日後にあなたはその人の髪型、服装、身長を正確に言えるだろうか?
两个目击者仅仅是帮助车主将脱轮车开出来,也不会去想什么眼前的男人“是那个连续诱拐犯”这种事情进而对其留心观察。况且从两人那里取证是12月27日的事情,而脱轮事件是9号那天(也就是绘梨香被害那天)发生的事,相隔18天了。假设初次与陌生人见面,简单说了几句话便分手,那么18天后,还能准确地回忆出那人的发型、服装和身高吗?
●めまぐるしく変わる証言
多变的证言
下右は遺体発見から約2ヶ月後、初めて脱輪の件が報じられた記事。目撃者は脱輪車の色を「白っぽい」と証言していた。宮崎のラングレーは紺色である。
しかも当初証言していた車種は「スターレット」であった。「カローラII」もしくは「コルサかターセル」と訂正し始めるのは5月~6月以降だ。
遗体发现的2个月后,第一次报道了汽车脱轮事件,公布了目击者称的脱轮车为“白色的”证言。不过,宫崎的车是深藏青色。从最开始的“丰田STARLET”,到后来的“花冠II”以及“科萨”,证言一直在变来变去。
(毎日新聞89年4月23日)
(朝日新聞89年2月20日)
色についても「白」から「青とシルバーのツートン」と、どんどん変遷していく。
下の記事の日付は何と7月28日。すでに宮崎が八王子署に強制わいせつ事件で逮捕、拘留中である。この時点でもまだ警察はカローラIIを追っていたのだ。
而车的颜色,从“白色”到“青色和银色双色”,也是一样地摇摆不定。下面报道的日期是7月28日,那时候宫崎已经因猥亵事件而被强制逮捕,正在拘留中,那时警方依旧认为那脱轮车是花冠II。
(読売新聞89年7月28日)
●溝に落ちたタイヤはどっちなのか?
是哪个轮胎落到沟里了?
「9日深夜から10日未明の時間帯~」も事実とは食い違う。二人は脱輪車を救助した後、秩父市内のガソリンスタンドで給油をしており、それは9日夜8時55分と記録されている。
何より困ってしまうのは、当初、脱輪したタイヤを「左後輪」と言っていたことである。89年6月以前はどの記事でも「左後輪」だ。
目击者所称的“9号深夜至10号凌晨”也与事实不符,两人帮助脱轮车复原后,去秩父市内的加油站加油了,加油站的记录显示为9号晚上8点55分。还有一点令人困惑的是,当时说卡到沟里的是车的左后轮,89年6月份以前,所有的报道都称脱轮车是左后轮卡在沟里。
(毎日新聞89年4月5日)
(朝日新聞89年3月9日)
(朝日新聞89年2月20日・拡大)
だがこの証言は6月頃の記事から突然、「右前輪」に変わる。右前輪と左後輪では180度逆である。
但是这个证言从6月份开始,突然变成“右前轮”了,从“左后轮”变成“右前轮”,整个是180度大转变。
(毎日新聞89年6月16日)
もし問題の車が左後輪を落としていたなら、車は秩父市方向に正面を向けていたことになる。だがそれは状況的に非常に不自然だ。
犯人は絵梨香ちゃんの衣類を駐車場で投げ捨てた後、自然の家直下のカーブまで進み、そこで脱輪しているからだ。車は飯能市向きだったはずである。一番上の図の通り、それでは左後輪を側溝に落としようがない。
问题是,如果是车的左后轮脱轮的话,那么车子应该是朝着秩父市方向开的,但那种情况就太不自然了。犯人将绘梨香的衣物扔到停车场以后,沿着下面的红色虚线行进时脱轮,按照这样的情形,左后轮根本不可能碰到水沟(要碰也顶多是右后轮,因为水沟在车子的右侧)。
絵梨香ちゃんの遺体遺棄と脱輪現場。
距离丢弃绘梨香遗体地点不远的脱轮现场。
(週刊文春89年8月31日号より)
下は朝日新聞9月20日の記事の抜粋。
下面是朝日新闻9月20日的报道摘录。
(朝日新聞89年9月20日)
さらに驚くのは、脱輪車が走り去った方角すら、日によって正反対の証言をしているのだ。
令人惊讶的是,就连脱轮车离开的方向也出现问题,有着截然相反的证言。
(朝日新聞89年3月9日)
(毎日新聞89年6月16日)
● 変わる身長
身高的变化
人着についても、冤罪派は鬼の首でも取ったように「身長170だった」「眼鏡をかけていなかった」を上げるが、実は身長の話もどんどん変わっているのだ。
关于外形,冤罪派抓住“身高一米七”“没有戴眼镜”这样的证言来声明观点,可是关于外形的证言也在不断变化。
(読売新聞89年7月28日)
(毎日新聞89年4月5日)
引用しだしたらキリがないが、以上のような有様では、眼鏡云々等の話もどこまで信用できるのか、全く怪しいものである。
ちなみに「ギアはマニュアルだった」「八王子ナンバーだった」の証言は事実であった(宮崎のラングレーはマニュアル車、ナンバーは『八王子55・な・293』)。
以上完全没有提到眼镜的事情,眼镜这一点非常可疑。此外,“手动档”“八王子车牌”这样的证言倒是属实。(宫崎的兰利是手动车,车牌号是“八王子55・な・293”)
●目撃証言の危うさ
目击证言的危险
警察もしかり、宮崎逮捕前までは各種目撃証言から〈サングラスにマスクの中年男〉を犯人と断定し、似顔絵まで公開していた。 目撃証言は振り回される危険が伴うのだ。
警方也是这样,在宫崎被捕之前,从各种证言中断定犯人是“戴着墨镜和口罩的中年男人”,还公开了犯人模拟肖像。这就是滥用目击证言所带来的危险。
大和田徹著「今田勇子VS.警察」(1991/三一書房)より
元中古車業者の証言だから確かだろうという捜査側の先入観と、本人もカローラIIと言ってるうちにそう信じ込んでしまったのであろう。
後に二人は公判で証言するよう要請されたが、出廷を拒否した。
因为是前二手车从业者的证言,所以关于车子的证言是可信的吧。调查中抱着这样的成见,使得警方直到抓到犯人之后依旧认为那车型是花冠II。这两名目击者在后面的公审时被请求出庭,却拒绝了。
因みにあちこちで「二人は元中古車販売業」と誤記されてるが、元中古車販売業だったのはA氏一人だけである。
顺便说一下,“两人原是二手车销售业从业人员”这个普遍的说法是错误的,原先从事二手车销售业的只有其中的A先生一人。
●トヨタのマーク?
“~ハンドルやら何やらに、トヨタのマークが付いているからだ。間違えようがないではないか。彼らプロが、当該の車を”トヨタ系の2ボックスカー”と表現したのは、運転席でトヨタのマークを確認しているからであり(略)”。
もし本当にトヨタのマークを確認しているのなら、確かに間違えようがないだろう。
だが筆者は当時の報道記事をはじめ、見つけ得る可能な限りの、この〈脱輪車の証言〉に目を通したが「トヨタのマークを見た」という証言は一行も見つからなかった。
それと“間違えようがないトヨタのマーク”が、これ↓のことを言ってるのなら大間違いである。
“方向盘上,不是有丰田的标志么,这不会弄错的。他们的专业是这个,那车是‘丰田2系厢车’,当时坐在驾驶席上的人能确认的(略)”。
以上是冤罪派的一番言论。可是,如果说是丰田的记号,那确实是弄错了吧。笔者(日文原作者)尽可能找来当初的报纸报道,从“脱轮车的证言”相关的信息里搜寻“看见了丰田车的标志”这样的话,可是却一行也找不到。
上文还说“不是有丰田的标志么,这不会弄错的”,可是,没准是错的,因为:
このエンブレムがトヨタ社で制定されたのは89年10月。それ以前は基本的にローマ字のロゴである。脱輪のあった88年12月にこのマークが付いたトヨタ車は存在しない。
这个标志是丰田公司在89年10月制定的,在那以前,丰田车上的标志基本都是罗马字(TOYOTA)。所以,头一年的88年12月时,有这种标志的丰田车是不存在的。
●二件の脱輪?
两辆脱轮车吗?
もし宮崎と目撃者のどちらも正しいことを言ってるのなら、同じ時間帯の同じ場所で二件の脱輪があったことになる。そして二件とも〈杉林から車の持ち主が現れ〉〈通りがかりの二人の男〉が助けたことになる。
ほとんど通行量のない冬の夜の山道で、考えられないことだ。同地区でこの夜にレッカー車の出動は記録されていない。遺棄現場付近の脱輪痕は一箇所のみである。
如果这两位目击者所说的是正确的事情的话,那么只能是同样的时间段中,有两辆车脱轮了,然后两次“从树林中走出来的车主”被路过的两个男子帮助了……
在几乎没有人通过的冬季夜晚的山路,这种情形几乎无法想象,也没有那天在那个地方出动清障车的记录,况且,尸体遗弃现场附近只有一处脱轮的痕迹。
●カローラIIはどこへ?
花冠II在哪了?
百歩譲って犯人の車はカローラIIだったとしよう。
脱輪の目撃証言を得てから、宮崎の逮捕までは半年間あったのである。八王子ナンバーで、色は青とシルバーのツートンなら、相当台数は絞り込めたはずだ。しかも車体下部には脱輪痕があるのだ。修理に出したところで必ず記録は残る。側溝からは紺色の塗膜片も採取されている。
埼玉県警は警視庁と連絡を取り合い、「ホシの車に間違いない」と自信を持って、極秘に30人の特別専従捜査班を投入した。そして埼玉県内約1000台、東京都内約2000台のカローラIIを調べたが、該当する車両は見つからず、5月頃には捜査をほぼ終了していた。
問題のカローラIIが見つからなかったのはなぜなのか。そんな車は存在しなかったからである。
退一步说,如果真正的犯人的车是花冠II。从目击者提供证言,到宫崎被捕,中间有半年多的时间。这段时间警方所掌握的,是八王子车牌,车体是青色和银色的双色这样的信息,车身卡进道路的侧沟,那么应该会去汽车店修理,就会有相关的记录。从侧沟中取出了藏青色的汽车涂膜残片。
崎玉县警方非常自信自己的看法,秘密地组织30人成立专门搜查班调查此事。对崎玉县约1000台、东京都约2000台的花冠II进行调查,可是找不到符合要求的车辆,到了5月份左右,搜查便中止了。
那样的花冠II没有找到,为什么呢?也许只是因为那根本不是花冠。
●証言を修正?
~そして宮崎が絵梨香ちゃん殺害を自供した後になると、会社員の証言も「脱輪車の男は宮崎と同一人物だった」という具合に修正されてくる。
当宫崎供认杀害绘梨香后,目击者的证言也变成了“脱轮车车主和宫崎非常相近”了。
(毎日新聞89年8月11日)
上は8月11日付けの記事。「身長170だった」の話はどこへいってしまったのか?
上面是8月11日的一则报道,原先的“身高170”的话不知所踪了。
8月10日は、まだ宮崎は絵梨香ちゃん殺害を自供していない。だがこの時点ですでに目撃者は「宮崎にそっくり」と言い出してるのだ。
絵梨香ちゃん殺害の上申書の日付は8月13日で、マスコミ発表は14日である。「自供後に証言が修正された」という事実はない。
8月10日时,宫崎还未供述杀害绘梨香,但这个时候目击者已经称“和宫崎一模一样”了。杀害绘梨香的上申书于8月13日完成,媒体于14日发表,报道公布了“招供后,证言更正了”这样的信息。
(朝日新聞89年9月20日)
●決定的証拠
宮崎宅の物置からは、背景にラングレーのシートが写り込んだ絵梨香ちゃんの裸写真が発見されている。絵梨香ちゃんは遺族が本人と確認、シートは日産の技師が同車のものと確認した。
また、ラングレーのトランクからは、絵梨香ちゃんの遺体の手足を縛ったビニール紐と同じ物が見つかっている。
在宫崎家的仓库,背景为兰利车内的略显拥挤的绘梨香裸体照片被发现。照片经过绘梨香家属的确认,照片背景通过日产汽车的技师确认了。
另外,从兰利的后背箱中,发现了和捆绑绘梨香遗体手脚相同的塑料绳子。
(毎日新聞89年9月22日)
(朝日新聞89年8月29日)
遺体遺棄現場でのタイヤ痕と、ラングレーの交換前のタイヤパターンが一致。そしてラングレーの右前輪と車軸をつなぐロアアームに、地面と激しく接触しなければつくはずのない傷がついていたのだ。
遗体遗弃现场的轮胎痕迹,和宫崎的兰利车轮胎更换前的类型一致。兰利右前轮和车轴连接的地方,也有曾和地面猛烈摩擦所留下的痕迹。
(朝日新聞89年8月19日夕刊)
●木下教授の“断言”
木下教授的断言
「M君裁判を考える会」代表、故・木下信男教授は、明治大学の論文集に宮崎冤罪説を書いた。
“M君审判会”代表,已故的木下信男教授,在明治大学的论文集中写下了宫崎冤罪说的观点。
と、した後、この脱輪車の件については、
之后,是脱轮车的事。
明治大学教養論集「裁判と倫理学」(1994)より
と、キッパリ断言している。ならばお尋ねしたい。脱輪車がカローラIIだったという動かない、物的証拠はあるのですか、と。
カローラIIという車種は目撃者が証言で語ったのみである。脱輪現場にカローラIIが実在した痕跡は何一つなかった。もっとも、お尋ねしようにも木下教授はすでに故人であるが。
那么干脆的断定,可是,关于花冠II的证言,有物证吗?所谓花冠II的车型,至今为止只是在目击者的证言中出现罢了,可是在现实情景中,什么痕迹都没有。这一点,也要好好问问已故的木下教授了。
●12月15日前後
余談だが、この絵梨香ちゃんの遺体が発見された12月15日前後は、宮崎の中の凶獣的なパワーが、出口を求めてうずいていたかのような時期である。
自分の車も姿も見られてしまった。捜査の手が及ぶかもしれない…脱輪から数日間、宮崎は気が気でなく、ピリピリしていたに違いない。
ところが遺体発見のニュースでは、脱輪車の件は全く報道されなかった。宮崎は心から安堵したであろう。
そこで舞い上がった?のか、数日後、難波さん宅に〈絵梨香〉→〈かぜ〉→〈せき〉→〈のど〉→〈楽〉→〈死〉のハガキを、今野さん宅には〈魔が居るわ 香樓塘安觀〉(入間川のアナグラム?)のハガキを送っている。
同じ頃、父親から集金した金の行方を問われて激昂、父親を病院送りにするほどの怪我を負わせている。
说些题外话,绘梨香的遗体被发现的12月15日前后,宫崎也是内心猛烈地活动而寻找出口发泄的时候吧。自己本人和车子都被人看见了,想到即将会被搜查的可能……这几天来,宫崎应该是相当紧张地度过了吧。然而,在发现遗体的新闻中没有提到脱轮的事情后,宫崎还是松了一口气吧。然后就兴奋起来了吗?几天后,难波绘梨香家收到印着“絵梨香 かぜ せき のど 楽 死”的明信片,今野真理家收到印着“魔が居るわ 香樓塘安觀”的明信片。
与此同时,因为父亲质询金钱的去向而被激怒,其攻击造成的伤害足以使父亲进医院。
“无限回廊”关于这件事情的说法:
12月18日、宮﨑は父親に「集金した金が見当たらないが?」と問われ、激高して「バカ野郎!」と叫んで暴れ出し、父親の毛髪をつかんで激しく車のドアに頭部を叩きつけた。のちにこのことが原因で父親は入院し、頭部切開の手術を受けている。その見舞いの途中で、母親にも注意されたことに怒った宮﨑が「何だと!」とわめいてラングレーの車の中で母親に暴力をふるった。
12月18日,宫崎的父亲询问“收来的钱去哪了”,结果宫崎激动地喊“笨蛋!”,抓住父亲的头发猛烈地撞击车门,之后父亲因此而住院,头部被动刀手术。在那个过程中,也和母亲发生冲突大喊“什么!”,在车中对母亲大喊大叫,激烈地冲突。
——————————————————————————————————————
● 日文原文版权归原作者所有:
http://std2g.web.fc2.com/datsurin/datsurin.html
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
● 中文部分则是与谷歌翻译器、百度翻译器合作翻译。
http://std2g.web.fc2.com/datsurin/datsurin.html
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
——————————————————————————————————————
●夜間の遭遇
![]() |
このときの状況は 宮崎の供述と合致する。
这一情形,和宫崎的供述是一致的。
――遺体をどこかにすてようと場所を走っている時、車の車りんの一こが、みぞにはまってしまい、動けなくなってしまったのです。遺体をつんでいるし、だれかにみつかったらこまると思い、ここにすてるしかなかったのです。遺体を森の中にすててから、車の所にもどってみると、とうりがかりの2人位の男の人が来て、その内の一人の人が私の車を運転して助けてくれました。――
(8月13日の上申書より)
在我在尸体遗弃地点旁行车的时候,路面上的一个凹槽将我的车卡住了。尸体这样留在车上很麻烦,于是就带着尸体离开车子找地方丢弃。尸体遗留在森林中,车子就在不远处。来了两个男子帮忙把我的车开动起来。
(宫崎在8月13日所写的上申书)
![]() |
(朝日新聞89年8月19日夕刊より)
目撃者のA氏、T氏らは、飯能市方面から走り来て、脱輪車の正面に車を停めた。図解をするとこんな状況である。
目击者A先生和T先生,从饭能市方向过来,在脱轮车的前方停车。图为模拟当时的情形。
![]() |
宮崎も目撃者も「辺りは真っ暗だった」と供述している。街灯など一本も無い夜の山道、ヘッドライトは互いの車の前部を照らすのみ。
目撃者の言うカローラIIはハッチバック型、宮崎のラングレーN13はセダン型。その特徴が分かる車体後部は闇に溶け込んでいたはずである。
そんな真っ暗な中で、なぜ後部がハッチバック型と断言できたのかが、そもそも不思議な話だ。
宫崎的这两位目击者称那时“一片漆黑”,是连一盏路灯都没有的夜间的山路,只靠着两辆车的车灯照亮。目击者称看到的车是花冠II两厢,可是宫崎的车是兰利N13轿车,两种车比较显著的区别就在于车体后部的长度。不过,在当时黑暗的情况下,车体后部融入在黑暗中而难以辨识的可能性也是有的。
![]() |
兰利・N13型
![]() |
花冠II(88~90年モデル)
小池氏の文章では「一人は犯人といっしょに後ろから車を押した」と書いているが、創作である。脱輪車を引き上げるのに、後ろから押しても何にもならない。記事の通り一人が運転し、一人が車の前部を持ち上げた、が正解だ。二人は車の後部に回る必要がなかったのだ。
小池先生在文章中称是“犯人和一个人在车后面推”。可是,把车轮陷在凹槽里的车子拉上来,从车后面推根本没有用啊。报道里说的一个人开车,另一个人抬车头那样的情况,才是更加接近事实的形容吧。两个目击者是根本没必要走到车后部的。
●どこまで確かな記憶なのか?
记忆真的确切吗?
二人は親切で脱輪車を助けただけで、目の前の男を「もしや連続誘拐犯…?」と思って観察した訳ではない。しかも二人への事情聴取が行われるのは12月27日から。脱輪から18日後である。
仮にあなたが、何かの用で初対面の人と会い、数分ほど立ち話をして別れたとしよう。18日後にあなたはその人の髪型、服装、身長を正確に言えるだろうか?
两个目击者仅仅是帮助车主将脱轮车开出来,也不会去想什么眼前的男人“是那个连续诱拐犯”这种事情进而对其留心观察。况且从两人那里取证是12月27日的事情,而脱轮事件是9号那天(也就是绘梨香被害那天)发生的事,相隔18天了。假设初次与陌生人见面,简单说了几句话便分手,那么18天后,还能准确地回忆出那人的发型、服装和身高吗?
●めまぐるしく変わる証言
多变的证言
下右は遺体発見から約2ヶ月後、初めて脱輪の件が報じられた記事。目撃者は脱輪車の色を「白っぽい」と証言していた。宮崎のラングレーは紺色である。
しかも当初証言していた車種は「スターレット」であった。「カローラII」もしくは「コルサかターセル」と訂正し始めるのは5月~6月以降だ。
遗体发现的2个月后,第一次报道了汽车脱轮事件,公布了目击者称的脱轮车为“白色的”证言。不过,宫崎的车是深藏青色。从最开始的“丰田STARLET”,到后来的“花冠II”以及“科萨”,证言一直在变来变去。
![]() |
(毎日新聞89年4月23日)
![]() |
(朝日新聞89年2月20日)
色についても「白」から「青とシルバーのツートン」と、どんどん変遷していく。
下の記事の日付は何と7月28日。すでに宮崎が八王子署に強制わいせつ事件で逮捕、拘留中である。この時点でもまだ警察はカローラIIを追っていたのだ。
而车的颜色,从“白色”到“青色和银色双色”,也是一样地摇摆不定。下面报道的日期是7月28日,那时候宫崎已经因猥亵事件而被强制逮捕,正在拘留中,那时警方依旧认为那脱轮车是花冠II。
![]() |
(読売新聞89年7月28日)
●溝に落ちたタイヤはどっちなのか?
是哪个轮胎落到沟里了?
「9日深夜から10日未明の時間帯~」も事実とは食い違う。二人は脱輪車を救助した後、秩父市内のガソリンスタンドで給油をしており、それは9日夜8時55分と記録されている。
何より困ってしまうのは、当初、脱輪したタイヤを「左後輪」と言っていたことである。89年6月以前はどの記事でも「左後輪」だ。
目击者所称的“9号深夜至10号凌晨”也与事实不符,两人帮助脱轮车复原后,去秩父市内的加油站加油了,加油站的记录显示为9号晚上8点55分。还有一点令人困惑的是,当时说卡到沟里的是车的左后轮,89年6月份以前,所有的报道都称脱轮车是左后轮卡在沟里。
![]() |
(毎日新聞89年4月5日)
![]() |
(朝日新聞89年3月9日)
![]() |
(朝日新聞89年2月20日・拡大)
だがこの証言は6月頃の記事から突然、「右前輪」に変わる。右前輪と左後輪では180度逆である。
但是这个证言从6月份开始,突然变成“右前轮”了,从“左后轮”变成“右前轮”,整个是180度大转变。
![]() |
(毎日新聞89年6月16日)
もし問題の車が左後輪を落としていたなら、車は秩父市方向に正面を向けていたことになる。だがそれは状況的に非常に不自然だ。
犯人は絵梨香ちゃんの衣類を駐車場で投げ捨てた後、自然の家直下のカーブまで進み、そこで脱輪しているからだ。車は飯能市向きだったはずである。一番上の図の通り、それでは左後輪を側溝に落としようがない。
问题是,如果是车的左后轮脱轮的话,那么车子应该是朝着秩父市方向开的,但那种情况就太不自然了。犯人将绘梨香的衣物扔到停车场以后,沿着下面的红色虚线行进时脱轮,按照这样的情形,左后轮根本不可能碰到水沟(要碰也顶多是右后轮,因为水沟在车子的右侧)。
![]() |
絵梨香ちゃんの遺体遺棄と脱輪現場。
距离丢弃绘梨香遗体地点不远的脱轮现场。
![]() |
(週刊文春89年8月31日号より)
下は朝日新聞9月20日の記事の抜粋。
下面是朝日新闻9月20日的报道摘录。
![]() |
(朝日新聞89年9月20日)
さらに驚くのは、脱輪車が走り去った方角すら、日によって正反対の証言をしているのだ。
令人惊讶的是,就连脱轮车离开的方向也出现问题,有着截然相反的证言。
![]() |
(朝日新聞89年3月9日)
![]() |
(毎日新聞89年6月16日)
● 変わる身長
身高的变化
人着についても、冤罪派は鬼の首でも取ったように「身長170だった」「眼鏡をかけていなかった」を上げるが、実は身長の話もどんどん変わっているのだ。
关于外形,冤罪派抓住“身高一米七”“没有戴眼镜”这样的证言来声明观点,可是关于外形的证言也在不断变化。
![]() |
(読売新聞89年7月28日)
![]() |
(毎日新聞89年4月5日)
引用しだしたらキリがないが、以上のような有様では、眼鏡云々等の話もどこまで信用できるのか、全く怪しいものである。
ちなみに「ギアはマニュアルだった」「八王子ナンバーだった」の証言は事実であった(宮崎のラングレーはマニュアル車、ナンバーは『八王子55・な・293』)。
以上完全没有提到眼镜的事情,眼镜这一点非常可疑。此外,“手动档”“八王子车牌”这样的证言倒是属实。(宫崎的兰利是手动车,车牌号是“八王子55・な・293”)
●目撃証言の危うさ
目击证言的危险
警察もしかり、宮崎逮捕前までは各種目撃証言から〈サングラスにマスクの中年男〉を犯人と断定し、似顔絵まで公開していた。 目撃証言は振り回される危険が伴うのだ。
警方也是这样,在宫崎被捕之前,从各种证言中断定犯人是“戴着墨镜和口罩的中年男人”,还公开了犯人模拟肖像。这就是滥用目击证言所带来的危险。
![]() |
大和田徹著「今田勇子VS.警察」(1991/三一書房)より
元中古車業者の証言だから確かだろうという捜査側の先入観と、本人もカローラIIと言ってるうちにそう信じ込んでしまったのであろう。
後に二人は公判で証言するよう要請されたが、出廷を拒否した。
因为是前二手车从业者的证言,所以关于车子的证言是可信的吧。调查中抱着这样的成见,使得警方直到抓到犯人之后依旧认为那车型是花冠II。这两名目击者在后面的公审时被请求出庭,却拒绝了。
因みにあちこちで「二人は元中古車販売業」と誤記されてるが、元中古車販売業だったのはA氏一人だけである。
顺便说一下,“两人原是二手车销售业从业人员”这个普遍的说法是错误的,原先从事二手车销售业的只有其中的A先生一人。
●トヨタのマーク?
“~ハンドルやら何やらに、トヨタのマークが付いているからだ。間違えようがないではないか。彼らプロが、当該の車を”トヨタ系の2ボックスカー”と表現したのは、運転席でトヨタのマークを確認しているからであり(略)”。
もし本当にトヨタのマークを確認しているのなら、確かに間違えようがないだろう。
だが筆者は当時の報道記事をはじめ、見つけ得る可能な限りの、この〈脱輪車の証言〉に目を通したが「トヨタのマークを見た」という証言は一行も見つからなかった。
それと“間違えようがないトヨタのマーク”が、これ↓のことを言ってるのなら大間違いである。
“方向盘上,不是有丰田的标志么,这不会弄错的。他们的专业是这个,那车是‘丰田2系厢车’,当时坐在驾驶席上的人能确认的(略)”。
以上是冤罪派的一番言论。可是,如果说是丰田的记号,那确实是弄错了吧。笔者(日文原作者)尽可能找来当初的报纸报道,从“脱轮车的证言”相关的信息里搜寻“看见了丰田车的标志”这样的话,可是却一行也找不到。
上文还说“不是有丰田的标志么,这不会弄错的”,可是,没准是错的,因为:
![]() |
このエンブレムがトヨタ社で制定されたのは89年10月。それ以前は基本的にローマ字のロゴである。脱輪のあった88年12月にこのマークが付いたトヨタ車は存在しない。
这个标志是丰田公司在89年10月制定的,在那以前,丰田车上的标志基本都是罗马字(TOYOTA)。所以,头一年的88年12月时,有这种标志的丰田车是不存在的。
●二件の脱輪?
两辆脱轮车吗?
もし宮崎と目撃者のどちらも正しいことを言ってるのなら、同じ時間帯の同じ場所で二件の脱輪があったことになる。そして二件とも〈杉林から車の持ち主が現れ〉〈通りがかりの二人の男〉が助けたことになる。
ほとんど通行量のない冬の夜の山道で、考えられないことだ。同地区でこの夜にレッカー車の出動は記録されていない。遺棄現場付近の脱輪痕は一箇所のみである。
如果这两位目击者所说的是正确的事情的话,那么只能是同样的时间段中,有两辆车脱轮了,然后两次“从树林中走出来的车主”被路过的两个男子帮助了……
在几乎没有人通过的冬季夜晚的山路,这种情形几乎无法想象,也没有那天在那个地方出动清障车的记录,况且,尸体遗弃现场附近只有一处脱轮的痕迹。
●カローラIIはどこへ?
花冠II在哪了?
百歩譲って犯人の車はカローラIIだったとしよう。
脱輪の目撃証言を得てから、宮崎の逮捕までは半年間あったのである。八王子ナンバーで、色は青とシルバーのツートンなら、相当台数は絞り込めたはずだ。しかも車体下部には脱輪痕があるのだ。修理に出したところで必ず記録は残る。側溝からは紺色の塗膜片も採取されている。
埼玉県警は警視庁と連絡を取り合い、「ホシの車に間違いない」と自信を持って、極秘に30人の特別専従捜査班を投入した。そして埼玉県内約1000台、東京都内約2000台のカローラIIを調べたが、該当する車両は見つからず、5月頃には捜査をほぼ終了していた。
問題のカローラIIが見つからなかったのはなぜなのか。そんな車は存在しなかったからである。
退一步说,如果真正的犯人的车是花冠II。从目击者提供证言,到宫崎被捕,中间有半年多的时间。这段时间警方所掌握的,是八王子车牌,车体是青色和银色的双色这样的信息,车身卡进道路的侧沟,那么应该会去汽车店修理,就会有相关的记录。从侧沟中取出了藏青色的汽车涂膜残片。
崎玉县警方非常自信自己的看法,秘密地组织30人成立专门搜查班调查此事。对崎玉县约1000台、东京都约2000台的花冠II进行调查,可是找不到符合要求的车辆,到了5月份左右,搜查便中止了。
那样的花冠II没有找到,为什么呢?也许只是因为那根本不是花冠。
●証言を修正?
~そして宮崎が絵梨香ちゃん殺害を自供した後になると、会社員の証言も「脱輪車の男は宮崎と同一人物だった」という具合に修正されてくる。
当宫崎供认杀害绘梨香后,目击者的证言也变成了“脱轮车车主和宫崎非常相近”了。
![]() |
(毎日新聞89年8月11日)
上は8月11日付けの記事。「身長170だった」の話はどこへいってしまったのか?
上面是8月11日的一则报道,原先的“身高170”的话不知所踪了。
8月10日は、まだ宮崎は絵梨香ちゃん殺害を自供していない。だがこの時点ですでに目撃者は「宮崎にそっくり」と言い出してるのだ。
絵梨香ちゃん殺害の上申書の日付は8月13日で、マスコミ発表は14日である。「自供後に証言が修正された」という事実はない。
8月10日时,宫崎还未供述杀害绘梨香,但这个时候目击者已经称“和宫崎一模一样”了。杀害绘梨香的上申书于8月13日完成,媒体于14日发表,报道公布了“招供后,证言更正了”这样的信息。
![]() |
(朝日新聞89年9月20日)
●決定的証拠
宮崎宅の物置からは、背景にラングレーのシートが写り込んだ絵梨香ちゃんの裸写真が発見されている。絵梨香ちゃんは遺族が本人と確認、シートは日産の技師が同車のものと確認した。
また、ラングレーのトランクからは、絵梨香ちゃんの遺体の手足を縛ったビニール紐と同じ物が見つかっている。
在宫崎家的仓库,背景为兰利车内的略显拥挤的绘梨香裸体照片被发现。照片经过绘梨香家属的确认,照片背景通过日产汽车的技师确认了。
另外,从兰利的后背箱中,发现了和捆绑绘梨香遗体手脚相同的塑料绳子。
![]() |
(毎日新聞89年9月22日)
![]() |
(朝日新聞89年8月29日)
遺体遺棄現場でのタイヤ痕と、ラングレーの交換前のタイヤパターンが一致。そしてラングレーの右前輪と車軸をつなぐロアアームに、地面と激しく接触しなければつくはずのない傷がついていたのだ。
遗体遗弃现场的轮胎痕迹,和宫崎的兰利车轮胎更换前的类型一致。兰利右前轮和车轴连接的地方,也有曾和地面猛烈摩擦所留下的痕迹。
![]() |
(朝日新聞89年8月19日夕刊)
●木下教授の“断言”
木下教授的断言
「M君裁判を考える会」代表、故・木下信男教授は、明治大学の論文集に宮崎冤罪説を書いた。
“M君审判会”代表,已故的木下信男教授,在明治大学的论文集中写下了宫崎冤罪说的观点。
![]() |
と、した後、この脱輪車の件については、
之后,是脱轮车的事。
![]() |
明治大学教養論集「裁判と倫理学」(1994)より
と、キッパリ断言している。ならばお尋ねしたい。脱輪車がカローラIIだったという動かない、物的証拠はあるのですか、と。
カローラIIという車種は目撃者が証言で語ったのみである。脱輪現場にカローラIIが実在した痕跡は何一つなかった。もっとも、お尋ねしようにも木下教授はすでに故人であるが。
那么干脆的断定,可是,关于花冠II的证言,有物证吗?所谓花冠II的车型,至今为止只是在目击者的证言中出现罢了,可是在现实情景中,什么痕迹都没有。这一点,也要好好问问已故的木下教授了。
●12月15日前後
余談だが、この絵梨香ちゃんの遺体が発見された12月15日前後は、宮崎の中の凶獣的なパワーが、出口を求めてうずいていたかのような時期である。
自分の車も姿も見られてしまった。捜査の手が及ぶかもしれない…脱輪から数日間、宮崎は気が気でなく、ピリピリしていたに違いない。
ところが遺体発見のニュースでは、脱輪車の件は全く報道されなかった。宮崎は心から安堵したであろう。
そこで舞い上がった?のか、数日後、難波さん宅に〈絵梨香〉→〈かぜ〉→〈せき〉→〈のど〉→〈楽〉→〈死〉のハガキを、今野さん宅には〈魔が居るわ 香樓塘安觀〉(入間川のアナグラム?)のハガキを送っている。
同じ頃、父親から集金した金の行方を問われて激昂、父親を病院送りにするほどの怪我を負わせている。
说些题外话,绘梨香的遗体被发现的12月15日前后,宫崎也是内心猛烈地活动而寻找出口发泄的时候吧。自己本人和车子都被人看见了,想到即将会被搜查的可能……这几天来,宫崎应该是相当紧张地度过了吧。然而,在发现遗体的新闻中没有提到脱轮的事情后,宫崎还是松了一口气吧。然后就兴奋起来了吗?几天后,难波绘梨香家收到印着“絵梨香 かぜ せき のど 楽 死”的明信片,今野真理家收到印着“魔が居るわ 香樓塘安觀”的明信片。
与此同时,因为父亲质询金钱的去向而被激怒,其攻击造成的伤害足以使父亲进医院。
“无限回廊”关于这件事情的说法:
12月18日、宮﨑は父親に「集金した金が見当たらないが?」と問われ、激高して「バカ野郎!」と叫んで暴れ出し、父親の毛髪をつかんで激しく車のドアに頭部を叩きつけた。のちにこのことが原因で父親は入院し、頭部切開の手術を受けている。その見舞いの途中で、母親にも注意されたことに怒った宮﨑が「何だと!」とわめいてラングレーの車の中で母親に暴力をふるった。
12月18日,宫崎的父亲询问“收来的钱去哪了”,结果宫崎激动地喊“笨蛋!”,抓住父亲的头发猛烈地撞击车门,之后父亲因此而住院,头部被动刀手术。在那个过程中,也和母亲发生冲突大喊“什么!”,在车中对母亲大喊大叫,激烈地冲突。
——————————————————————————————————————
● 日文原文版权归原作者所有:
http://std2g.web.fc2.com/datsurin/datsurin.html
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
● 中文部分则是与谷歌翻译器、百度翻译器合作翻译。