天声人语原文 2019年2月
2019年2月1日(金)付 一生懸命な統計
統計といえば、味気のない数字が並ぶ印象だ。しかし、こんな楽しいものもある。小学校のみんなに好きな虫を聞いて、絵入りの棒グラフを作る。きょうの朝ごはんは何だったか、70人の子どもと大人に教えてもらう▼統計情報研究開発センターが昨年、小学生から募った統計グラフである。コンクールで文部科学大臣賞に選ばれたのは、1カ月間、登校時の荷物の重さをこつこつ量った記録だった。日々スイカ1個分ほどあり、月曜はとくに重い……。資料的価値もありそうな力作だ▼どの作品からも伝わるのは、子どもたちの一生懸命さである。統計をめぐっては厚生労働省の大人たちも一生懸命なようだ。きちんと調べるためでなく、手抜きをごまかすために▼毎月勤労統計で調べるべき事業所の数を勝手に減らしていた。怠慢が外部にばれぬよう、あの手この手を使っていた。そうとしか思えない事実が次々と明るみに出ている。人手や予算が足りないなら改善策を講ずるべきだが、それも面倒くさかったか▼問題の検証もやるにはやった。外部有識者による聞き取り調査だとしていたが、実際は7割近くを「身内」の厚労省職員が行っていた。「組織的隠蔽(いんぺい)はなかった」という報告書が、どうも組織的に作られたようなのだ。なかなか念が入っている▼先のコンクールは小学生のほか中高生からも作品を募り、毎年開いている。社会をはかる物さしの大切さを知ってもらう。そんな啓発活動は、霞が関の役人たちにこそ必要か。
译文: https://www.douban.com/note/705649459/
2019年2月2日(土)付 2月に
春の気配を探したくなるが、なかなか見つからない。この時分になると思い出すのが、吉野弘さんの詩「二月の小舟」である。〈冬を運び出すにしては 小さすぎる舟です。春を運びこむにしても 小さすぎる舟です。〉▼2月は短く、そしてまだ寒い。〈川の胸乳(むなぢ)がふくらむまでは まだまだ、時間が掛かるでしょう。〉。雪が溶け、川の水が増える春を楽しみに、ゆっくり待ちましょうよ。そんなふうに声をかけられている気がする▼寒さは、植物の種子にとってなくてはならないものだと、植物生理学者の田中修さんの著書で知った。実験用の容器で秋に発芽させようとしても、うまくいかない。しかし、しばらく冷蔵庫に入れた種子は芽が出やすくなるという▼冬の前に発芽してしまったら、その後の寒さで枯れてしまう。種子はよく知っているのだ。寒さにたえているのは冬芽も同じだろう。通勤の途中、茶色く寂しげなアジサイの茎に、堅く閉じた芽を見た。コートを着込み、マフラーをまくかのように▼高校や大学の入学試験がこれから本番を迎える。フリーアナウンサーの川田裕美(かわたひろみ)さんが最近の本紙で語っていた。「思い切り、焦ったり緊張したりしてもいい。そして、そういう自分をおもしろがってください」。寒風を和らげるようなエールである▼手元の歳時記を見ると、旧暦2月の別名である如月(きさらぎ)は、衣更着の字もあてられる。寒さをしのぐため、衣を重ねるからだ。暖かくして、大一番に風邪などひかぬように。
译文: https://www.douban.com/note/705732059/
2019年2月3日(日)付 雪の八甲田山
降りしきる雪を見ると思い出す映画がある。高倉健さん主演の「八甲田山」。遭難した兵士たちが、限界を超える寒さに狂い、滑り落ち、力尽きる。そんな場面に映画館の客席で震えた▼青森市に住む元自衛官伊藤薫さん(60)は、厳冬期の八甲田山演習に10度参加した。事前に圧雪車を走らせ、安全には万全を期す。それでも空が荒れると、視界は鉛色に。方向感覚を失いそうになる。「雪原のブナが人に見える。明治の兵士たちが救助者と見誤って歓喜したのもわかります」▼遭難は1902(明治35)年に起きた。日露開戦に備え、旧陸軍の青森第5連隊210人が山越えに挑み、199人が死亡。山岳史に残る大惨事となった。作家の新田次郎は小説『八甲田山死の彷徨(ほうこう)』を著した▼伊藤さんの入隊した77年、映画が公開された。演習で現地を知れば知るほど、遭難の実相に関心が募る。生存隊員の証言テープを聴き取り、国会図書館で文献を丹念に調べた。成果を1年前、『八甲田山 消された真実』として世に問うた▼「記録的な大風雪に見舞われたのは不運ですが、それより指揮官が雪山を甘く見たのが決定的。遠足のような装備で、露営の準備も凍傷対策もおざなりでした」。事故の報告文書には、軍上層部による責任逃れの跡がいくつも見られるという▼八甲田山のふもとに隊員たちの眠る墓園がある。名を刻んだ墓標は一本残らず雪に埋もれていた。生還の道を失い、身を寄せ合って凍えた隊員たちの苦難と重なった。
译文: https://www.douban.com/note/705812041/
2019年2月4日(月)付 臘梅の里
丹沢の山々に抱かれた神奈川県松田町の寄(やどりき)地区では、いま2万本もの臘梅(ロウバイ)が咲きほこる。13年前、寄中学校の生徒が卒業記念に250株の苗を植えたのが始まりだ▼「臘梅は冬に咲く。ほかの花々より断然早い。町おこしにならないか」。大舘達治(おおだちたつじ)さん(73)ら地元森林組合のメンバーが、荒れ放題だった畑を再開墾し、毎年数百株ずつ植え足してきた。植樹当日は卒業まぎわの小6や中3の生徒を招いた▼野鳥に芽を食い荒らされた年もあったが、メンバーはあきらめずに剪定(せんてい)、施肥、下草刈りを続ける。群馬や埼玉など他県の名所を見学して運営方法も研究。細々と始まった「寄ロウバイ園」に訪れる人は増え、丹沢の新しい観光地となった▼園誕生のきっかけになった寄中学は、今年度で閉鎖される。春からは隣の中学に統合されるという。「母校が消えるのはやはり寂しい。でも臘梅の盛りには2万人が来てくれる。励みになります」と大舘さん▼8回目となる今年の「寄ロウバイまつり」は11日まで。園内には甘い香りがあふれ、花もつぼみも蝋(ろう)細工のような光沢を放つ。濃い黄色は満月臘梅、淡いレモン色は素心(そしん)臘梅。花色はずいぶん異なる。見渡せば、冬空の青、雪山の白との対比が鮮やかだ▼〈臘梅のひかりに未知の月日透く〉谷内茂。半透明の花は冬の陽光を一身に吸い込んで輝く。少子化の大波にあらがえず、母校の歴史が閉じても、生徒たちが植えた臘梅は来年も必ず咲く。きょうは立春。暦の上ではもう春である。
2019年2月5日(火)付 香港で福島の美酒を
「絶無使用 日本福島米及食材」。5年ほど前、香港の和食店でそう大書したポスターを見かけた。きつすぎる文面にため息がこぼれた▼先日、久方ぶりに香港を訪れた。意外だったのは、福島産の日本酒が人気の的だったこと。「冩樂(しゃらく)」「十ロ万(とろまん)」。会津の銘酒を香港の人々が楽しげに酌み交わしているではないか。意識は変わりつつあるらしい▼福島県の担当課に聞くと、震災直後は54の国・地域で県産品の輸入に規制がかけられたが、いまは総数24に減った。その一つが香港だ。香港政府は昨夏、群馬や茨城など福島近隣4県の規制を解いた。あとは福島産の野菜や果物、乳製品を残すばかりとなった▼福島県の内堀雅雄知事は先月下旬、香港を訪れている。震災前までは全県の輸出農産物の8割が向かったという大得意先である。知事は安全性を説いて回ったが、輸入再開の確約を得るには至らなかった。「福島に対する意識、懸念や不安、心配が根強かった」。現地を歩いての偽らざる実感だろう▼短い間ながら記者として香港に駐在して感じたのは、日本の食材食品に寄せる人々の信頼の高さである。「価格は高くても安心」と幾度も言われた。事故後にいつまでも風評が収まらないのは、そうした長年の評価の裏返しなのかもしれない▼国外に限らず、風評との戦いではゴールが見えにくくなる。それでも福島のお酒を満喫する香港の人々には励まされる。今回の滞在中、「絶無」のポスターを見ることは絶えてなかった。
译文: https://www.douban.com/note/705967631/
2019年2月6日(水)付 ひし形の美
メルケル独首相(64)にはよく知られた癖がある。両手の指を突き合わせ、おなかの前で左右対称のひし形を作る。問われると「対称形が好きだから」。何とはなしに物理学者だった経歴を思わせる▼きのうまで日本を訪れ、官邸や皇居、大学を駆け抜けた。30時間に届かぬ滞在で、ひし形を披露するいとまはなかったかもしれない。一時はノーベル平和賞にも擬せられたが、難民危機で支持を失う。遠からず首相の座を譲るとの観測を聞く▼ふりかえれば劇的な人生である。生後まもなく西独から東独へ。数学やロシア語に秀でた模範生。だが家族は独裁体制に批判的だった。秘密警察の目をかわし、物理学を生計の道に選ぶ▼ベルリンの壁が崩れて政界に転ずる。統一なって初めての選挙で連邦議員に当選し、いきなり閣僚に。だが抜擢(ばってき)してくれた党幹部に疑惑が浮かぶと、ためらわず絶縁する。短命と目されながら、13年間も国を率いてきた▼「私は言論の自由のない国で育ちました。人々は不安におびえた。それは国全体にとっても悪いこと。先に進むことができなくなる」。4年前、東京の浜離宮朝日ホールで聴衆に語りかけた。講演録を読み返すと、記者として大いに勇気づけられる▼ユーロ危機を乗り越え、脱原発にカジを切る。ポピュリズムの嵐に行く手を阻まれたとはいえ、ドイツという巨船が何とか中道を航行して来られたのは、この人のバランス感覚あってこそだろう。「メルケルのひし形」は左右の均衡が美しい。
译文: https://www.douban.com/note/706040733/
2019年2月7日(木)付 日本スキー史の始祖
日本にスキーを伝えたのはオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒである。明治の末、新潟県や北海道で1本杖スキーを初歩から教えた。故国オーストリアでは有名人なのだろうか▼「知名度は低め。日本でスキーの伝道者として敬慕されていると報じられ、著名人入りした格好です」とレルヒに詳しい新井博・日本福祉大教授(62)。ゆかりのウィーンやプラハで研究し、評伝を著した▼レルヒが日本に駐在したのは日露戦争と第1次大戦の間の2年弱。敵対するロシア軍の動向を極東から探る狙いだった。「日本の新兵訓練には見るべきものがない」。演習を視察し、失望調の報告を本国へ送っている▼合間に楽しんだのがスキーや富士登山、大相撲見学だ。「お名残惜(お)しゅうございます」。上達した日本語で離任の辞を述べて母国へ戻った。まもなく最前線でロシア軍と銃火を交える。敗戦により帝国は瓦解(がかい)。軍一筋に生きたレルヒは道に迷った▼退役し、放浪の1年を送る。貿易会社を立ち上げるも長続きしない。自作の水彩画を日本の知友らに売って糊口(ここう)をしのいだ。長く想(おも)いを寄せた女性と結ばれたのは50代に入ってから。女性が子育てを終え、離婚するまで待った。誇り高く、一途な人柄が浮かぶ▼新潟の雪山で撮られた堂々たる軍服姿が私の頭にあって、全生涯を順風が包んだものと思い込んでいた。あの敗戦、その挫折、この困窮――。映画かドラマの脚本を書いてみたくなるほどの波乱に満ちた後半生ではないか。
译文: https://www.douban.com/note/706119482/
2019年2月8日(金)付 がんになる前に
公開中の映画「がんになる前に知っておくこと」を見て、何年か前のわが健康診断を思い出す。胃に「影」が見つかった。まさか自分が。再検査の結果を聞くまで、家族にあきれられるほど動揺した▼「がんが疑われて動揺しない人はいません」とこの映画を企画した上原拓治さん(45)。義妹を3年前、がんで失った。自分には無縁な病気。そう思うからこそ不安に陥る。がんについて一からわかる映画を目指し、三宅流(ながる)監督(44)とともに、医師や看護師、患者ら15人を取材。病気と向き合う手立てを丹念に拾った▼助からない病の代表では? 「がんイコール死というのは30年も前の古いイメージ。いまはがんと共存できる時代です」。専門医が力を込める▼怖くてしかたがない時は? 「患者の恐怖を医学は解決できません」。医師が限界を率直に語る。何より頼りになるのは経験者の生の声だ。患者たちはピア(仲間)サポートの部屋で不安をはき出す▼治療に納得できない場合は? 「医者はどうしても生存率にこだわる。ですが優先されるべきは患者の生きがい」。自身もがんと闘う医師が答える。好例として挙げられたのは舌がんの落語家。「高座に上がりたいから舌は切らない」と外科手術を断った▼あせらず、あわてず、あきらめず――。経営やスポーツの哲学としてしばしば聞く心構えがそのままあてはまるのではないか。生涯で2人に1人ががんを経験する時代、この病気と付き合う「知恵袋」のような映画である。
译文: https://www.douban.com/note/706205390/
2019年2月9日(土)付 国際ロマンス詐欺
「愛してる」「今度日本へ行く」「君は僕の太陽だ」――。米軍兵士から連日、情熱的な愛の言葉がSNSで届く。折々に戦地の写真も。今週、広島県警が摘発した恋愛詐欺の手口である▼逮捕されたのはナイジェリア国籍の男ら。一味は翻訳機能も使ってメッセージを4カ月間送り続けた。不幸な生い立ち、戦地での負傷。信じ込んだ広島県内の女性が「戦利品のダイヤモンドを通関させる費用」として大金を詐取されたという▼「国際ロマンス詐欺」と呼ぶそうだ。これとは別に、軍人や医師を装った外国籍の男4人が先月、福岡、埼玉両県警に逮捕されている。「軍隊を抜ける」「プライベートジェットで日本へ飛ぶ」と畳みかけた▼「化けも化けたり結婚詐欺男」。35年前、本紙にそんな見出しが躍った。米空軍大佐を名乗る人物が「私はハワイ王族の末裔(まつえい)」と女性をあざむいた。正体は、髪を金色に染め、手術で鼻を高くした日本人。演技力はたしかだったようである▼実在したこの詐欺師を堺雅人さんが熱演した映画『クヒオ大佐』を思い出す方もおられよう。舞台は湾岸戦争さなかの日本。爆音をラジカセで流しつつ「今からサダム・フセインの基地を偵察する」と電話をかける。自宅アパートとは方角違いの米軍基地の前で車を降りてみせる▼詐欺師は詐欺師なりに、あれこれ「努力」を重ねるらしい。ネタ本はあるのか。手口は仲間内で講習しているのか。愛の言葉の在庫はいくつあるのか。全容の解明が待たれます。
2019年2月10日(日)付 雪と梅
かつて、梅の花といえば紅梅ではなく白梅であった。国文学者の吉海直人(よしかいなおと)さんがそう書くのは、例えば「古今和歌集」に雪と梅のこんな歌があるからだ。〈春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く〉素性法師▼梅の枝に降り積もった雪を、咲いた花に見立てる。春を心に描きながら待つ様子が、伝わってくる。さて関東では、梅の花がほころび始めたところに雪となった。きのう都心を歩くと、街路樹が白い装いになっていた▼「大雪」というと雪国に住む人から笑われそうだが、久しぶりの銀世界である。冷え込みは各地に広がり、春の兆しまだ遠い北海道では、観測史上で最も強い寒気に見舞われた。陸別町などで気温が氷点下30度を下回ったというから、慣れた方でも厳しい日であっただろう▼雪かき、雪のけ、雪なげ。除雪の呼び名は、土地により変わる。北海道では「雪割り」の言い方もあるらしい。凍って硬くなった雪をスコップで砕いて捨てる。出身の作家、渡辺淳一さんが、春先になって雪割りをしたときのことを随筆に書いていた▼日々の除雪は白い悪魔への一時的な抵抗にすぎない。しかし春先の雪割りは「その悪魔への最終的な勝利の宣言でもある」。割った雪の下から懐かしい土が現れ、やがて福寿草などが芽を出す。そんなときを迎えるまで、いましばらくは我慢の日か▼南北に長い列島ゆえ、春の訪れる時期も、訪れたときの感動もそれぞれ違う。同じなのは静かに待つ気持ちであろうか。
2019年2月11日(月)付 矛先をそらす
千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さんが亡くなってから半月余りが過ぎた。胸がつぶれるような話ばかりが日々報じられる。娘に虐待を繰り返す父親を、母親も止められなかった。彼女は捜査当局に、こんな内容の供述をしているという▼「娘が暴力を振るわれていれば、自分が被害に遭うことはないと思った。仕方がなかった」。矛先が自分に向かわぬよう娘へとそらしたとすれば、信じがたい保身である。しかし、それと変わらぬ行動を、児童相談所や教育委員会もしていたのではないか▼野田市教委は父親の恫喝(どうかつ)に負け、心愛さんが暴力の被害を記したアンケートを渡した。「精神的に追い詰められて、やむにやまれず渡してしまった」という。その結果子どもがどう追い詰められるかは、考えないようにしたか▼言葉を失うのは、児童相談所の無為無策である。危険があるとして一時保護をしながらも、その後は腰が引けていた。家庭を訪問して父親と向き合うこともなかった。虐待問題のプロとして、介入する権限を十分持っているはずなのに▼二度と繰り返してはならない。昨年の3月、東京都目黒区で5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが虐待死したときにも、叫ばれた言葉である。起きたばかりの悲劇が、教訓にも自戒にもならなかった。鈍感さをもたらした根っこに何があるのか、いまだ明らかになっていない▼検証も対策も、一刻を争う。だれかたすけて。そんな小さな声はこの瞬間も、どこかから発せられているのだ。
译文: https://www.douban.com/note/706507263/
2019年2月12日(火)休刊
2019年2月13日(水)付 キッチン起業家
最近、お昼にラーメンを食べることが増えた。何しろテレビで毎朝毎朝、めんを作る場面を見せられるのだから。NHK連続テレビ小説「まんぷく」で、1950年代に即席ラーメンが発明された実話を扱っている▼「お湯をかければ食べられるラーメン」をめざす男が、庭に建てた小屋で試行錯誤する。だが友人の実業家からの反応は冷ややかだった。「そんなもん誰もほしがってない。家で作れるラーメンがあったらええなと思ってる奴(やつ)が、世の中にどれぐらいおんねん」▼その後はご承知の通り。日本発祥の即席めんは世界で年間1千億食の市場になった。「明日になれば、今日の非常識は常識になっている」。ドラマのモデル、日清食品創業者の安藤百福(ももふく)が残した言葉だ▼一方で彼は、優れた思いつきでも「時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない」とも語った(『転んでもただでは起きるな!』)。明日の常識になることに賭け、格闘するのが起業家なのだろう▼ガレージ起業家という言葉がある。アップルのスティーブ・ジョブズが、自宅ガレージでコンピューターを作り始めたのは有名な話だ。安藤の場合はキッチン起業家か。今もどこかの倉庫や台所で、未来を変える企てがあるかと思うと、わくわくする▼「歴史のページにまだ書かれていないことを読み取るのが僕らの仕事なんだ」。ジョブズの言葉が彼の評伝にある。かっこよすぎる? いや、そのくらいの気概がなければ、世の中は変えられない。
译文: https://www.douban.com/note/706706180/
2019年2月14日(木)付 オーウェルの観察
『一九八四年』で知られる作家のジョージ・オーウェルは若い頃、パリで貧乏生活をしていた。ホテルの仕事にありつき、その厨房(ちゅうぼう)での様子を『パリ・ロンドン放浪記』で書いている。客ならば絶対に読みたくない描写である▼ステーキはテーブルに運ぶ前に、コック長が検査をする。指先で皿をぐるりと拭き、肉汁をなめて味を確かめるのだ。手を洗うこともなく、それが何度も繰り返される。スープの中につばを吐くコックの話も出てくる▼1920年代、後の作家がもぐり込まなければ、世に出なかったかもしれない舞台裏である。現代なら、もっと簡単だ。お店の裏側でアルバイトらが動画を自分で撮り、SNSでネットに流す例が相次いでいる▼回転ずし店では、ゴミ箱に捨てた魚をまな板に戻す様子が。カラオケ店では、唐揚げを床にすりつける様子が。コンビニでは、ペットボトルのふたをなめる様子が。度が過ぎた悪ふざけである。「バイトテロ」とも呼ばれているらしい▼いつも行く店では、まさかそんなことはないと思いたい。しかし考えてみれば、口に入れるまでいかに多くの人の手を通り、会ったこともない人たちを信じ切って暮らしていることか。外食や、調理済みの食品に頼るのがすっかり日常になった▼料理は、たんなる「注文」。食べ物を食べ物と考えていない――。当時のホテル従業員についてのオーウェルの観察である。現代の食の現場では、たんなる「SNSのネタ」に成り下がってしまったか。
译文: https://www.douban.com/note/706844341/
2019年2月15日(金)付 ロボット供養
役割を終えた道具に、感謝の気持ちを示す。日本の各地で見られる道具供養の習慣である。鎌倉の神社では毎年、絵筆を供養する行事があり、使い終えた筆を燃やしている。漫画「フクちゃん」で知られる横山隆一も、かつて参列していた▼長く親しんだ道具は、そのまま捨てるにしのびない。モノというより、相棒や分身のように感じる人もいるだろう。包丁供養や針供養などは古くからあり、近頃はロボット犬AIBO(アイボ)の供養もあるらしい▼こちらのロボットも長年の労をねぎらい、できれば供養したくなる。約15年間にわたり、火星の地表で観測を続けてきた探査車オポチュニティーである。米航空宇宙局(NASA)が13日、運用の終了を発表した▼2004年に降り立った時には任期は90日間とされていたが、思いのほか機体の調子がよかった。火星の砂漠を走り、21万7千枚の写真を地球に送った。この星にはかつて水が存在し、生命が維持できる環境があったと教えてくれた▼昨年の大きな砂嵐の後、交信ができなくなった。「千を超える信号を送ったが、応答はなかった。さよならを言う時がきた」と、NASA責任者の声が報じられる。愛称はオピー。足のような車輪があり、太陽光パネルを背負った姿は愛嬌(あいきょう)があった▼火星や宇宙に限らず、ロボットに助けられることはこれから増えていく。家庭で掃除をし、お店で案内をする姿も目にするようになった。友人のようにロボットの死を悼む日がいつか来るだろうか。
译文: https://www.douban.com/note/706991373/
2019年2月16日(土)付 踏切と原発
小学生向けの交通安全教室はよくあるが、これはとりわけ重要であろう。岩手県宮古市で今月初め、線路の踏切を安全に渡るための教室があった。東日本大震災で鉄道が断たれ、児童の多くは踏切が動いているのを見たことがないのだという▼「警報機が鳴ったら線路に入らない」「踏切のない線路は渡らないように」。鉄道会社の人が基本的なことを教える。手を上げて渡る児童の姿も見られた。そんな様子が本紙岩手県版にある。津波で流された線路や駅舎などが復旧され、宮古―釜石間が来月23日に開業することになった▼地震と津波から約8年。それだけの年月をかけ、ようやく取り戻しつつある日常である。悲しみのなか、人びとが乗り越えてきた時間を思う。一方、まったく違う時間が流れている世界がある。原発である▼福島第一原発2号機で、溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)に初めて触れることができたという。今月13日、機械を原子炉内に入れて、小石ほどの塊を持ち上げたのだ。2021年から本格化する取り出し作業に役立てるのだという▼赤茶色で、ぐしゃぐしゃに崩れた燃料デブリの画像も公表された。どれだけ放射線量が強いのかも分からない塊である。廃炉への道のりの入り口にもいまだ立っていないのか。取り返しのつかない事態を起こしたと改めて思い知らされる▼制御できない巨大技術があり、処理の難しい怪物が残された。原発が動いている限り、悪夢が再現しない保証はない。今この瞬間も。
译文: https://www.douban.com/note/707105935/
2019年2月17日(日)付 鞍上の女性騎手
米国競馬の分水嶺(ぶんすいれい)になったレースがある。1993年、日本の菊花賞にあたるレースで、ジュリー・クローン騎手が2位に2馬身以上の差で勝った。女性騎手による三冠競走の優勝は初めてだった▼ミシガン州の牧場で育ち、14歳で騎手になることを決めた。高校を中退して飛び込んだ競馬の世界は男性中心。周囲の視線は冷ややかだった。その評価を決定的に覆したのがこの優勝だった▼「馬と会話ができる、特別な才能をもっている」。懐疑派の先頭にたっていた男性騎手にそう言わしめた。女性として初の競馬殿堂入りを果たしたクローンさんは、引退するまでに3704勝を積み上げた▼競馬は男女が一緒になって争う数少ないスポーツの一つである。いったん馬が走り出せば問われるのは騎手としての力量だけだ。国内でも分水嶺は近づいているのだろうか。藤田菜七子騎手(21)がきょう、東京競馬場で国内最高峰のG1競走に騎乗する▼中央競馬の年間3400余の競走でG1は24だけ。日本の女性騎手では初めてとなる。藤田騎手は競争率21倍の試験を突破して競馬学校に入学。3年前に国内の女性騎手としては16年ぶりにデビューした。枠の中で繊細な馬を驚かせることなく発走させる才能は、早くから評価されてきた▼馬にとって騎手はランドセルのようなものらしい。時速60キロで走る馬上でぐらぐら揺れればいかにも走りにくい。背の重みをどう取り除くか。馬に「無人」の境地で走らせるのが騎手の目標だそうだ。
2019年2月18日(月)付 ノーベル賞級のお追従
「私は何があってもあなたと行動をともにする」。熱い書簡をブッシュ元米大統領に送ったのは、ブレア元英首相である。「ブッシュのプードル犬」と内外でやゆされた▼強引にもブッシュ氏は「大量破壊兵器を隠し持っている」という誤った見立てで、イラクに攻め入る。ブレア氏が続く。環境や教育では成果を上げたものの、ブレア氏の対米追従ぶりは英国の威信をおとしめた▼ではこちらの首相のふるまいはどうか。安倍晋三首相がノーベル平和賞の候補にトランプ米大統領を推薦したそうだ。先週金曜日、大統領が会見で誇らしげに明かした。「最も美しい5ページの推薦状」を首相から受けとったという▼ご親切にも、推薦された当人が解説している。「北朝鮮によるミサイル発射や核実験はなくなった。日本人は安心を実感している。私のおかげだ」。残念ながら、当方の実感とはまるで違う。安心どころか、米朝間の危うい駆け引きに不安は募るばかりだ▼米国から日本に「推薦してほしい」と打診があったという。賢く断る手立てはなかったのだろうか。大統領によると、「日本を代表して敬意を込めてあなたを推薦した」と首相から言われたそうだ。日本人の多くはむしろ眉をひそめてはいまいか▼「壁」だの何だの世界のあちこちで平和を壊しているトランプ氏に、これほどふさわしくない賞はほかにあるまい。言われるがまま、その賞に推薦するとは、それこそノーベル賞級のお追従(ついしょう)ではないか。いかにも外聞が悪い。
译文: https://www.douban.com/note/707325450/
2019年2月19日(火)付 直木孝次郎さん逝く
「見るからに文弱の徒。こういう仲間がいるなら自分も大丈夫」。のちに歴史研究で名をなす直木孝次郎さんと会った日の印象を、海軍の仲間が記している。小柄で色白、不安げな瞳の青年は「万葉集」を携えて入隊した▼虚飾を排し、真情を歌いあげる万葉集をこよなく愛した。しかし当時の日本は文学どころではなかった。家族を思う本音すら語れない。生還を祈りながらも「お国のために死んでこい」と送り出さねばならない風潮を嘆いた▼終戦時は26歳の海軍士官。戦後は史学に打ち込み、「古事記」「日本書紀」にある誇張や宣伝臭、朝廷賛美を鋭く見抜いた。古墳時代に王権の交代があったという見解を唱え、脚光を浴びる。今月初め、100歳で亡くなった▼大阪市立大学で歴史を教えるかたわら、遺跡の保存運動に力を尽くす。奈良県吉野町のゴルフ場建設では反対の先頭に立ち、代わりに「万葉植物園」の建設を訴えた。万葉ゆかりの景勝地の保全を求めた和歌の浦訴訟も支援に入った▼〈戦いに負けて日本はよくなれどそのため死にたる人の多さよ〉〈はじ多き一生なれどけんめいに生ききていつか九十六歳〉。晩年は歌作に励み、朝日歌壇にもその名がたびたび登場する。技巧に走らず、戦争世代の実感をまっすぐに詠みこんだ▼率直であれ。真意を偽るな。そんな信念が、研究や保護運動、短歌を貫く。まさに「万葉調」の人生ではないか。「文弱の徒」であるかに見えて、たぐいまれな闘志の持ち主であった。
2019年2月20日(水)付 カタカナの肩身
三十数年前、法学の授業でカタカナと格闘した。たとえば刑法に「罪本(もと)重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ……」。明治の制定ゆえ文語調なのはしかたないが、それをおいてもカタカナの海にめまいを覚えた▼いまの法学部生にそんな苦労は無用らしい。刑法、民法、民事訴訟法などがひらがな主体の口語文に改められた。この春には商法も新装され、いわゆる「基本六法」からカタカナ書きが姿を消すことになる▼「読みやすさから言えば、法文のひらがな化は大歓迎です」と話すのは成田徹男・元名古屋市立大教授(66)。法学ではなく日本語学が専門だが、「ひらがなとカタカナの長い歴史を思うと、主要な法典がひらがな書きに統一されたことは感慨深いですね」▼古くから公的な文書では漢字とカタカナが主役だった。維新の後の太政官布告や明治憲法もカタカナだった。成田さんによると、ひらがなが表舞台に立ったのは現在の憲法が公布されてから。「以来七十数年の間に公的な領域でカタカナの勢力は衰えました」▼とはいえ、カタカナには独特の表現力もある。すぐ浮かぶのは、谷崎潤一郎の小説『鍵』。カタカナでつづられた主人公の日記が、初老の男の欲求を生々しく伝える。全編がひらがな書きだったなら、怪しくもひそやかな世界は描き出せなかったのではないか▼とかく外来語を表す役割に目が行くが、カタカナ書きの豊饒(ほうじょう)さは格別である。漢字、ひらがな、カタカナの三重奏があってこその日本語だろう。
译文: https://www.douban.com/note/707524675/
2019年2月21日(木)付 秩父のメープル
甘くトロリとした味でパンケーキなどを引き立てるメープルシロップ。本場カナダ産が有名だが、埼玉県秩父地方の林業者たちも生産に力を注ぐ。地元のカエデやモミジの幹から樹液を採取する作業がいま最盛期を迎えている▼「カラカラ天気のこの冬は樹液が減らないかと気をもみました。何とか例年並みの量に届きそうです」。秩父樹液生産協同組合の黒沢保夫・副理事長(69)は話す。7年前から樹液を採り、「和メープル」の商標で出荷してきた▼組合がめざすのは「伐(き)らない林業」だ。いたずらに木々を傷めることはしない。採るのは樹齢20年以上のみ。ドリルで開ける幹の穴は1本に一つ。深さは2センチ以内。将来を見すえて苗木を植え続ける▼黒沢さんと採取林をめぐった。透明な管を伝ってカエデの幹から樹液がタンクに流れ込む。管からしたたり落ちるしずくを両手で受け、味を見させてもらう。煮詰める前の生の液はサラサラで無色透明。ほんのりと甘い▼秩父に限らず、日本の林業は長く、スギやヒノキなど針葉樹を植え続けた。外国産の安価な木材に押され、山林経営は低迷。山々は荒れた。林業地帯を立て直すには、カエデやモミジに限らず樹種を増やし、それを産業につなげる努力が欠かせないだろう▼脚光を浴びることの乏しかった樹液に着目し、商品開発につなげた秩父の取り組みには学ぶところが多い。ほかに山形や栃木、山梨でも地場産メープルシロップが作られていると聞き、大いに勇気づけられる。
译文: https://www.douban.com/note/707658061/
2019年2月22日(金)付 幸せの黄色いチョーク
犬の飼い主が散歩中、路上にフンを残して立ち去る現場を目撃することはない。それなのに日々、うんざりするほどフンを見かけるのはなぜなのか。そんな長年の疑問が、京都府宇治市役所を訪ねてようやく解けた▼「飼い主の圧倒的多数は良識のある方。フンを放置してまったく平気でいられる人はいません」と宇治市環境企画課の柴田浩久さん(52)は言う。低予算で効果的なフン害対策を編み出した人である▼やり方はいたって簡単。落とし物を見つけたら、あえて回収せず、黄色いチョークで路面に印をつける。丸でも矢印でもよい。発見した日時を書き添える。かつて駐車違反の車に警官がチョークで印をつけるのを見て着想したそうだ▼「イエローチョーク作戦」。半年もしないうちに路上のフンは激減、苦情もほぼなくなった。それまで、「始末は飼い主の責任」といった看板を立てるのに年9万円を費やした。いまはチョーク代の5千円で済むようになったという▼「人目のないところではついつい気が緩むもの」と柴田さん。放置が目立つのは家や店の少ない一角。深夜と早朝に集中していた。「だれかに見られている。そんな心理が働いて、不始末が激減したようです」。あわせて缶やゴミ、吸い殻の投げ捨てもなくなったという▼罰金や警告を突きつけたわけでもない。たった1本のチョークの線が、かくも劇的な効果を人々の心理に及ぼすとは。フンの見当たらない宇治の街を歩きながら、人間心理の妙を思った。
译文: https://www.douban.com/note/707799452/
2019年2月23日(土)付 農民たちの義挙
「百姓たりといえども二君に仕えず」。農民たちがのぼりをはためかせ、ほら貝を吹き鳴らす。江戸後期の天保年間、庄内藩で起きた藩主転封阻止運動に関する史料を、地元山形県鶴岡市の致道博物館で見た(3月13日まで)▼世に言う「三方国替え」騒動である。庄内、長岡、川越の3藩主は玉突きで交代せよ。幕府の命令が、庄内の農民たちの抵抗を呼び、翌年撤回されるまでを絵と文で伝える。地元出身、藤沢周平の小説『義民が駆ける』でご存じの方も多いだろう▼展示中の史料は数点だが、庄内の歴代藩主と領民の信頼はかなり厚かったようだ。ただ蜂起にはより切実な事情があった。「新たに来る殿様は苛政(かせい)で知られた。血も涙もない年貢の取り立てを領民は恐れたようです」と館長の酒井忠久さん(72)。転封を免れた藩主酒井家の18代当主である▼重税や飢えに苦しみたくなければ、危険を冒して幕府に訴え出るほかない――。領民たちは幾度も江戸へ向かい、家老らに駕籠(かご)訴を敢行した。無謀とも思える実力行動は、江戸で忠義の挙と評判を呼ぶ。他藩主たちをいたくうらやましがらせた▼驚くのは、村々の指導者たちの戦略である。江戸に出たら正装などせず野良姿をさらして同情を引け。国替えに巻き込まれた他藩の農民をたきつけよ。そんな策を連発したという▼幕命撤回は1841年、盤石だった幕府の権威が揺らぎつつあったころだ。庄内の農民たちのしたたかさと情勢判断力、果敢な行動に改めて感じ入る。
译文: https://www.douban.com/note/707908042/
2019年2月24日(日)付 不便益とコンビニ
不便だからこそ、いいことがある。そんな「不便益」を提唱する工学博士、川上浩司(ひろし)さんの著書を開くと、様々な実例が出てくる。ある介護施設では身体能力を低下させないため、あえて段差を設けている。バリアフリーならぬバリアアリーと呼ばれる▼偽の漢字をときどき交ぜてくるワープロは、漢字を忘れないようにするため。何度も通ると道がかすれて消えていくカーナビは、道を覚えやすいように。便利さを減らし、使い手を少し成長させてくれる工夫だという▼こちらも今まで当たり前だった便利さがなくなる話か。大阪府東大阪市のセブン―イレブンの1店舗が今月から、24時間営業をやめた。客の少ない午前1~6時は店を閉めている▼アルバイトが集まらず、時間を短縮しないと自分が倒れてしまうと、店のオーナーは言う。しかし本部は認めず、対立が続いている。営業を24時間に戻さないならば契約を解除し、1700万円の違約金を求めるという▼人手不足に悩むのは、この店だけではない。どの店舗も眠らないというビジネスモデルが、きしみ始めている。それなら発想を変え、深夜コンビニがなくなることの「不便益」を考えてもいい。好きなときにお菓子やお酒が買えなくなるのを嘆くのではなく、もう少し計画的に買い物をするようになるかも、などと▼セブン―イレブンの出始めの頃は、朝7時から夜11時まで買い物できることがありがたかったはずだ。そんな感覚をいつから失ってしまったのだろう。
译文: https://www.douban.com/note/708028894/
2019年2月25日(月)付 ドナルド・キーンさんを悼む
日本兵が残した日記を翻訳する。海軍で日本語を学んだドナルド・キーンさんを待っていたのは、そんな仕事だった。軍事的な情報を探すのが狙いだったが、読みながら内容に引き込まれた▼部隊が壊滅し、7人だけ残されたという記述があった。それでも新年を祝おうと13粒の豆を分け合っていた。戦闘への恐怖や、人を殺すことへのためらいもつづられていた。そんな日記を書き、死んだ人たちこそが「私が初めて親しく知るようになった日本人だった」。後の著書で回想している▼戦後、日本文学の研究をするようになったキーンさんの仕事は網羅的だった。古典や現代小説の翻訳を重ね、古代から続く文学史を一人で書き、日本人の美意識を論じた。そんななかで目を引くのが日記への思い入れである▼『百代(はくたい)の過客(かかく)』で、紫式部や石川啄木などあまたの日記を扱った。日記が文学として読まれる国は日本以外にほとんどなく、気持ちを込めた日記こそが私小説の源流になったと論じた。洞察には戦時下の体験が息づいている▼親交の深かった作家の安部公房は「新大陸発見」のコロンブスにキーンさんを例えて、こう書いた。「あいにく大陸ではなかったが、日本文学という未知の群島に辿(たど)り着いてしまった冒険家なのである」。群島で見つけた魅力の数々を世界へ発信してくれた▼キーンさんがきのう、96年の生涯を閉じた。日本の読者にも、日本文学の底にあるものを再発見させてくれる。そんな冒険に終止符が打たれた。
2019年2月26日(火)付 「無視する」の類語
「無視する」という言葉には類語が多い。「耳を貸さない」「受け流す」「聞き流す」「知らん顔する」「どこ吹く風」などなど。人を無視することのひどさをごまかすため、色んな言葉が編み出されてきたか▼最近は「スルーする」との言い方もある。もしかしたら、こちらもいずれ類語に仲間入りするかもしれない。「真摯(しんし)に受け止める」。おとといの沖縄の県民投票の結果を受けて、安倍晋三首相や閣僚らが口にし始めた▼昨秋の知事選に続いて示された明白な民意である。投票率は5割を上回り、名護市辺野古の埋め立てに7割超が反対した。政府は沖縄に「理解を求める」とずっと言ってきたが、地元同意は得られなかった▼辺野古に基地を造らない限り普天間飛行場に軍用機が飛び続ける。そんな縛りを見直す以外にないだろう。まずは危険な飛行場を止める方向で米国と再協議すべきだと思うが、政府にその気はないらしい。辺野古への土砂投入はきのうも続いた▼最近印象的だったのが、ロシアのプーチン大統領の発言だ。米軍基地をどこに置くかについて日本に主権があるのか疑問だとして、沖縄を例に出した。「知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。みなが反対しているのに計画が進んでいる」▼北方領土を返還した場合、米国だけの判断で基地ができるかもしれない、と言いたいらしい。他国の主権に対し、ずいぶん失礼ではないか。しかし日本政府がこの発言に抗議したという話は聞こえてこない。
2019年2月27日(水)付 アカデミー賞の変化
1980年代末の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」は、米ニューヨークの黒人地区が舞台だ。両手の拳に大きなアクセサリーをつけた黒人男性が出てくる。右手にはLOVE(愛)、左手にはHATE(憎しみ)の文字が見える▼彼は言う。「右手と左手はいつも闘っている」。そして最後に「愛」の右手が勝つのだと。しかし映画のストーリーは逆に進む。黒人とイタリア系移民が憎しみあって乱闘になり、白人の警官が介入したことで悲劇が起きる▼監督したのはスパイク・リー氏。多くの作品を通じ、人種差別に向き合ってきた黒人監督である。24日、白人至上主義団体を扱った「ブラック・クランズマン」でアカデミー賞の脚色賞に選ばれた▼受賞あいさつで、かつての映画の題名に重ねながら「正しいことをしよう」と訴えた。次の米大統領選では歴史の正しい方向に踏み込もうと。人種的な対立をあおるトランプ大統領への反感をあらわにした▼今年の授賞式で際だったのは黒人と移民の存在感だ。作品賞の「グリーンブック」では、黒人ピアニストが差別の根強い時代の南部を旅する。主演男優賞は「ボヘミアン・ラプソディ」の主役だったエジプト系米国人に贈られた。授賞が白人に偏っていると批判された過去を考えると、大きな変化である▼レジリエンスという英語を思い起こす。はね返り、弾力、回復力などと訳される。分断の傷は深く大きい。しかし、それをはね返す動きもあるのが、米国という社会である。
译文: https://www.douban.com/note/708376946/
2019年2月28日(木)付 268グラムの赤ちゃん
人間は誰でも、未熟な段階で生まれてくる。それがほかの動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることもできない▼『サピエンス全史』で歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が違いをこう表現している。ほとんどの哺乳類は「陶器が窯から出てくるように子宮から出てくる」。すでに完成されており生きる力が備わっている。しかし人間は、やわらかいガラスが炉の中から出てくるように誕生するのだと▼生を受けた後、時間をかけて多くのことを学び成長する。未熟だから弱いのではなく、未熟だから可能性がある。人間はそんな存在だと改めて知らせてくれるニュースだった。わずか268グラムで生まれた男の赤ちゃんが東京の病院で育ち、元気に退院した▼おなかの中にいる時に体重がなかなか増えず、そのまま亡くなるリスクがあったという。昨年夏、妊娠24週で帝王切開がなされた。人工呼吸器や点滴などに支えられ、3200グラムまで大きくなった▼米国の大学のまとめでは、300グラム未満で生まれて退院した赤ちゃんは、世界でこれまで23人しかいないという。多くの人の支えと、奇跡に導かれた命である。しかし、こうも思う。奇跡ではない命など、この世にあるだろうか▼〈自らの心臓を抱く思ひせりまだ名をつけぬ赤児抱きて〉宮里信輝。男の子もいまごろ、両手で包み込まれていることだろう。鼓動をしっかりと刻みながら。
译文: https://www.douban.com/note/708536115/
天声人语原文: