天声人语原文 2019年4月
2019年4月1日(月)付 開けクマノザクラ
「ここ一帯では毎春、ヤマザクラが2度咲く。最初は紅色の花、次は白い花」。紀伊半島の南端に近い和歌山県古座川(こざがわ)町では、古くからそう語り継がれてきた▼森林総合研究所のサクラ保全チーム長、勝木俊雄(かつきとしお)さんが現地で調査したところ、種類の異なるサクラだったことが判明。最初に咲く紅色の方が新種とわかり、「クマノザクラ」と昨年命名された。国内の野生種としては103年ぶりの発見である▼その調査に協力したのが地元の樹木医矢倉寛之(やぐらひろゆき)さん(37)。研究の標本とされた大木を保護し、地元の小学校で価値を訴えるほか、遠来の見学者のガイド役を務める。「国内のサクラはほぼ研究し尽くされたと思っていました。新種と認められたのはうれしい驚きです」▼その開花は際立って早い。今年は3月半ばが見ごろだった。外観の似たヤマザクラに比べると、クマノザクラの花は紅色が濃く、葉は小ぶり。調査は始まったばかりだが、和歌山、三重、奈良の3県に数万本が自生すると見られる▼地元の自治体には、観光資源に育てようとの機運が高まりつつある。早くも写真集やTシャツが商品化され、名を冠した日本酒の販売も始まった。来春以降、さらに多くの観光客が見込まれる▼近世になって人が作り出し、津々浦々に植えられたソメイヨシノが「人に近い花」だとしたら、太古から山野にあって命をつないできたクマノザクラは、「人から遠い花」と言うべきだろう。熊野の峰を眺めつつ、人と桜の距離を思った。
译文: https://www.douban.com/note/712553059/
2019年4月2日(火)付 奈良時代から来た元号
〈なかなかに人とあらずは酒壺(つぼ)に成りにてしかも酒に染みなむ〉。いっそ人間をやめ、ずっと酒に浸れる酒壺になりたい。突拍子もない願望を歌にした人がいたものである。大伴旅人(おおとものたびと)。奈良の昔、公卿にして一流の教養人だった▼旅人は天平2(730)年春、九州・大宰府の公邸で宴を催している。招かれたのは九州一円の役人や医師、陰陽師(おんみょうじ)ら31人。庭に咲く梅を詠み比べる歌宴だった。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ」。旅人の書き残したとされる開宴の辞から採られたのが、新元号「令和」である▼辞には続きがある。「天空を覆いとし、大地を敷物として、くつろぎ、ひざ寄せ合って酒杯を飛ばす。さあ園梅を歌に詠もうではないか」。枝を手折り、雪にたとえ、酒杯に浮かべる公卿らの姿が浮かぶ▼「令和」にどのような感想をお持ちになっただろう。令や和の字を名に持つ方は、これからしばらく話題に事欠くまい。ここを商機と万葉集コーナーを設けた書店もある。お祭り騒ぎはしばらく続きそうだ▼さて、万葉の昔に戻れば、60余年の大伴旅人の生涯に、元号は驚くほど頻繁に代わっている。やれ吉兆の亀が発見されたと言って「神亀」。奇跡の水が見つかったと「養老」。ほかに「朱鳥」「大宝」「慶雲」「和銅」「霊亀」「天平」。まるで改元のインフレ期のようである▼そんな時代を知る旅人だが、酒席で述べた挨拶(あいさつ)が1300年後の元号になってしまうとは。二日酔いの夢にも想像しなかったことだろう。
译文: https://www.douban.com/note/712680640/
2019年4月3日(水)付 万葉人の心
〈二つなき 恋をしすれば 常の帯を 三重(みえ)結ぶべく わが身はなりぬ〉。万葉集研究者の中西進さん(89)は子ども向けにこう解説する。「恋の病でウエストが三分の一になる」。万葉人を身近に感じてもらう工夫である▼2年前、富山市の「高志(こし)の国(くに)文学館」に中西館長を訪ねた。週末の夕方だったが、取材は予定時間を大幅に超えた。文学に疎い記者に何とか万葉の魅力を伝えたいという熱意を感じた▼中西さんはまず音読を勧める。「声に出して。リズムを楽しんで」。読み進むにつれ輪郭が浮かぶのは、かなわぬ恋、単身赴任のつらさ、中間管理職の悩み、老いのさびしさ、有名人のゴシップ……。貴族も漁師も防人も喜怒哀楽はいまを生きる私たちと変わらない。そう教えられた▼万葉集が中国文学から受けた影響を研究してきた。各地の小中学校を回って授業し、ファン層の拡大にも労を惜しまない。万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう▼そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか▼安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学(せきがく)による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。
2019年4月4日(木)付 時代と表情
顔が汚れ、ボロをまとった少年は親も家も失った戦災孤児。ギラギラした瞳が「生き抜いてやるぞ」という覚悟を伝える。焼け跡から復興をへて五輪を迎えるまでの十数年間の首都をとらえた写真展「東京わが残像」が世田谷美術館で開催されている(14日まで)。多彩な表情に見入った▼写真家田沼武能(たけよし)さん(90)が若き日に撮った180点。初詣の寺社でさい銭箱をのぞき込む男児女児の目に、ひもじさはあっても暗さはない。紙芝居がヤマ場に至れば、子どもたちは引きこまれ、そろって忘我の表情を見せる▼建設中の東京タワーで働くとび職人は高所で会心の笑顔。歴史に残る現場に立っているという高揚感だろう。隅田川を行き来する観光舟の乗客たちは川面の悪臭に顔をしかめる。工業化の弊害が指摘された時代が映る▼田沼さんは東京・浅草の写真館に生まれ、故木村伊兵衛の助手を務めた。写真家として70年の節目を迎えた。「昭和20、30年代は撮るのが無性に楽しかった。私の写真熱中時代でした」▼これまで120カ国以上を訪ね、子どもたちを撮影してきた。狙うのは日常の表情である。「このごろ日本の子どもたちは表情が優等生風。昔は何がほしい、何がいやだと本心が顔に出ていました」▼敗戦から立ち上がる日本の姿を描いた映画やドラマは数知れない。それでも、あの時代を駆け抜けた生身の人々の表情や顔つきとなると、じっくり見ることのできる機会は意外と少ない。一瞬の表情の雄弁さを堪能した。
译文: https://www.douban.com/note/712994290/
2019年4月5日(金)付 菜の花の底
〈いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな〉。詩人山村暮鳥(ぼちょう)に限らず、菜の花は人々を魅了してきた。小ぶりな花が野原を黄一色に染め上げるさまを見れば、どこの地にいても春を実感する▼「いま野に咲く菜の花のほとんどはセイヨウアブラナ。繁殖力が強く、堤防の土手を傷めています」と国交省利根川上流河川事務所の大杉昌巳管理課長(53)は話す。栃木県南部を流れる巴波(うずま)川の堤防で、菜の花を減らす実験を進めている▼セイヨウアブラナの根は大根のように太い。その根は土中で枯れ、微生物やミミズなどが集まり、モグラが盛んに巣を作る。巣が増えすぎれば、堤防の保水力は低下する。「浸水や決壊から街を守るため、菜の花をいつ、どう刈り取るべきか試行錯誤中です」▼長い堤防斜面のうち片側3キロ区間で、セイヨウアブラナを集中的に刈って変化を調べてきた。実験も3年目、花の数は減り、丈は伸びず、根も細くなったことが確かめられたという▼刈り取り作業が済んだばかりの斜面を歩くと、黒い穴がそこここにぽっかり。穴に腕を入れると、奥で空洞が四方八方に延びている。付近の土はフワフワと頼りなく、知らずに歩けばズボッと足をとられてしまう▼〈菜の花といふ平凡を愛しけり〉富安風生。堤防の維持の面では妨げになりうる存在と知ったいまも、川風を浴びて一斉に揺れる黄色の波には目を奪われる。〈いちめんのなのはな〉を見ずに春をやり過ごすのはどうにも寂しい。
译文: https://www.douban.com/note/713094614/
2019年4月6日(土)付 我田引道
先月来、元号史を調べる必要から『易経』など漢籍をたびたび開いた。難解ながら現代語訳は何とかわかる。きのう探したのは「忖度(そんたく)」。『詩経』の中ほどにあった。〈他人心有(あ)らば予之(これ)を忖度す〉。拙訳では、人の邪心を推量するのはたやすいの意か▼「インスタ映え」と並んで「忖度」が流行語大賞に選ばれたのは、おととしのこと。森友・加計問題をめぐる国会審議で幾度となく使われた。野党の追及も下火になり、昨年の後半からはこの語を聞く機会が減る▼「私、すごく物わかりがいいんです。すぐ忖度します」。そう述べた塚田一郎・国土交通副大臣が辞任した。首相と財務相の歓心を買うため、両氏の地盤を結ぶ橋を架けてみせると大見えを切ったのである。「厳重注意」で済まされる話ではない▼気になって「忖度」の用例を調べてみた。菅原道真や福沢諭吉も使っているが、例は多くない。推量や斟酌(しんしゃく)の意で、善悪の含みはない。現在は悪いニュアンスが前面に出て、しかも頻繁に使われる。『詩経』以来、数千年に及ぶ忖度史上、初めてのことではないか▼自分や派閥領袖(りょうしゅう)の選挙区に道路や港湾、空港を誘致するような政治家の厚顔なふるまいは、今に始まったことではない。我田引水ならぬ我田引鉄、我田引港である。それにしても今回ほどあからさまな我田引道の発言は珍しい▼関門海峡を結ぶこの道路、いつか思惑通りに完成したとして何と呼ばれるのだろう。「安倍麻生道路」か。はたまた「忖度道路」か。
译文: https://www.douban.com/note/713190895/
2019年4月7日(日)付 発達凸凹のうた
バイトをしていて注文を受けたことすら忘れてしまう。財布や鍵をなくしてしまう。yu―ka(ゆうか)さん(26)が、発達障害の一つである注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断されたのは大学3年のときだった▼悩んでいたことの原因がわかり、少しほっとした。しかし就職した会社でミスを重ねてしまう。精神的にきつくなり出社するのが難しくなった。最初から障害のことを話しておけばよかった。そんな思いを言葉にし、曲をつけた▼〈御社の大事な物必ず失(な)くす人材です……〉。本当のことを面接で言えなかった。〈あぁ嘘(うそ)つきだ嘘つきだ/今日も言えずに/面接室の扉パタンと響いてく〉。学生時代のバンドの経験をいかし歌い始めた。シンガー・ソングライターとして関西を中心に活動している▼もっと正直に。もっと弱さを見せていいのでは。そんな気持ちが歌からあふれてくる。〈見せたい弱さ見せたいな/見せたくないないなぁ/見せようか本当の私を〉。ありのままの自分を受け入れてきた軌跡でもあろう▼「発達障害は甘えだ」。心ない言葉がときにネット上に現れる。批判の応酬になる例も目にする。「曲なら、共感が広がるのでは。距離を埋めることができるはず」。yu―kaさんが歌を続ける理由である▼障害というよりも、発達に凸凹(でこぼこ)があると考えよう――。そんな声も広がっているという。だれでも得意なこと、苦手なことがある。凸と凹がうまくかみ合い、響き合う。そんな世の中になっていければ。
2019年4月8日(月)付 妖怪いそがし
水木しげるが世に出した妖怪のなかでも「いそがし」には独特の怖さがある。取りつかれた人間は、意味もなく忙しく働いてしまうのだ。昨年放送された「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場していた。しかし、なぜか寂しそうだった▼妖怪に悪さをされなくても、人々は自ら多忙を求めるようになった。「わしも昔はいろんな人間に取りついて楽しんではいたが、今はわざわざそんなことをする必要もない」。自分は不要な存在になったと妖怪が嘆いていた▼外から力で強制されなくても、働きすぎが習い性になっている。そんな日本社会への風刺であろう。こびりついた習慣を破るには別の力がいる。働き改革をうたう法律が今月施行された▼目玉は、残業時間に上限を設け罰則をつけたことだ。違反した雇い主には6カ月以下の懲役か30万円以下の罰金が科される。今年は大企業に、来春からは中小企業も対象になる。こうした強制力が「妖怪“逆”いそがし」になってくれれば▼「仕事が減らないのに一体どうすれば」「管理職にしわ寄せがいく」などの声も聞かれる。最初は混乱があるやもしれぬ。しかしそれは日本を変えるための意味ある混乱であろう。今までが異常だったのだ▼近刊の『残業学』(中原淳+パーソル総合研究所著)に、「残業麻痺(まひ)」なる言葉があった。やたらと長時間働く人の一部に、健康が脅かされているにもかかわらず幸福感が増す傾向が見られるという。なるほど退治すべき妖怪は、いろいろいるようだ。
译文: https://www.douban.com/note/713431113/
2019年4月9日(火)付 真空選挙区
政治家の迷言は数あれど、これは横綱級であろう。20年近く前、無党派層について当時の森喜朗首相が口にした。「(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれど……」▼投票を棄権してくれた方がありがたい。そうとしか聞こえない発言は世の批判を浴びた。無党派の票が野党に流れないかと、自民党が常に気をもんでいた時代である。さて今回の統一地方選前半。誰に言われずとも、有権者が「寝て」いるしかない地域が多かったようだ▼41道府県議選で4割の選挙区が無投票になった。定数を上回って立候補する人がいなかったためで、議員の4人に1人が選挙なしに当選した。記録が残る1955年以降、最もひどいことになった▼ひどいと書いたのは、投票の機会を奪われた側からの話。議員たちから見れば、選挙運動の苦労がなくてよかったということかもしれない。無投票当選者の7割近くは自民党である。対立候補を立てられなかった野党の力不足を示している▼「多くの人に名前を書いてもらう」。政治家の誇りであり、正当性の源であろう。それを経ない議員が多数を占める日が来るかもしれない。無投票当選議員が47%となった岐阜県、46%の香川県を見ていると心配になる。どうか異常値であってほしい▼勝ち負けが最初から見えている選挙を「無風」という。風の吹きようもない無投票当選は「真空」か。民主主義が、じわじわと窒息していく。そんな兆候でなければいいが。
译文: https://www.douban.com/note/713570903/
2019年4月10日(水)付 20年ぶりの新紙幣
1962年、千円札の肖像画が伊藤博文に決まるまでには、有力なライバルがいた。実業家の渋沢栄一である。ぎりぎりまで候補に残ったものの、落選した。容貌(ようぼう)がお札向きでないことが理由の一つだったと、当時の新聞にある▼容貌とはつまり、渋沢の写真にヒゲがなかったことか。今ほど偽造防止技術が高くなかったその頃、ヒゲのあるなしは重要な要素だった。細かな毛の一つ一つが描かれれば、それだけ偽札づくりが難しくなる。お札の伊藤は白く豊かなヒゲが目立っていた▼政治家や文化人の多かった紙幣の肖像に、ビジネス界からの起用が決まった。20年ぶりの刷新で、1万円札には渋沢が選ばれた。聖徳太子、福沢諭吉に続いて3代目となる▼時代の潮流を見極めた人だった。明治初年、若くして政府から民間に転じた。「金銭に眼(まなこ)が眩(くら)み、商人になるとは実に呆(あき)れる」と友人から言われたが、日本を豊かにするためには商売が大切だという信念を貫いた(『論語と算盤〈そろばん〉』)。なるほどお札にふさわしい人かもしれぬ▼潮流といえば、キャッシュレスの流れが進む現代である。新紙幣が世に出る2024年には現金の肩身はもっと狭くなっているかもしれない。「財布に栄一を……」との言い方が果たして定着するかどうか▼渋沢はお金について「よく集めよく散ぜよ」と書いた。お金は貴いが、むやみと惜しんでは社会が活発にならない。乱費ではなく、善用せよ。お札の人に納得してもらえるような使い方ができれば。
译文: https://www.douban.com/note/713712967/
2019年4月11日(木)付 詐欺のグローバル化
英語でインタビューをした時に、専門の会社にテープ起こしをお願いすることがある。聞けばインドのムンバイに事務所があり、現地の人たちが仕事を担っているようだ。さすが英語が公用語なだけに、正確に仕上げてくれる▼そんなことが可能になったのも、インターネットのおかげである。長めの音声でも数分で送信できるし、出来上がった英文はすぐにメールで送ってくれる。便利な世の中になった▼国と国との垣根が低くなる傾向を「世界のフラット化」と名づけた米ジャーナリストもいた。政治はともかく経済は、たしかに平らになってきた。しかしそれは真っ当なビジネスに限らない。タイ中部パタヤの高級住宅で、振り込め詐欺とみられるグループが摘発された▼現地警察に逮捕されたのは15人の日本人で、福岡や沖縄などの出身という。インターネットを使ったIP電話も50台以上押収された。日本にいる人にウソの請求通知を送り、電話してきた人をだましていたとみられる▼どうやって手に入れたのか、電話番号は東京の局番「03」が使われていたという。日本にいると思わせて、捜査の目を逃れる狙いだったか。コストを抑えるために、生活費の比較的安いタイが選ばれたのか▼速くて安い通信手段に、物価や賃金の低い国を組み合わせる。仕事の現場は、自国にこだわらない。そんなグローバル企業の手法が、振り込め詐欺にも当てはまるとは。奇妙な事件を扱うことになったタイ警察当局の苦労もしのばれる。
译文: https://www.douban.com/note/713861997/
2019年4月12日(金)付 闇を写す
「影は光よりも大きな力をもっている」。15~16世紀を生きた芸術家レオナルド・ダビンチが書き残している。影は物体から完全に光を奪うことができるが、光は影を追い払えない。光はどうしても影を作ってしまう▼ダビンチの絵画から感じるのは、描かれた影の重さと深さである。闇に包まれた男が浮かびあがる「洗礼者ヨハネ」では、十字架さえ暗がりに紛れる。描きたかったのはヨハネではなく闇だったのでは。そんな気すらしてくる▼一昨日、宇宙の闇が映し出された。初めて撮影に成功したブラックホールの姿は、光る輪の中にあった。入ったら絶対に抜け出せないというから宇宙の墓場のイメージがある。しかし写真からはどこか活力さえ感じる▼相対性理論をもとに「ある」と言われてきた穴だ。見えたからどうなるという気がしないでもないが、5500万光年を隔てた画像には重みがある。世界6カ所の望遠鏡が、人間に換算して「視力300万」を実現した▼考えてみれば科学の進歩とは、私たちの視力を拡大する道のりかもしれない。17世紀に、ガリレオが望遠鏡で星を眺め、レーウェンフックが顕微鏡で微生物を見つめた時から。宇宙、海中、ミクロの世界へと視線が向けられてきた▼「われわれの世界は微小な星屑(ほしくず)にすぎず、宇宙では針の尖(さき)ほどにしか見えない」。望遠鏡などない時代、科学者でもあったダビンチは書いた。想像すること、確かめること、解き明かすこと。これからも歩む道のりであろう。
译文: https://www.douban.com/note/714011787/
2019年4月13日(土)付 名古屋地裁の判決
昨年のノーベル平和賞を贈られたデニ・ムクウェゲさんは、コンゴ民主共和国の婦人科医である。紛争下で性暴力にさらされた女性たちをずっと支援してきた。その長い経験から彼は言う。「レイプは性的テロリズムだ」▼紛争地でなくても、性犯罪が被害者にとって、理由もなく襲い来る恐怖であることに変わりはない。混乱や絶望、あるいは凍り付くような感覚が、被害者の口から語られる。「魂の殺人」と言われるゆえんである▼そんな被害に苦しむ多くの人たちの心を、もう一度殺すような判決ではないだろうか。当時19歳だった実の娘と性交したとして準強制性交罪に問われた父親に対し、名古屋地裁岡崎支部が無罪を言い渡した▼被害者は中学生の頃から性的虐待を受け、拒むと暴力を振るわれることもあった。事件当時、父親の精神的な支配下にあったことも、被害者の意に反する性交だったことも、裁判官は認めている。しかし結論は「抵抗不能の状態だったとは判断できない」となった▼子どもを守るはずの家庭は、ときに恐ろしい密室にもなる。長く続いた虐待があり、その延長線上に今回の事件もあるという事実を軽視した判決ではないだろうか。検察は判決を不服として控訴した▼一昨年の刑法改正では、被害者の告訴がなくても性犯罪が成立するなど、前進がいくつか見られた。それでもまだ、実態に追いついていない部分があるのかもしれない。魂を殺す行為が、法の網から漏れることがあってはならない。
译文: https://www.douban.com/note/714165343/
2019年4月14日(日)付 ライオンの恋
熊本市動植物園の獣医師松本充史(あつし)さん(46)は、3年前の夜、残業中、強烈な揺れに見舞われた。真っ先にたしかめたのは猛獣たちの安否である。トラ、ユキヒョウ、ライオンなど5頭とも無事だった。だが、問い合わせの電話が次々入る。「ライオンが逃げ出したんですか」▼SNSを見ると、夜の住宅街を歩くライオンの写真が拡散していた。「動物園からライオン放たれたんだが 熊本」。悪質なデマである。ネットが不調で、正確な情報を公式サイトで発信するのに一昼夜を要した▼前震と本震で、園は混乱を極める。獣舎は傾き、液状化した土砂が流れ込んだ。何より困ったのは断水だ。動物は水なしでは生きられない。さらなる揺れを警戒し、猛獣を避難させることも決まった▼阪神や東日本など大震災をへて、動物園は災害支援の輪を育ててきた。動物園や水族館を結ぶ組織が、水族館用の巨大水槽を届けてくれたほか、猛獣の受け入れ先も斡旋(あっせん)。災害時では初めてという猛獣の県外避難が実現した▼園が全面的に再開したのは昨年の暮れ。福岡、大分両県に預けていた5頭も帰ってきた。ライオンの雄サン(10)は、避難先から結婚相手の雌クリア(5)を連れて帰還。相性がよく繁殖が期待できるため、「熊本の復興に資するなら」と譲渡されたという▼生まれ変わった施設、職員の得た教訓を学ぼうと、他県の動物園から視察がやって来る。地震大国日本で、動物園を結ぶネットワークがよりいっそう深化することを願う。
2019年4月15日(月)休刊
2019年4月16日(火)付 朝ドラ史
NHKの連続テレビ小説を熱心に見たのは小学生のころ。長らく遠ざかっていたが、実家や職場ではたえず話題に上がる。いまの作品で通算100作に。その魅力は何だろう▼「日本の家族観や職業観を培ってきた。出来不出来はあっても必ず見ます」。そう語るのは田幸(たこう)和歌子さん(46)。『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』という著書をもつドラマ評論家だ▼過去99作を日本の歴史にたとえてもらった。番組の始まりは1961年。武者小路実篤や川端康成ら文豪に頼った。初老の男性を主人公に据えるなど、模索続きの「縄文・弥生時代」だった▼番組の方向性が定まった、いわば「大和政権」の成立は、第6作の「おはなはん」から。「おてんば少女が災禍に負けず成長していくという路線が確立しました」。第31作「おしん」の成功は以後、制作陣の目標となり、これで幕藩体制が固まった。新風を吹き込んだ第88作「あまちゃん」は明治維新級の存在感を放つという▼朝ドラのマンネリ化を嘆く声は途切れない。それでも登場人物の延命をNHKに訴えるなど、熱心な視聴者は決して少なくない。貧しくも快活なヒロインが、最後は幸せをつかむ。変わらぬ人気の背景には、そんな安心感もあるらしい▼戦災孤児の少女が、父親の戦友の故郷・北海道の牧場で働く……。放送中の「なつぞら」である。定石と言えば定石通りなのに、毎日見ているうち、主人公の気持ちに同化していく。つくづく不思議な磁力である。
译文: https://www.douban.com/note/714549211/
2019年4月17日(水)付 天文学者逝く
冬空にきらめく星団すばる。漢字なら「昴」だが、沖縄では古くは「ぼれ星」、ハワイでは「マカリイ」と呼ばれた――。先週亡くなった海部宣男(かいふのりお)さんの『天文歳時記』に教わった知識である▼宇宙の魅力を伝えることに心を砕いた天文学者だった。若いころから、ギリシャ神話や漢籍、江戸俳諧など古今の詩歌に親しみ、描かれた宇宙観を雑誌の連載で平易に解説した▼少年時代、星空に何かを発見したいと望遠鏡を手作りして、観察に熱中している。天文学の道に進み、宇宙に浮かぶガスやちりなど星間物質の研究に打ち込んだ。長野県の野辺山高原で電波望遠鏡の設計や建設に関わり、ハワイに設けられた日本の観測所では初代所長に。国際天文学連合の会長としても活躍した▼業績の第一は、建設を主導したハワイ・マウナケア山の高性能望遠鏡「すばる」だろう。1998年末、初観測で狙ったのはオリオン星雲。生まれたての超巨星が四方八方に衝撃波を放つ写真が世界の目をとらえた。「星の赤ちゃん、大暴れの図である」と観測時の興奮を自著に刻んだ▼戦争をめぐる科学者の責任についても積極的な発言を続けた。4年前、安全保障法制をめぐる強引な国会運営を憂え、「中韓との関係が悪化し、天文学研究の協力が進まなくなった」と反対の声を上げた▼詩文を読んでも名画を見ても、思考の焦点は宇宙や天体にしっかりと結ばれていたようである。享年75。少年時代から飽かず見つめた天空へ静かに戻っていった。
译文: https://www.douban.com/note/714678783/
2019年4月18日(木)付 ルパンの故郷
狙った金品は必ず手に入れる不死身の盗人ルパン三世。絵柄も話の運びもおよそ日本離れしている。作者はモンキー・パンチ。人をくったようなその名を初めて見た日、どこか異国の漫画家だろうと思いこんだ▼本名は加藤一彦さん。北海道の東端に近い浜中町で生まれた。霧多布(きりたっぷ)湿原を抱える静かな町である。家業のコンブ採りを手伝いつつ、「三銃士」や「怪人二十面相」を読みふける。定時制高校を卒業すると、漫画家を志して上京した▼出版各社に送った同人誌の表紙絵が、ある漫画誌編集長の目にとまる。デビューは28歳。「この絵は加藤一彦という雰囲気じゃない」。編集長の付けた筆名がモンキー・パンチだった。「ルパン三世」はアニメや映画になり、世代を超えて浸透した▼「漫画で描く霧や岩は故郷・霧多布の風景です」。北海道を訪れると講演でそう語った。浜中町商工観光課によると、飲食街の一角は「ルパン三世通り」と呼ばれる。おなじみの登場人物にちなむ「パブ不二子」「次元バー」の英字看板が空き店舗に掲げられ、人気の撮影場所である▼町内を走るJR根室線の3駅では、人物大の絵パネルが観光客を迎える。ルパンの名を冠した町おこし行事には加藤さん自身もたびたび参加し、笑顔を振りまいた▼温和で控えめ、偉ぶらない。広く慕われた漫画家が81歳で亡くなった。若いころ使ったという筆名「ムタ永二」のままだったとしたら、あれほど神機縦横なルパンの活躍はなかったかもしれない。
译文: https://www.douban.com/note/714887993/
2019年4月19日(金)付 ある歴史家の警告
昔の学生は英語の辞書を破っては食べて覚えたものだ……。高校の教師に言われても真に受けなかったが、明治期の福島県が生んだ秀才、朝河(あさかわ)貫一・米エール大教授の場合、食べた辞書の名まで語り継がれている▼「食べ終えて残った辞書の表紙は、母校の県立安積(あさか)高校の校庭の桜の下に埋められた。朝河桜と呼ばれています」と語るのは歴史学者の甚野尚志(じんのたかし)早大教授(61)。昨年11月に結成された「朝河貫一学術協会」の発起人の一人だ▼朝河は1873(明治6)年、旧二本松藩士の家に生まれた。語学に秀で、早大の前身・東京専門学校から米国の大学へ進む。級友から親しみを込めて「サムライ」と呼ばれた。名門エールに教職を得ると、日欧の封建制を研究した▼現実の国際情勢にも背を向けず、独善に陥った日本の外交には繰り返し警鐘を鳴らした。早くも明治の末年、いずれ日本は世界の中で孤立し、米国の怒りを買って破滅すると述べている(『日本の禍機(かき)』)。戦後の1948(昭和23)年、米国で没した▼「注目すべきは視野の広さ。史料の海におぼれ、視座を見失いがちないまの歴史学者には学ぶべき点が多い」と甚野さん。学術協会は今後、残された膨大な草稿や書簡を分析し、研究を深めていく予定だ▼安積高校の校庭ではちょうどいま、朝河桜が満開を迎えた。没後70年を過ぎ、残念ながら地元福島と歴史学界を除けば、その名は記憶から薄れつつある。全業績、全人物像に改めて光をあてたい歴史家である。
译文: https://www.douban.com/note/715025950/
2019年4月20日(土)付 4月の後悔
4月の下旬になると、小さな悔いを思い出す。社会人1年目の春、ようやく就職し、せっかく初任給をもらいながら、家族に感謝の品すら贈らないまま終わってしまった。せめて食事に誘えばよかったと後々まで反省した▼漫画家深谷かほるさん(56)の代表作『夜廻(よまわ)り猫』に、初任給をめぐる一話がある。働き始めた若者が祖父をカレーチェーンCoCo壱番屋に誘う。差し向かいで夕食をとり、若者が財布を取り出す。「給料もらったらじいちゃんとうまいもの食べに行こうと思ってたから」。レジで支払いをする若者の背に、祖父は深く頭を下げ、手を合わせる▼読んで胸に迫るものがあった。作者の深谷さんに尋ねてみると、実話という。「新潟県のカレー店で知人が見たままを描きました」。通い慣れた店を選ぶ若者の素直さ、孫の好意に感激した祖父の表情。その両方に感じ入ったと話す▼「お給料をもらうのってすごく大変なこと。社会に出てからわかりました」と語る。職場があること、健康であること。いろいろな条件が重ならないと給与生活は送れない。深谷さんの実感である▼多くの職場では、来週あたりが支給日だろうか。三井ダイレクト損保は昨年、新社会人300人に初任給の使途を尋ねた。最も多かった答えは「親にプレゼントを購入」だった。貯蓄や外食、旅行を上回っている▼〈初任給にて娘の買いくれし広辞苑三十年繰りて共に旧(ふ)りたり〉高原康子。贈られた側にとってはまさに一生ものの宝である。
2019年4月21日(日)付 捜査妨害と慣れ
映画の山場に、流血のシーンがあるとする。観客を驚かせ、怖がらせるには、その場面より前に赤い色を一切使わない。効果的な演出の一つだと、何かで読んだことがある。鮮烈な赤に対する「慣れ」が、見る人に生じないようにするのだ▼ひどい言動が続き、そのひどさに「慣れ」てしまいそうなのがトランプ米大統領である。今回明らかになったのは捜査妨害の企ての数々。「またか」という気もするが、その行為はやはり「まさか」と言うべきものだ▼大統領選でロシア政府と共謀があったのでは。そんな疑惑をめぐる捜査をやめさせようと必死になっていた様子が、司法省の報告書で明るみに出た。マラー特別検察官を解任しようと、大統領が画策していた▼解任が無理となると、捜査を縮小させようとしたり、自分に近い司法長官に介入させようとしたり。捜査妨害の疑惑は10件に達する。潔白であるならば必要のない行為ではないか。訴追には至らなかったが、議会での追及が続きそうだ▼救いがあるとすれば、トランプ氏の指示を聞き入れなかった高官がいたことか。そんなことをするくらいならと辞任した人がいた。拒否して解任された人がいた。司法の独立の大切さを認識するがゆえであろう▼「慣れる」は「馴(な)れる」とも書くが、後者は動物が人になつくという意味もある。トランプ氏の言動には慣れても、いついかなる時もシッポを振るほど馴れきってはいない。そんな人が大統領の周囲にいた。今はどうだろう。
译文: https://www.douban.com/note/715222595/
2019年4月22日(月)付 巨人の肩の上
「一種のパクリはいっぱいありますよ……」。脚本家の倉本聰さんが対談で告白している。例えば洋画の「ゴッドファーザー」。裏切った男が「昔なじみだから助けてくれ」と頼むものの殺される場面がある。セリフをそのまま自分の映画に使ったという▼16回見たという邦画「また逢(あ)う日まで」は、セリフをほとんど暗記している。「だから何かのはずみにそれがひゅっと出てきたりする」(『ドラマへの遺言』)。大脚本家も、過去の作品から大きな影響を受けている▼「私が他人より遠くを見ることができたとしたら、巨人の肩の上に立っていたから」とニュートンは書いた。芸術も科学も、先人たちの業績の上に優れた仕事が生まれる。そう思うと興味深い動きである。美術館がインターネットで収蔵品の無料公開を進めている▼著作権切れの作品の画像を自由にダウンロードできるようにするもので、欧米が先行した。国内勢は後手に回っていたが、愛知県美術館が始めたと本紙にあった。ムンクやクリムト、伊藤若冲もあり、二次創作に使っても構わないという▼ネット全盛の時代、作品の権利をどう守るかが重要な課題になっている。とりわけ音楽や漫画で試行錯誤が続く。しかし引き締めが過ぎれば、未来を担う世代が、過去の作品から学びにくくなるかもしれない。バランスが難しい▼美術館に通い、模写をした……。洋行し修業した画家たちには、そんな話が多い。デジタル時代は、どんな下積み物語が紡がれるか。
译文: https://www.douban.com/note/715348719/
2019年4月23日(火)付 スリランカの連続爆発
明治初期の岩倉使節団は、米欧からの帰りにセイロン島、すなわち今のスリランカに立ち寄っている。直前に滞在していた欧州と比べ「人間にとっての極楽と感じてしまうようである」との感想を残した(『米欧回覧実記』水澤周〈しゅう〉現代語訳)。山の緑や水の青さ、澄んだ空気に感銘を受けたという▼もっとも現地の人については、温和で礼儀があるとしつつも「無欲過ぎる」「積極的でない」などマイナスの評価をしている。列強に追いつこうとする当時のエリートには、穏やかすぎる社会と映ったか▼自然の豊かさや人びとの温和さ、そして仏教遺跡の荘厳さ。すべてが魅力となり、スリランカは今、多くの観光客を引き付けている。日本からも年間4万人超が訪れる。そんな国の都市がテロに引き裂かれた▼爆発が8カ所で連続して発生し、ホテルやキリスト教会などが標的になった。教会では礼拝のさなかに爆発が起きたという。イスラム過激派の関与があったとスリランカ政府は指摘している▼犯行は計画的で、多くは自爆テロだったようだ。自分の命をたんなる道具として扱う。殺す相手の命を数量としてしか考えない。そんな蛮行が、またも繰り返された。背景にはいったい、どんな憎悪があったのか▼亡くなった一人、高橋香さんはスリランカ在住という。犠牲者にはスリランカ人だけでなく外国人も少なくなかった。一人ひとりが外の世界との架け橋になっていたはずである。そんな営みもすべて、爆弾が吹き飛ばした。
译文: https://www.douban.com/note/715493498/
2019年4月24日(水)付 4年後に
今回の統一地方選で目を引いたニュースに、当選を辞退した人の話があった。長野県辰野町議選で欠員が出そうだと知り、ある男性が飛び込みで立候補を届け出た。そのまま無投票で当選したが、2日後になって辞退を申し出た▼「家族や地域の理解が得られなかった」のが理由という。町の担当者が「辞退は前代未聞」と頭を抱えていると、本紙長野県版にあった。こんな騒動が起きるのも、欠員や無投票がいまや日常風景になったせいか▼「議員のなり手がいなくなるのは当然です」。そう言うのは政治学者の待鳥聡史・京都大教授である。議員として新しいことをしようにも財政が厳しい。何か失敗すれば、きつく批判される。立候補するには仕事をやめないといけない。それに見合う報酬もないのに……▼必要なのは「議員に何を期待するのか」を再定義することだという。一つのやり方はプロとして責任を重くし、報酬も上げる。もう一つは首長を監視するアマチュアだと割り切り、兼業をおおいに認めて、報酬も日当程度にする▼アマチュア議会を想像してみる。学校の先生が授業を終えて、議場にかけつける。Tシャツ姿の人が質問に立つ。託児施設が設けられ、時おり子どもの声が聞こえる。議論は真剣、かつ、にぎやかである▼何事も締め切りが大事だ。わが議会はどうするかの議論をすぐに始め、次の選挙までに必要な改革をする。そのくらいのスピード感がほしい。4年後の統一地方選でまた頭を抱えないために。
译文: https://www.douban.com/note/715646295/
2019年4月25日(木)付 安吾が「欺瞞」と呼んだもの
敗戦の年の夏のことを、作家の坂口安吾が苦々しく書いている。「国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘(うそ)をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」。われら国民は戦争をやめたくて仕方がなかったではないかと(「続堕落論」)▼日本人のそんな振るまいを安吾は、「歴史的大欺瞞(ぎまん)」と呼んだ。死にたくない、戦争が終わってほしいと切に欲していたのに、自分たちでは何も言えず、権威の行動と価値観に身をゆだねる。自らを欺く行為に等しいと、安吾には映った▼天皇が元首だった当時とは違い、象徴と位置づけられる現代である。それでも似たような精神構造をどこかで引きずってはいないだろうか▼「象徴としての務め」は、平成に入ってから目立つようになった。なかでも第2次大戦の戦地への訪問の一つひとつは、日本の加害の歴史を忘れないようにという試みだったのだろう。平和憲法を体現する道ともいえる。しかし、こうも思う。その営みは、天皇という権威が担えばすむことなのか▼「おまかせ民主主義」という言葉がある。投票にも行かず政治家や官僚に従うことを指す。同じようにすごく大事なことを「象徴の務め」にまかせて、考えるのを怠ってこなかったか。天皇制という、民主主義とはやや異質な仕組みを介して▼世襲に由来する権威を何となくありがたがり、ときに、よりどころにする。そんな姿勢を少しずつ変えていく時期が、来ているのではないか。
译文: https://www.douban.com/note/715836896/
2019年4月26日(金)付 締め切りと甘え
作家の締め切り話を集めた左右社編集部編『〆切(しめきり)本』には、苦しい言い訳がいくつも出てくる。「風邪気味なもんで」から始まる高橋源一郎さんの場合、「こんどはワイフが風邪をひいちゃって」「ワイフの祖母が風邪をひいたんで実家に看病に」と発展する▼最後は猫にまで風邪をひかせる。そんな虚言を聞かされても「怒って暴れたりしない編集者はまさに神のような人柄といえよう」と高橋さんは書く。要するに編集者に甘えているのだ▼さてこちらは原発をめぐる甘えである。航空機でテロ攻撃された場合の備えを「5年以内」にするよう求められているが、締め切りに間に合わない。期限を延ばしてほしいと、三つの電力会社が原子力規制委員会に泣きついた▼遠隔操作で原子炉を冷却する設備をつくるため「山の掘削などに時間がかかる」と電力会社は主張する。みんなで頼めば国が何とかしてくれると思ったかもしれないが、規制委員会からは一蹴された。鹿児島・川内(せんだい)原発などが停止になる方向という▼テロなどめったにない、との甘さもあるのだろう。ついこの間まで北朝鮮がミサイル実験を繰り返していたのを忘れたのだろうか。そもそも巨大津波などあるわけがない、との油断から福島の事故が起きている▼『〆切本』には、きまじめな例もある。吉村昭さんは締め切り寸前だとパニックになるので、余裕を持って原稿を編集者に渡していた。「早くてすみませんが」と書き添えて。電力会社さん、聞いてますか。
2019年4月27日(土)付 10連休に
読書に集中しようにも家では気が散るし、喫茶店も長居がためらわれる。結局、通勤電車の中がいちばん本の世界に入り込める。ならばいっそ本を読むために旅に出てはどうか。そう考え、書店員の高頭(たかとう)佐和子さんがときおり実践するのが「遠征読書」だ▼移動時間は長いほどいいので、特急や新幹線には乗らない。名物の食べ物や美術館などと組み合わせる。各地のマラソン大会に出るように「あちこち出かけて読書する人がいてもいいんじゃないかしら」。高頭さんが『旅する本の雑誌』に書いていた▼先日、高頭さんおすすめの宇都宮へと日帰りの遠征読書に行ってみた。人気の餃子(ぎょうざ)店の行列は長かったが、待つ間もページが進んだ。場所や雰囲気が違うと、本も別の表情を見せるようだ▼遠征というと試合のイメージだが、探検などに行く意味もある。今日からの10連休。まるまる休める方も、そうでない方も、ちょっとした遠征を試みてはいかがだろう。ふらりと駅を降り、散歩をする。知らないまちの銭湯に入ってみるのもいい▼外に出なくてもできる遠征はある。しばらく会っていない人に手紙を書く。昔よく聴いたCDを探してみる。いつもの忙しさから離れる時間が長ければ長いほど、別の自分が顔を出すときがある。あれ、こんなことが好きだったっけと。それもまた心の遠征であろう▼アンケートなどを見ると、連休に何をするか決まっていない人も多いようだ。白紙を一日一日埋めていくほど贅沢(ぜいたく)なことはない。
译文: https://www.douban.com/note/716076117/
2019年4月28日(日)付 審判という仕事
褒められることは少なく、注目されるのは失敗ばかり。プロ野球の審判もそんな労多き仕事である。38年間務めた田中俊幸さんは「いいジャッジをしてもミスがあっても、その夜はなかなか寝つけない」と著書で振り返っている▼似た夜を過ごしたろう。先日の中日―ヤクルト戦で二塁塁審の判定が誤審となった。1死二塁で頭上を越す打球を背走して捕らえた二塁手は、飛び出した走者を見て二塁へ送球。塁審はセーフと判定したがビデオ検証で併殺に覆った▼映像には三塁、一塁へも顔を向ける塁審の姿が残る。プレーの最後を見落としたような視線の動きには「よそ見」の声も飛び交うが、事情はもっと複雑なようだ。審判は想定がいくつもあり、走者の有無や打球の方向で陣形を変えていく。つねに瞬時の判断が問われるという▼ビデオ検証は審判に加えて昨年からチームも求めることができるようになった。最初の1年では494件中162件が覆った。誤審が3割とは多い気もするが、審判は「世紀の誤審を犯す重圧が減った」と好意的なようだ▼米国では今季から独立リーグで、ストライクとボールを判定する機械を試行する。軍事用レーダーを応用して判定し、球審のイヤホンに伝える。誤差は1センチ余りとされる。それでも最後の判断は人間だという。例えば打者がバットを振ったか止めたか判定できないからだ▼審判が担う複雑さを改めて実感する。誤審は起きる、と肩の力を抜いて見るのも野球観戦のこつだろうか。
2019年4月29日(月)付 恋なき国
「わが国の男女は恋愛することが、下手なのである」。菊池寛は昭和初期、『恋愛と結婚の書』を著した。その半世紀前、福沢諭吉は『男女交際論』で、日本の近代化には男女の自由交際が必要だと説いている▼「明治から昭和の初めまで、恋愛論は高い関心を呼びました」と話すのは、東京・田端の文士村記念館の種井丈(じょう)研究員(31)。当時の作家らがどんな交際をし、恋愛観を抱いたかを示す企画展「恋からはじまる物語」を担当する(5月6日まで)▼明治の日本に「恋愛」という概念はなかったという。自由恋愛そのものになじみが薄く、結婚は家と家を結ぶものという常識に支配されていた。「親が子を思う『愛』なら庶民にも浸透していましたが、『恋』は維新後に輸入・翻訳された新しい考え方です」▼展示された文士らの言葉はどれも熱い。「文ちゃん(後の妻)がお菓子なら頭から食べてしまひたい」と芥川龍之介。「愛は戦だといふ。長い戦で短い恋だったね」と竹久夢二。林芙美子は「私の可愛いくちびるをおくります」と便箋(びんせん)にキスマークを付けて書き送っている▼「恋人が欲しいですか」。内閣府が数年前、20代と30代の男女約2千人に尋ねたところ、欲しくないという答えが4割近かった。最も多かった理由は「恋愛が面倒」。時代により「恋愛観」がかくも違うとは▼恋という営みは今も昔も変わらないはずなのに、国の近代化に役立つと奨励されたり、単に面倒だったり。恋愛をめぐる議論の振幅に驚く。
译文: https://www.douban.com/note/716391752/
2019年4月30日(火)付 平成最後の日に
「10連休中は猫の手も借りたいくらいです」。にぎわいが続く岐阜県関市の「道の駅平成(へいせい)」で、うれしい悲鳴を聞いた。連日、遠来の客たちが「平成ラーメン」や「平成弁当」を食べ、「平成しいたけ」「平成メモ帳」を買う▼30年前、平成に変わった直後、地元は混乱を極めた。わずか9戸の旧武儀(むぎ)町・平成(へなり)地区に日に何百台も車が押し寄せ、慣れない交通渋滞が起きた。平成の地名の入った標識が盗まれたこともある▼平成ブームは数年で去った。しかし生前退位の準備が進んだ昨秋、再び観光の大波が戻る。「平成のうちに平成に行っておこうと思う方々がこれほど多いとは。私たちに観光立村の機会を与えてくれた平成時代は、宝物のようです」。道の駅の店員は笑顔で話す▼ふりかえれば、昭和の最後の日々は様相が違った。天皇の病状悪化とともに、企業や自治体に行事を中止する動きが広まり、学校の運動会も延期に。デパートの売り場から「赤飯」が消えた。あの当時の行き過ぎた自粛の空気を思い出すと、いまでも胸が苦しくなる▼大正も明治も、ほぼ昭和と同じような最後を迎えている。当時の本紙の紙面を繰ると、「御不良」「御危険」と容体報道が続く。演劇や歌舞伎など歌舞音曲のたぐいは自粛されたようである▼私たちがいま目撃しているのは、近代史にもまれな、過度の自粛を伴わぬ「代替わり」である。「道の駅平成」を訪ね、平成最後の日々をまるで歳末のように楽しむ姿が、何とも新鮮に思われた。
译文: https://www.douban.com/note/716500474/
天声人语原文: