天声人语原文 2018年12月
2018年12月1日(土)付 堂々たる脇役人生
学校を出て16歳で演劇の道へ進んだ赤木春恵さんは、なかなか役に恵まれなかった。出演者を決める選考のたび次点に終わって涙をのむ。悩んだ末、自ら買って出たのは、時代劇の老女役。監督もうなる自然な演技だった▼男性俳優が次々と召集された戦時中は、刀を帯びて男性役もこなしている。戦意を高揚させる窮屈な作品が増えると、自由な演劇活動を夢見て満州へ渡った▼満州は生まれた地。2度目の大陸暮らしも当初は快適だった。だがハルビンで玉音放送を聞き、茫然(ぼうぜん)自失に陥る。ソ連兵がドアをたたいた時期は、化粧で老女のふりをした。訪問した収容所で発疹チフスを患い、九死に一生を得る。帰国したのは終戦翌年の秋だった▼戦後はがむしゃらに演劇人生を突き進む。「満州で死にかかった身。戦後はおまけの人生」と思いが定まった。妖怪や化け猫の役でも拒まず、全力で演じた▼自他ともに認める遅咲き人生である。その舞台に日が差したのは48歳。NHKドラマ「藍より青く」で姑(しゅうとめ)の役を演じてからだ。「3年B組金八先生」の校長など、はまり役を次々に得て、広い世代に支持される。「ペコロスの母に会いに行く」で認知症の母を演じきったのは88歳。生涯初の主役だった▼端役、悪役、憎まれ役――。ドラマでも映画でも、この人が大写しになった瞬間、物語にたちまち血肉が通い出すのが不思議だった。まぶたの動きから息のはさみ方まで、真に迫る演技だった。享年94。堂々たる脇役人生であった。
2018年12月2日(日)付 語りと映像
ラジオの野球中継にはテレビとはまた違った趣がある。「伸びる伸びる。センター追いつくか」。アナウンサーの緊迫した声を聞けば、必死に球を追う選手が目に浮かぶ。かつての第一人者がNHKの故・志村正順(まさより)さんだった▼「沢村、左足を思い切り上げて、第一球のモーション。靴底のスパイクがはっきり見えるほど、高々と上げました」。新人時代、マイクに向かって語った。観客席から「そのとおり!」と声が上がったという(尾嶋義之〈おじまよしゆき〉著『志村正順のラジオ・デイズ』)▼優れた語りは、すでに絵である。「見てもらいたいところ、魅せられたところをしっかり描いて、その他のところは、中心から離れるに従ってぼかしていく」。志村さんの後輩にあたる山本浩さんが書いた実況中継のコツだ▼さてこちらは、実際にもっとよく見える技術の話である。4Kと8Kの高画質のテレビ放送が昨日始まり、専用のチューナー(受信機)などがあれば見られるようになった。「張り手を受けた力士の肌の赤らみがくっきり見える」などが売りという▼家電の店をのぞくと、彫刻の肌のきめや日本画の筆遣いまでが鮮やかに見えた。実際はどんなにきれいかと想像する必要すらなくなったか。本物に出会った時の感動をとっておくことができなくなるのは、少し寂しいような▼テレビ離れが言われるなか、どこに焦点をあて、何を見せるのか。映像美だけでなく、「そのとおり!」と言わせるような工夫が必要なのは言うまでもない。
译文: https://www.douban.com/note/698713865/
2018年12月3日(月)付 レゲエのちから
ユネスコの無形文化遺産に、秋田県男鹿市のナマハゲなど来訪神が登録された。怖い顔の神々が集まって祝うさまは、どこかユーモラスだった。遠く離れたカリブ海では踊って喜ぶ人たちがいたに違いない。レゲエ音楽も文化遺産になった▼レゲエは1960年代、ジャマイカで生まれた。欧州の植民地にされ、アフリカ大陸から奴隷として黒人が連れてこられた地である。ズッチャ、ズッチャという独特のリズムの源流はアフリカにある▼スペイン音楽と融合し、米国の黒人音楽R&Bも流れ込んだ。レゲエを世界に広めた故ボブ・マーリーの言葉がある。「国際的な音楽、完璧な音楽なのだ。どんなものでも好きな音楽をレゲエの内部に包みこむことができる」(『レゲエ王国』)▼ユネスコの登録理由には「不公正、抵抗、愛、人間性をめぐる議論に貢献した」とある。ジャマイカは英国から独立した後も経済の低迷や貧富の差に苦しんだ。貧しい若者に寄り添い、ときに抗議の声をあげる歌がレゲエだった▼〈わが友よ/俺は再び自由の身になった/鉄格子も俺を拘束できなかった/権力も俺を支配できなかった〉。そんなマーリーの歌に支えられた若者は多かったろう。〈起き上がれ、立ち上がれ〉と訴える曲は、いまも社会運動の現場で歌われる▼そういえば先日、秋田県の若いお坊さんが仏の教えをレゲエで歌っているとの記事があった。ジャマイカの人たちが想像もしなかったものを包みこみつつ、音楽が広がっていく。
2018年12月4日(火)付 ポケベルから始まった
数字を使った暗号です。解読できますか。「0840」「724106」「10105」。正解は上から順に「おはよう」「何してる」「今どこ」。ゼロをオー、10をテンと読み、1をIに見立ててイと発音するなど、コツが必要だ▼いずれもポケットベルに送るメッセージとしてよく使われていたと、高校時代を思い出しながら同僚が教えてくれた。携帯電話などなく、ポケベルも数字しか表示されなかった時代。公衆電話で、友人にあてて打ち込んでいたという▼ポケベル全盛の1990年代、当方にとってはもっぱら会社から呼び出される「束縛機械」であった。覚えているのは「9」すなわち「急」である。至急電話しろという意味で、「999999」と並んだときには冷や汗が出た▼そんなこんなを思い出させるポケベルのサービスが、来年9月に終了するという。まだあったのかと思ったが、医療関係者など約1500人が使っているそうだ。登場から50年、意外に息が長かったというべきか▼流行の真っ最中に、社会学者の宮台真司さんが書いていた。「ポケベルは、電話で話すほどではないけれど、何となく誰かとつながっていたいというときの『気分』にもハマった」。なるほどスマートフォンのSNSを先取りする装置だったか。すべてはポケベルから始まった▼電車で周りにいる全員がスマホに見入っている。そんな風景にも、すっかり慣れてしまった。束縛機械としての力量は、こちらの方がずっと上である。
译文: https://www.douban.com/note/698970933/
2018年12月5日(水)付 筆写が武器に
博物学の巨人・南方熊楠(みなかたくまぐす)の武器は、筆写であった。少年時代には105巻に及ぶ江戸期の百科事典を借り出し、写本をつくった。明治中期にロンドンに渡ってからは大英博物館に通い、民族誌や自然科学の本などをひたすら書き写した▼筆写ノート「ロンドン抜書(ぬきがき)」は、52冊1万ページに及んだ。そうやって知識を頭に刻み込んでいったか。筆写が武器になった話は、現代にもある。海外からの技能実習生の待遇を明らかにしようと、野党議員たちが手を動かした▼実習先から失踪した約3千人に対し、国が聞き取りをした調査がある。彼らがどんな待遇にあったかが分かる資料だが、国は公表しようとしない。閲覧のみを認められた議員たちが、手分けをして筆写した▼労働時間や月給から計算したところ、7割近くで最低賃金を下回っていたという。「過労死ライン」以上の残業をしていた人も1割いた。実習生一人ひとりの実情を書き写すなか、おかしなところに気づいていったか。事実ならば、違法状態が横行していたことになる▼本来ならば役所が早く手をつけていなければならない問題である。筆写までせずとも、じっくりと眺めれば分かるはずだ。出入国を管理する発想ばかりが前に出て、働き方、働かせ方に鈍感だったのではないか▼外国人労働者の受け入れ拡大に向けた法案が、参議院で審議されている。法務省が前面に出ているが、それでいいのか。働く人のことを考えるなら、厚生労働省が主役であってしかるべきだ。
译文: https://www.douban.com/note/699104208/
2018年12月6日(木)付 駅名をつける
多摩湖とも呼ばれるダム「村山貯水池」は、戦前の人気観光地だった。都心から手軽に行けるのが売りで、私鉄3社が競って鉄道を引いた。そうしてできた駅が「村山貯水池駅」「村山貯水池前駅」「村山貯水池際(ぎわ)駅」である▼いずれも今はなき駅名で、地図研究家の今尾恵介さんの著書で知った。何ともまぎらわしいが、鉄道会社の真剣さは伝わる。「こっちは前だ」「うちは際だ」と訴え、なるたけ多くの客を呼ぼうとしたのだろう▼こちらもJR東日本の商売っ気がにじみ出るような駅名である。山手線にできる新駅の名前が「高輪ゲートウェイ」に決まった。一帯は羽田空港への便の良さを売りに、JRが大規模な再開発を進めている。世界への玄関口だと強調したいのだろう▼公募で1位だった「高輪」でも、続く「芝浦」や「芝浜」でもない。130位の案が選ばれる大番狂わせだった。個人的には落語の舞台にちなんだ芝浜を推したいところだったが▼新奇な地名が広がる日本列島である。南アルプス市やつくばみらい市など、最初は違和感があったが、いつのまにか慣れてしまった。「長すぎる」「山手線にカタカナなんて」などの批判もある新駅の名も、そのうちなじむか。「高ゲー」などの略称で▼駅名といえば北海道の幸福駅を思い出す。廃線の前まで、その名が入った切符は贈り物にもなった。美しい名の駅は各地にまだある。青森県の風合瀬(かそせ)駅、岡山県の美袋(みなぎ)駅……。いつか降り立ってみたくなる響きがある。
译文: https://www.douban.com/note/699218957/
2018年12月7日(金)付 原酒の時間
いくら酒好きでも、ここまで来ると常人の考えの及ばぬところであろう。関東大震災のグラグラッという揺れのなか、表へ飛び出したのは、落語家の五代目古今亭志ん生である。財布を手に酒屋へと向かった。割れたり焼けたりする前に売ってもらおうと▼「あたしの頭ン中に、ツツーッとひらめいたことは、まごまごしてるてえと東京から酒がみんななくなっちまうんじゃアなかろうかという心配です」。金はいらない、好きなだけお飲みなさいと酒屋の主(あるじ)も逃げてしまった(『びんぼう自慢』)▼なくなってしまう、と慌てて買いに走った方もいただろうか。キリンビールが先日、国産ウイスキー「富士山麓(さんろく)」の一部銘柄の販売を来年春に中止すると発表した。炭酸で割ったハイボールの人気が続き、原酒が不足しているようだ▼「とりあえずビール」の代わりにハイボールの声を居酒屋で聞くようになったのは、ここ数年か。原酒不足はサントリーも同じで、すでに一部商品の販売を取りやめている▼10年後の原酒を想像しながら、樽(たる)が呼吸していることを感じとる。そんなふうに熟成を待つのだと、長くウイスキー造りの研究をしてきた古賀邦正さんが著書で述べている。ブームに左右される消費者とは違う時間の流れが、原酒にはある▼熟成しながらも、原酒は年に数%ずつ蒸発してしまう。天使におすそわけしているという意味で「天使の分け前」と呼ばれる。もったいない。てなことを口にするのは、やぼっていうものか。
译文: https://www.douban.com/note/699319007/
2018年12月8日(土)付 日米開戦と昂奮
「僕らがそれに昂奮(こうふん)しなかったといえば嘘(うそ)になる。まるで毎日が早慶戦の騒ぎなのだ」。日本が米英を相手に戦争を始めたころを振り返り、作家の安岡章太郎が書いている。ラジオの騒ぎぶりが、当時大人気の学生スポーツのようだったと▼77年前のきょう、日本軍が米ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をした。続いてマレー沖では英戦艦を沈めた。驚くべき戦果である。しかし学生だった安岡の頭によぎったのは、もう一つの「驚くべきこと」だった▼「日本がアメリカと戦争をして勝てるとは、おそらく誰一人おもってはいない。にもかかわらず、現にその戦争がおこなわれている。そのような驚くべきことがあるのに、僕らは少しも驚いていない。これは一体、何としたことだろう?」(『僕の昭和史』)▼日米の国力に大きな差があることは秘密でも何でもなく、冷静に考えれば分かる。だからこそ開戦の日に政治学者の南原繁がこんな歌を詠んだのだ。〈人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ〉▼常識からも学識からも外れた戦争が、熱狂をもって迎えられることになった。敵意を育てるのにメディアも一役買った。開戦までの新聞を見ると、米国に対し「誠意なし」「狂態」など非難の言葉が目立つ▼起こらないはずの戦争が起きてしまう。その連続が近代の歴史である。気がつけば、外国や外国人への敵意をあおる政治家ばかりが、世界で目立つようになった。冷静であることが、今ほど求められるときはない。
译文: https://www.douban.com/note/699429820/
2018年12月9日(日)付 真犯人のまなざし
土砂降りのある朝、東芝府中工場のボーナス3億円が、白バイ警官に扮した何者かに輸送車ごと奪い取られた。「3億円事件」である。あす10日で発生から50年となる▼現場は東京の多摩地方。犯人が抜け道を熟知していたことから、土地勘のある者が疑われた。聞き込みを受けたのは地元延べ100万世帯。バイク免許を持つ若い男性はうんざりするほど何度も調べられたという▼だれもが知る未解決事件ゆえか、今日なお関心は高い。タクシー会社「三和交通多摩」が先月から5回開催している現場探訪ツアーには、定員の8倍の応募があった。3億円が奪取された路上、車が乗り捨てられた公園などをめぐる▼北海道や静岡など遠方からの参加者も多い。「米軍にパイプをもつ日本人が海外へ運び出した」「警官かその身内のしわざでは」と推理に花が咲く。「大胆で鮮やかな手口に感嘆するのが共通点。どなたも、ねずみ小僧か怪盗ルパンを語るような口調です」と案内役の須藤将矢(まさや)運転手(29)は話す▼時効成立は1975年。小説や脚本では、驚くほど多彩な犯人像が提示されてきた。ドラマでは、沢田研二さんやビートたけしさんが犯人を演じた。宮崎あおいさん主演の映画「初恋」は、女子高校生が実行役という大胆な仮説で描かれている▼この半世紀、真犯人はどこに身を潜めていたのか。それらの推理を見てせせら笑っているのではないか。よく知られたあのモンタージュ写真とは似ても似つかない冷酷なまなざしで。
译文: https://www.douban.com/note/699527258/
2018年12月10日(月)休刊
2018年12月11日(火)付 杉玉の思い
新酒の仕込みの季節になると酒蔵の軒先につるされる青々とした球がある。「杉玉(すぎだま)」あるいは「酒林(さかばやし)」と呼ばれる。最近は居酒屋でも見かける。どうやって作るのだろう▼岐阜県下呂市で代々、林業を営む熊崎正敏さん(69)、惣太さん(39)父子の工房「高林(たかばやし)」では、いままさに出荷の最盛期。「もとは酒蔵ごとに蔵人(くらびと)たちが手作りしてきた。うちは30年ほど前、地元の酒蔵に頼まれたのが始まり」。最近ではインテリアとしての注文も増えた▼まずは、針金で地球儀のような骨組みを作る。次に、固く束ねた杉の葉を200本ほど隙間なく差し込む。最後は剪定(せんてい)ばさみで球形に。「樹齢80年以上で、よく日を浴びた葉しか使いません」。植林から出荷までの歳月の長さに感じ入る▼剪定の作業に移ると、葉という葉から一斉にすがすがしい香りが立ち上がる。花粉症とのつきあいの長い私は思わず息を止めてしまうが、正敏さんは「私はどれだけ吸っても平気です」と笑う。完成品から花粉が飛ぶことはないそうだ▼杉といえば、当節はもっぱら花粉症の元凶として悪役の扱いに甘んじている。だがそれ以前は違った。万葉集にもその使い道が歌われ、箸から下駄(げた)、家から船まで、衣食住に欠くことのできない有用材だった▼〈山里や杉の葉釣りてにごり酒〉一茶。その年に収穫されたお米で醸造した酒のできあがりを告げる印として各地で掲げられてきた。江戸時代から変わらぬ役割を杉は今年も黙々と果たす。不平ひとつもらさずに。
译文: https://www.douban.com/note/699753629/
2018年12月12日(水)付 地獄で仏
気がつけばもう師走も中旬、今週や来週は忘年会という方も多いだろう。飲んで騒いで終電に乗り、目が覚めると見知らぬ遠方の駅――。そんな「寝過ごし」は避けたいものである▼体験談は拾えば枚挙にいとまがない。慌てて降りて荷棚にカバンを忘れた。バスもタクシーもなく、家まで3時間歩いた。最終バスで熟睡したまま車庫へ運ばれ、外から施錠されたという人もあった▼この季節、駅で途方に暮れる客に救いの手をさしのべるバス会社もある。西東京バス(東京都八王子市)は、酒席の多い12月の金曜に限って、終点のJR高尾駅から臨時バスを1便走らせる。向かうは約30分先の繁華な八王子駅。「寝過ごし救済バス」だ▼「高尾駅で目覚めて帰宅できず、困り果てた経験をもつ社員の提案で実現しました」と営業担当者。料金はふだんの倍ながら、多い夜には30人が乗り込む。安堵(あんど)のせいか、ほぼ全員が走り出すとまたぐっすり。降り際に「助かりました」とお礼を言う人もいる▼調べてみると、乗り過ごしの経験者は(私を含め)存外多いらしい。佐藤製薬のアンケートによると、首都圏で働く人の6割強が「身に覚えがある」。うち5人に1人が「終点まで行った」と答えている。宿代や車代、始発を待つ間の飲食代など思わぬ出費を悔いたことだろう▼宴席で流行歌に乗って踊り出し、運動不足の足を痛めるのもつらいが、せっかく乗った終電で寝過ごし、寒天を仰ぐのもまた相当につらい。くれぐれもご用心を。
译文: https://www.douban.com/note/699864789/
2018年12月13日(木)付 青空を求めた50年
半世紀ほど前、大阪市西淀川区の空は昼なお暗かった。重工業地帯の風下にあたり、化学や製鋼などの工場から黒や黄色の煙がもうもうと流れ込む▼「晴れた日でも六甲山や生駒山が見えない。昼間も前照灯をつけて走りました」。タクシー運転手だった森脇君雄さん(83)は話す。住民が抗議に出向くと、企業から「営業妨害だ」と追い返された▼のどや肺を病む人が続出するのを見かね、森脇さんたちは1978年、企業や国を相手に裁判を起こす。原告計726人、西淀川公害訴訟である。20年の歳月を要したが、工場排煙だけでなく車の排ガスによる被害も認められ、公害史に名を刻む▼裁判が済み、原告団は解散したのかというと、そうではなかった。和解金をもとに森脇さんたちは「あおぞら財団」を立ち上げる。緑地を増やし、公害の実態を授業で伝え、海外から研修団を受け入れてきた▼排煙規制を強める大気汚染防止法が施行されて今月で50年になる。光化学スモッグはいまも折々に発生し、幹線道路の上空には不気味な雲が現れる。深刻な被害を防ぐには、絶えず目をこらし、声を上げ続けなければいけない。それが空というものなのだろう▼あすから3日間、東京都内で「公害資料館連携フォーラム」という催しがある。水俣や新潟、西淀川など各地の公害資料館の運営者や被害住民らが語り合う。かつて都内で大気汚染が激しかった場所を訪ね、現状を調べる。公害を身をもって知る人々のたゆまざる努力を思う。
2018年12月14日(金)付 希林さんの余韻
亡くなってはや3カ月、樹木希林さんの出演した映画を立て続けに見ている。「あん」「わが母の記」「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」。どれも老境をさりげなく演じて、余韻が深い▼お目にかかったことはないけれど、取材依頼の返事を電話でいただいたことがある。「マネジャーもメイクさんもいないのよ。取材応対も私ひとり」「ご存じかもしれないけど、私もう全身病気だから」。軽快な口調で30分余り。取材を断られたのに、不思議と充足感があった▼希林さんが全身のがんを公表したのは70歳。以後、折々に哲学を披露する。「老いや病気にブレーキをかけたいとは考えない」「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はない」▼日ごろ心がけたのは、身の回りの始末である。毎朝、ひとしきり掃除をする。服はボロボロになるまで着る。「長くがんと付き合っていると、『いつかは死ぬ』じゃなくて、『いつでも死ぬ』という感覚なんです」▼言葉は人々の胸にじんわりと染みこんだ。この秋、本紙の「ひととき」欄に投書が載った。「胃ろうなど延命治療は受けたくない」。遠慮があって長く言えずにきた本心を、希林さんの訃報(ふほう)に接して息子に伝えることができたという。79歳の女性だった▼ともすれば長く生きることのみを是とする思考に陥りがちだが、人生に潮が満ちる年代ともなれば、病を隠さず、老いにあらがわず、死から目を背けない。希林さんにならい、「自分の人生を使い切りたい」と願うのみである。
2018年12月15日(土)付 上を向いて歩く
〈何百人の、何千人の、何万人の、何億人の人々が殺されたなら「交通戦争」のただ中にいることに気がついて〉〈でもこの国の法律は、生命は米粒ほどの軽さ〉。18年前、大学生の長男を交通事故で失った神奈川県の造形作家、鈴木共子(きょうこ)さん(69)の詩である▼息子を奪われた悲しみ、納得しがたい刑の軽さ。鈴木さんは他の事故遺族と立ち上がる。37万人の署名を集め、導入されたのが危険運転致死傷罪である▼東名高速で起きたあおり運転に同罪が適用された。言い渡されたのは懲役18年の刑。家族旅行の帰りに突如、両親の命を奪われた娘2人の無念を思えば、重刑とは言えまい▼犠牲となった男性の母は本紙に近況を語る。泣いてばかりもいられず、趣味のカラオケの会に。歌ったのは坂本九さんの曲。〈上を向いて歩こう 涙がこぼれないように〉。マイクを握りながら涙があふれる。上を向いて歌うしかなかったという▼捜査の決め手は周辺を走る車のドライブレコーダーだった。普及前、開発に打ち込んだのは、やはり事故で息子を失ったエンジニア(76)である。「遺族には事故状況が開示されません。息子の最期がわからず、苦しみました」▼いま交通事故で命を落とす人は、日本で年間3700人、世界に130万人。一人ひとりに家族がいて、親友がいて、恋人がいる。遺族は喪失感の沼に沈み込む。車社会のゆがみに声を上げ、制度の足らざるところを改めてきたのは、その沼の深さを知る事故遺族の方々である。
译文: https://www.douban.com/note/700194102/
2018年12月16日(日)付 土砂の投入
沖縄県の名護市辺野古の海に一昨日、土砂が投入された。近くで開かれた抗議集会で、多くの人が声を上げるのを聞いた。怒りや非難とともに、こんな言葉もあった。「沖縄は日本の一つの県です。でも、それが認められていない。悲しいことです」▼マイクを握っていたのは、名護市議の翁長久美子さん(62)。話しかけてみると、東京の官庁街で新基地建設の反対を訴えたときの悔しさが忘れられないという。ビラを受け取ろうともせず、歩き去る官僚たち。何度も反対の民意が示されても、工事をやめない政府の姿と重なった▼一方で、沖縄から佐賀へ米軍機を一時移す計画は、佐賀県の反対で撤回された。この違いは何なのか。「沖縄は一つの県ではなく、植民地なんでしょうか。植民地の意見なんか聞かなくていい、ということでしょうか」▼新基地反対を掲げた玉城デニー氏が知事に当選したのは、この秋である。そんな民意に対する政府の答えが、急いで土砂を入れ、工事を進めることだったとは▼安倍政権に、政治センスを感じることがある。人びとの関心が高いとみるや、さまざまな手当てを試みる。消費増税の緩和策などがそうだ。しかし大多数の関心が低いと判断すれば、とんでもない無茶(むちゃ)をしてくる。辺野古での政権の振る舞いは、私たちの鏡かもしれない▼4%。今回土砂の投入された区域が、全体に占める割合である。まだまだ引き返せるという訴えは、間違っていない。全国の人びとが、目を向けるならば。
译文: https://www.douban.com/note/700297180/
2018年12月17日(月)付 迷信と偏見
女性の脳は、小さいだけでなく、柔らかい、スポンジのような軽い素材でできている――。そんな荒唐無稽な説ばかり集めたのが、ジャッキー・フレミング著『問題だらけの女性たち』である。19世紀、英国の女たちを苦しめた迷信の数々を笑い飛ばしている▼「男性がすべてにおいて優れていることは明白だ」と述べたのは、進化論で知られるダーウィンである。精神科医のモーズリーは、「医学を学ぶと胸がしぼみかねない」と女性に警告した▼偏見にとらわれる先人たちは滑稽というほかない。しかし、ついこんな言い方をしてはいないだろうか。「女性はお花が好き」「女性は感覚が繊細」。最近のニュースでは「女子はコミュニケーション能力が高い」との言葉もあった▼順天堂大学医学部の入試で、女子に不利な扱いをしていた理由として責任者が述べていた。女子の方がコミュ力(りょく)が高いので、面接の点数が良くなってしまう。男子を救うためにゲタをはかせた、ということらしい▼根拠として医学の論文も持ち出したが、論文執筆者は「私の研究内容との関連がわからない」と言っているそうだ。ありもしない性差で切り捨てられた受験生がいたに違いない。個人差よりも性差が先に来るのであれば、19世紀の人たちをどこまで笑えるだろう▼そもそもコミュニケーションのできる人を敬遠する理屈すら分からない。真ん中にあるのは、実はこんな思い込みではないか。「医療は男が仕切る世界。これまでも、これからも」
译文: https://www.douban.com/note/700426006/
2018年12月18日(火)付 四字熟語2018
この世は有為転変、常に激しく変化するとは言うものの、これほどの異常が続くとは。まさに「雨威天変(ういてんぺん)」の豪雨や台風に襲われた。地震が大停電をもたらした北海道にとっては、疑心暗鬼ならぬ「地震暗来(じしんあんき)」。住友生命が募った創作四字熟語で1年を振り返る▼災害級の暑さに対策を、と何度聞いたことか。「対処猛暑(たいしょもうしょ)」は温暖化対策など大所高所からも考えたい。ボランティアの尾畠春夫さんが、暗中模索に陥った迷子捜しを解決。「山中子索(さんちゅうこさく)」のお手柄だった▼こちらは迷子ではなく逃げる方。刑務所や警察署から脱走し、東奔西走ならぬ「逃奔世騒(とうほんせいそう)」の男たちが相次いだ。世を騒がせたのはスポーツ界のパワハラも同じ。自然の気圧配置はどうにもならぬが「威圧廃止(いあつはいし)」は徹底してほしい▼「朝米歩会(ちょうべいぼかい)」と歩み寄ったのは米国と北朝鮮の首脳。非核化へ向けた約束が朝令暮改にならないように。タイの洞窟からの救出を世界が祈った。「一心洞泰(いっしんどうたい)」で危機を乗り越えた▼全米を驚かせた力と技である。大坂なおみ選手がサーブを武器に全米オープンを制した「全米庭覇(ぜんべいていは)」。「一投両打(いっとうりょうだ)」の大谷翔平選手は投げて打って一刀両断のごとく新人王を獲得した▼熟語の応募は11月初めまで。その後の出来事で小欄も考えた。沖縄県知事選の民意に政権が暴風を吹かせる。「疾風土投(しっぷうどとう)」で土砂投入が強行された。日産トップが突然逮捕された事件は、社内クーデター説も含め分からぬことが多すぎる。「車怪問題(しゃかいもんだい)」は、来年も尾を引くか。
译文: https://www.douban.com/note/700528759/
2018年12月19日(水)付 南青山の児童相談所
子どもの虐待を食い止める最後の砦(とりで)が、児童相談所である。親のもとに置いておくと危険な場合は、職員が出向いて子どもを一時的に保護する。怒った親からすごまれ、身の危険を感じることも少なくないという▼だから保護に向かう際には、例えばこんな注意点がある。「機敏に動くためにハイヒールは履かないこと」「身動きが取りやすいようにカバンは軽くすること」……。同僚の大久保真紀記者が『ルポ児童相談所』で書いている▼ときに死に至る虐待が報じられる。しかしその裏には、児相の職員が体を張り、未然に防いだ例がたくさんあるのだろう。役割への期待が高まり増員計画も今後進むという▼そんなことは自分たちには関わりがないと、確信している人たちがいるらしい。上品なお店が並ぶ東京都港区南青山に児相をつくる計画があり、周辺住民の反対で難航している。先週の説明会でも「ブランドイメージが下がる」などの声が相次いだと本紙東京版にあった▼「3人の子を南青山の小学校に入れたくて家を建てた。物価が高く、学校レベルも高く、習い事をする子も多い。施設の子が来ればつらい気持ちになるのではないか」。近くに住む女性の発言である。そんな考えに共感する人が果たしてどれだけいるだろう▼児相や児童養護施設に地元が反対する動きは、各地にあるようだ。心に壁をつくらない。そんな品の良さは出せないものか。もちろん南青山にも児相に賛成の人がいることを付け加えておきたい。
2018年12月20日(木)付 風船爆弾とサイバー
風船爆弾は、第2次大戦末期に日本軍が作った兵器である。和紙でできた巨大な気球の数々が、米国本土へと放たれた。山火事を起こし、社会を攪乱(かくらん)する狙いだった。神奈川県の陸軍登戸研究所で開発された▼跡地を取得した明治大学の資料館に当時の写真などがある。風任せの兵器がどこまで目的を果たしたのか分からぬが、約9千個のうち300個超が届いたとの記録もある。研究所では中国に偽札をばらまき、インフレを起こす謀略も練られたという▼裏から他国の社会を混乱させる。そんなやり方が今あるとすればコンピューターと情報通信の世界か。2015年にウクライナで大停電が起きた際には何者かがシステムに侵入したとされ、ロシアの関与も疑われた▼こうしたやり方はサイバー攻撃と呼ばれる。社会インフラはもちろん、今や兵器もコンピューターで動く。5年ぶりに改定された「防衛計画の大綱」でサイバー問題が取り上げられたのは自然な流れなのだろう▼厄介なのは通常の兵器と違い、どこにどんな脅威があるのか見えないことだ。何を攻撃とみなし、どんな反撃を認めるか、国際社会の議論も始まったばかり。大綱では日本もサイバーで反撃する能力を持つとしたが「専守防衛」に抵触する恐れはないか▼自然災害をめぐり物理学者の寺田寅彦は「正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書き残した。人は過度に恐れたり、過度に甘く見たりしがちだからだ。サイバー問題にも通じる戒めであろう。
译文: https://www.douban.com/note/700738990/
2018年12月21日(金)付 14万筆の署名
沖縄で本格的に農耕がはじまったのは、かなり遅かったようだ。作家の仲村清司(きよし)さんの『本音で語る沖縄史』によると、農耕以前の貝塚時代が10世紀前後まで続いた。本土では平安時代のころである▼両親が沖縄出身の仲村さんは、その理由について海の恵みに思いをはせる。「豊かな漁場が目の前にあった。その海からの幸はおそらく当時の人口を十分に養えるほど豊かなものであったのだろう」。自然に左右され手のかかる農耕は不要だったかもしれないと▼多くの人を魅了する沖縄の海である。タレントのローラさんは最近、SNSにこんな投稿をした。「美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの」▼名護市辺野古での埋め立て工事を、来年2月にある県民投票まで止めてほしい。そんなインターネット署名への呼びかけである。米ホワイトハウスに向けた嘆願書には、すでに14万筆を超える署名が集まっている▼普天間飛行場の移設工事として、土砂が投入され始めて1週間がたった。青い海に茶色い土が流し込まれる映像は、グロテスクである。しかし本当にグロテスクなのは、何度も示された沖縄の民意を無視し、基地を押しつけ続けることであろう▼東京都の小金井市議会では今月、普天間の代替施設が必要かどうか、国民全体で議論することを求める意見書を可決した。一つ一つの声は小さいかもしれない。しかし世の中を動かす大きなうねりにしようと、響き始めた声がある。
译文: https://www.douban.com/note/700882658/
2018年12月22日(土)付 長期勾留の慣行
元衆院議員の鈴木宗男氏が、東京地検に逮捕された時のことを書いている。拘置所の独房で夏の暑さに苦しみながら、こんな圧力を受けているような気がしたという。「涙を流して謝罪し、頭を下げれば、この牢獄から出してやろう。それをしないのなら、こうして汗でも流していろ……」▼日本の刑事司法で「人質司法」という言葉が使われて久しい。取り調べに対して罪を認めれば勾留が短くすむが、否認すれば長期化するとの指摘である。勾留の延長は当たり前、起訴の後に勾留が続くことも珍しくない▼長年の慣行に風穴を開けたかと感じさせた東京地裁の判断だった。日産自動車前会長のゴーン容疑者について、東京地検特捜部から請求された勾留延長を却下した。特捜部の「言い値」を裁判所が値切ったのは極めて異例という▼事件が海外で注目され、日本では容疑者の人権が守られていないのではとの指摘が出ていた。外圧に背中を押されたかと思うと情けない。しかし今回の判断が基準となり、司法の世界に変化の風が吹くかもしれない▼……などと考えていたら、検察はきのう、ゴーン容疑者を再々逮捕した。個人の資産運用で出した損失を会社に付け替えた疑いという。事実であれば報酬のごまかしよりも悪質であろう。裁判所の判断にあわてて、真打ちを登場させてきたか▼容疑者に違法行為があるなら、厳しく問うべきだ。しかし日本の勾留のやり方がどこまで人権に配慮しているのかは、また別の問題である。
译文: https://www.douban.com/note/700990494/
2018年12月23日(日)付 高校生ラガーの気候変動対策
高校生ラガーと地球温暖化。二つの距離は随分遠そうだが、決して別の世界ではない。ポーランドで開かれた気候変動対策に取り組む国際会議COP24に栃木県立佐野高校のラグビー部が参加した▼「日常生活の一つ一つが異常気象までつながっている。それが理解できたのが新鮮でした」と、オブザーバーで出席した主将の渡来遊夢(わたらいゆうむ)君(17)。参加のきっかけは、9月に学校で受けたスポーツと環境を考える講演だった。ラグビー部ができることはないか、と▼帰国するとアイデアがわいてきた。「試合でのペット飲料をやめ、地元企業と水筒を開発する」「用具や練習着を再利用する仕組みがあれば」。19年は日本でW杯が開催される。「フィジーの選手に海面上昇など太平洋島嶼(とうしょ)国の問題を聞いてみたい」など。実現すればどれも面白い▼学校は1901年に創立。ラグビー部は過去全国大会6回出場の古豪である。けれど、この10年で中高一貫、男女共学と変わり、部員はいま男女各5人でマネジャーを入れても12人にとどまる▼顧問の石井勝尉(かつのり)教諭(54)も卒業生だ。花園に出場し、大学では日本代表に選ばれた経験もある。現状は歯がゆいが、未来も感じている。「会議参加の希望は生徒からでした。視野が広がるのはラグビーにも勉強にもプラスになる」▼教育をとりまく環境が変われば、部活動の形も変わっていく。勝ちを目指さない「ゆる部活」も始まっている。豊かで多様な姿を考える取り組みが、もっと広がっていい。
2018年12月24日(月)付 サンタの工房
東京都小平市の主婦、田中弘実(ひろみ)さん(37)の自宅は、例年この時期、サンタクロースの工房と化す。大量に集まった手製のおもちゃを仕分けし、包装する。各地の子どもたちに贈る品々だ▼活動の呼び名は「チクチク会」。東北が津波に襲われた年、現地の保育園にフェルト製のおもちゃを贈ったのが始まりだ。ブログやSNSで呼びかけると、すぐに多くの手が挙がった。子育てや介護に追われ、被災地へ行きたくても行けない人が大半だった。会則や会費はない。一堂に会することもない。ただ好きなおもちゃを好きな時にそれぞれが作る▼届け先は、親に虐待されて自宅へ戻れなかったり、病院で年を越したりする子どもたちへと広がった。12月にはサンタに扮する男性の賛同者とともに、おもちゃを抱え、小児病棟や児童養護施設をめぐる▼田中さんのもとには、おもちゃの作り手からも多くの手紙が届く。「世の中との接点ができて楽しい」「一針一針縫うことで精神的に救われた」「退屈をパチンコで紛らわせていた母が、チクチクのおかげですごく元気になった」▼切る、縫う、折る――。空いた時間に指先を動かすことで、安らぎを得られる人がいかに多いことか。人は、誰かを助けることで、知らぬ間にその誰かに助けられている。うずたかく積み上げられたおもちゃと、箱いっぱいの礼状を見ながらそう感じた▼支援という営みは、昔も今も持ちつ持たれつ。サンタの生きがいの源泉も子どもたちの笑顔にちがいない。
译文: https://www.douban.com/note/701188242/
2018年12月25日(火)付 弱虫桃太郎
鬼って巨体。勝てるわけないよ。鬼ケ島で桃太郎はおじけづく。それでもお供の犬と猿、キジの果敢さを見て、遅れて刀を振りあげる――。『桃太郎が語る桃太郎』という絵本を読む。弱気な主人公像が新鮮だ▼おなじみの昔話を主役の気持ちで描き直す「1人称童話」シリーズの第1作だ。少し計算高い「シンデレラ」、飽き性の「浦島太郎」と続編も出た。「他者の気持ちをくむ格好の教材になる」と評価され、今年のグッドデザイン金賞に輝いた▼「主役を悪役に描き変えるパロディー化はしない。あくまで原作を敬う。視点を変える体験をしてもらうのが狙いです」と企画した久下裕二(くげゆうじ)さん。本業は広告のコピーライターで、児童書作りは初めてという▼昔話といえば3人称が当たり前。「そのとき桃太郎は」「シンデレラの本心は」と語られる。それを「そのとき僕は」「私の本心は」と再構成してみる。いわば知的な「ごっこ遊び」だ。触発されて昔話を一つ練ってみた。たとえば「笠地蔵」▼ああ、年の瀬なのに、笠は一つも売れねえ。持って帰れば、ばあさんに叱られる。あれ地蔵さんが雪に埋もれておいでじゃ。「証拠隠滅に協力して下され」。笠をかぶせて帰るべ。売り上げは落としたことにすっか▼おじいさんを恐妻家に見立てたつもりだが、試してみると、思っていたよりずっと難しい。それでも絵本の世界に入り込む過程が心地よい。「白雪姫」「一寸法師」「ウサギとカメ」。皆さまもぜひ一度お試しあれ。
译文: https://www.douban.com/note/701306319/
2018年12月26日(水)付 メンマを主役に
ないと困るわけではないものの、どんぶりの隅にその姿が見えると何とはなしに安心感を覚えるラーメンの具メンマ。味も見た目も地味ながら、歯ごたえはほかの食材をもって代えがたい▼「ラーメンやチャーハン以外に活躍の場がないと思われがち。でも実はいろんな家庭料理に使えます」と福岡県糸島市の日高栄治(ひたかえいじ)さん(72)。化学大手に長く勤め、出身地で街おこしに励む起業家である▼国内のメンマ市場は長らく中国産と台湾産が占めてきた。日高さんらが着目したのは放置竹林だ。背丈1メートルほどの幼竹をゆでて柔らかく加工する。「塩加減、発酵、干し方など関門が多く、失敗も重ねましたが、何とか軌道に乗りました」▼奮闘ぶりが報じられ、遠方の大学や自治体から視察が相次ぐ。昨年暮れ、京都市で開いた「純国産メンマプロジェクト」の初会合には、予想を上回る22都府県から官民の参加があったという▼取材先のあちこちで伸び放題、荒れ放題の竹林を見るようになって久しい。ザルやカゴ、住宅の壁材などの使い道が減ったためである。竹やぶはみるみる増殖し、周囲の畑や造成林をも荒廃させる▼さて今回、糸島で試食したのはメンマを使ったつみれ汁やハンバーグなど。コリコリした歯ざわり、楚々(そそ)とした味わいが新鮮である。国産メンマが広く食されるようになれば、地元は活気を取り戻す。自治体を悩ませる竹害問題も解決するかもしれない。ラーメンの添え物にとどめておくのは、いかにももったいない。
译文: https://www.douban.com/note/701437202/
2018年12月27日(木)付 酪農俳人
〈牛の尾を引き摺(ず)るやうに寒波来る〉。俳壇の新人賞として知られる「角川俳句賞」を今年受賞した鈴木牛後(ぎゅうご)氏の50句を読んで驚いた。19句に「牛」が出てくる。ほかの句も、糞(ふん)、干し草、トラクターなどの言葉で埋まっている▼牛後こと鈴木和夫さん(57)は北海道の下川町で牧場を営んでいた。今月半ばに訪ねると、60ヘクタールの牧草地は雪におおわれ、牛舎では45頭の乳牛たちが白い息をはいていた▼〈牛産むを待てば我が家の冬灯(ともし)〉。母牛の安産を祈り、昼夜の別なく牛舎で見守る。〈我が足を蹄(ひづめ)と思ふ草いきれ〉。草原で牛を追っていると、酪農家の心は牛と一体になっていく▼けっして楽しい仕事ばかりではない。〈角焼きを了(お)へて冷えゆく牛と我〉。産後1カ月ほどの牛は頭の一部を焼き、角が伸びないようにする。牛も痛かろうが、力ずくで焼きごてを当てる側もつらい。家畜を育てるということは、その生命に責任を持つということだろう。〈牛死せり片眼は蒲公英(たんぽぽ)に触れて〉▼札幌での会社勤めから酪農に転じたのは30代の頃。俳句歴は10年ほどと短いが、その句は牛との濃密な時間を余さず描く。「地道に働けば暮らせるのが一番の幸せ。そんな毎日での発見を言葉に変えていきたい」と、鈴木さんは語る▼〈農道をひたひた歩き春遠し〉。牛と一緒のときも、ひらめいたらその場でメモをとる。日々のささやかな驚きや喜びを慈しみ、17文字にして心にとめておく。人生を豊かにする方法を、北の酪農俳人は知っている。
2018年12月28日(金)付 年賀状の季節に
受取人の住所、差出人の名をはがきのどこに書くか答えなさい――。9年前、全国学力調査で出題されると、小6の3人に1人が誤って答えた。結果は日本郵便の社員に衝撃を与える。翌年から始めたのが、希望に応じて郵便局員らが教室に出向く体験授業だ▼最も多いのは小学校。昨年度は全国300万人に手紙のイロハを教えた。「はがきを大阪から北海道へ送るにはいくら分の切手を貼りますか」と講師が尋ねる。「千円かな」「いやもっと高いよ」。全国どこでも62円と説明すると、安さに感心されるそうだ▼書かせてみると、郵便番号の欄に相手の電話番号や自分の出席番号を書く子どもが多い。相手の住所と名前は右端に寄せてしまう。はがきの中央にぽっかりと空白が生じる▼「連絡は携帯やスマホで足りる。手紙となると、年に1回の年賀状を書くか、まったく何も書かないかのどちらかです」。講師役の話にいささか驚く▼聞けば、原因はネットだけではないらしい。個人情報保護法が施行され、クラス名簿を作る学校が急減した。年賀状を送ろうにも、いちいちSNSで住所を尋ねる手間がかかる。「それより、元日に一本メッセージを送る方がよほど楽」という子どもが圧倒的に多いそうだ▼いやはや手紙のやり取りが細るわけである。それでも、相手を思い、手間をかけ、季節を運ぶ手紙という文化はそうそう簡単には滅ぶまい。束にした年賀状を息せき切ってポストに投函(とうかん)して、ようやく私の年は暮れてゆく。
译文: https://www.douban.com/note/701665566/
2018年12月29日(土)付 心の居場所
築75年は経とうかという狭い民家。赤茶けたトタン張りの2階で洗濯物が揺れている。玄関先の看板はごく小さい。「サポートハウス」。金沢市で山本実千代さん(58)が営む子ども向けの「駆け込み寺」である▼兄の暴力から逃れた中学生。自傷行為をやめない10代の女性。ハウスでの暮らしを丹念に取材した『サポートハウスの奇跡』(林真未著)を読むと、福祉の手が届かない子どもたちの実相が浮かび上がる▼「うちを頼ってくる子は、大人はみんな敵やと思ってる。先生も信用してない、市役所とか児童相談所とかこわくて行けない。そういう子を『開く』には時間がかかります」と山本さんは話す。大阪府出身で、障害のある長男の子育てに苦労を重ねてきた▼ハウスを開いたのは2002年。顔見知りの障害児や、親が急に入院した子らを頼まれて預かったのが始まりだ。困っている人を見ると放っておけない。夫を避けて車中で暮らす母子、認知症の高齢者まで拒むことなく受け入れてきた▼特別な活動をするわけではない。何はともあれ一緒に食事をする。「おなかがすくと、だれでも心がトゲトゲする。食べ終えてフーッと一息吐けば、トゲトゲが取れる。小さい子でもそう。食べ盛りはもっとそう。大人だってそう」▼資金も人手もないハウスが十数年続いてきたのは、この明快な「食」哲学のたまものだろう。食べることはあらゆる生の出発点。同じ食卓に着いて一緒に箸を動かせば、心は少しずつほぐれていく。
译文: https://www.douban.com/note/701780579/
2018年12月30日(日)付 暴言大賞
今年の流行語大賞ならぬ暴言大賞がもしあるとすれば、どちらがふさわしいか迷う。「セクハラ罪って罪はない」と語った麻生太郎財務相と、同性カップルについて「生産性がない」と書いた杉田水脈(みお)衆院議員である▼麻生氏の発言は、部下の財務事務次官にセクハラ問題が持ち上がった時に飛び出した。「(被害を訴えた女性記者に)はめられた可能性がある」とまで口にしている。女性を追い込むような言葉に、自民党内からも批判が出た▼その毒舌が同僚議員らから「麻生節」と持ち上げられる重鎮である。しかしこの件で感じるのは、セクハラ告発の流れから組織を防衛しようとする必死さだ。財務省のみならず、政界や官界の男性優位社会をも守ろうとしたか▼となると暴言というよりは、むしろ「防言」。杉田氏が書いた文章も、性の多様性を容認する流れを止めようとするものだ。「生産性」のくだりがなければ注目されるはずもない内容だが、思わず防御姿勢に力が入ったか▼2018年はおそらく、性暴力や性差別の問題に光があたった年として記憶されるだろう。世界的なセクハラ告発運動「#MeToo」も影響した。前へと進む動きの大きさ。それゆえに起きた摩擦が、こうした暴言かもしれない▼今年の新語・流行語大賞の10位内には#MeTooのほか、男性同士のラブコメディードラマ「おっさんずラブ」が入った。セクハラを擁護したり他人の性にけちをつけたりするのとは違う世界が、ここにはある。
译文: https://www.douban.com/note/701878461/
2018年12月31日(月)付 大晦日に
一年でいちばん好きな日は、たぶん大晦日(おおみそか)だと思う。作家の津村記久子さんがエッセーにそう書いている。お正月はとても楽しい。けれども2日はもうただの休みだし、3日なんか明日から会社かと、げんなりする▼しかし大晦日は違う。「待つ」ことの楽しさが凝縮されているのだ。「たかが新しい年になるだけだ。三十数年も生きると、べつに新しい年になって何かが劇的に変わるということがないのも知っている。それでも、待つことそのものを味わうのだ」▼家の掃除をし、お正月の買い物をし、年賀状を書く。そんなこんなをこなして迎える、何げないひととき。新年を待つだけの不思議な瞬間である▼人間には、二通りの時間の感じ方がある。一つは、未来に向かって直線に進んでいく時間。もう一つは、毎年毎年、循環する時間である。「直線」の感覚からすれば、新年は通過点にすぎない。しかし「循環」すると思うなら、年が明ければ自分も新しくなるような気がする▼さて新年を待ちながら、「来年あるかも」ということを一つか二つ、思い描いてみるのはどうだろう。「恋人が現れるかも」「孫ができるかも」「有名人にどこかで会うかも」……。目標ではなく、待っているとやって来るかもしれない良いことを▼除夜の鐘は「ごくろうさん」にも、「ほらもう寝なさい」にも聞こえると、津村さんは書いている。うきうき、そわそわとも違う。かといって厳粛というほどでもない時間である。どうか良いお年を。
译文: https://www.douban.com/note/701992435/
天声人语原文: