天声人语原文 2019年7月
2019年7月1日(月)付 忌み言葉とG20
不吉だと言われ、使うのを避けられるのが「忌み言葉」である。例えばスルメは「お金をする」のを連想させるからと、アタリメに言い換えられる。梨は「無し」の語感があり、「有りの実」と言われることもあるらしい▼国際政治の場ではいま、「反保護主義」が忌み言葉になったようだ。下手に使うと保護主義的な姿勢のトランプ米大統領を怒らせるというから、たしかに不吉だ。G20大阪サミットの首脳宣言でも慎重に避けられた▼貿易の書きぶりは結局「自由、公平、無差別で透明性があり、予測可能な安定した貿易と投資環境の実現にむけて努力する」となった。要するに何?と言いたくなるが、忌み言葉に代わる表現を議長国として一生懸命集めたのだろう▼ホスト役の安倍首相の気遣いがにじんだ会議だった。保護主義のように対立する問題には切り込まず、波風を立てない。サウジアラビアに議長国を笑顔でバトンタッチしたが、記者殺害疑惑を蒸し返すことなどはしない▼リーマンショックに立ち向かうため発足して10年余。そもそも存在意義が薄れるG20である。「二国間会談などの機会を提供する意味はまだある」という元財務省高官の話が紙面にあった。地球規模の立食パーティーのようなものか▼「自由主義は時代遅れだ」。開催中、ロシアのプーチン大統領のそんな発言も話題を呼んだ。ロシアに限らず権威主義や個人崇拝が幅を利かせる国が増えている。自由や民主が忌み言葉になる日が来ないといいが。
2019年7月2日(火)付 軍事境界線のごあいさつ
谷川俊太郎さんに「ごあいさつ」という詩があり、フォーク歌手の高田渡さんが曲にして歌っていた。〈どうもどうも/やあどうも/いつぞや/いろいろ/このたびはまた……〉。中身のないあいさつの連続は、そらぞらしい人間関係への皮肉だろうか▼そんな古い詩を思い出しながら、トランプ米大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が会うのをテレビで見ていた。「歴史的だ」「ものすごい前進だ」「並々ならぬ勇断だ」。大げさな形容詞が、2人の口から出てくる▼厳密に言えば朝鮮戦争はまだ終わっていない。戦いの当事者だった米国の大統領が、敵国の領土にひょいっと入ったのだから、歴史的であるのは間違いない。それでも素直に拍手できないのは、空疎さゆえだろう▼感動巨編と言われる映画に行ったら、物語をすべて端折ってクライマックスだけ見せられた。例えて言うなら、そんな感じである。核の実態についての検証がない。非核化に向かうための具体的な計画もない。あるのは大団円風の演出だけだ▼首脳間の話し合いは歓迎すべきことだ。核やミサイルの実験が大きく減った現状もありがたい。しかし「外交は内政の延長」ならぬ、「外交は選挙戦術の延長」のようなトランプ氏の振るまいを見ていると、不安になる▼谷川さんの詩は続く。〈そんなわけで/なにぶんよろしく/なにのほうは/いずれなにして/そのせつゆっくり/いやどうも〉。「いずれなにして」の中身を詰めていく。そんな作業を今度こそ。
2019年7月3日(水)付 あくび、伝染、輸出規制
一緒にいる人があくびをすると、つられて「ふわぁ」となってしまう。あくびは伝染するというこの現象、どうやら理由があるらしい。有力な説は、相手に共感するという心の働きゆえに起きるというものだ▼あくびをしている人を見ると、同じような気持ちになってしまうという。知らず知らずに働く伝染力があるのか。さて以下は、あくびというより、ため息の出る話である。トランプ米大統領の振るまいも、どうやら伝染するようなのだ▼米国が中国に仕掛けた貿易戦争さながら、日本政府が韓国への輸出規制に乗り出した。スマホやテレビの画面などに必要な材料を輸出しにくくする。元徴用工の裁判をめぐる韓国政府の対応が不満だとして、事実上の対抗措置を取るらしい▼韓国側にも問題があるにせよ、これでは江戸の仇(かたき)を長崎で討つような筋違いの話だ。国際ルールに反するとして世界貿易機関に訴える動きが韓国にはあるという。報復合戦となれば日本経済も返り血を浴びる。それでも威嚇してみせることが目先の選挙には得だと安倍政権は考えたか▼解せないのは、経団連など経済団体から強い抗議の声が上がらないことだ。自由貿易を求める立場からすれば、反対声明でも出して当然ではないか。などと考えるのは、我が国の経済人を買いかぶりすぎているか▼ちなみに人のあくびは犬にも伝染するらしい。忠誠を尽くす飼い主からとくに影響を受けやすいとの研究結果がある。日本政府の場合は、こちらに近いか。
2019年7月4日(木)付 ひいきのチームを持とう
どの球団でも応援には熱がこもるが、阪神ファンは特別だ。いや特別であると語ることに熱がこもるというべきか。経済評論家の国定浩一さんが『阪神ファンの底力』で述べるには、どんな試合展開でも、熱心なファンは途中で球場を後にすることはない▼例えば0対7で負けていてもあきらめない。満塁ホームラン2本で逆転できるのだから。そこで1点でも返せば「いよいよ6点差まで追い詰めました!」と応援リーダーの意気があがるのだという▼ひいきのチームを持とう――。スポーツと同じように選挙でも、それが大事なことだと文芸評論家の斎藤美奈子さんが書いていた。ひいきがなければ「政治など誰がやっても同じ」と思ってしまうのは、当然だと▼「選挙とは、端的にいえば『ひいきのチーム』や『ひいきの候補者』に一票を投じる行為です。『ひいきの候補者』とは、いま風にいえば『推しメン』かな」と、若者に向けて書いた『学校が教えないほんとうの政治の話』にある▼民主党が崩壊して、かつて想定されていた二大政党制は、幻のようになった。1強多弱ともいわれて久しい。しかし、ものは考えようだ。ひいきのチームをつくる選択肢がたくさんある、ということでもある▼参院選がきょう公示される。どの党が何をしてきて、何を訴えているか。候補者はどんな人か。ちらりと、あるいはじっくりと新聞やネットを見よう。「観戦ではなく、参戦」。国定さんの言う阪神ファンの心がまえを、選挙でも。
2019年7月5日(金)付 九州の大雨
26年前に鹿児島を襲った豪雨は、49人の死者・行方不明者を出し、「8・6水害」と呼ばれた。当時、鹿児島支局の記者として現場で見た光景は忘れられない。流され折り重なる車があり、ねじ曲がった列車があった。アパート1階だった自分の部屋も水につかった▼あの時を思い出した人が鹿児島には多かったろう。このところの大雨で、水かさの増えた川が決壊し、土砂崩れが相次いだ。数日にわたり断続的に降る「長雨型」だという点で、8・6水害に似ていると専門家は指摘する▼間もなく1年になる西日本豪雨も長雨型だった。多くの命が失われ、早めに避難することの大切さが突きつけられた。26年前の記憶と、1年前の教訓。それは人々を避難所に、あるいは建物の上階に向かわせたか▼鹿児島、宮崎、熊本の3県で、190万を超える人に避難指示・勧告が出された。「自宅裏の山が崩れるかもしれない。ずっと避難所にいるわけにはいかないが……」。心配そうな声が本紙夕刊にあった▼鹿児島県曽於(そお)市では崩れた家の中から高齢の女性が遺体で見つかった。一方で避難したが自宅は無事で、「無駄足だった」と感じた人もいたかもしれない。そうではなく「無駄足でよかった」と思いたい。避難に早すぎることも、慎重すぎることもない▼雲に覆われ昼なお暗いこの時期の空は「梅雨闇(つゆやみ)」と呼ばれる。この先1週間の予報を見ても、晴れマークに恵まれない地域が多い。闇から抜け出すまで、まだ辛抱と警戒がいる。
2019年7月6日(土)付 密談と茶室
京都のまちを歩くと、「遭難之地」と書かれた碑が多いことに気付く。ここで坂本龍馬が、ここでは佐久間象山が命を奪われたかと足が止まる。刃を交えることと、政治を語ることが背中合わせだった幕末の匂いがある▼時代の証人となる場所や建物に、小さな茶室が加わることになりそうだ。「有待庵(ゆうたいあん)」と呼ばれるその部屋は、大久保利通が西郷隆盛や岩倉具視らと密談を重ねたとされる場所だ。現存することが5月に確認され、保存が決まった▼かつて大久保邸のあった敷地の奥に茶室はひっそりと残り、物置に使われていたという。なぜか十分な調査がなされず、忘れられた存在になっていた。しかし地元のアマチュア歴史研究者、原田良子(りょうこ)さん(52)は「もしや」と考えていた▼家屋の解体工事が始まったのを見て、敷地に入れてもらい発見した。3方に大きな障子戸がある茶室らしからぬ構造は、危険を察知しやすく逃げやすいためと原田さんは見る。元々は京都の別の場所にあり、薩長同盟の密談に使われたとの資料もある▼歴史を見つめてきた建物だが、発見が何日か遅ければどうなっていたか。観光でにぎわう京都はいま再開発が進み、ホテルなどが増えている。由緒ある建物がこっそり姿を消していないか心配になる▼元小学校教員の原田さんは歴史好き、推理好きから研究者になった。大久保の家の周りは新選組がうろうろしていたかも、などと楽しそうに話してくれる。茶室は京都市が移築し、公開を予定している。
2019年7月7日(日)付 カルピス七転八起
ちょうど100年前のきょう七夕の日、乳酸菌飲料カルピスは世に出た。考案したのは事業家三島海雲(かいうん)(1974年没)。驚くほど波乱に満ちた経営者である▼大阪府内の寺に生まれ、日露戦争の直前、中国へ渡る。いまの内モンゴル自治区で軍用馬を買い、日本の銃を売る商いに成功。綿羊改良の難業も軌道に乗せるが、清朝から事業を没収され、無一文に▼帰国後は、大陸で親しんだ飲食品に想を得て開発に打ち込む。試行錯誤の末にたどりついたのがカルピスだ。脱脂乳を乳酸菌で発酵させた。成分の一つカルシウムの「カル」と、良い味を意味するサンスクリット語を組み合わせて「カルピス」と命名する▼「この一杯に初恋の味がある」という広告で大々的に宣伝した。大正当時としては刺激の強いコピーである。「色恋は公序良俗を乱す。ポスターや看板は自粛を」。当局からそんな指導も受けたようだが、譲らなかったという▼「とにかく新商品や新事業を編み出しては試みることに熱中する人でした」と懐かしむのは三島海雲記念財団の今関(いまぜき)博理事長(80)。創業者のすぐそばで若手社員として8年間働いた。「ライ麦で菓子を」「アユを養殖で」と盛んに指示を飛ばしたそうだ▼米寿の記念に刊行した自伝『初恋五十年』を読むと、まるで映画か小説のような浮沈が続く。空襲で工場を焼かれ、一時は経営が傾き、社長の座から追われる。それでも飽かず、90代まで新事業に情熱を注いだ。まさに天性の起業家であった。
2019年7月8日(月)付 連合チームで挑む夏
ユニホームも帽子もまちまちの選手たちが、息を合わせて行進する。おととい、夏の高校野球大阪大会の開会式を見た。茨田(まった)・淀川清流・東淀工・扇町総合・南の5校13人が「五連合」と書かれたプラカードに続いた▼部員不足に悩み、5月に結成。平日は各校で練習し、集まれるのは土日だけ。扇町総合のたった一人の部員、3年生の鶴田大陽(たいよう)君は「人見知りなので不安でした」。それでも他校生との関わりは刺激になった▼校名が扇町商だった終戦前後の2度、選抜大会で甲子園の土を踏んだ。野球部史は90年を超すが、3年後には学校そのものが統合される。鶴田君が伝統校最後の部員となるかもしれない▼連合チームの主将を務める東淀工3年生の山口陸(りく)君は、他の部活から「助っ人」を借りる案も監督に示された。不ぞろいのユニホームに抵抗感を覚え、単独で出る他校がうらやましくもあった。でも「夏の1勝にこだわりたい」と連合の道を選んだ▼101回目を迎えた球児の夏。スポーツと言えば野球だった昭和は過ぎ去り、少子化も進む。高校の硬式部員数は最多の17万人余から、今年は14万人台に。指導者からは「高い用具費から断念せざるをえない家庭もある」と聞いた▼今大会、全国で連合チームが86もあるという本紙の記事に驚く。7年前に制度ができて最多という。満足な練習ができず、連係不足にも悩まされるだろう。でも、不利な環境にもめげずに夏のグラウンドに立った経験は、きっと人生の糧になる。
2019年7月9日(火)付 きよばあちゃんと認知症
「今日、何曜日?」。同居していた曽祖母きよばあちゃんは日に何度も同じことを尋ねる。福井県の敦賀南小6年、三輪実由(みゆ)さん(11)は「もういい加減にして」とイライラを抑えられなかった。3年前のことだ▼ヘルパーとして働く祖母の助言や、学校での認知症学習を通じ、接し方を改める。同じ話でも耳をふさがず、ペースを合わせる。きよばあちゃんは家族に見守られ、102歳で旅立った▼実由さんはそんな実体験を「『やさしくする』ということ」の題で作文にまとめた。敦賀市の小中学生が対象のコンテストで最優秀賞に選ばれる。教育映画を手がける映学社(東京)が映像化した▼きよばあちゃんとの思い出を手紙で実由さんに尋ねると、返信が届いた。「学校から帰ってきた時に、ただいまと言って顔を見せると喜んでくれました」。耳が遠く会話は聞こえなくても、家族みんなと一緒の空間にいることを何より喜んだという▼実由さん宅は4世代が同居した。病状は日ごとに違い、家族みんながバタバタした。それでも「もしもう一度ばあちゃんと過ごせるなら、大好きだったたい焼きを一緒に食べ、ゆっくりおしゃべりをしたい」と願う▼高齢者の5人に1人が認知症と診断される時代はすぐそこ。同じ境遇にある小学生に届けたい言葉は? 「無理せず自分ができることを毎日続けてほしい。みんなと一緒の時間を過ごす。それだけで安心の一歩につながります」。鉛筆書きの丁寧な文字に大切なことを教わった。
2019年7月10日(水)付 月面到達50年
人類が初めて月に降り立ったのは1969年の7月、ちょうど半世紀前のことである。米アポロ11号の偉業を報じた当時の記事を見ると、「宇宙史に刻む壮挙」「次は火星だ」。高揚感がありありと伝わる▼山梨県の八ケ岳南麓(なんろく)で星空観察ペンションを営む木村修(おさむ)さん(64)は当時、中学2年だった。打ち上げ前からテレビは熱の入った報道ぶり。生中継の画面にかじりついた。到達した瞬間は、林間学校に向かうバスの車中。「いま月を歩いたぞ」という教師の声を覚えている▼大学では天文サークルに。毎週末、徹夜で観測した。会社勤めを経て、47歳で意を決して山梨へ移住。夜空を見つめる日々が始まった。「10代で月面探査に感動した影響はやはり大きいですね」と語る▼当時は冷戦下で、米国はソ連との月への先陣争いに威信をかけていた。以前、取材したある天文学者の指摘を思い出す。「月面着陸レース自体の意義は小さい。水や鉱物など大切な調査は二の次で、天体研究面で収穫が乏しかった」▼それでも、アポロ計画が地球各地の少年少女に大きな夢を見せてくれたのはまちがいない。毛利衛さんや若田光一さんら後年の宇宙飛行士たちは、異口同音に「11号に宇宙への夢をかき立てられた」と語っている。まぎれもなく偉業だった▼木村さんが夫妻で経営する「スター☆パーティ」から夜空を観察した。木星、土星、夏の大三角のベガ……。月面到達の報に胸を熱くした元天文少年の解説に、夜が更けるのを忘れた。
2019年7月11日(木)付 ジャニー喜多川さん逝く
これほど名を知られていながら、これほど素顔を知られぬまま旅立った人も珍しいのではないか。訃報(ふほう)の写真のジャニー喜多川さんは、帽子をかぶり、サングラスをかけている。表情も年齢も読みとりがたい▼素顔や肉声をさらさない主義で知られた。同僚記者によると、取材には毎回、撮影不可という条件が付された。「劇場の客席で観衆の反応をつかむため、顔を公開したくない」などの理由が挙げられた▼「ユー、やっちゃいなよ」。そんな言い回しで知られたが、取材には折り目正しい日本語をゆっくり話し、敬語も丁寧だった。ジャニーズらしさとは何かと尋ねると、「品の良さ」と答えたという▼1931年、米ロサンゼルスに生まれた。幼くして、真言宗の僧である父の故郷・和歌山県へ移る。米軍の空襲下、紀の川に飛び込んで生き延びた。朝鮮戦争の際は、米軍側の一員として半島に滞在。戦災孤児らに米兵の衣類を洗う仕事を与え、自立を助けている▼ショービジネスの基本は、朝鮮戦争の前に暮らしたロサンゼルスで学んだ。高校や大学に通うかたわら、美空ひばりさんら日本から訪米する歌手の公演を手伝う。東京に移り、30歳でジャニーズ事務所を設立する▼フォーリーブス、シブがき隊、少年隊、SMAP、嵐、関ジャニ∞……。ジャニーズのだれが好きかを問えば、容易に世代を言い当てられる。人前では素顔を見せず、裏方に徹し、日本の大衆文化に新風を吹き込み続けた希代のプロデューサーだった。
2019年7月12日(金)付 せんべいと梅雨寒
「洗濯物が乾かなくて」「もういい加減、晴れてほしい」。そんな会話を聞かぬ日がないほど、首都圏では曇天が続く。季節外れの肌寒さに体調を崩す人も少なくないようだ▼埼玉県草加市では、名物のせんべい作りに影響が出ている。生地の天日干しが進まないからだ。「困っています。このままだと、乾燥させた生地は在庫が底を突きそうです」。小宮せんべい本舗の5代目、菊地友成(ともなり)さん(42)は話す▼米を練る、蒸す、干す、焼くという工程に、陽光は欠かせない。「紫外線をたっぷり浴びると、米の甘みが出て、格別のおいしさになります」。だが草加市周辺では、先月末から晴れ間が少なく、日照時間は例年の1割にとどまる▼強い日差しがあれば2日で十分に乾燥する生地が、今月は1週間もかかる。焼き上げるのは日に2千枚。未乾燥の生地は、木箱に収められ、じっと晴天を待つ。あすは干せるか、あさっても無理か。菊地さんは天気予報をスマホで何度も確かめるという▼関東を中心に日差しの乏しい梅雨寒が続く。きのうは「冷夏の可能性」という朝刊の記事も見た。思い出すのは、1993(平成5)年の冷害である。実りの秋も田んぼは黄金色に染まらず、稲穂は青く頼りないままだった。米不足を受けて緊急輸入されたタイ米の味をまだ覚えている▼「災害級」と呼ばれた昨年の猛暑を思う。熱中症で9万人余りが搬送された。あまりの天候の違いに、どこか別の国で暮らしているかのような錯覚に襲われる。
2019年7月13日(土)付 うどんタクシー
金比羅参りで知られる香川県琴平町を訪ね、「うどんタクシー」なる乗り物に出会った。運行するのは地元の琴平バスで、客の要望を聞いて店舗を巡る。年300件ほど利用されている▼街で目に飛び込むのはコンビニより、うどん店が多い。客の回転は早い。「県民のお昼は基本、うどんですね」と、女性ドライバーの多田純さん(38)。社内の筆記、実地試験を通り、麺の手打ち技術も会得した社員だけが乗務する▼案内された店で驚いた。お椀(わん)を手にとり、自分で麺を湯がき、だしを自ら注ぐ。160円のうどんに舌鼓を打つと、レジで食べたものを自己申告して支払う。「外国人客はもちろん、日本人もとまどいます」▼地元の製粉業者が昨年刊行した『さぬきうどんの真相を求めて』を読むと、江戸前期の金刀比羅宮(ことひらぐう)の祭礼図には、うどん商人が描かれる。伊勢と並ぶ憧れの参詣(さんけい)地。押し寄せる人々の食事の場として路面店が生まれたという▼四国屈指の観光地ながら、昭和の末に比べると観光客は半減した。一方、来県者の実に8割がうどんを食し、平均で1・77店を訪れたとの調査結果もある。限られた交通網の中、目いっぱい満喫してもらおうと、16年前にうどんタクシーは生まれた▼名産品や観光地を巡る「ご当地タクシー」は全国に広がりつつある。昨年には各地の13社でつくる組織もでき、交流から営業の知恵を生み出そうとしている。函館の塩ラーメン、長崎のカステラ……。地方の観光地の明日を見た気がした。
2019年7月14日(日)付 かんぽの悪質セールス
訪問販売の古いやり方に「市役所の方から来ました」「消防署の方から来ました」というのがある。そう言って玄関に入れてもらい、消火器などを売りつける。役所や署の方角から歩いてきたのなら、ウソではない▼さてこちらの悪質セールス、たちが悪いのは郵便局の「方」からではなく、ちゃんと郵便局から来たことだ。かんぽ生命の保険をめぐり、客が損をするような商品に乗り換えさせていた事例が、数多く明らかになった▼「母は郵便局を信頼し、言われるままに契約した。お金をだまし取るような行為だ」。80代の母親の被害について、憤る男性の声が紙面にあった。養老保険を途中解約し、条件の悪い保険に入らされたという▼半年間は古い保険が解約できないとウソをつき、二重に保険料を取っていた例もある。それもこれもノルマをこなし手当を増やすためだったというから、客の暮らしは視野に入っていなかったか。不適切な契約は9万3千件にのぼる▼民営化を進める日本郵政はヌエのような存在だ。一面では、国の後ろ盾ゆえに安全・安心のイメージがある。しかし内実はどうやら、民間金融機関も真っ青のノルマ主義、もうけ主義のようだ。利益を出し株価を維持するのが狙いだろうが、完全に裏目に出た▼「お会いすることで、確かな安心を」。少し前のかんぽ生命のCMで、そんなセリフがあった。郵便局員にお会いしない方がよかったと悔やむ人が、今どれだけいることか。信頼の修復は容易ではない。
2019年7月15日(月)付 海の日に
きょうは海の日である。なぎさや波を描いたあまたの詩歌のなかでも、島崎藤村の「椰子(やし)の実」には独特のロマンがある。〈名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ/故郷(ふるさと)の岸を離れて/汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき)〉▼海は、遠い世界とつながっている。流れ着いた椰子の実がもといた場所に、藤村は思いをはせる。〈旧(もと)の樹(き)は生ひや茂れる/枝はなほ影をやなせる〉。浜辺に立ち、海原のかなたを思う。誰にでもある夏の日の記憶であろう▼海に線は引けない。そんなことを最近強く感じさせるのは、残念ながら椰子の実ではなく、プラスチックかもしれない。世界の海に流れ出す量は増える一方で、2050年までに世界中の魚の総重量を上回るとの試算もある。国を超えた対策が迫られている▼先日訪れたドイツではスーパーからレジ袋が消えていた。品物をそのまま渡され、袋がほしいと言うと有料の紙袋が出てきた。国連機関によると、1人当たりの使い捨てプラスチックの発生量は米国が1位、日本は2位。日米は後れを取っているようだ▼買い物や外食のときに、旅行先や故郷で見た青い海を思い浮かべてみる。レジ袋でもストローでも「いりません」と口にしやすくなるかもしれない。いやむしろ、死んだクジラのおなかから出てきた大量のプラごみを思い起こすべきか▼藤村の詩は日没の情景へと続く。〈海の日の沈むを見れば/激(たぎ)り落つ異郷の涙〉。海洋汚染がもたらす涙がある。涙を拭うために、できることがある。
2019年7月16日(火)休刊
2019年7月17日(水)付 「米国から出て行け」
米国の下院議員イルハン・オマールさん(36)は、8歳で難民になった。内戦の続く祖国ソマリアを家族とともに離れ、難民キャンプへ。米国の地に立ったときには、ソマリ語しか話せなかったと米メディアにある▼英語をおぼえ政治集会で祖父の通訳をしたことで、政治への関心が芽生えた。州の議員から昨年の選挙で連邦の議員に。彼女の歩みは、アメリカンドリームがまだ死んではいないことを示す。いまや大統領の移民政策を批判する急先鋒(きゅうせんぽう)である▼オマールさんら、批判で歩調をそろえる4人の民主党女性議員が、トランプ氏の標的になっている。最近のツイッターで「米国にいるのが嫌なら、出て行って構わない」と攻撃された▼オマールさんの他は米国生まれで、プエルトリコ系やアフリカ系などのルーツを持つ。「もともといた国に帰って、犯罪まみれの国を直すのを手伝ったらどうか」。そう述べるのが極右の活動家ではなく大統領であることに、慣れっこになってはいけない▼大統領再選に向けた白人票目当ての発言、との見方がもっぱらである。それにしても差別意識を丸出しにすることで固められる票とは、いったい何なのか。外国人の受け入れを広げる日本も戒めとしたい▼いいニュースがある。与党共和党内に異論が出ていることだ。ある上院議員は「トランプ氏は間違っている。彼女たちは自分の意見を言う権利がある」と苦言を呈した。悪いニュースは、そうした動きが党内のごく一部にとどまることだ。
2019年7月18日(木)付 ルーブル、 マールボロ 、リブラ
お金の役割が、ほかのものに取って代わられることがある。体制末期の旧ソ連の場合は、米国産のたばこだった。物資が不足して、急激なインフレが起こり、通貨ルーブルの信用が失われていた▼1990年の記事を読むと、タクシー運転手が外国人に「マールボロ2箱くれるなら、乗せてやる」と持ちかける様子が出てくる。さて話は、インターネット上でやり取りされる仮想通貨である。旧ソ連のたばこ、あるいはそれ以上の存在になるかも、との指摘が出ている▼仮想通貨はビットコインが先行したが、価格が不安定で、とても通貨とは言えない。最近になって米フェイスブックが「リブラ」という独自の通貨をつくる計画を発表し、にわかに注目を浴びている。利用者が世界中にいて潜在力があるためだ▼国際通貨基金が15日に発表した報告書は、経済基盤の弱い国の人々が、仮想通貨の方が信用できると考え、自国通貨を投げ出す可能性があると指摘している。それの何が問題かというと、中央銀行が経済をコントロールできなくなるのだという▼ドル経済圏ならぬリブラ経済圏が途上国を横断して生まれる。そんな世界を想像してみる。国家がひどい経済運営をしても、仮想通貨が防波堤になり、暮らしを安定させるのか。それとも制御不能の通貨として、モンスターのようになってしまうのか▼中央銀行からの懸念を背景に、フェイスブックはリブラの発行を慎重に進める構えだ。世に出たとき、どんな姿になるのだろう。
2019年7月19日(金)付 アニメスタジオの火災
1週間に1本、テレビのアニメ番組をつくる。そんな前代未聞の仕事に、手塚治虫が挑んだのが、1960年代のことだった。大変な手間と経費が予想され「バカな計画をしたものだ」と、周囲から言われたという▼その作品「鉄腕アトム」は大人気になったが、スタッフの疲労は蓄積した。「みんなをささえていたものは、われわれは開拓者なんだというプライドだけであった」と著書『ぼくはマンガ家』にある▼その後も数え切れない開拓者たちによって前へ進んできたのが日本のアニメである。数多くのスタジオのなかでも、京都アニメーションはきめ細かい作画で知られる。そこで制作に打ち込む人たちを、火災が襲った▼出火当時は70人以上がいて、すでに30人を上回る犠牲者が出ている。ガソリンのような液体をまいた男の身柄が警察に確保された。放火だとすれば、その卑劣さは一体どこから来るのか。建物にまとわりつくような煙の映像を見るのがつらい▼地元に根差し、地元から愛されてきたスタジオである。人気テレビアニメ「けいおん!」には賀茂川と高野川が合流する鴨川デルタが登場し、別の作品には京阪電車沿線の風景がある。そんな京都への思いも灰にするかのような蛮行である▼作品は海外でも評価が高く、火災のニュースは世界に伝わった。こんな英語の書き込みがネットにあった。「純粋な楽しさ、涙、そして忘れられない瞬間を与えてくれたスタジオと従業員たち。彼らのことを思い、祈ります」
2019年7月20日(土)付 今村夏子さんに芥川賞
今村夏子さんが小説を書こうと思ったのは、仕事の予定がぽっかり空いたからだ。バイト先で「明日は休んでいいです」と言われた帰り道に、すごく寂しくなった。「このままじゃダメだ、なにかしよう」と思ったと、あるインタビューで語っていた▼落ち込んだ時に夢みたいなことを考えると、気持ちが前向きになるのだという。そうして生まれたデビュー作『こちらあみ子』は高く評価されたが、今村さんは「もう自分には書くことがない」と口にした▼寡作と言っていいだろう。それでも候補になること3度目にして芥川賞に選ばれた。彼女の書いたものを読むと、怖い小説であり、怪しい小説であると思う。でも同時に明るくて透明な感じがする▼デビュー作の主人公あみ子は、風変わりな小学生だ。大好きな同級生につきまとい、クッキーのチョコのところをなめつくしてから食べてもらう。死産をして気を落とす継母を励まそうと、木の札で「弟の墓」を作り「金魚のおはか」と並べる。「死体は入っとらんけどね」と、言いながら▼寒々とする行為なのに、思いのまま一途に動くあみ子が、いつの間にか愛(いと)おしくなってくる。新興宗教を扱った『星の子』、ストーカーのような主人公の受賞作『むらさきのスカートの女』でも変わらぬ味わいがある▼登場人物の会話を書くうちに「この人はこういうことを考える人なんだな」とだんだん分かってくると、対談で述べていた。ゆっくり、迷いながら、形作られる世界がある。
2019年7月21日(日)付 験をかつぐ
好調が続く間は、ヒゲをそらない。左右の靴を履く順も、同じ。歩いて競技場に向かう道順も変えない。スポーツの世界ではそんな「験かつぎ」をよく聞く▼「ゴルフのタイガー・ウッズは勝負の日に赤色の服を着ることで有名。勝敗との因果関係はないとわかっても、過去の成功をなぞりたくなる。その心理に国境はありません」と話すのは情報工学が専門の寺田和憲(かずのり)・岐阜大准教授(47)。いまは米国の大学で研究中だ▼一流選手に限らず、一般の人もごく自然に験をかつぐことを、寺田さんらは実験で確かめた。被験者68人にリンゴかサクランボの模様が入ったスリッパを選んでもらい、ゴルフのパターを前後半で計15回打たせた。調べたのは後半のスリッパ選びだ▼実験の結果、前半の成績がよかった層で、後半に同じ模様のスリッパを履く人が8割を超えた。「験かつぎ、縁起かつぎは非科学的な行為。不合理といえば不合理ですが、その分、とても人間くさい」。ゆくゆくは人間くさいロボットを開発したいと話す▼さて参院選はきょうが投開票日。候補者の中には験をかついでトンカツなど食し、縁起のよい服を選んで、投票に赴く方も少なくないだろう。情勢が厳しいほど、神にもワラにもすがりたくなる人情は理解できる▼数ある選挙制度の中で、複雑怪奇さにおいて際立つわが参院選である。いまよりずっとシンプルで合理的で、しかもより欠点の少ない選挙制度がいつかは生まれると信じて、きょうの票を投じたい。
2019年7月22日(月)付 横綱相撲
2019年7月23日(火)付 議事堂という鏡
車いすの議員として知られた八代英太さんが参院で初の代表質問に臨んだ際、登壇方法をめぐって院側ともめた。正面階段から上がりたいと望んだが、車いすでは危険と言われて断念。大臣席の後ろを遠回りした。40年ほど前のことだ▼「議事堂ばかりでなく、日本社会全体が、健康で自由に歩ける人を標準に作られている。その標準を考え直すときが来た」。八代さんは演壇から熱く訴えた▼その参院に、難病の男性と重い障害のある女性が新たに議員として登院することになった。れいわ新選組の新顔で、ともに大型の車いすが欠かせない。国会内や議員会館の移動には介助者の手を要するそうだ▼参院事務局によると、本会議に議員が秘書を伴って出席した例は過去にもある。また採決の際、起立の代わりに挙手を認め、記名を国会職員が代行したこともある。「2人の事情に即した対応はこれから協議する」と担当者は話す▼議事堂が設計されたのは1世紀も前。時代とのズレは障害対応に限らない。1953年、国会議員に当選した市川房枝さんは女性専用トイレがないことに驚いた。要望して翌年設置された。数は限られ、69年に初当選した土井たか子さんは「トイレはどこ?」と秘書に助けを求めたという▼そんな議事堂史をたどれば、この国の政治が長い間、身体に不自由のない年長の男性を「標準」にして動いてきたといやでも気づかされる。多様な声を代表する国会の議場は、現代社会を隅々まで映す鏡でありたい。
2019年7月24日(水)付 聖火トーチ誕生
市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」に印象的な場面がある。聖火トーチが富士を背にもうもうと白煙を上げ、風にたなびく。さながら蒸気機関車のようだ。近年の五輪で見る地味めの聖火とは趣が違う▼「いまは環境重視。炎が小ぶりで煙も少ない聖火が主流です」と話すのは、日本工機(東京)の佐藤公之(まさゆき)常務(62)。市川作品に収められた前回の東京五輪用トーチを製造したのは、同社の前身、昭和化成品だ▼開発当時、組織委員会から課されたのは「雨にも風にも消えない炎」「夕闇でも目立つ大量の白煙」との難題二つ。戦時中から砲弾を開発してきた同社技術者、門馬(もんま)佐太郎氏が担当した。過去の五輪トーチを取り寄せ、薬剤を代えては燃やし、試走した。1千本を試作し、8千本を納めた▼社史によると、12カ国で延べ10万人余の走者が2万6千キロを炎でつないだ。「最後のランナーが聖火台に点火した瞬間の興奮、無事に終了したときの安堵(あんど)、全社員の強烈な思い出となった」▼門馬氏は五輪の翌々年、出張の帰りに乗った旅客機が墜落して不慮の死を遂げる。だが技術は脈々と受け継がれ、改良型のトーチが札幌やサラエボの冬季五輪で使われたという▼福島県にある同社の白河製造所を訪ね、門馬氏が作った55年前のトーチに触れた。銀色の光沢を放つ聖火筒は見た目と違ってずしりと重い。戦中戦後を生きた砲弾技術者が注いだ精魂の重さのように思われた。来年のきょう24日、再び東京で五輪が幕を開ける。
2019年7月25日(木)付 やまゆりの命
手足が動かせず、病床で歌をつくってきた元教師の歌人、有沢螢(ほたる)さんに一首がある。〈やまゆりの園生(そのふ)の闇に振るはれし刃はわれの心をも刺す〉。神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で起きた悲報に接して詠まれた▼あすで事件から3年。入所者19人の命を奪ったとされる元職員の公判は来年1月に始まる。逮捕後、「意思疎通のできない人は幸せをつくれない」と供述。ゆがんだ障害者観が世の中を震撼(しんかん)させた▼犠牲者の一人、30代の女性は果物とコーヒーを愛し、いつも笑顔をみせた。40代男性は野球や電車が好きで、ユニホームが似合った。70代の女性のお気に入りはソーラン節だ。亡くなった一人ひとりに家族があり、友人がいて、たくさんの思い出があった▼園を訪れてみると、正面に献花台が設けられ、花束が手向けられていた。仲間が手作りしたのだろうか、犠牲者と同じ数の折り鶴を飾った紙がある。添えられた「ともにいきる」という手書きの言葉に見入った▼振り仰ぐと、県境の山々が見え、相模川に注ぐ清流のせせらぎが響く。畑ではナスやトマトの夏野菜が実り、遠く観覧車が見える。入所者が親しんだであろう光景に身を置くと、惨劇がここで起こったとは信じがたい▼〈愛さるるために生まれしいのちみな祝されてをりその実存を〉。事件を詠んだ有沢さんの別の歌である。誰もが愛されて生を受け、命の価値に差などあろうはずもない。〈人の役に立つことのみが価値なりと育てられたる加害者あはれ〉
2019年7月26日(金)付 語り継ぐ被弾木
本紙東京本社版の「声」欄で昨夏、「小さな駅の被弾木」という投稿を読んだ。大戦末期、大分県内で米軍機が列車を銃撃し、乗客や駅員ら大勢が死傷する惨劇があったという内容で、投稿主は80代の男性。「戦争の恐ろしさを語り継がねばならない」とある▼訪ねてみると、被弾木は大分県豊後大野市の朝地(あさじ)という無人駅に立っていた。3本のこけむしたカイズカイブキ。真新しい説明板によれば、終戦まぎわの7月31日の昼、米軍による銃撃で12人が死亡、40人が負傷したという▼「当時のことを覚えているのは70代より上くらい。単なる老木と思い違いされて伐採されないよう、一昨年、木に札をかけ、説明板を立てました」。地元ボランティア団体「朝地あそぼ会」の朝倉秀康会長(75)は話す▼住民の記憶によれば、米軍3機が旋回し、駅に着いたばかりの鈍行列車に超低空から機銃掃射を浴びせたという。「駅舎も狙われ、駅の倉庫に逃げた人も撃たれました。反撃されるおそれがない中、米兵の腕比べか遊びだった気がしてなりません」▼〈飛び降りし列車撃たるる音烈(はげ)し烈しき遊び敵遊びおり〉。この事件に遭遇した男性の渾身(こんしん)の一首である。千葉県内に住む親族から、昨夏、関連投稿として「声」の欄に寄せられた▼多くの人々の記憶にある戦史ではないものの、2編の投稿に接して初めて被弾木の存在を知り、戦争の残酷さの一端をありありと感じた。幹を仰ぎ、無数の銃弾を帯びたまま生きる古木の苦しみを思った。
2019年7月27日(土)付 稲との語らい
梅雨の曇天が真夏の青空へと変わりゆくころ、米作りに励む農家は「穂肥(ほごえ)」をまく作業に精を出す。稲の穂が茎の中で育ち始める時期に施す肥料をいう。湿度は高く、肥料は重く、全身汗まみれの重労働である▼「人に例えるなら、稲は秋の出産に備える女性。夏ばてを防ぎ、体力をつけるための栄養が穂肥かな」。山形県南部の川西町で米を育てる浦田英明さん(50)は話す。今週、7ヘクタールの水田に穂肥を施しているところだ。穂肥の成否で食味や収量も変わる。「手をかければかけるほど味は良くなる」という▼まく時期やまく量の判断は、農家の腕の見せどころ。浦田さんの場合、稲に触れ、葉の色や茎の膨らみを丹念に観察する。晴れが続くか、暑すぎないか。天候を見極める。ユリが咲いたか、タチアオイの背丈が伸びきったか。他の植物の姿も合図になる▼〈梅雨明けの稲田に入りて穂肥まく追肥が要るのか稲に問ひつつ〉木内重秋。熟練の農家でも穂肥には迷い、稲に問いかける。米作は人と稲が対話しながら進む共同作業といえよう▼それにしても今月の首都圏は日差しが乏しかった。知る限り、これほど青空に焦がれた7月は記憶にない。気象庁によれば、梅雨寒の年はそのまま冷夏になる可能性もあるという。農家の方々には気が抜けない日が続くことだろう。列島には台風が迫る▼8月も近づいてきた。穂肥で力を得て、陽光を全身に浴びて育つ稲。みずみずしく、ふっくらと粒が輝く新米を味わえる秋が待ち遠しい。
2019年7月28日(日)付 人はなぜ銅像をつくるのか
人はなぜ、銅像をつくるのだろうか。最近訪れた台湾で、そんなことを考えた。台北から車で1時間ほどの山あいの公園。200体を超える蒋介石の銅像が、ズラリと立ちならんでいるのを見たからだ▼かつて大量につくられたカリスマ的な初代総統の像である。政府施設や学校にほぼ義務化されて置かれていた時代もあったが、民主化が進み、もはやお役ご免に。行き場もなく、ここが墓場のようになっているそうだ▼よく見ると、塗料がはげ、傷ついたものも多い。旧ソ連のレーニン像やイラク戦争のときのフセイン像などが人々の憎悪を一身に受けて、引き倒された光景が頭をよぎった。銅像とは何と空しい存在なのか▼日本でも明治以降、多くの軍人や偉人の像がつくられた。その乱立ぶりは永井荷風が「東京の都市は模倣の西洋造(せいようづくり)と電線と銅像との為(た)めにいかほど醜く」されているかと、『日和下駄(げた)』で嘆いたほどだ。ところが、敗戦後は平和の時代にあわないと逆に次々に取り壊された▼そもそも銅像は「権威の象徴」である。「だからこそ冒涜(ぼうとく)することにも価値が出てくる」と銅像の歴史に詳しい愛知県美術館学芸員の平瀬礼太さん(52)は話す▼考えてみれば、銅像に限らず、私たちは多くの「像」に囲まれて生きている。例えば会うとケンカばかりなのに、好きな人のスマホ画像を見ていると、愛(いと)しい気持ちが募るといった経験はないだろうか。像に想(おも)いを重ねて、感情を高める。ときに私たちはそれを「想像」と呼ぶ。
2019年7月29日(月)付 英首相にジョンソン氏
そのとき英国の首相官邸は何に悩み、どう動いたか。欧州連合(EU)からの離脱の是非を問う国民投票のてんまつを、官邸スタッフが詳細に記録したのが『ブレグジット秘録』だ。ロンドン市長だったボリス・ジョンソン氏の名前が何度も出てくる▼人気政治家の彼が残留派につくか、離脱派となるか。首相が神経をとがらせていた様子が描かれている。やがて離脱派の中心になるジョンソン氏だが、最初から離脱ありきという人ではなかった▼EU市場の中にいることの良さを語った過去があり、「ショッピングカートのように、あちこちに行ったり来たりする」と自分でも言っていたようだ。振れ幅の大きな政治家は、離脱派の方が目立つと判断したか▼ジョンソン氏が英国首相になった。特徴的な金髪にがっしりした体、乱暴な言葉遣いなどがトランプ大統領に似ていると言われる。違うのは変わり身や立ち回りが、より早いことか▼人々が欲することを読み取って行動するという意味ではトランプ氏以上のポピュリストかもしれない。「何が何でも10月末に離脱する。英国を地球上で最も偉大な国にする」。強い言葉が支持を固くすると、今は考えているのだろう▼この国の最後の首相になるかも、との見方もある。乱暴な離脱で経済が混乱すれば、スコットランドが愛想をつかして独立し、国のかたちが変わる。そんなシナリオもありうるのか。変わり身の早さを発揮して、現実的な解決策を探ってほしいところではあるが。
2019年7月30日(火)付 「権藤、権藤……」
1961年に中日ドラゴンズに入団した権藤博さんを待っていたのは、連投につぐ連投だった。あまりの出番の多さに「権藤、権藤、雨、権藤」とまで言われた。雨天中止以外はずっと投げているように見えると▼権藤さんの著書によれば「このくらいでは絶対に潰れない」との思いがあったが、次第に勝てなくなった。野手に転向し、現役生活は短命に終わった。監督になってからは継投の多さで知られた。酷使された経験が生きているのかもしれない▼先日、高校野球での連投の見合わせが注目を浴びた。160キロ超を投げる大船渡高校の佐々木朗希(ろうき)投手が、岩手大会の決勝で登板しなかった。勝てば甲子園出場が決まる試合だったが「故障を未然に防ぐため」と国保(こくぼ)陽平監督が判断した▼大きなニュースになり、賛否両論が出ている。一生に一度の機会を残念がる声も、甲子園での活躍を見たかったという声もあろう。批判が予想されるなかでの決断には、どれほどの苦渋があったことか。ここは監督の判断を尊重したい▼この件で投げかけられた課題は、決して小さいものではない。試合の日程に余裕を持たせる動きが出ているが、まだきつすぎるところがあるのではないか。導入が検討される投球数制限は、どこまで効果的なものになるのか……。高校野球のイメージの変容も、迫られているのかもしれない▼夢を追いかけることと、途中で燃え尽きないこと。バランスが大切で、かつ難しいのは、どのスポーツも変わらない。
2019年7月31日(水)付 五輪とテレワーク
いまから37年前のアンケートである。テレビ電話やファクシミリの発達で近い将来、在宅勤務が広がるとみられるが、あなたは望みますか? 週休2日が確保されるのであれば望まない――。そんな答えが40%で最も多かった▼「仕事を家庭に持ち込みたくない」という気持ちの表れだと、当時の新聞にある。通勤地獄を甘受しても、線引きをしたいようだと。一方で、週の半分程度の在宅勤務を希望するという答えも31%あり、期待感もにじんでいた▼時代が進んで、インターネット、パソコン、スマホが現れたが、在宅勤務が劇的に広がったとは言えない。職場以外で仕事をする意味のテレワークに名前が変わり、育児や介護などとの両立にも役立つと、旗が振られる▼首都圏では東京五輪の混雑緩和という役割も担う。いまは1年前の予行演習の時期で、取材先に電話すると「きょうはテレワークで不在です」と言われることもある。五輪の本番ではさらに広がるかもしれない。問題は、その後も持続するかどうかだ▼米ニューヨークで働く人にスニーカーが多いのは、1980年の地下鉄とバスの長期ストがきっかけになったようだ、と以前書いた。長い距離を歩くのを強いられ、疲れにくい靴に履き替えた。五輪だって突破口になる可能性はある▼働き方も家庭のあり方も、どんどん変わっている。「子どもにおかえりを言うために、きょうはテレワークにします」。そんなふうに父たち母たちが、気軽に言えるようになれば。
天声人语原文: