日影迷福利之《东京家族》日文全台本
第一巻
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松竹マーク
1 メインタイトル
黒みからフェイド・イン。
T 東京家族
2 坂道
なだらかな多摩丘陵地帯の住宅地にある畑に菜の花が咲いている。
桜はとっくに散り、間もなく若葉の季節が訪れようとしている。
高圧線の鉄塔が青空に向かって伸びる。
私鉄の電車が音を立てて行き交う。
晴れた日の昼下がり、中学生が二人、ふざけながら坂道を上ってくる。
3 別れ道
平山実と友だち、別れ際にじゃれるようにふざけ合う。
4 平山医院 表
坂道の途中にある二階建てのこぢんまりとした建物。
その表に「平山医院」の看板。
ベランダに干した二組の蒲団に日差しが当たっている。
実と友だちのふざける声が聞こえる。
D 実 「危なーい、ハハハハ。じゃあな」
D友だち「ふざけんなよ」
5 同 二階の一室
畳敷きの部屋が片づいている。
長男の実が使っていた部屋。
文子がベランダに干した蒲団を取り込んでいる。
次男の勇がリモコンのヘリコプターをいじっている。
D文 子「もう散らかしちゃ駄目よ」
遊んでいる勇に声をかけると、掃除機を持って部屋を出て行く。
6 同 玄関ロビー
玄関のドアが開いて実が入ってくる。
D 実 「ただいま」
二階から掃除機を持って降りてくる文子。
D文 子「お帰り」
D 実 「おじいちゃんおばあちゃん、まだ?」
D文 子「今、何時?」
文子、居間の時計を見る。
D文 子「丁度品川駅に着いた頃じゃないかしら」
ばたばた階段を駆け上がる実。
6B 同 二階
実が上がってくる。
寝そべって遊んでいる勇を、足で蹴飛ばす。
D 勇 「何だよ、みのむし」
すっかり片付けられた部屋を呆然と眺める実。
6C 同 居間
二階からバタバタと駆け下りてくる実。
D 実 「ママ!」
居間の掃除をしている文子を不満げに見て口を開く。
D 実 「何でぼくの勉強机、勇の部屋に入れちゃうんだよ」
D文 子「しょうがないでしょ、あんたの部屋にはおじいちゃんたちがお泊り
になるんだから」
D 実 「え、家に泊るの? ホテルに泊りゃいいじゃないか」
D文 子「そんな言い方するもんじゃないの。おじいちゃんやおばあちゃんは
孫のあんたたちと二日でも三日でも過ごしたいのよ」
台所に行く文子の後を追う実。
D 実 「じゃあぼく、どこで勉強すりゃいいんだ」
D文 子「勇の部屋ですればいいでしょ」
D 実 「できないよ、あんなうるさいやつと一緒じゃ」
D文 子「何言ってるの、勉強なんかろくにしないくせに」
洗い物を始める文子。
D 実 「あ、そう。じゃ、勉強しなくたっていいんだね。赤点取ってもいい
んですね。ラッキー」
D文 子「こら」
実、廊下を滑るように階段へ向かい、二階へ行く。
7 欠番
8 平山医院 表
外出姿の金井滋子、息を切らせながら階段を上ってくる。
D滋 子「よいしょ」
階段を上ると玄関に向かう。
9 同 玄関ロビー
玄関のドアが開いて滋子が入る。
D滋 子「こんにちは」
台所から洗い物の手を止めて文子が覗く。
D文 子「あらお姉さん」
D滋 子「昌次から電話あった?」
D文 子「いいえ、まだ」
D滋 子「変ね。新幹線遅れさえしなければとっくに品川に降りてる頃よ、お
父さんたち」
D文 子「そうね」
滋子、居間に向かう。
10 同 居間
滋子、バッグや荷物を食卓の椅子に置く。
D滋 子「ああ疲れた」
D文 子「歩いてらしたの」
D滋 子「そうよ。年取ったら大変ねこの家は。坂道上がったり下りたり。今
の内はまだいいけどさ」
D文 子「お姉さん、今夜すき焼きにしたけどいいかしら」
D滋 子「ああ上等よ、二人ともお肉大好きだし。はいこれ、いつものよもぎ
餅」
滋子、紙袋を差出す。
D文 子「どうもすみません」
文子、椅子に座る。
D文 子「ねえ、昌次さんが自分で言い出したの? お父さんたち迎えに行く
って」
D滋 子「私。たまには親孝行の真似事くらいしなさいって言ったのよ。いつ
も心配ばかりかけてるんだから」
くすくす笑っているところへ電話が鳴る。
D滋 子「昌次かな」
滋子、立ち上がると気楽に取り上げる。
D滋 子「はい平山です―――あ、昌次。どうした、お父さんたち。―――見
つからない? だってとっくに着いてるでしょ、新幹線」
滋子、ハッと気付く。
D滋 子「ちょっと今あんたどこにいるの。東京駅? 馬鹿ね、お父さんたち
品川駅に降りるのよ。私、そう言ったじゃない。何聞いてるの、相変
らずぼんやりね」
11 東京駅 新幹線ホーム
携帯を耳にしてい平山昌次、ハッとする。
D昌 次「あれ、そうだっけ。あー、電話くれた時、俺忙しかったからな。あ
ー、どうするかな。じゃあ、俺、今から品川に行くわ」
12 平山医院 居間
いらいらしながら電話している滋子。
その背後に白衣を着た平山幸一が顔を出す。
D滋 子「そうして。なるべく早く行くのよ。私がお母さんの携帯にそこで待
ってなさいって言うから。何分くらいで行ける?」
13 東京駅 新幹線ホーム
D昌 次「電車だと十分か十五分位だけど、車だからな。三十分くらいかかる
かもしれないよ。―――はい、なるべく早く行きますよ」
溜息をつきながら携帯を切る昌次。
14 平山医院 居間
滋子、バッグを探って携帯を取り出す。
D滋 子「全く役に立たないんだから、あの子は。小さい時からこうなのよ。
兄さん、聞いてた?」
D幸 一「うん」
D滋 子「やっぱり私が迎えに行けばよかった」
滋子、携帯のボタンを押し始める。
15 品川駅 コンコース
広々としたコンコースの一隅で平山周吉がきょろきょろ辺りを見回している。
その傍ら、大きな鞄や土産物の入った袋の側にしゃがみ込んでいる周吉の妻とみこ。
英語や韓国語のアナウンスが聞こえ、忙しげに旅行客たちが行き来している。
とみこの抱えたバッグの中で携帯の呼び出し音が鳴っている。
D周 吉「おい、電話鳴っとるど」
とみこ、慌ててバッグから携帯を取り出すと、不器用な手つきでボタンを押す。
Dとみこ「もしもし、あ、滋子。今品川駅におるんじゃけど。昌次、見つから
んのいね。―――うん、―――ああそう。しょうがない子じゃね」
とみこ、立上ると周吉に語りかける。
Dとみこ「昌次、間違うて東京駅で待っとったらしい。今こっちに向こうとる
け待っとけって滋子が言うんじゃけど」
D周 吉「そんなん待てるか。わしらで行こう。タクシーに乗りゃあえんじゃ」
周吉、荷物を持ち上げるときょろきょろする。
Dとみこ「もしもし、お父さん待ち切れんけ先行くてえね。昌次にそう言うと
いて」
16 平山医院 居間
滋子、携帯を耳にしている。
D滋 子「大丈夫なの。タクシー乗り場分るの? 誰でもいいから通りすがり
の人に尋ねて聞きんさい。家の近くに来たらもう一回この携帯に電話
するんよ。いいわね。じゃあ、気いつけて」
滋子、やれやれと携帯を切る。
D滋 子「待ち切れないからタクシーで来るって。お父さんらしいわ、せっか
ちで。誰が似たんだろう」
D幸 一「お前じゃないか」
D滋 子「あ、そうか」
文子、笑い出す。
滋子、携帯をしまいながら
D滋 子「文子さん、買い物はもういいの?」
D文 子「ええ」
D幸 一「今夜は何にするんだい」
D滋 子「すき焼きだって。いいわね、それで」
D幸 一「いいだろ」
D文 子「それとも他にお刺し身でも」
D幸 一「いらんだろう(滋子に)どうだい?」
D滋 子「たくさんよ、お肉だけで」
看護師の吉田が入口に顔を出す。
D吉 田「先生、患者さんです」
D幸 一「うん」
幸一、頷いて立上り、奥に引っ込む。
D滋 子「あ、そうだ。昌次に電話しなくちゃ。品川に来なくてもいいって。
ああ、面倒くさい」
滋子、しまった携帯を出そうとバッグを探り始める。
17 タクシーの中
直線道路をかなりなスピードで走るタクシーの中。
後部座席に座っている周吉ととみこ。
とみこ、手にした手帳を見ながら運転手に説明している。
Dとみこ「今渡ったのが多摩川の鉄橋ですね。もう少し行くとつくし野ちゅう
交差点があるから、そこを左に曲って、しばらく行くと―――」
運転手、面倒くさそうに答える。
D運転手「ナビに入れたから大丈夫だよ、おばあちゃん」
キョトンとしているとみこ。
周吉がナビを指差す。
Dナ ビ「およそ七〇〇メートル先、つくし野を左方向です」
ナビが案内を告げる。
18 高圧線 鉄塔
茜色に染まり始めた空。
19 平山医院 診察室
カルテを整理し終えた幸一、立上り、片づけ物をしている看護師の吉田に声をかける。
D幸 一「湯沢さんの採血データ、至急にしといて」
D吉 田「はい。田村さんのお婆ちゃん、明日往診なさいますか」
D幸 一「うん。行かないと心配だな。ご苦労さま」
D吉 田「お疲れさまです」
幸一、部屋を出て行く。
20 同 居間
周吉ととみこが縁側に立って暮れゆく庭を眺めている。
台所で夕食の準備をしている文子に診察室から出てきた幸一が声をかける。
D幸 一「おい、暗いじゃないか」
D文 子「あ、ごめんなさい」
居間の電気がつき、周吉ととみこが振り返る。
幸一が笑顔で顔を出す。
D幸 一「お父さんお母さん、いらっしゃい」
Dとみこ「まあ、あんた、元気そうで」
D幸 一「新幹線、混んだ?」
D周 吉「いや、そねえでもなかった」
D幸 一「そう」
滋子、階段を見上げている。
D滋 子「実、勇。何してんの、おいで」
階段の中段に立っていた実と勇が下りてくる。
D滋 子「ほら」
滋子、二人の肩を押して
D滋 子「はい、おじいさんおばあさん」
D 実 「こんにちは」
実と勇、ぺこりと頭を下げる。
D周 吉「大きゅうなったの」
D幸 一「実はもう中学生です」
D周 吉「それか」
Dとみこ「勇ちゃんはなんぼ」
D 勇 「九才です」
勇、そう言うなり、パッと二階へ逃げて行く。
D幸 一「こら」
一同、笑い声を上げる。
文子が食卓に広げた土産物を幸一に示す。
D文 子「ほら、お土産。あなたの好きなサヨリの干物とこれ、お味噌ですっ
て」
Dとみこ「後藤さんのおばさんの手作り。わざわざ持ってきてくれたんよ、あ
んたにあげてくれいうて」
D滋 子「うちのが大好きなのよ、このサヨリ。お酒が美味しいんだって。い
い匂い」
D幸 一「お父さん、酒の方はどうですか」
D周 吉「お前に言われてから一滴も口にしとらん」
D幸 一「そのせいだな、顔色がいい」
D滋 子「もう一生分飲んじゃったんだからね、お父さん」
D周 吉「うるさい」
笑い声が上がる。
文子、実に弁当を渡す。
D文 子「はい、お弁当。おじいちゃんとおばあちゃんに行って参りますと挨
拶しなさい」
周吉、変な顔をする。
D周 吉「何じゃ、どっか行くんか」
D文 子「これから塾なんです」
D周 吉「弁当、持ってか」
D文 子「塾で食べるんです」
Dとみこ「まあ、夜もお勉強。大変じゃね、東京の子は」
D幸 一「勉強してるんだかどうだか」
実、幸一にムッとした目を向ける。
D文 子「さ、行きなさい」
D 実 「行ってきます」
D幸 一「ん」
Dとみこ「行っといで、ご苦労さま」
実、一同に見送られて玄関へ向かう。
21 坂道
薄暗くなり始めた道をあまり見かけない中古の欧州車が怪しげな音を立てて上ってくる。
下りてくる実にクラクションを鳴らし、スピードを落とす。
実、手を上げて応えると、運転席の方に周り込む。
止まった自動車の運転席から昌次が顔を出す。
D昌 次「実、おじいちゃんおばあちゃん、来たか」
D 実 「とっくに来てるよ」
D昌 次「俺の悪口言ってただろ、みんなで」
D 実 「言ってた言ってた」
D昌 次「どこ行くんだ。塾か、送ってやろうか」
D 実 「やだよ、こんなボロ車」
D昌 次「お前、フィアットのチンクエチェントに向かってボロ車とはなんだ
よ、え?」
D 実 「ボロはボロだよ」
実、言い捨てて坂道を下りて行く。
D昌 次「おい、ったく」
昌次、苦笑しながら実を見送ると、車を発進させる。
22 平山医院 台所
文子と滋子、台所で夕食の支度をしている。
玄関のドアが開いて昌次が入る。
D昌 次「こんにちは」
D文 子「昌次さんよ」
昌次、台所に現れる。
D昌 次「オッス」
滋子、昌次を睨む。
D滋 子「もう」
D昌 次「ごめんごめん。無事着いた?」
D滋 子「あんたが私たちの役に立ったためしが無いわね。いつも混乱の種ば
かり蒔いて」
D昌 次「謝ったじゃないか」
D文 子「お父さんとお母さん、二階よ」
D滋 子「顔見せておいで。こんにちはって」
昌次、乗らない表情で階段を上って行く。
23 同 二階の一室
着替えをしている周吉。
荷物の整理をするとみこ。
傍らに幸一が座っている。
昌次が姿を現す。
Dとみこ「まあ」
D昌 次「どうやって来たの、品川駅から」
D幸 一「タクシーだよ。お前が間違って東京駅なんか行ったから」
D昌 次「新幹線、品川に止まるなんて忘れてたんだよ。タクシー、高くつい
たんだろ。俺、送ろうと思って愛車のフィアット出したのに」
D幸 一「まだあの車に乗ってんのか」
D昌 次「大分ガタがきたけどね。この間仕事場の前に置いといたら不法投棄
禁止って紙貼られちゃったよ。ゴミ扱いだよ、イタリアの名車を」
Dとみこ「昌次、あんた、毎日ちゃんと食べとるの」
D昌 次「食べてるよ―――今朝、何時に出たの?」
Dとみこ「十時のフェリー。あんたの友だちの健ちゃんに会うたいね、フェリ
ーの上で」
D昌 次「へー、何してるんだ、あいつ」
D周 吉「トラックの運転手じゃ。富岡運輸。父さんの友だちがやっとる会社」
Dとみこ「日焼けして、こねえに太い腕して。はあ子どもが二人おるんてえね」
D昌 次「高校の同級生と結婚したんだよ、あいつ。両方とも不良でさ。手焼
いたんだ、担任は。へー、あいつがトラックの運転手ね」
D幸 一「友だちの悪口を言える立場か。まず自分が自立した生活ができるよ
うになってから人のことは言え」
ムッとしてそっぽを向く昌次。
D周 吉「今どねな仕事をしとるんか?」
D昌 次「まあ、なんとか食ってるよ」
階下から文子の声がする。
D文子の声「皆さん、ご飯よ」
D幸 一「その話は後でするとして、下に行こうか」
一同、立上る。
とみこ、机の上の茶道具を片づけようとするのを昌次が乱暴な手つきで代わってやる。
D昌 次「いいよ、俺やるよ。下に降りてろよ」
昌次、茶道具をお盆に載せると、壁のスイッチを押して電気を消し、部屋を出て行く。
D 勇 「おじちゃん!」
廊下の陰から勇が現れる。
D昌 次「おう、いたのか」
勇、階段を下りかけた昌次の背中にとびつく。
D昌 次「危ない危ない、危ねーな、おい」
D 勇 「やーい昌次、破れしょうじ」
D昌 次「なんだと、この野郎」
二人、じゃれ合いながら階段を下りて行く。
窓の外はもう暗い。
24 同 台所
流しの前で洗い物をする文子と滋子。
D滋 子「お肉、美味しかったわね、柔らかくて。高かったでしょう」
D文 子「ちょっと張り込んだのよ」
D滋 子「取り皿、この棚でいいのね」
D文 子「すみません」
片づけを続ける文子。
25 同 居間
くつろいでいる周吉ととみこ、幸一。
昌次、千円札を使って勇に手品をやって見せている。
幸一、会話の接ぎ穂を探すように口を開く。
D幸 一「お母さん、お高ちゃんどうしてる?」
Dとみこ「ああ、お高さん。あの人も不幸な人いね。旦那さんと死に別れて。
去年の春じゃったか、子ども連れて愛媛の方に片づいたんじゃが、何
かあまりええ具合にはいっとらんらしいよ」
D幸 一「そう」
滋子が椅子に座る。
D滋 子「ほら、何て言ったっけ。お父さんとよく釣りに行ってた町役場の人」
D周 吉「三橋さん」
D滋 子「うん」
D周 吉「亡くなられた。はあ大分になるの」
Dとみこ「そうじゃね」
D周 吉「お前、覚えとらんか。服部さん」
D幸 一「ああ、お父さんの親友の同窓生」
D周 吉「東京で高校の先生、やっとったんじゃが去年亡くなってのう」
Dとみこ「そうそう」
D周 吉「ええ機会じゃけ東京におるうちに、お悔やみに行こうと思うとるん
じゃ」
D幸 一「どこです?」
D周 吉「板橋区のどこじゃったか。沼田君が近くにおるけ案内してもらおう
と思うとる」
D幸 一「沼田さんて、造船会社にいた」
D周 吉「息子が何やらいう会社の部長さんで、えろう羽振りがええらしい」
Dとみこ「沼田さん、奥さんは?」
D周 吉「死んだ。二年か三年前」
D滋 子「気の毒ね、奥さんに先立たれるなんて。お母さんを大事にするのよ」
D周 吉「大丈夫、こん人はしばいても死にゃあせん」
D滋 子「あんなこと言って」
D周 吉「死ぬのはわしが先。それが幸せ」
D滋 子「やめなさいよ」
とみこ、おかしそうに笑う。
そこへ文子が手を拭きながら来る。
D滋 子「片づいたの?」
D文 子「ええ」
Dとみこ「ご苦労さま。美味しかったよ、お肉。ご馳走さま」
D文 子「いいえ」
滋子、周吉に向かう。
D滋 子「お父さんお母さん、明日はゆっくり休むのよ」
D幸 一「明後日は日曜日だから、ま、どっか案内するよ」
D滋 子「そう。じゃ、私そろそろ」
Dとみこ「はあ帰るんかね」
D滋 子「ええ。昌次、あんたどうするの」
D昌 次「送ってってやるよ。俺の外車で」
D滋 子「イタリアのポンコツ車? じゃ、駅まででいいよ」
滋子、立上る。
D滋 子「お父さん、いずれまた」
D周 吉「うん。庫造君によろしゅうの」
D滋 子「はいはい」
D昌 次「勇、勉強しろよ。俺みたいにいつまでも両親に心配かけたくなかっ
たらな」
D 勇 「うん」
D滋 子「よく言うよ、この子は」
勇、昌次に向かって手を振る。
D 勇 「バイバイ」
二人、文子に送られて部屋を出て行く。
26 欠番
第一巻終り
第二巻
27 同 二階の一室
暗い部屋に二組の蒲団が敷いてある。
周吉ととみこが入ってくる。
D周 吉「スイッチわかるか」
Dとみこ「はい、ここ」
とみこが明りをつけ、二人、よっこらしょと腰を下ろす。
D周 吉「ああ、やれやれ」
Dとみこ「ああ、えらい」
D周 吉「長い一日じゃったの」
Dとみこ「じゃが、子どもらもみんな来てくれて」
D周 吉「昌次まで来るとは思わんかった」
Dとみこ「久し振りに家族が揃うたし。連れてきてもろうてよかった」
D周 吉「うん」
とみこ、鞄から着替えを取り出す手を止め、
Dとみこ「ここは東京のどの辺じゃろうね」
D周 吉「西の端の方じゃ」
Dとみこ「そうじゃろうね。タクシー代、一万円近う払うて。たまげた」
D周 吉「今どき、都心で開業しよう思うたら大変な金がかかるんじゃ。これ
でよしとせにゃ」
廊下から声がかかる。
D文 子「よろしいですか」
D周 吉「はい」
襖が開き、宅配便を手にした文子が勇を連れて顔を出す。
D文 子「これ、今朝届きました。お着物」
Dとみこ「何かあるといけん思うてね、送らせたの」
D周 吉「そんなものいらん、言うたのに。荷物ばっかり増やして」
文子、笑って
D文 子「じゃあ、お休みなさい」
Dとみこ「お休み」
勇もペコリと頭を下げる。
D 勇 「お休みなさい」
D周 吉「はい、お休み」
ふみこ、襖を閉める。
廊下のスリッパを直す文子の耳元に勇が言う。
D 勇 「じゃ、ぼく、ママのベッドで寝るね」
D文 子「うん」
D 勇 「やった」
勇、廊下をスキップして寝室に向かう。
文子、階段を下りて行く。
部屋の中でとみこの携帯の電話が鳴り出す。
とみこ、あちこち探して、取り上げ、耳に当てる。
Dとみこ「もしもし、平山です。―――ああ、ユキちゃん。無事に着いたんよ。
子どもらと美味しいすき焼き食べてね。えらい楽しかった。お母ちゃ
んにくれぐれもよろしゅうね。ああ、そうそう、家のワンちゃん元気?
―――散歩に行ってくれた。どうもありがとう。―――おじいちゃん?
着替えしとんさるよ、腰曲げて。―――はあはあ、わかりました。お
休み」
電話を切るとみこ、ズボンを脱いでいる周吉に語りかける。
Dとみこ「隣のユキちゃんから」
D周 吉「うん」
Dとみこ「可愛い子じゃね」
D周 吉「ああ」
周吉、子ども部屋との境の襖を閉める。
28 ウララ美容院 表
私鉄沿線の賑やかな通りから少し入った所。
美容院の看板に朝日が差している。
店員の清美がやって来てドアを開けて入る。
29 同 店
清美、荷物を置くと奥に向かって声をかける。
D清 美「お早うございます」
D滋 子「はーい」
店の奥から滋子が顔を出す。
D滋 子「お早う。十時に宮田さんがいらっしゃるから、パーマ液トリートメ
ントありで用意しといて」
D清 美「はーい、わかりました」
身支度を始める清美。
30 同 居間
滋子の夫、庫造が葱を刻んでいる。
席に戻って茶碗を手にする滋子。
D庫 造「お父さんお母さん、いつまでいるんだい、東京」
D滋 子「四、五日はいるでしょう」
刻んだ葱を入れた器を手に食卓に着く庫造。
D庫 造「挨拶に行かなくていいかね、俺」
D滋 子「いいわよ。どっちみち家にも来るんだし」
店から出勤してきた従業員、高野が顔を出す。
D高 野「お早うございます」
D滋 子「お早う」
びっくりした顔をした庫造が尋ねる。
D庫 造「泊るのか、ここに」
D滋 子「いいでしょ」
D庫 造「お母さんはいい人なんだけど、お父さんはちょっと苦手だな」
D滋 子「どうして」
D庫 造「学校の先生だったんだろ。理屈っぽいんだよ、話が。面倒くさいん
だよ」
庫造、練りからしを納豆の器にたっぷりなすりつける。
D滋 子「もうおじいちゃんよ。やめなさいよ、そんなにからしつけて。バカ
になるわよ」
D庫 造「もうバカになってるよ」
笑う滋子。
庫造、二階を見上げて
D庫 造「でも、二階の部屋、狭いぞ」
D滋 子「いいわよ。娘の家にも泊ったって自慢したいんだから、田舎に帰っ
て」
D庫 造「そういうもんか。今日あたり、どうしてるんだ? お二人は」
D滋 子「兄さんが、どこか連れて行くって。日曜日だから」
滋子、食べ終えた茶碗を持って流しへ向かう。
D庫 造「じゃあ俺はいいか」
D滋 子「うん」
庫造、納豆とからしをかき混ぜる。
D庫 造「きたー!」
匂いを嗅ぎ、咳込む。
31 平山医院 居間
幸一、身支度をしている。
勇に外出用の服を着せている文子。
野球のユニフォームを着た実が口笛を吹きながら階段を下りてくる。
D 実 「パパ、どこ行くの、おじいちゃんたちと」
D幸 一「お台場からレインボーブリッジ回って、横浜の港がこんなに変わっ
てしまったというのを見てもらって、中華街で昼飯というとこかな」
D 実 「いいなあ、お土産買ってきて。中華饅頭」
言いながら、勇のキャップを取り、逆さまに被せる。
ムッとして実を睨む勇。
D 実 「行ってきます」
玄関に向かう実に文子が声援を送る。
D文 子「頑張って、我が家のヒーロー、実」
D 勇 「みのむし!」
口を尖らして声をかける勇。
32 同 表
グローブやバットが入ったスポーツバッグを背負った実、自転車に跨り、やってきて、大通り手前で急ブレーキをかける。
ペダルを踏み込み、大通りの坂道を下って行く。
坂道を上ってきている小学生にからかうような声をかける。
D 実 「アキ!」
D小学生「勇、家にいる?」
D 実 「パパとドライブ」
実は見る見るうちに坂を下って行く。
33 同 二階の一室
周吉ととみこ、外出の支度をしている。
勇がそろりと顔を出す。
とみこが気付いて声をかける。
Dとみこ「なんね?」
D 勇 「パパがね、支度できましたかって」
D周 吉「ああ、ええで」
Dとみこ「お待ちどおさん」
D 勇 「じゃあ、行きましょうって」
Dとみこ「はい」
勇、階段を下りて行く。
34 同 居間
勇が階段を駆け足で下りてくる。
D 勇 「言ってきた」
D幸 一「そうか、ちゃんと言えたか」
電話の呼び出し音が鳴り始める。
D 勇 「じゃあ、行きましょうって言った」
D幸 一「ん」
幸一が受話器を取り上げる。
D幸 一「平山医院です。ああ、吉沢さん。いかがです、息子さん。―――ま
だ、食欲が出ない。熱はどうです、あの薬で下るはずだが」
幸一、ふと顔を曇らせる。
D幸 一「ええ? 九度八分―――すぐうかがいます。いや、そんなことは言
っておられません。じゃ、後ほど」
幸一、受話器を切る。
台所にいた文子が顔を出している。
D幸 一「ママ、吉沢さんの息子、あまりよくないんだよ」
D文 子「あら」
そこへ周吉ととみこが下りてくる。
D幸 一「お父さん。ちょっと心配な患者がいて、急に往診に行かなきゃいけ
ないんだ」
D周 吉「それか」
D幸 一「せっかくドライブに出かけようとしてたんだけど」
D周 吉「いや、そねなこと仕方ない」
D幸 一「ちょっと診察室へ」
幸一、部屋を出て行く。
Dとみこ「大変じゃね、お医者さんは。こねえなん、しょっちゅうあるの」
D文 子「しょっちゅうってわけじゃないけど」
D周 吉「旅行に行く時やらどねする、外国やらに」
D文 子「そういう時は地域の先生同士がネットワークを作っていて、協力し
合うんです」
Dとみこ「何かあるとすぐに訴えられるというけえね、今のお医者さんは」
D文 子「そうなんですよ」
鞄を手にした幸一が急ぎ足に出てくる。
D幸 一「勇、来週の日曜日行くからな。お父さん、じゃあ行ってきます」
D周 吉「ああ」
幸一、玄関に向かう。
文子、自動車の鍵を手に後を追う。
35 同 玄関ロビー
靴を履く幸一。
文子が送りに来る。
D文 子「パパ、車のキー」
幸一、鍵を受取って
D幸 一「ちょっと遅くなるかもしれない」
D文 子「私が代わりに行きましょうか、お父さんたち連れて」
D幸 一「留守にするのはまずいよ。何かあったら困るから」
D文 子「そう」
幸一、ドアを開けて出ていく。
D文 子「行ってらっしゃい」
勇が文子の側に来ている。
D 勇 「ねえ、やめたの? ドライブ」
D文 子「うん。しょうがないわ。患者さんの容態が悪いんだって」
D 勇 「じゃあ、他のお医者さんに行けばいいじゃないか」
D文 子「何よ、えらそうな口利いて。二階に行ってなさい」
文子、居間に向かう。
36 同 居間
文子、戻ってくる。
D文 子「どうも、せっかくのところ、あいにく」
D周 吉「いいよ。忙しいのは結構だ」
Dとみこ「ご苦労さんじゃな」
D 勇 「ママ」
入口に来た勇が口を挟む。
D 勇 「本当に行かないの。ああ、つまんねえ」
とみこがなだめる。
Dとみこ「また今度な」
D文 子「ね」
勇、無言で文子の足を踏みつける。
ギョッとなる文子。
二階へ駆け登って行く勇。
D文 子「勇! どうもすみません」
周吉ととみこに頭を下げる文子。
二階からプラスチックのメガホンが投げ落とされる。
びっくりして目をやる周吉、とみこ、ふみこ。
続いてバットとボールが音を立てて落ちてくる。
文子、慌てて階段の方へ行き、メガホンとバットを拾い上げると二階へ上って行く。
37 同 二階
階段の上で勇がサッカーボールを投げ落とそうと構えている。
そこへ、文子が上がってくる。
D文 子「こら」
慌てて逃げようとして転ぶ勇。
更に逃げようとするのを、文子が捕まえる。
D文 子「おじいちゃんとおばあちゃんの前でなんですか。今度行けばいいじ
ゃないの」
D 勇 「今度今度って行ったことないじゃないか。いつだって行きゃしない
じゃないか」
D文 子「わからない子ね。吉沢さんの坊やはあんたと同い年よ。もしあんた
が高い熱出して放っとかれたらどんな気持ちがすると思うの」
D 勇 「平気だね」
D文 子「バカ!」
とみこが階段の下から声をかける。
Dとみこ「勇ちゃん、おいで。おばあちゃんと表に行こうや」
D文 子「ごめんなさい。この子は本当に強情で」
Dとみこ「さ、行こう。おばあちゃんが欲しいもん何でも買うてあげる」
D文 子「はい」
階下に向かって返事をする文子。
D文 子「勇、おばあちゃんのおっしゃること、聞きなさい。さ」
勇の背中を押して、階段を下りて行く文子。
37B 同 玄関ホール
下りてくる勇と文子をとみこが迎える。
Dとみこ「さあ、行こう」
とみこ、勇の手を取って玄関へ。
D文 子「勇、いい子にしてるのよ」
Dとみこ「行ってきます」
D文 子「お願いします」
玄関のドアを開けて出て行くとみこと勇。
そんなやりとりを居間のソファに座ってぼんやり聞いている周吉。
38 欠番
39 小公園
丘の上の見晴らしのいい公園のベンチにとみこが座り、不機嫌な顔をした勇が手すりの上をバランスをとって、行ったり来たりしている様子を眺めている。
丘の下を私鉄電車が通り過ぎて行く。
とみこが一人で遊び続ける勇に話しかける。
Dとみこ「勇ちゃんは、大きゅうなったら何になるの?」
黙って遊び続ける勇。
Dとみこ「お父さんの跡継いでお医者さんになる?」
D 勇 「ぼく、勉強できないから」
とみこ、驚いている。
Dとみこ「勉強できないって、あんたまだ小学生じゃろうがね。勇ちゃんのお
父さんもね勉強できんかったんよ。それが一所懸命勉強して、ようや
く医学部に入れたんじゃけ、勇ちゃんも勉強すれば大丈夫」
D 勇 「無理だよ」
とみこ、深々と溜息をつく。
Dとみこ「こねに小さいうちに諦めてしもうて」
とみこ、立上ると、ジュースのペットボトルをゴミ箱に捨てに行く。
40 ウララ美容院 表
雨が降っている。
美容院のドアが開き、清美が客を送り出す。
D清 美「ありがとうございました」
立ち去る客と入れ違いに傘を差した庫造が外出先から戻ってくる。
D清 美「お帰りなさい」
41 同 店
男性従業員、高野が客のカットをしている。
庫造が入って来て、買ってきた雑誌をラックに並べる。
滋子、奥からレジに戻ってきて、
D滋 子「さっき電話かかってきたわよ」
D庫 造「どっから」
D滋 子「麒麟堂さん。お祭りの寄付の件だって」
D庫 造「ああいいんだ、片づいたんだ。―――よく降りますね」
カーラーを巻いて座る客に挨拶をして奥に入って行く。
D滋 子「新しいタオル出しといて」
D清美・高野「はい」
滋子、庫造の後を追って奥へ行く。
42 同 居間
上着を脱いでハンガーにかける庫造。
滋子が入ってきて、昼ご飯の支度を始める。
D滋 子「お昼はうどんよ」
D庫 造「はい。お父さんたち食べたのか」
D滋 子「まだよ」
D庫 造「何してたんだ、午前中」
D滋 子「ずっと二階にいたわよ」
D庫 造「へえー、何もしないでか。これ草団子」
庫造、団子の包みを食卓に置いて椅子に座る。
D滋 子「ねえ、明日は雨上がるらしいから、どっか連れて行ってやってくれ
ない、お父さんたち」
D庫 造「明日か―――集金があるんだよ」
庫造、食卓の上のラッキョウをつまんで食べる。
D滋 子「東京に来てまだどこへも行ってないんだもん」
D庫 造「うん。この雨の中あの狭い部屋に一日中いたのか」
と、またラッキョウをつまんで食べる。
D滋 子「そうよ。―――やめなさいよ、手でつかむの」
ラッキョウの容器に蓋をして立上る庫造。
D庫 造「よーし、じゃちょっと、ご機嫌伺いに行ってくるか」
庫造、二階に行こうとして、
D庫 造「おっと」
気付いて食卓に戻り、団子の包みを持って再び二階へ向かう。
43 同 二階
窓ガラスの向こうのベランダに雨が降り注ぐ。
とみこが浴衣を縫っている。
片隅のテレビを眺めている周吉。
庫造が上ってくる。
D庫 造「縫物ですか」
Dとみこ「ああ、お帰りなさい」
D庫 造「これおやつです」
座卓の上に団子の包みを置く。
Dとみこ「ご馳走さま」
D庫 造「何縫ってるんです?」
庫造、傍らにしゃがむ。
Dとみこ「浴衣。滋子に頼まれて」
D庫 造「何だ、お母さんにやらせてるんですか。お祭りで踊るんですよ。下
手な踊りを。どうもすみません」
Dとみこ「いいえ」
D庫 造「お父さん、退屈ですね」
D周 吉「ああ」
周吉、リモコンでテレビを消す。
庫造、立上って窓外に降る雨を眺める。
D庫 造「天気がよければどっかに御案内するんですけども、この雨じゃね」
庫造、ふと思いついたように声を弾ませる。
D庫 造「そうだ、温泉行きましょうよ、温泉」
D周 吉「温泉?」
D庫 造「最近、駅前にできたんですよ、上原温泉。千二百メートル掘ったら
温かいお湯が出てきて、なかなかなんですよ。サウナもあるしジャグ
ジーもあるし、それにタイ式マッサージ。これがいいんだ、天国です
よ。行きましょうよ。タオルなんか向こうで貸してくれますから」
Dとみこ「お父さん、行っといで」
D周 吉「うん」
のろのろと腰を上げる周吉。
D庫 造「財布はぼくが持ってます。お母さん、行ってきます」
Dとみこ「お世話さま」
周吉、庫造の後に続いて階段に向かう。
44 同 居間
昼飯の支度をしている滋子。
庫造と周吉が下りてくる。
D滋 子「あらお父さん、どこ行くの?」
D周 吉「天国へ行ってくる」
D滋 子「どこの天国」
D庫 造「温泉だよ、駅前の」
D滋 子「あらいやだ、あの泥みたいなお湯が天国なの」
D庫 造「そうそう。温泉で飯食ってくる、ラーメンか何か」
D滋 子「そりゃいいけど、お父さんにお酒飲ましちゃ駄目よ」
D庫 造「分かってるよ」
D滋 子「あんたもね。痛風また出たって知らないよ」
D庫 造「はいはい」
D滋 子「行ってらっしゃい」
庫造と周吉、傘を手にして裏口から出て行く。
D滋 子「そうだ」
見送っていた滋子、ふと思いついて机の上の電話に向かう。
46 大劇場 舞台裏
舞台では華やかな衣裳に長い髪をぐるぐる回して獅子が踊っている。
傍らでは可愛らしい子役も二人踊る。
お囃子が盛り上がると共に踊りも激しくなり、拍手が起きる。
その裏で次の転換に備えて黒い服を着た大道具のスタッフが思い思いの姿勢で佇んでいる。
その中に昌次もいて、文庫本を読んでいる。
ポケットの中で携帯のバイブが振動する。
慌てて、取出し、片隅へと移動して耳へ当て、ひそひそ声で応える昌次。
D昌 次「ああ、俺だよ。今、何してるかって? 公演中の舞台裏でね、次の
転換に備えて待機してるとこだよ。用事があったら早く言ってくれよ。
―――明日? そうだな、今夜、建込みの応援に行くから下手すりゃ
徹夜かもしれないけど、昼間は一応暇だよ」
46 ウララ美容院 居間
滋子が電話をしている。
食卓にはうどんが用意されている。
D滋 子「あらよかった。お願いがあるんだけど。お父さんとお母さん、まだ
東京どっこも見てないのよ。明日は天気もいいらしいから、あんた、
都合つけてどっか案内してやって欲しいの、悪いけど」
店から清美が入ってきて流しで手を洗う。
47 大劇場 舞台裏
D昌 次「え、俺が? 嫌だなあ。お袋一人ならいいけど親父がいるんだろ。
親父だって俺の顔なんてあんまり見たくないんじゃないか」
D滋子の声「何言ってんの、親子じゃないの」
48 ウララ美容院 居間
清美がうどんをすする傍らで電話をしている滋子。
D滋 子「今お父さんが一番気になってんのはあんたのことなのよ。そうよ、
お父さんと話するいい機会なんだから。―――そう、行ってくれる?
お父さんに奢ってもらいなさいよ、うなぎかなんか。あ、そう。――
じゃあ、仕事一段落したらもう一回電話ちょうだい。細かいこと打ち
合わせるから」
49 大劇場 舞台裏
D昌 次「わかったよ、はい」
昌次、携帯をポケットにしまうと、舞台に急ぐ。
幕が下りて急速な場面転換が始まっている。
昌次も合流して壁を解体し始める。
Dアナウンス「ただ今から十五分間の休憩でございます」
50 遊覧バス
スカイバスが東京の皇居のお濠端を走る。
周吉ととみこが並んで座っている。
その斜め背後に退屈そうな顔で座る昌次。
Dバスガイド「左をご覧下さい。桜田濠でございます。お濠の松と石垣の景観
は皇居の中でも最も美しい風景のひとつとして知られております」
スカイバスは秋葉原の電気街へと差しかかる。
キョロキョロと眺める周吉ととみこ。
昌次はあくびをしている。
Dバスガイド「バスは秋葉原へと入ってまいりました。戦後の闇市より発展致
しまして、高度経済成長による家電ブームにより日本を代表する電気
街となりました。また、近年はアニメ文化の聖地として脚光を浴びて
おりまして、世界中からたくさんの観光の方が訪れています」
やがて、スカイツリーの見える場所へとやってくる。
目を見張り、身を乗り出す周吉ととみこ。
昌次はすっかり眠りこけている。
Dバスガイド「あちらに見えて参りましたのが、東京スカイツリーです。二〇
一二年五月に開業致しました世界一の自立式電波塔で、武蔵の国にち
なんで高さは六三四メートルになっております」
51 欠番
52 うなぎ屋 表
帝釈天参道にある古い建物に看板がかかっている。
食事を済ました参拝客がぞろぞろ店を出て行く。
入口の傍らで昌次が携帯を耳に当てている。
D昌 次「場所はどこですか? ―――あー、池袋芸術劇場大ホール。はい、
分りました。えーとぼく、三日だけなら応援に行けますから。はい、
えっと、あの、村田君によろしく言っといて下さい。安心して怪我治
せって。八時か九時には行けますから、はいじゃ、そこでまた、はい」
携帯を切り、店の中に入る。
第二巻終り
第三巻
53 同 店内
さして広くはない、年季の入った室内の一隅に周吉ととみこが座っている。
昼食時で賑わう店内。
昌次、戻ってくる。
D昌 次「まだ来ないの、注文したもの」
Dとみこ「さっき催促したんじゃけどね」
D昌 次「いいうなぎ屋はできるまでに時間がかかるっていうからな」
ビール瓶を取り上げ、周吉のコップに注いでやろうとする。
周吉、掌でコップを押さえる。
D昌 次「本当にやめたの。よくやめられたな、あんなに飲んでたのに」
自分のコップに注ぎ、うまそうに飲む。
D昌 次「うめえ」
そんな様子を見ている周吉ととみこ。
D周 吉「昌次は今何をしとる?」
D昌 次「何をしてるって、うな重が来るのを待ってるんだけど」
Dとみこ「真面目に答えんさい」
D昌 次「真面目に答えてますよ」
Dとみこ「お父さんはあんたが何で暮しをたてとるか聞きたいんじゃろ」
D昌 次「手紙でも書いただろう。舞台美術」
D周 吉「それはどねな仕事か」
D昌 次「ほら芝居の舞台には建物が建ってたり背景が描いてあったりするだ
ろう。ああいうものを作る仕事。歌舞伎もやるけど、うんとモダンな、
たとえばパイプだけの抽象的な舞台もやるし、いろいろだよ。大きな
劇場、小さなミニシアター」
D周 吉「それで食うていけるんか、お前は」
昌次、うんざりしたように答える。
D昌 次「何とか食べてますよ」
D周 吉「その仕事の見通しはどねえか。五年先、十年先」
D昌 次「そういうことはあんまり考えたことないんだ」
D周 吉「そんなら、行き当たりばったりの生き方か」
D昌 次「そうじゃなくて、今いい仕事して勉強しておくことが大事なんだよ。
五年先のことなんか分らないよ。演劇の世界だってこの国のことだっ
て」
D周 吉「お前の口からこの国のことやら、聞きとうない。要するに楽をして
生きたいんじゃろ」
昌次、首を横に振る。
D昌 次「楽になんか生きさせてくれるもんか、この世の中は。もうやめよう
よ、この話は。不毛だよ」
ムッとする周吉。
店員がうな重を盆に載せ、急ぎ足に厨房から出てくる。
別の店員に声をかける。
D店 員「あがってまーす」
周吉たちの席にやって来る。
D店 員「すみません、お待たせして。うな重、竹でございます。肝吸いは後
でお持ち致します。失礼します。お待たせ致しました」
店員、手際よく、机の上にうな重を並べて去っていく。
昌次、蓋を開ける。
D昌 次「わー、うまそう」
Dとみこ「昌ちゃん、まだ話は終ってないじゃろ。お父さんはあんたのことが
心配なんじゃけ」
D昌 次「分ったよ、とにかくうなぎ食おうよ。俺、腹減ってるんだよ」
箸でつまみ上げようとした時、携帯が振動する。
携帯を見て舌打ちをする昌次、携帯を開く。
D昌 次「またあいつか、うるせえな」
立上り、携帯を耳に当てながら部屋を出て行く。
D昌 次「あ、もしもし、すみません―――」
周吉、ぼそりと呟く。
D周 吉「わしの話を聞こうともせん」
Dとみこ「そねなことないね。あねな顔しとるけど、お父さんの気持ちはよー
く分っとるはずよ」
舌打ちをする周吉。
Dとみこ「さあ、食べましょう」
D周 吉「わしの半分、あいつにやれ」
Dとみこ「あの子の顔見とったら食欲ものうなったんかいね」
D周 吉「ああ、のうなった」
とみこ、くすくす笑いながら周吉のお重を取り上げる。
54 ウララ美容院 店
後片づけを終えた夜の店内。
客用の椅子に腰かけて滋子が訪ねてきた幸一と語り合っている。
D幸 一「遅いな」
D滋 子「もう帰ってくるわよ」
滋子、ハサミの手入れをしながら、
D滋 子「ねえ、お父さんたち、いつまで東京にいるのかしら」
D幸 一「うむ。何とも言ってないかい」
D滋 子「同窓生の服部さんって言ったっけ、その人のお悔やみに行くって言
ってたけど、それをいつにするかだわねえ」
D幸 一「板橋とか何とか言ってたな」
D滋 子「うん。ねえ兄さん」
D幸 一「ん?」
D滋 子「私、考えたんだけど、ちょいとお金出してくれない」
D幸 一「何だい」
D滋 子「私も出すのよ。三万円でいいかな、やっぱり五万円はいるわね」
D幸 一「どうするんだい」
D滋 子「うちのお客さんで横浜のホテルの支配人の奥さんがいるのよ。うん
と安く泊めてもらえるの。どう? 豪華ホテル」
D幸 一「うむ」
D滋 子「兄さんだって忙しいし、私もここんとこ講習会だのお祭りだので手
があかないのよ。そうかって、昌次じゃ頼りないし。どう?」
D幸 一「いいかも知れないな」
D滋 子「私だってたまには行きたいわよ。ホテル」
D幸 一「行ってもらうか」
D滋 子「喜ぶわよ、お父さんとお母さん」
D幸 一「どっか行くったって、すぐに二万や三万かかるからな」
D滋 子「そうよ。結局ホテルの方が安上がりよ。静かな部屋で二人でゆった
りして。なんだか羨ましくなってきちゃった。ねえ、ちょっと」
庫造がお盆にコーヒーを載せて奥から出てくる。
D庫 造「はいはい、何だい」
D滋 子「今、兄さんと話してたんだけど、お父さんとお母さん、ホテルに泊
めてあげようと思うの。ほら、堀川さんのご主人の」
D庫 造「そりゃいいや―――私も気になってたんですよ。どうも忙しくてど
こにも御案内できなかったし」
D滋 子「だからさ、どう? 少しお金かかるけど」
D庫 造「賛成だな。お義兄さん、それがいいですよ」
D幸 一「そうか。じゃあ、そうするか」
D滋 子「家にいたって面白くもおかしくもないもんね」
D庫 造「そうだよ。ホテルはいいや。ごたごたした東京の街を見て歩くより、
ホテルの部屋でもってゆっくりテレビでも見て過ごした方がよっぽど
いいよ。天国ですよ」
D滋 子「少しお金かかるけどね」
庫造、鏡の前にある客用の椅子に腰かける。
D庫 造「いいじゃないか、それぐらいの金で親孝行できるなら。私なんか高
校の時死んじゃったんですからね、親父が」
D幸 一「そうか、高校の時亡くなったの」
D庫 造「はい、死にました。孝行したい時分に親はなしですよ」
笑いながらくるりと椅子を鏡の方へ向ける。
D幸 一「さればとて墓に蒲団も着せられずか」
D庫 造「そうそう」
幸一、スプーンでかき回して、カップを口に運ぶ。
55 ホテル 表
白亜のリゾートホテル。
近くの遊園地の観覧車がゆっくりと回り、ジェットコースターが乗客の喚声と共に猛スピードで走っている。
56 欠番
57 同 客室
広い窓の向こうに観覧車が見える。
大きなダブルベッドに腰かけた周吉ととみこが落ち着かない様子で、窓外を眺めている。
Dとみこ「ね、お父さん、あすこに寝巻があったけ、着替えたら」
D周 吉「寝巻で飯食いに行っちゃいけんのじゃろ。たいぎい」
Dとみこ「ほんなら、どねする、これから日が暮れるまで」
D周 吉「こねして空でも眺めとるしかなかろうが」
周吉ととみこ、窓の外に目をやる。
Dとみこ「ああ、ええ天気じゃね」
青空に白い雲が浮かんでいる。
58 同 ディナールーム
広い室内で何組かの客が静かに食事をしている。
その一隅のテーブルでかしこまっている周吉ととみこ。
ボーイが卓上に置かれた料理の内容を説明している。
Dボーイ「お待たせ致しました。マト鯛のポワレでございます。バジリコのソ
ースとリコッタチーズ、ご一緒にどうぞお召し上がり下さいませ」
いちいち頷いて聞いている周吉ととみこ。
ボーイが去るととみこは、ナイフとフォークを手に取る。
グラスの水を飲む周吉。
Dとみこ「お酒頼むかね?」
D周 吉「いや、ええ」
周吉もナイフとフォークを手に取る。
二人、慣れない手つきで料理を口に運ぶ。
59 同 客室
寝巻に着替えたふたり。
暗い部屋の中で周吉はダブルベッドに、とみこは床に座っている。
窓の外で賑やかにネオンをともした観覧車が回っていて、その明りが室内に差し込んでいる。
とみこ、立上りカーテンを閉めようとする。
D周 吉「どねするんじゃ」
Dとみこ「カーテン閉めんと眠れんでしょうが」
D周 吉「そのままでええ。滅多に見られん景色じゃけ、しばらく見とこう」
Dとみこ「はいはい」
とみこがベッドに戻ると、二人、しばらく無言で窓外の景色を眺める。
D周 吉「覚えとるか」
Dとみこ「何を?」
D周 吉「広島の東洋座。お前と二人で映画見に行ったじゃろうが。まだ結婚
する前。あの時の映画が『第三の男』」
Dとみこ「そうでしたかいね」
D周 吉「ウィーンの遊園地の観覧車の中での芝居が印象的じゃった。ええ台
詞を言うんじゃ、オーソン・ウェルズが」
窓外、明りの色をとりどりに変えながら観覧車が回っている。
60 同 廊下
鞄を積み上げたカートをボーイに押させて、今到着した中国人の富裕層が賑やかに喋りながら歩いて行く。
一組の夫婦は、通訳に文句を言っている。
もう一組の夫婦は楽しそうに記念写真を撮ったりしている。
61 同 客室
ダブルベッドに並んで横たわっている二人。
周吉、黙って天井を見ている。
62 同 廊下
中国の富裕層の一組の夫婦が通訳に文句を言っている。
ボーイはもう一組の夫婦の部屋に荷物を運び込んだりしている。
63 同 客室
廊下の中国の富裕層の喋り声が聞こえている。
周吉、枕を一つ抜いて、床におろす。
Dとみこ「こねに立派なベッドじゃよう眠れんね、お父さん」
D周 吉「うん」
Dとみこ「枕もフワフワじゃし」
D周 吉「うん」
周吉、身体を起す。
Dとみこ「眠り薬あげようか」
D周 吉「いらん」
周吉、再び横になると目を閉じ、溜息をつく。
64 同 廊下
朝。
メイドが朝日の差し込む部屋に掃除機をかけている。
別のメイドが食器を載せたカートを片づけていく。
65 プロムナード
朝日の差すプロムナードの一隅にとみこと周吉が腰かけて休んでいる。
D周 吉「やっぱり海はええのう。気持が落ち着く」
周吉、あくびをしながら自分の肩を叩く。
Dとみこ「昨夜、眠れんかったかね」
D周 吉「母さんはよう寝とったの」
Dとみこ「私も眠れんかったよ」
D周 吉「嘘言え。鼾かいてぐうぐう寝とった」
Dとみこ「私、鼾やらかくかね」
D周 吉「ああ、近頃ようかく」
Dとみこ「ありゃ」
周吉、肩を叩く。
66 ホテル 客室
メイドAがダブルベッドのマクラカバーを換えている。
67 同 同 バスルーム
メイドB、バスタブの掃除をしている。
ベッドルームの掃除をしているメイドAに声をかける。
DメイドB「まあ、綺麗に掃除してある」
メイドAが仕事を続けながら答える。
DメイドA「寝巻もきちんと畳んであるわよ。多分お年寄りの夫婦ね」
DメイドB「言いたくないけど、ひどいわよね、今の若者たちの汚し方」
DメイドA「親は何考えてんだろう」
掃除を続ける二人。
68 プロムナード
ぼんやり景色に目をやっている周吉ととみこ。
男性が散歩させている犬に目を向ける。
D周 吉「ゴローはどうしとるかの。ちゃんと餌、食べとるかの」
Dとみこ「昨夜ユキちゃんに電話したら、えらい元気なんて。あの子が見てく
れとるけ大丈夫」
D周 吉「ほんまにええ子じゃの、あの子は」
Dとみこ「ねえお父さん、島に帰りたいんじゃないかね」
D周 吉「まあ子どもらの暮しも一応見届けたけ、後は服部君のお悔やみに行
って、そしたらいのう」
Dとみこ「そうじゃね。帰りましょう」
周吉、立上り、ホテルの方に向かう。
とみこも続いて立つが、眩暈がしたようによろよろしてしゃがみ込む。
周吉、気がついて
D周 吉「どねしたか」
Dとみこ「何やらふらっとして」
D周 吉「気分悪いか」
Dとみこ「時々あるんよ、こねなこと。はあ大丈夫」
D周 吉「本当に大丈夫か」
Dとみこ「大丈夫」
立上り、周吉の後をついてホテルの方にゆっくり歩いていく。
69 欠番
第三巻終り
第四巻
69B ウララ美容院 近くの道
美容院近くの幹線道路を車が行き交う。
70 同 店
昼下がり。
順番を待って雑誌を読んでいる女性客。
高野、パーマ液を作りながら、鏡の前に座る別の女性客に話しかけている。
D高 野「今よりちょっと明るめにしません?」
D女性客「そうかな」
滋子は奥さん風の女性にヘアスタイルの提案をしている。
側に控える清美。
D滋 子「奥様、一度アップにしてみない。きっとお似合いよ」
D 女 「そうかしら」
D滋 子「襟あしがとっても綺麗だもの。この辺、フワッとボリュームを付け
て。どう?」
D 女 「そうしてみようかしら」
D滋 子「そうなさいよ」
居間から庫造が顔を出し、手招きする。
D滋 子「何?」
D庫 造「お父さんとお母さん、帰ってきちゃったぞ」
D滋 子「ええ? もう」
D庫 造「今夜はまずいだろ?」
D滋 子「まずいわよ」
滋子、客の傍にいる清美を振り返る。
D滋 子「清ちゃん、支度しといて」
D清 美「はい」
滋子、奥に行く。
庫造、客に笑いかける。
D庫 造「あ、奥さんこんにちは」
D 女 「こんにちは」
D庫 造「どうも」
D 女 「誰かお客さん?」
D庫 造「ええ。年寄りが田舎から出て来てるんですよ」
D 女 「大変ね」
D庫 造「ほんと、大変なんですから」
庫造、笑いながら箒と塵取りを手にして床を掃き始める。
71 同 二階
周吉ととみこ、暗い室内に座っている。
不機嫌な表情の滋子、カーテンと窓を開けて部屋に明りと風を入れる。
D滋 子「それで、ホテル、どうだったの?」
周吉、ぶっきらぼうに答える。
D周 吉「よかった。広い大きな部屋で」
Dとみこ「見晴らしがようてね」
滋子、二人の傍に座る。
D滋 子「私たちも泊ったことないのよ。御馳走、何が出たの」
Dとみこ「ステーキにお魚のグリル。いろいろ説明してくれるんじゃけど、何
のことやら分らずにようけ食べたいね」
D滋 子「美味しかったの」
Dとみこ「そりゃ、美味しかった」
D滋 子「だったら何で帰ってきたの。二泊三日の予定で予約したのよ。何だ
ったらもう一日くらい延ばしたっていいって思ってたのに」
D周 吉「一晩で十分じゃ。金、勿体ない」
D滋 子「びっくりするくらい安くしてもらってるって言ったじゃないの。あ
のねえ、お母さん。今夜家で商店街の飲み会があるの。今、個人商店
は大変だから勉強しなくちゃいけないって持ち回りで毎月講習会開い
て、その後でお酒になるの、この狭い家の中で。夜遅くまでかかるの
よ、酒好きが多いから」
Dとみこ「じゃこの家に大勢の人が見えるん」
D滋 子「うちがあいにく番なのよ。だからゆっくりホテルに泊って欲しかっ
たの。私もそう言っておけばよかったんだけどね、まさか一晩で帰っ
てくると思わなかったから。電話ぐらいしてくれればよかったのに」
周吉ととみこが顔を見合わせる。
清美が階段に顔を出す。
D清 美「先生」
D滋 子「はい」
D清 美「支度ができましたけど」
清美、言い捨てて階段を下りる。
D滋 子「とにかく、今夜はうちにいられては困るのよ。ご飯だって作ってあ
げられないんだし―――じゃ、ちょっと」
滋子、急ぎ足に階段を下りて行く。
がっかりしている周吉ととみこ。
Dとみこ「どねしよう」
D周 吉「うん」
Dとみこ「ホテルははあ断ってしもたし、幸一のとこも突然行っちゃ迷惑じゃ
ろうし」
周吉、顔を上げる。
D周 吉「わしはこねする。沼田君に連絡して服部君の家に案内してもろて線
香あげる。奥さんが家におっちゃたらじゃが」
Dとみこ「今夜は?」
D周 吉「沼田君の家に泊めてもらう。いつでも来い言うとったから。息子さ
んが出世して大きな家に住んどるらしい」
Dとみこ「そう」
D周 吉「で、お前はどねする?」
Dとみこ「じゃあ、私は昌次のとこに行きます」
D周 吉「知っとるんか、アパートがどこにあるのか」
Dとみこ「地図描いてもろたから。私ね、お父さん。東京来たらあの子の部屋
に行こうと思うとったの。どうせ汚く散らかして暮しとるじゃろうけ
え。掃除してやったり洗濯してやったり。前掛けも持ってきとるんよ」
D周 吉「夜はどねする」
Dとみこ「あの子の部屋に泊る。大丈夫いね。私の寝るところくらいあるじゃ
ろ。なんぼ狭いいうても」
D周 吉「じゃあ、そねするか。今夜はふたりバラバラで―――とうとう、宿
無しになってしもたか」
Dとみこ「そねなこと言うて」
周吉、不機嫌に荷物の中から洗面具などを取り出し始める。
とみこは帯をほどいて着替えを始める。
71B 同 表
裏口から出てきた周吉ととみこが店の前を通って、駅の方へ向かう。
中年の婦人客が店へ入って行く。
D清 美「いらっしゃいませ」
客を迎える声が中から聞こえている。
71C 同 二階
カーテンの閉まった薄暗い部屋の隅に、周吉の荷物ととみこの畳んだ着物が置いてある。
72 デパートの屋上
屋上の片隅に設けられた椅子に周吉ととみこが腰を下ろしている。
若い母親が小走りで幼い女の子に風船を持っていく。
その姿をぼんやり見ている周吉ととみこ。
D周 吉「のう母さん。女の子は嫁にやったらお終いじゃの」
Dとみこ「何で」
D周 吉「滋子は小さい時はほんとに優しい子じゃったけど」
Dとみこ「あの子には甘かったけえね、お父さんは。その代り男の子にはきつ
うて」
D周 吉「きつかったか」
Dとみこ「きつかったいね。成績が落ちると頭ごなしじゃけえね。特に昌次に
はきつうて。あの子がお父さんの顔色見るようになったんはそのせい
よ。可哀想に」
周吉、目を伏せる。
D周 吉「わしのせいか」
Dとみこ「今夜一晩ゆっくり話聞いてやって、お父さんの気持ちも伝えるけ」
溜息をつく周吉。
D周 吉「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃの」
Dとみこ「でも、うちなんかええ方よ」
D周 吉「それか。ええ方か」
Dとみこ「そうよ」
親子連れがびっくりしたような声を上げる。
D女性の声「まな、風船! 風船飛んで行っちゃう」
声の方を見る周吉ととみこ。
風船が手を離れて飛んだのを親子連れが騒ぎながら追いかけている。
とみこ、腕時計に目をやる。
Dとみこ「お父さん、そろそろ行った方がええよ」
二人、よっこらしょと立上る。
行きかけて、周吉が振り返る。
D周 吉「おい、忘れ物」
とみこ、慌てて戻ると鞄を持って周吉の後を追いかける。
73 服部の家 近く
かなり年季の入った団地の建物がずらずら並んでいる。
あたりには子どもの姿もない。
ベランダに干した蒲団を叩く中年の主婦。
廃品回収業者の軽トラックが止まって荷物を積み込んでいる。
74 同 中
ささやかな仏壇に立てられた服部の遺影と灯明。
香典を置き、線香を立てた周吉、鐘を鳴らして手を合わせる。
傍らに控える妻の京子。
リビングの椅子に腰をかけている友人の沼田三平。
さして広くない室内の壁は本でびっしり埋まっていて、いかにも手狭である。
片隅に置かれた勉強机は服部が生前使っていた状態のまま整えられ、壁には生徒たちとの記念写真がかけられている。
周吉、遺影を見つめながら語り始める。
D周 吉「長い教員生活を通して服部君には大変お世話になりました。勤務評
定、学力テスト、道徳教育反対といった大きな問題にぶつかるたびに、
私は服部君に相談に乗ってもらったもんです。本当にええ人でした。
本来なら、お通夜に駆けつけてお手伝いしなければならんかったとこ
ですが、腰の具合が悪うてどうしても来れんかったことを申訳のう思
うとります。奥さん、心からお悔やみ申し上げます」
京子、頭を下げる。
D京 子「遠いところから来て下さって、きっと主人も喜んでおります。あり
がとうございました」
D沼 田「平山、こっちに来て楽にせんか。仏の前じゃ、バカっ話もできんじ
ゃろ」
D周 吉「ああ」
D京 子「どうぞどうぞ」
京子、立上りリビングでお茶の支度を始める。
D周 吉「奥さん、看病は大変だったそうですね」
D沼 田「葬式の時、あなたげっそり痩せてて、大丈夫かと思いましたよ」
D京 子「その後、お陰様で持ち直しましたけど」
京子、口に手を当てて笑う。
周吉、本棚の前に立って書籍を眺める。
D周 吉「服部君の隣のお写真は?」
D京 子「私の母です」
D周 吉「最近、お亡くなりになったんですか」
京子、頷く。
D京 子「ええ、去年の三月十一日に」
周吉、本を引っ張り出そうとした手を止める。
D周 吉「ええ?」
周吉の顔色が変わっている。
D沼 田「奥さん、岩手県なんだよ。陸前高田。お母さん、流されたまま、い
まだに見つからないんだそうだ」
D周 吉「そうだったんですか」
D京 子「私の父は出征して南方に向かう途中、輸送船と一緒に沈んでしまっ
たので、遺骨も帰ってきてないんですよ」
D沼 田「お母さん、諦め切れなくて、お父さんのお墓たてなかったそうだよ」
D京 子「今頃海の底でようやく一緒になれたんじゃないかななんて思ったり
してるんですよ」
周吉、再び遺影の前に座り、手を合わせる。
廃品回収業者の軽トラックのスピーカーから流れるアナウンスが聞こえてくる。
Dアナウンス「毎度お騒がせ致しております。こちらは廃品回収車でございま
す」
75 団地の道
廃品回収業者の軽トラックがアナウンスを流し ながら人気のない道をゆっくり走る。
Dアナウンス「ご家庭で不要になりましたテレビ、冷蔵庫、洗濯機、パソコン
…」
75B 劇場 舞台
舞台上にある大道具の扉を直している昌次。
道具をしまって立上り、客席で打合せしているスタッフに声をかける。
D昌 次「やっときました」
表へ向かう昌次。
76 同 楽屋口
繁華街のビルの一角の小劇場。
表通りに通じる楽屋口の階段で、出を待つ派手な衣裳を着た俳優たちが、お喋りや柔軟体操をしたりしている。
昌次が出て来て携帯を耳に当てる。
D昌 次「ああ、俺。今夜、ちょっと来て欲しいんだけどな。―――実はな、
お袋が来るんだって。さっき、電話してきてな、今夜泊るところがな
くなったからついでにお前のところに行って、掃除したり洗濯してや
るって言うんだ。まあ、久し振りにお袋の作った飯でも食うかなと思
ってるんだけど、いいチャンスだからさ、会わせたいんだよ。―――
大丈夫だよ。―――何でって、お前感じいいじゃないか。年寄りはき
っと気に入るよ。大丈夫大丈夫。じゃあ、待ってるから」
昌次、電話を切ると劇場へ戻って行く。
俳優たちが台詞の自主稽古を始める。
77 昌次のアパート 表(夜)
Y字のコーナーに建っている小さなアパート。
猫の額ほどの駐車場に昌次のフィアットが止めてある。
二両編成の電車が音を立てて通過していく。
78 同 昌次の部屋
1DKの手狭な室内。
雑然とはしているけれど不潔ではない、一種の居心地の良さがある。
お宝物の車のハンドルやフィアット500の写真やミニカー、ラジコンのヘリコプターがありがたそうに飾られている。
小さな卓袱台の上に皿や鉢が並んでいて、胡座をかいた昌次がうまそうにご飯をかき込んでいる。
その前に味噌汁のお代わりを置くとみこ。
Dとみこ「はい。―――美味しいかね?」
D昌 次「うん」
頷く昌次。
Dとみこ「うちの味噌といりこがあればちゃんとした味噌汁が作れたんじゃけ
どね」
昌次、うまそうに味噌汁を啜る。
その様子を満足げに眺めているとみこ、やがて立上り部屋の中を眺める。
Dとみこ「結構片づいとるじゃないの、お前の部屋。お母さんはゴミ箱みたい
なとこにいるんじゃないかと思うとったよ。成長したんじゃね、お前
も」
昌次、困惑しながら答える。
D昌 次「違うんだ」
Dとみこ「何が」
D昌 次「いるんだよ」
Dとみこ「誰が。掃除する人がかね?」
D昌 次「うーん」
Dとみこ「お金払うの」
D昌 次「払わなくていいんだ」
Dとみこ「ボランティアかね」
D昌 次「うん、まあそんなもんだ」
その時、ドアのチャイムが鳴る。
昌次、立上ってドアを開ける。
若い娘、間宮紀子が息を切らせて立っている。
D紀 子「遅くなったかしら」
D昌 次「上れよ」
靴とコートを脱ぐ紀子。
D紀 子「これ」
土産物の紙袋を昌次に渡して部屋へ向かう。
キョトンとしているとみこ。
紀子、部屋に入り、ぺこりと頭を下げる。
昌次、あたふたと紹介する。
D昌 次「この人紀子っていうんだ、間宮紀子。彼女がね時々来てくれて、掃
除なんかしてくれるんだ。ま、ボランティアみたいなもんだけどね。
ほら紀、母さんだよ」
紀子、硬い表情で頭を下げる。
D紀 子「こんばんは」
D昌 次「これからあんたのこと、話そうと思ったら来ちゃったんだ」
D紀 子「じゃ、早く来過ぎたわけ」
D昌 次「そうなんだよ。えーと、何話したらいい?」
D紀 子「あの、たとえば私の仕事とか」
紀子に言われてペラペラと話し始める昌次。
D昌 次「勤め先は本屋さん、二つ先の駅でアパート暮らし、九州出身、お母
さんが小さい時亡くなって、お父さんが田舎で一人暮らし。血液型は
O型、九月生れの乙女座、スリーサイズは上から―――」
紀子が慌てて昌次の袖を引っ張る。
D昌 次「あ、それはいいか」
ごまかすように笑う昌次。
D昌 次「他に知りたいことある?」
Dとみこ「バカじゃねえこの子は」
叱りつけるように言うとみこ。
D昌 次「あとは本人に聞いてくれよ、ご馳走さま」
昌次、逃げ出すように自分の食器を流しに運ぶ。
とみこ、エプロンを外し膝をつく。
慌てて紀子も座る。
Dとみこ「紀子さんてお呼びすればええんかね」
紀子、慌てて答える。
D紀 子「はい」
Dとみこ「私、あの子の母親でとみこといいます。初めまして」
D紀 子「はい」
Dとみこ「お聞きしとると息子が大変お世話になっとるようじゃね。どうもあ
りがとう」
とみこ、一礼する。
紀子、慌てて手をつき頭を下げる。
D紀 子「こちらこそ。お世話になってます。すみません、驚かせてしまって」
紀子、しきりに汗を吹く。
とみこ、その様子を見ながらふと微笑む。
Dとみこ「あんたって」
D紀 子「はい」
Dとみこ「あんたってとっても感じのええ人ですね」
紀子、真っ赤になる。
ホッとしたように笑顔になって傍に来る昌次。
D昌 次「な、言っただろ、年寄りはきっと気に入るって。やったやった」
残りの食器を持って再び流しへ向かう。
Dとみこ「自分の親を捕まえて年寄りだなんて」
D紀 子「そうなんですよ、とっても口が悪いんですよ、昌ちゃんは。―――
今、お茶いれますね」
紀子、立上ると洗い物をしている昌次の隣に立つ。
D昌 次「感じいいだろ、俺のお袋」
D紀 子「そうね。お父さんも感じいい?」
D昌 次「いや、親父は感じ悪い。最悪」
D紀 子「大きな声で」
紀子、困ったようにとみこを振り返る。
Dとみこ「聞こえましたよ」
D昌 次「悪口は聞こえるんだ」
Dとみこ「そうですよ」
とみこ、笑顔で応える。
D紀 子「お茶っ葉は?」
昌次、棚の上を指差す。
そんな様子を眺めるとみこ。
第四巻終り
第五巻
79 駅前商店街
私鉄駅近くの飲み屋街。
居酒屋「かよ」の看板にも明りが灯っている。
80 居酒屋 中
カウンターに向かっている周吉と沼田。
有線放送が流れている。
他に客はサラリーマンの三人連れが入口近くのカウンターに向かっている。
女将のかよが相手をしている。
沼田、かん徳利を周吉に差出す。
D沼 田「まあ、飲めよ」
D周 吉「さっきも言うた通り、やめとるんじゃ」
沼田、真顔になる。
D沼 田「お前、友だち甲斐がないぞ。青春を共にした俺とお前が十年ぶりに
会うたんじゃないか。そしてこの次はいつ会えるのか分らんのだぞ。
医者が何だ。一緒に飲もいや。の、平山」
D周 吉「じゃあもう一杯だけ」
沼田、周吉のぐい飲みに酒を差し、周吉が飲み干す。
D沼 田「よーし、よし。―――おい、熱いの」
沼田、かよに空になった徳利を渡す。
D沼 田「お前、強かったのう、若い時。あれいつだったか、小川先生の叙勲
祝いを兼ねて同窓会やったじゃろうが」
D周 吉「ああ、竹村屋でか」
D沼 田「あん時、お前すっかり酔っ払って。小川先生にしつこく絡んでのう。
えらい騒ぎじゃった」
D周 吉「昔から飲むといかん」
D沼 田「そんなことはない。さあ、もう一杯。思いっきりやろう。のう、平
山」
周吉、手で制する。
D周 吉「いや、ほんまに」
D沼 田「頼む、飲んでくれや、お前と飲むのはこれが最後かも知れんのだぞ」
D周 吉「なら、もう一杯」
周吉、仕方なく沼田の注いだ酒をひと啜りする。
D沼 田「ぐっといけ、ぐっといけ」
沼田にあおられて飲み干す周吉。
D沼 田「しかし、お前のとこはええの。子どもが皆しっかりしとるから」
D周 吉「あんたの息子も出世したんじゃろが」
D沼 田「あいつは駄目。女房の機嫌ばかりとって俺を邪魔にしよる」
D周 吉「じゃが、印刷会社の部長さんじゃろ」
D沼 田「何が部長さんなもんか。まだ係長じゃ。体裁が悪いんで俺は人様に
は部長さんだと言うとるが、出来損ないのぼんくらじゃ。遅く生れた
一人っ子で甘やかしたのが大失敗。それから見ると、お前のとこは医
学博士じゃもんの。満足じゃろ」
D周 吉「いやあ、決して満足はしとらん」
D沼 田「またまた、そんな淋しいこと言うないや。お前が満足できにゃ俺は
どうしたらええんか。ああ、なんか悲しゅうなってきたな」
沼田、ハンカチを出して涙を拭く。
周吉、無意識に徳利をつかみ、自分のぐい飲みに酒を注ぐ。
その様子を眺めているかよ。
D沼 田「のう平山、本来なら、家に泊ってもろうて夜明かしでやるんじゃが、
息子の嫁のバカが嫌な顔するんじゃ、俺が客連れて来るとな」
Dか よ「あら」
D沼 田「すまんの」
D周 吉「いや」
沼田、空の徳利を差上げる。
D沼 田「かよちゃん、お酒。やるぞ、今夜は!」
かよ、徳利を受取りながら
Dか よ「大丈夫?」
D沼 田「大丈夫大丈夫。愛があるから大丈夫なの」
下手な節回しで歌う沼田。
先程から周吉たちをうんざりして眺めていた三人組の年長者が立上る。
D三人組A「行こう」
沼田が振り返る。
D沼 田「なんだよ、もう帰るのか」
D三人組A「女将さん、お勘定」
Dか よ「また今度でいいわよ、部長さん」
D沼 田「部長さん? 本当かお前」
D周 吉「おい、沼田君」
からもうとする沼田を周吉が押える。
D三人組B「御馳走さま」
D三人組C「じゃまたね」
かよ、三人組の後を追って表に出る。
D沼 田「かよちゃん、お酒!」
その背中に沼田が大声を出す。
81 同 表
三人組の後を追ってかよが出てくる。
Dか よ「ごめんね」
D三人組A「何だ、あのじじいたちは」
Dか よ「最近よく来るのよ。近所らしくて」
D三人組A「ああ嫌なもの見た」
D三人組B「部長もね、もうすぐああなるんですからね」
D三人組A「バカヤロー」
Dか よ「すみません。これに懲りずにまた来てね。ありがとうございました」
歩き出す三人組。
三人組BがAに頭を下げる。
D三人組B「ご馳走さまでした」
D三人組A「なんだ、もう帰るのか」
三人、駅の方に去って行く。
82 同 中
沼田、鼻歌を歌いながら便所から出てくる。
D沼 田「泣いたりせずに、父さん母さん、大事にしてね〜か」
かよ、カウンターから徳利を差し出す。
Dか よ「はい、熱いの」
沼田、受取る。
周吉は少し酔っている。
D沼 田「酌してくれや」
Dか よ「これで最後よ。随分酔っ払ってるわね、今夜は」
D沼 田「のう、平山、どうこの女、似とるじゃろ」
Dか よ「また始まった」
D沼 田「似とらんか」
D周 吉「誰に?」
D沼 田「似とる似とる」
D周 吉「竹村屋の梅ちゃんか」
D沼 田「違う。梅ちゃんはもっと太っとった。死んだ俺の家内じゃ」
D周 吉「ああ、そういやあ似とるの」
D沼 田「似とるじゃろう、この辺が」
沼田、自分の顎の辺りを指す。
Dか よ「もういい加減に帰ったら。またお嫁さんに叱られるわよ」
沼田、笑う。
D沼 田「邪険なところもよう似とる」
Dか よ「くどいのよ、あんたは」
D沼 田「家内もようそう言うとった。くどいのよって。そういうところが好
きなんじゃ。アハハハ」
かよ、相手にせず片づけ物をしている。
周吉、徳利を差出す。
D周 吉「沼田君、もう一杯いくか」
沼田のぐい飲みと自分のぐい飲みに酒を注ぐ。
D沼 田「しかし平山、お前が一番幸せじゃ」
D周 吉「何で」
D沼 田「糟糠の妻を連れて、息子や娘の家を泊りながら東京見物。ハネムー
ンじゃのうてフルムーンて言うんじゃろ。嬉しいじゃろ」
周吉、首を横に振る。
D周 吉「いや、それほどでもない」
D沼 田「何言うとるんじゃ、この幸せ者が」
周吉、ぐい飲みの酒をひと息に飲む。
D周 吉「わしのどこが幸せなんじゃ」
D沼 田「決まっとるじゃろが。長男は医学博士」
D周 吉「わしは幸一には地元で開業して欲しかったが、あいつは言うことき
かんで東京へ行ってしもうた」
D沼 田「そうか」
D周 吉「そしたら娘も下の息子も後を追って皆東京へ行ってしもうた。わし
らの故郷は淋しゅうなるばかりじゃ。本通りの店もあらかた潰れてし
もうて」
D沼 田「俺は帰りとうない、あねな島には」
D周 吉「どっかで間違うてしもうたんじゃ、この国は」
D沼 田「そうだ」
D周 吉「のう、沼田君。もうやり直しはきかんのかのう」
D沼 田「きかんきかん」
D周 吉「しかしのう、このままじゃいけん、このままじゃ」
周吉、ぐい飲みの酒を飲み干す。
D周 吉「もう一本つけてくれ」
周吉、徳利の酒をかよに差出す。
D沼 田「おい平山、まだ飲むんか」
D周 吉「ああ、今夜はとことん飲む」
D沼 田「とことんてお前、もうやめた方がええんじゃないか。医者にと、と、
とめられとるんじゃろ」
D周 吉「医者がなんじゃ」
D沼 田「え?」
D周 吉「女将さん、お代わり」
かよ、躊躇する。
Dか よ「ねえ沼田さん。いい加減帰ってよ」
沼田、時計を見ながら救われたように立上る。
D沼 田「そうだな、俺、電車の時間あるから、ひと足お先に」
立って出て行こうとするのを周吉が襟首を掴んで引き戻す。
D周 吉「今夜は思いっきりやろう言うたんはお前じゃろ。女将さん、お代わ
り。女将さん、お代わりと言うとる」
Dか よ「もうやめた方がいいんじゃないの、おじいちゃん」
D周 吉「客の言うことが聞けんのか、この女!」
突然、周吉が大声を出す。
D沼 田「おいおい」
慌てて徳利を受取り、新しい徳利をカウンターに置くかよ。
D周 吉「いけん、このままじゃいけん」
そう言いながら徳利に手を伸ばし、そのまま眠ってしまう。
Dか よ「ねえ、沼田さん」
沼田も、カウンターで鼾をかき始める。
83 昌次のアパート 玄関口
帰り支度の紀子がドアを開ける。
その後に続くとみこを振り返る。
D紀 子「それじゃ」
Dとみこ「もう少し部屋が広けりゃ泊ってもろうて、今夜ゆっくり話ができた
のにね」
D紀 子「大丈夫? 寝られますか、あんな狭いとこで」
Dとみこ「狭いとこは慣れとるけ」
D紀 子「可愛い息子の側ですもんね」
Dとみこ「何が可愛いもんかいね、あねな男」
居間から昌次が声をかける。
D昌 次「聞こえてるぞ」
D紀 子「それじゃ、東京にいらっしゃるうちにまたお会いしますね」
Dとみこ「今度は是非会うて頂戴ね、感じの悪いお父さんにも」
D紀 子「はい」
紀子、笑顔で頷く。
D紀 子「じゃあ、お休みなさい」
紀子、表に出て行く。
84 同 表
紀子、置いてあった自転車に跨り、ペダルを踏んで夜道を去っていく。
85 同 昌次の部屋
昌次、畳の上に毛布を敷いている。
パジャマ姿のとみこに話しかける。
D昌 次「母さん、俺のベッドで寝る? それとも下?」
Dとみこ「お前の臭い蒲団でなんか寝とうないよ。畳の上で十分」
D昌 次「はいはい」
昌次、ベッドにどさっと座る。
D昌 次「ああ、少しビール飲み過ぎた」
Dとみこ「今日の一日は長かったよ、昌次。ホテルで朝ご飯食べて、滋子のと
ころへ行って、それから電車に乗って池袋へ出て、一杯の人で、あち
こち探し回ってここへ来て。そしたらとんでもない人に会うことにな
って」
D昌 次「驚いたか」
昌次、立上り机の方へ行き、携帯の充電をしかける。
Dとみこ「そりゃあ驚くよ」
D昌 次「でもよかったよ、母さんが気に入ってくれて。親父にはうまく話し
てくれよ」
Dとみこ「それはいけんよ。お父さんにはあんたの口からちゃんと話さんと」
D昌 次「面倒くさいよ」
Dとみこ「これは何か買うて欲しいとか、お金が足りんから貸してくれとかそ
ねな種類の問題じゃないの。もしあんたが、紀子さんを大切に思うな
ら、あんたの口からちゃんと話しんさい。この人と結婚しますって」
D昌 次「怒るだろうな」
Dとみこ「初めは怒るかもしれんけど、そん時は私が間に入ってあげるけ」
D昌 次「分った」
昌次、ベッドに戻ると大あくびをする。
その横顔を眺めるとみこ。
Dとみこ「どこで知り合うたんかね、あねなええ娘と」
D昌 次「福島の南相馬」
Dとみこ「というと、震災のあった?」
D昌 次「うん。去年の夏ボランティアに通ってたんだ。ほら」
昌次、壁の写真を指差す。
被災地での二人のスナップ写真が貼り付けてある。
二人ともヘルメットにマスク姿。
D昌 次「これが紀子」
Dとみこ「こねな格好じゃ、男も女もわからんじゃろうがね」
D昌 次「昼飯の時にさ、マスク取ってヘルメット脱いだら、黒い髪がぱらり
っと落ちたんだよね。うわ、綺麗だなと思って」
Dとみこ「ひと目惚れかね」
D昌 次「まあね」
Dとみこ「それでどねえしたの」
D昌 次「早く申し込まないと誰かに取られちゃうと思ったからさ、三回目の
デートの時に言っちゃったんだ」
Dとみこ「何て」
D昌 次「俺と結婚の約束してくれないか」
Dとみこ「まあ、厚かましい」
D昌 次「でも、今すぐ返事しなくたっていいよ。俺もフリーターみたいなも
んだからさ、その辺よく考えて後で返事してくれないかな。駄目なら
駄目でいいよ、俺諦めるからって。そう言ったら、彼女がね、今すぐ
返事するわって答えて、小指を」
昌次、片手の小指を立てて見せる。
D昌 次「こういう風に。―――だから、俺、こう」
昌次、反対の手の小指を絡めて見せる。
とみこ、ふと目を潤ませる。
Dとみこ「幸せじゃったろう、そん時」
D昌 次「まあな」
昌次、手を伸ばして電気を消す。
毛糸のチョッキを脱ぐとみこ。
カーテン越しの柔らかい光がその横顔に差している。
Dとみこ「ええねえ、若いいうんは」
D昌 次「母さんとお父さんはお見合い結婚だろ」
Dとみこ「そうよ」
D昌 次「お父さんのどこがよかったの」
Dとみこ「そねなこと覚えとらんよ。周りがわあわあ言うけえ一緒になってし
もうただけ」
D昌 次「でも返事したんだろ、一応」
Dとみこ「そりゃしたけど」
D昌 次「どっかいいとこあったからだろ」
とみこ、困ったように言葉を濁す。
Dとみこ「うーん、いや、どね言ったらええかね、お父さん、ええ男じゃった
んよ。そんだけ」
昌次、くすくす笑う。
D昌 次「そうか、母さんのタイプだったのか」
Dとみこ「そう」
とみこ、くすくす笑いながら蒲団に顔を埋める。
86 同 表(朝)
朝日を浴びて自転車に乗った紀子が急スピードで来て止まる。
87 同 昌次の部屋
片づいた室内で、窓を開け放してとみこが掃除機をかけている。
玄関のドアが開き、紀子が顔を出す。
D紀 子「お早うございます」
とみこ、振り返る。
Dとみこ「あら、どうしたの、こねに早く」
D紀 子「昨日見たら冷蔵庫空っぽだったんで、お母さんの朝ご飯買ってきま
した。サンドウィッチとゆで卵ですけど」
紀子、部屋を覗いて
D紀 子「昌ちゃんもう出かけたのね」
Dとみこ「今朝早くお友だちが車で迎えに来たの」
D紀 子「お母さん、一人で帰れますか、つくし野まで」
Dとみこ「大丈夫いね。地図、持っとるし」
D紀 子「じゃ、私近いうちに休み取りますんで、その時またゆっくり」
部屋を出ようとする紀子をとみこが呼び止める。
Dとみこ「紀さん、ちょっと待って」
とみこ、膝をついてバッグに入れてあった封筒を取り出す。
Dとみこ「実はね、昌次が貧乏してるじゃろと思うて、田舎を出る時少しお金
を用意して持ってきたの」
紀子も膝をつき、不思議そうにとみこを見る。
Dとみこ「あんたはまだ気がついてないかもしれんけど、昌次はまるで経済観
念てものがないんよ。贅沢というんじゃないけど、とても欲しいもの
に出会うと、後先考えずに大変な借金までして買い込んだりするん。
ほんまに変な子なんよ。じゃけえあんたはね――」
紀子、とみこの言葉を制する。
D紀 子「お母さん、私分ってます。今までそんなことで何度も喧嘩もしたも
の。でも私、昌ちゃんのそういうところが好きなんです。イタリア製
の古い車に夢中になったりするところが」
とみこ、マジマジと紀子の顔を見つめる。
Dとみこ「そんな風に思うてくれとるの、あの子のことを」
D紀 子「おおらかというか、先入観にとらわれずに物事をあるがままに受け
入れてしまうような、そこがあの人のいいとこなんです。だから大丈
夫よ」
Dとみこ「ありがとう」
とみこ、膝を進め紀子の手にお金の包みを渡す。
Dとみこ「これ、あんたに預けておく。何かあった時のために、ほら、怪我し
たり病気になったりすることあるでしょう。そねな時にこれ使うて。
あんたが持っとってくれた方が安心じゃから」
紀子、封筒を受取る。
D紀 子「じゃあ、預かるだけ」
Dとみこ「昌次に言うちゃ駄目よ、このお金のことは」
紀子、首を横に振る。
D紀 子「言いません」
とみこ、小指を差出す。
Dとみこ「約束」
紀子、その小指に自分の小指を絡ませる。
Dとみこ「これで安心。引き止めて悪かったね。はよ行きんさい」
D紀 子「はい」
紀子、立上り玄関へ向かう。
D紀 子「行ってきます」
Dとみこ「行ってらっしゃい」
ドアを開ける紀子、笑顔を残して去って行く。
88 同 表
紀子、バッグに封筒を収めると、自転車のカゴに置き、ペダルを踏みこむ。
中学生たちがお喋りをしながらやってくる。
紀子、踏み切りを渡って去って行く。
89 欠番
第五巻終り
第六巻
90 平山医院 居間
コーヒーを淹れる文子。
疲労の色濃い周吉、ソファで居眠りをしている。
その側でリモコンヘリコプターをいじっている勇。
電話が鳴り、目を開ける周吉。
文子、コーヒーのカップを周吉の前に置く。
D文 子「向こうで遊んでなさい」
勇、ヘリコプターを持って座敷へ行く。
文子、受話器を取り上げる。
D文 子「はい平山です。―――ああ、お姉さん。ええ、お父さん、三十分ほ
ど前に。今コーヒー差上げたとこだけど、ひどく疲れてらっしゃるみ
たい。何かあったの?」
91 ウララ美容院 店
滋子、電話をかけている。
庫造、窓を開け放して懸命に床を掃除している。
D滋 子「もう大変だったのよ。夜中の二時頃かしら。お父さん、酔っ払って
タクシーで帰ってきたの。それもほら、東京の地理なんか分らないか
ら、運転手さんさんざん苦労したみたいで二千円もチップ払っちゃっ
た。―――お父さん、覚えてやしないわよ、あの酔い方じゃ」
高野、入ってくる。
D高 野「お早うございます」
滋子、通話口をふさいで高野に店を指差す。
D滋 子「手伝って」
D高 野「はい」
訳も分らないまま頷いて奥へ行く。
D滋 子「若い頃、お母さん苦労したのよ、お父さんのお酒では。せっかくや
めてたのにね、夜中に大声出したり、店にゲロ吐いたりワゴンひっく
り返したり。お酒飲みって大嫌い。朝っぱらからね親子喧嘩しちゃっ
たの。プンプン怒って出て行っちゃったから、どうなったかと思って
ね。でもまあ、無事にお宅に着いてよかったわ。悪いけど文子さん、
よろしくね」
92 平山医院 居間
ムスッとした表情でコーヒーを飲む周吉。
D文 子「はい、分りました。大丈夫よ。じゃあ、ごめんなさい」
溜息まじりに電話を切る文子。
側で電話が終るのを待っていた勇が声をかける。
D 勇 「ママ、お昼まだ?」
D文 子「もうすぐよ」
ヘリコプターを持って座敷へ戻る勇。
白衣を着た幸一が来て、薬を周吉に差出す。
D幸 一「二日酔いに効く薬なんてないけどね。これ飲めば頭痛はなくなるよ。
ママ、水持ってきて。―――昨夜何があったの」
周吉、憮然と答える。
D周 吉「沼田君と飲んだ」
D幸 一「造船会社の専務さんしてた」
D周 吉「ああ」
D幸 一「そこに泊めてもらうつもりじゃなかったの」
D周 吉「断られたんじゃ。嫁がええ顔せんいうて。それで宿無しになってし
もた」
幸一、顔をしかめる。
D幸 一「宿無しなんて言い方しないでも。どうしてうちに来なかったの」
D周 吉「文子さんに悪いけえの。あんまり迷惑かけちゃ」
勇、リモコンのヘリコプターを飛ばし始める。
D幸 一「いいんだよ、そんな遠慮しなくたって―――勇うるさい、やめなさ
い!」
飛んでいたヘリコプターがぽとりと落ちる。
文子が水を持ってくる。
D文 子「はいお水」
D周 吉「何も怒らんでもなあ」
玄関のチャイムが鳴る。
文子が玄関に向かう。
周吉の脈をとり始める幸一。
玄関から文子の声が聞こえている。
D文 子「あら、お母さん」
Dとみこ「ただいま」
D文 子「お帰りなさい」
Dとみこ「お父さんは?」
D文 子「いらっしゃるわよ」
Dとみこ「そう」
文子が入口に顔を出す。
D文 子「お母さんよ」
とみこも後から、笑顔を浮かべて入ってくる。
Dとみこ「ただいま」
D幸 一「お帰り」
とみこ、周吉の顔を覗き込む。
Dとみこ「まあ、お父さん、くたびれたような顔をして。沼田さん、元気じゃ
った?」
周吉、乱暴に答える。
D周 吉「ああ、元気元気」
Dとみこ「そう、よかった」
文子、とみこに椅子を勧めながら
D文 子「お母さんは、昌次さんところに泊ったんですって」
Dとみこ「うん、狭いとこにね」
D幸 一「洗濯したり掃除したりしたんでしょう」
Dとみこ「したよ」
周吉、憮然と口を開く。
D周 吉「いつまでも親に心配かけおって。いくつだと思うとるんだ」
Dとみこ「じゃけどね、お父さん。行ってよかった。私、ホッとしたんよ」
D周 吉「何が」
Dとみこ「大丈夫。ちゃんとやっていくいね、あの子は」
D幸 一「バカに機嫌がいいね、親父に比べて」
幸一、苦笑しながら診察室に戻る。
D文 子「一体何があったの、お母さん」
Dとみこ「どねに話したらいいかね、お父さんに」
D周 吉「聞きとうない、あいつのことなど」
Dとみこ「すぐにこうなんじゃけ、お父さんは」
とみこ、楽しそうに笑う。
D文 子「とにかくお着替えなさったら。お茶飲みながらゆっくり話を聞きま
しょう」
とみこ、よっこらしょと立上る。
Dとみこ「そうじゃね。ああ、よかった。勇ちゃん、元気じゃった」
D 勇 「うん」
勇、とみこの側へやって来る。
Dとみこ「ヘリコプターで遊んどったの」
D 勇 「うん」
部屋から出て行くとみこに文子が声をかける。
D文 子「洗濯物、二階に置いてありますから」
Dとみこ「はい」
勇と二階へ行きかけて、振り返るとみこ。
Dとみこ「なあ、文子さん」
文子が声に足を止めて振り返る。
D文 子「はい」
Dとみこ「東京に出て来て本当によかった、私」
D文 子「まあ、そう言って頂けると私も嬉しいわ」
Dとみこ「ありがとう」
D文 子「いいえ」
Dとみこ「さあ、行こう」
とみこ、勇を伴って上機嫌に階段を上って行く。
Dとみこ「よいしょよいしょ」
文子、とみこを見送ると笑顔で周吉に話しかける。
D文 子「何があったんでしょうね、昌次さんとこで。あんなニコニコして」
D周 吉「ありゃ、極楽とんぼじゃけ」
文子、笑いながら台所へ行く。
階段の方から勇が戻ってきて、ひどく緊張した表情で周吉の膝をつつく。
D周 吉「何かね」
勇、呟くように言う。
D 勇 「おばあちゃんがね」
D周 吉「おばあちゃんがどねしたか?」
勇、階段の方を指す。
コーヒーを飲もうとしていた周吉の笑顔がふと消え、立上ると階段の方へ急ぐ。
階段の中段に倒れているとみこを見つけ、大声で呼びかける。
D周 吉「母さん! 母さん!」
台所で昼食の支度をしていた文子、周吉の声にハッとなる。
慌てて階段の方へ向かう文子。
93 欠番
94 欠番
95 同 階段
周吉がぐったりとしたとみこを抱え起こしながら呼びかけている。
D周 吉「おい、母さん、どねした? 母さん」
台所から走ってきた文子がその様子を見て、慌てて周吉を制する。
D文 子「お父さん駄目、動かしては駄目」
文子、周吉の手からとみこを受取り、そっとそのまま寝かせる。
D文 子「今、パパ呼んでくるから。―――そのままよ、そのまま」
文子、診察室に向かって駆け出す。
呆然ととみこを見ている周吉。
診察室の方から幸一に話す文子の声が聞こえてくる。
D文子の声「パパ、お母さんが大変。ちょっと来て」
恐る恐るとみこに声をかける周吉。
D周 吉「おい、とみこ、とみこ、何があった。とみこ・・・」
足音荒く幸一が現れ、階段を駆け上がり、とみこの耳に顔を寄せて呼びかける。
D幸 一「お母さん、お母さん! わかる? お母さん、手握って」
幸一、とみこの指をつかんで様子を窺う。
階段下から見ていた文子に声をかける。
D幸 一「ママ、救急車」
周吉がおろおろと尋ねる。
D周 吉「幸一、どねしたんじゃ」
幸一、立上ると周吉の肩に手をかける。
D幸 一「お父さんは下の部屋で座ってて下さい」
D周 吉「どねしたんじゃ」
D幸 一「大丈夫、大丈夫だから」
幸一に促された周吉、不安げに階段を下りて、居間に向かう。
文子が電話をしている。
D文 子「もしもし、救急車お願いします―――母親が階段の途中で倒れて意
識がありません。主人は医者ですがすぐに救急をと申しております。
年は六十八歳です―――はい、住所を申し上げます。多摩中央つくし
野三―二十―四です。はい、お願いします」
不安そうな顔で文子のもとに来た勇を抱きしめる。
看護師の吉田が来て幸一の指図を受け、慌ただしく診察室に戻って行く。
その背に更に幸一が声をかける。
D幸 一「往診バッグも」
D吉 田「はい、わかりました」
幸一、とみこに顔を近づけ呼びかける。
D幸 一「お母さん、お母さん」
居間のソファに所在なく座っている周吉。
96 欠番
97 欠番
98 欠番
99 ウララ美容院 表
庫造がふうふう言いながら小走りにやってくる。
100 同 居間
裏口を開けて駆け込む庫造、その辺に荷物を放り出す。
101 同 店
庫造が顔を出す。
D高 野「お帰んなさい」
庫造、客にカーラーを巻いている滋子に手招きする。
D滋 子「清ちゃん、ちょっとお願い」
D清 美「はい」
滋子、庫造の後について居間に行く。
102 同 居間
息を切らせて水を飲む庫造。
滋子、顔を出す。
D滋 子「お帰り」
食卓の椅子に腰をかける滋子。
D庫 造「留守電聞いたよ。どうなんだい、お母さん」
D滋 子「よくないらしいのよ」
D庫 造「だって昨日は元気だったじゃないか」
D滋 子「私、最初はお父さんだと思ったの。だってあんなに酔っ払ってたん
だもの」
庫造も椅子に座る。
D庫 造「今どこなんだ」
D滋 子「救急車でね、西多摩総合病院」
D庫 造「兄さん、何て言ってるんだ」
D滋 子「なるべく早く来てくれって」
D庫 造「そうか。弱ったな、明日お祭りなんだけど、俺、渉外担当だからな」
D滋 子「いいわよ。まさか今日明日ってわけじゃないでしょ。とにかく私、
仕事片づけたら病院行くわ。ああ本当嫌になっちゃう、こんな忙しい
時に限ってね」
D庫 造「なあ」
滋子、あたふたと店に出て行く。
103 書店
絵本を中心に扱う洒落た雰囲気の書店。
一隅の書棚の前に踏み台を置いて、エプロンをした紀子が本を探している。
D紀 子「ありました。これですね」
紀子、一冊の本を取出し、幼い子連れの客に渡す。
D 客 「ああどうも」
客、本棚を指差し、
D 客 「隣に同じ著者の本がありますね。大判の」
D紀 子「はい」
D 客 「それもちょっと」
紀子、「ちいさいおうち」というタイトルの絵本を引き抜き、客に渡す。
紀子のポケットでスマートフォンが震える。
客が本を開いて見ている間、踏み台から下り、ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面を見て、ふと顔色を変える。
メールの文字。
「緊急事態 お袋が倒れた。西多摩総合病院に入院している。仕事を終
えたら直接行く。今夜会う約束はキャンセル」
客から声がかかる。
D 客 「こっちもらいます」
D紀 子「はい」
大判の本を紀子に返して子どもとレジに向かう客。
紀子、気を取り直して踏み台に上り、本を元の位置にしまう。
104 西多摩総合病院 廊下
忙しくカートを押して行く看護師。
患者の訴えを辛抱強く聞いている別の看護師。
105 同 病室
とみこが酸素吸入器を顔につけて横たわっている。
傍らでじっとその様子を見守る周吉。
文子がスマートフォン片手に急ぎ足に入ってくる。
D文 子「パパは五時までには来れるそうです。お姉さんもその頃までには何
とかってさっき電話があって」
D周 吉「ああ」
D文 子「売店に行って、吸い飲みとか寝巻の替えとかそういったもの買って
きます」
文子、足音を忍ばせて出て行く。
とみこが微かに動く。
D周 吉「おい、おい。どうした。ん? 暑いんか」
周吉、タオルを手に取りながら
D周 吉「幸一は医者じゃけ患者ほったらかして来る訳にはいかんのじゃろ。
じゃが、この病院の医者は知り合いだそうだから安心。滋子もすぐ来
る。もうすぐみんな来る。きっと治る、治る、治る」
呟くように言いながらとみこの汗を拭いてやる周吉。
106 同 駐車場(夜)
駐車場の入口にある電灯の回りを蛾が飛んでいる。
107 同 病室
窓の外はもう暗い。
病院の医師と幸一がとみこを診察し、会話を交わしている。
D医 師「散瞳してますね」
D幸 一「ええ」
D医 師「階段の途中で?」
D幸 一「ええ、踊り場でね」
D医 師「大変でしたね。血圧は―――」
D幸 一「一〇〇ですね」
D医 師「うん」
そんな様子を見守る周吉、滋子、文子。
足もとに実、勇の兄弟が所在なげに立っている。
滋子が文子に囁く。
D滋 子「昌次、遅いわね。メール届いたのかしら」
D文 子「すぐ行くってたった一言だけど、一応返事は来たわよ」
D滋 子「肝心な時に役に立たないんだから、あの子は」
医師、幸一に小声で語りかける。
D医 師「血圧が下っていたのでDOAを始めました」
D幸 一「ああ、そのせいですか」
D医 師「酸素が下ったら気道確保しますか」
D幸 一「それはちょっと相談します」
医師、頷く。
D医 師「それじゃ、後ほど」
D幸 一「どうぞよろしく」
D医 師「お大事に」
D滋 子「度々どうも」
医師、部屋を出て行く。
文子、実たちを呼び寄せる。
D文 子「パパ、この子たち」
D幸 一「うん、帰った方がいいだろう」
D文 子「あんたたち、おばあちゃんにお休みなさいって言いなさい」
実と勇、おどおどととみこの傍に行き声をかける。
D 実 「おばあちゃん、お休みなさい」
黙っている勇を実が促す。
D 勇 「お休みなさい」
勇、鼻を啜る。
D文 子「また明日来ますからね」
D周 吉「ええ子じゃの」
D文 子「さ」
D滋 子「気をつけて」
文子、頷くと二人を押すようにして部屋を出て行く。
滋子、ベッドの足もとにしゃがみ、蒲団に手を入れる。
D滋 子「可哀想。母さん、足冷たい。兄さん何とかして」
困ったような顔で見ていた幸一、周吉に声をかける。
D幸 一「お父さん、ちょっと。滋子、お前も」
滋子にも声をかけて、出て行く。
後に従う周吉と滋子。
108 同 廊下
幸一、部屋から出てきて立ち止まる。
周吉と滋子が来る。
D幸 一「お父さん。お母さん、どうも悪いんだけどな」
D周 吉「それか」
D滋 子「悪いってどんな風に」
D幸 一「MRIの結果がよくない」
周吉と滋子、長椅子にがっくりと腰を下ろす。
D周 吉「それか。長旅をして疲れたんがようなかったのかの」
D滋 子「そんなことはないでしょ。だって昨日まであんなに元気だったじゃ
ない。ねえ」
D幸 一「いや、それもあるかもしれん」
幸一も滋子の隣に腰を下ろす。
D幸 一「ぼくの注意が足りなかった」
D周 吉「で、どうなんじゃ」
D幸 一「橋本先生も同じ意見なんだけど、明日の朝までもてばいいと思うん
だ」
D滋 子「え? 明日の朝」
D幸 一「うん。明け方までもつかもたないか」
D周 吉「それか。いかんのか」
溜息まじりに呟く周吉。
滋子の目に急に涙が溢れてくる。
顔を覆って泣き出す滋子。
D幸 一「お母さん、六十八だったね」
D周 吉「ああ、それか、はあもう駄目か」
D幸 一「ぼくはそう思います」
D周 吉「お終いか」
幸一、頷いて立上り、部屋に戻る。
泣き続ける滋子。
109 同 病室
こんこんと眠り続けるとみこ。
幸一が来てその様子を見る。
110 同 廊下
長椅子に黙然と座っている周吉。
傍らで滋子が泣いている。
D周 吉「昌次は間に合わんか」
周吉、立上ると、滋子の膝にポケットから取り出したハンカチを置いて病室の方へ立ち去る。
泣き続ける滋子、ハンカチで顔を押さえる。
111 同 玄関(深夜)
古ぼけたワゴン車が止まり、助手席から昌次が降りる。
D昌 次「サンキュー、悪かったな、突然」
運転していた友だちが答える。
D友だち「お大事に」
昌次、玄関を入る。
112 同 ロビー
昌次が急ぎ足に入ってきてふと足を止める。
人気のないロビーの長椅子のひとつに紀子がぽつねんと腰を下ろしている。
D昌 次「何だよ、来てたのか」
紀子、立上り、頷く。
D紀 子「あのね、大したことでなければいいけど、万一ってことだったとし
たら私、どうしてもひと目会いたくて、お母さんに」
D昌 次「わかった。ええと何階に行けばいいのかな」
D紀 子「五階の五二三号室、私調べといた」
D昌 次「さすが。行こう」
紀子、昌次の袖を引く。
D紀 子「でも私のこと、お父さんに何て説明する?」
D昌 次「いいんだよ、そんなことは」
紀子の腕を取って廊下の奥に向かう昌次。
113 同 病室
ベッドに横たわるとみこ。
その傍らに周吉、幸一、滋子、文子たちが言葉なく腰を下ろしている。
ドアの開く音に滋子たち、振り返る。
D滋 子「あ、来た」
昌次と、その後に紀子が続いて入ってくる。
D昌 次「ごめん、遅くなって」
変な顔をしている幸一たち。
昌次、とみこの枕元に立つ。
D昌 次「母さん、母さん。ねえ、ど・・・」
昌次、幸一を振り返る。
D昌 次「ねえ」
幸一、首を横に振る。
D昌 次「え、もう駄目なの」
昌次、顔色を変えてとみこに顔を近づける。
D昌 次「お母さん、俺だよ。何だよ、もう聞こえないのか。紀子も来たんだ
よ、ひと目会いたいって。ねえ、母さん、母さん」
紀子の目から涙が溢れてくる。
滋子が声をかける。
D滋 子「昌次、この娘さんは」
D昌 次「うん。昨夜、俺の狭い部屋で母さんとこの娘の三人で遅くまでいろ
んなこと喋ったんだよ。紀子っていって、俺が嫁さんにしたいんだっ
て言ったら母さんが、自分の口からきちんと父さんに言わなきゃ駄目
だって、もし父さんが反対したら、その時は母さんが応援してあげる
からって、そう言ってくれたんだよ、昨夜。な、紀」
紀子、顔を押さえながら頷く。
D昌 次「それなのに駄目じゃないかよ。こんなことになってしまって」
泣き出しそうになるのを懸命にこらえる昌次。
呆然とその様子を見ている周吉、幸一、滋子、文子たち。
昌次、つと立上り、紀子を連れて部屋を出て行く。
114 同 廊下
部屋を出てきた昌次と紀子、椅子に腰を下ろす。
昌次、顔に手を当てて泣き出す。
紀子、慰めるようにその肩に手を置いて泣き出す。
115 ウララ美容院 居間
薄暗い部屋の中で電話が鳴り始める。
寝室からパジャマ姿の庫造が寝ぼけ眼で出て来て受話器を取る。
D庫 造「はい。ああ、俺だよ。どうした」
庫造、ギョッとして立上る。
D庫 造「ええ? こんな早く。そうか、えらいことだったな。何時ごろだ?
―――四時半。そうか」
庫造、食卓の椅子に座る。
D庫 造「お母さん、苦しんだのか。全然? そりゃせめてもの慰めだな。
―――お店の方? 大丈夫、任しとけ。清ちゃんと相談してちゃんと
やるから。お前も気をつけろよ、体疲れてるからな。お悔やみ言って
くれよ、お父さんに。悲しいな、一人になっちゃうんだもんな。うん、
それじゃ」
受話器を切った庫造、深々と溜息をつく。
116 欠番
第六巻終り
第七巻
117 西多摩総合病院 病室
ベッドのとみこの顔に白布がかけてある。
幸一、滋子、昌次、紀子、文子たち、いずれも悲しくうな垂れている。
ひとしきり泣いていた滋子、涙を拭く。
D滋 子「人間なんてあっけないもんね」
幸一たち黙っている。
D滋 子「あんなに元気だったのに」
紀子もそっと涙を拭く。
D滋 子「東京に出て来たのも虫が知らせたのよ、きっと」
D文 子「そうね」
滋子、とみこの枕元に行き、
D滋 子「でも、出て来てくれてよかったわ。お母さん、元気な顔も見られた
し、いろいろ話もできたしね。あ、そうだ、お父さん、喪服どうする
んだろう」
D文 子「この人の古いのがあるから」
D滋 子「寸法が合わないじゃない、ダブダブよ。ま、いいか。貸衣装屋で借
りれば。―――お葬式どうするの、兄さん」
D幸 一「田舎でやるべきだろ。なんてったって親戚は向こうに多いし、和尚
さんだって古いつき合いだし」
D滋 子「じゃあ、こっちでお骨にして田舎へ」
D幸 一「一応、そういうことにしようか。まだお父さんには相談してないけ
ど。どうしたんだ、お父さんは」
D文 子「さっき表の空気を吸ってきたいとかおっしゃって」
D幸 一「昌次、探してこいよ、そういう相談もあるし」
昌次、紀子と出て行こうとする。
D幸 一「あ、君はここにいていいんだよ」
D紀 子「はい」
昌次、部屋を出て行く。
再び悲しい沈黙が訪れる。
118 同 屋上への階段
昌次、きょろきょろ見回しながら階段を上って行く。
119 同 屋上
周吉がぽつんと佇んで夜明けの空を見ている。
東京都下にあるこの病院の西の方には、低い山が重なって見える。
朝靄の中を走る電車。
昌次がその姿を見つけて傍に来る。
D昌 次「父さん。―――何してたんだよ、こんなとこで」
D周 吉「ああ、綺麗な夜明けじゃった」
周吉と昌次、並んで東の空に目をやる。
D昌 次「兄さんがね、今後のこといろいろ相談したいって」
D周 吉「のう、昌次」
D昌 次「ん?」
D周 吉「母さん、死んだぞ」
D昌 次「うん」
昌次の眼に新たな涙が溢れる。
周吉、踵を返して引き返す。
その後を追う昌次。
120 同 病室
幸一たち、黙って座っている。
窓のカーテンに朝日が差し始める。
121 ××島 港
晴れた青空にカモメが舞う。
穏やかな瀬戸内海を港に向かうフェリー。
122 同 桟橋
石垣を静かに波が洗っている。
中学生の少女ユキと母親信子を交えて十人ほどの島人が佇んで沖を眺めている。
123 フェリーのデッキ
旅姿の昌次と紀子がデッキに立って海を眺めている。
スピーカーから到着のアナウンス。
Dアナウンス「本日も瀬戸内ライン、さざなみ号にご乗船頂きありがとうござ
います。本船は間もなく天満港桟橋に到着致します」
昌次、紀子に声をかける。
D昌 次「ちょっと待ってて」
昌次、客室に向かう。
Dアナウンス「お手回り品などお忘れ物ございませんようご準備下さい」
124 同 客室
人気のない室内の一隅で遺骨を傍らに置いた周吉が居眠りをしている。
昌次が来て、その肩に手をやる。
D昌 次「着いたよ」
周吉、目を覚まし、遺骨を膝に乗せる。
125 ××島 桟橋
フェリーが到着している。
浮き桟橋を踏み鳴らしながら数台の車がフェリーに入っていく。
Dユキの父「とみこおおばさん、お帰りなさい」
ユキの父に合わせて居並ぶ島人たちが手を合わせる。
対面する遺骨を抱いた周吉と荷物を持った昌次、紀子たち。
周吉がユキに声をかける。
D周 吉「ユキちゃん。ほれ、おばあちゃん、こねになってしもた」
ユキ、ワッと声を上げて泣き出す。
母の信子、その肩を抱きながら周吉に語りかける。
D信 子「とんだことじゃったねえ、先生」
うなだれている周吉。
そんな光景を見つめる昌次と紀子。
126 夜の港
灯台に明りが灯っている。
漁を終えた漁船が戻ってくる。
127 周吉の家 周吉の部屋
玄関に居間の明りがもれている。
仏壇に置かれたとみこの遺骨。
その前に周吉が座って線香を供える。
台所からユキや紀子の笑い声が聞こえる。
128 同 台所
流しに立つユキと信子、笑い声を上げている。
信子が紀子に説明を始める。
D信 子「じゃあ、明日の朝、お鍋温めて味噌入れればええようになっとるか
らね。お魚は冷蔵庫」
D紀 子「はい」
Dユ キ「おじいちゃん、昆布の佃煮が好きじゃけ」
D紀 子「この容れ物ね」
D信 子「何かあったらいつでも声をかけて」
D紀 子「いろいろありがとう」
Dユ キ「お休みなさい」
D紀 子「お休みなさい」
挨拶をして信子とユキ、勝手口から出て行く。
Dユ キ「ゴロー」
犬がユキの呼びかけに鳴き声をあげる。
129 同 周吉の部屋
仏壇の前に東京へ持って行った荷物を広げている周吉。
とみこの着ていた大島の着物をぼんやりと手にする。
紀子が顔を出し、周吉に恐る恐る声をかける。
D紀 子「お父さん、何かお手伝いすることありますか。なかったら、寝ます
けど」
周吉、頷く。
D紀 子「お休みなさい」
紀子、頭を下げて立上る。
130 同 渡り廊下
裸電球の下、細い板を渡って紀子が離れに行く。
131 同 昌次の部屋
スウェットの寝巻を着た昌次が蒲団を敷いている。
紀子、入ってきて部屋の隅の机の前にやれやれと腰を下ろす。
D紀 子「ねえ、大丈夫かしら」
D昌 次「何が」
D紀 子「お父さん。だって、新幹線の中でも晩ご飯食べる時でも一言も口き
かないんだもん。私が恐る恐るお代わりいかがですかなんて言ったっ
て、顔、見ようともしないでしょう」
D昌 次「ショックで少しぼけたのかな」
D紀 子「それとも、私、無視されてるのかしら」
D昌 次「俺なんか、子どもの頃からずっと無視されてるよ。兄貴と喧嘩する
たびに親父が兄貴に向かってこう言うんだよ。こいつなんか相手にす
るな。直接言われるならまだいいんだよ、そういう言い方されると、
まるで自分の存在否定されたような感じになるんだよな、子ども心に
も」
D紀 子「じゃあ、冷たい人なの」
D昌 次「どっちかって言えばな」
紀子、深々と溜息をつく。
D紀 子「ああ、私、来るんじゃなかった」
D昌 次「そう言うなよ」
D紀 子「昌ちゃん、一人で来ればよかったのよ」
D昌 次「俺とあの親父二人きりでもつわけないだろ」
D紀 子「私がいたって何も言わないんだから、同じことじゃない」
D昌 次「しょうがないよ。ぼけたんだから。俺、寝るぞ」
昌次、蒲団に潜り込む。
D紀 子「よいしょ」
紀子、立上り、二つ敷いた蒲団の一つを引っ張って隣の部屋に行く。
D昌 次「なんだよ、ここで寝りゃいいじゃないか」
D紀 子「一応喪に服してなきゃ。私たちはまだ夫婦じゃないんだから」
D昌 次「ちぇっ」
D紀 子「お休みなさい」
紀子、襖を閉める。
庭先で飼い犬のゴローが鳴いている。
132 寺
周吉の菩提寺での葬儀。
古い瓦の向こうに広がる青い海。
苔むした石灯籠。
三十人ほどの参列者が本堂に並んでお経を聞いている。
D和 尚「歸命无量壽如來 南无不可思議光 法藏菩薩因位時 在世自在王佛
所 覩見諸佛浄土因 國土人夭之善悪 建立无上殊勝願 超發希有大
弘誓 五劫思惟之攝受 重誓名聲聞十方 普放无量无邊光 无 无對
光炎王 清淨歓喜智慧光」
喪服を着た周吉、幸一、文子、滋子、昌次。
肉親の席の端に紀子がユキと肩を並べて座っている。
133 墓地
蜜柑畑に囲まれた墓地。
古い墓石に暖かい午後の日差しが当たっている。
遠くから読経の声が聞こえている。
D和 尚「不斷難思无稱光 超日月光照塵刹―――」
134 周吉の家 勝手口
昌次、犬小屋につながれたゴローと遊んでいる。
文子が顔を出し、声をかける。
D文 子「昌次さん、お茶が入ったわよ」
昌次、立上り、勝手口に向かう。
135 同 周吉の部屋
床の間にとみこの写真と遺骨が置いてある。
周吉を囲んで、幸一、滋子、隣家の信子夫妻たちが談笑している。
D滋 子「何しろ、久し振りに会うんだから、誰が誰だかわかんないわよ」
そこへ、昌次を呼びに行った文子が戻ってくる。
D幸 一「でも、新家のおばさんにどなたでしたかは、ひどいぞ。あんなに可
愛がってもらってたじゃないか、小さい時」
D滋 子「だって、よぼよぼになってしまってるんだもの、わかりゃせんよ。
あら、お国訛りが出てしもうた」
一同、笑い声を上げる。
そこへ昌次が入ってくる。
D幸 一「昌次、紀子さんは?」
D昌 次「車に乗れなかったからユキちゃんと見物しながら歩いてくるって」
D幸 一「お前、結婚するんだろうな」
D昌 次「するよ」
D幸 一「向こうにも御両親がいるんだろうし、きちんとしなきゃ駄目だぞ」
D昌 次「大丈夫。ちゃんとやるよ」
D文 子「でも、よさそうな人じゃない、今度の人は」
D滋 子「あら、前にもいたの」
D昌 次「姉さん!」
D文 子「あらご免なさい。内緒だったわね」
D滋 子「しょうがない子ね、大丈夫なのかしら、こんなことで」
一同の笑い声を黙って聞いている周吉。
改まって信子が声をかける。
D信 子「それじゃ、私らこの辺で」
一同、ざわざわと別れの挨拶をすべく居住まいを正す。
D文 子「今日はありがとうございます」
D幸 一「なんもかもお世話になってしもうて」
D滋 子「お父さんのこと、よろしくお願いします」
D信 子「先生、お疲れが出ませんように」
周吉も頭を下げる。
D周 吉「どうもありがとう」
D信 子「それじゃ」
D幸 一「どうも」
立上る信子夫妻。
見送りに立った滋子と文子に見送られて玄関に向かう信子夫妻。
D信 子「よかったわ、天気が良うて」
D滋 子「おかげさまで」
去って行く様子を並んで膝をつく滋子と文子が見送る。
136 島の道
喪服姿の紀子がセーラー服のユキと歩いている。
D紀 子「じゃあ高校生になったら自転車で通うの?」
Dユ キ「うん。山越えして」
D紀 子「大変ね―――中学校はどっち?」
Dユ キ「こっち―――あ、先生が来た」
自転車に乗った青年が来る。
Dユ キ「先生、こんにちは」
先生、自転車を止める。
D先 生「葬式か」
Dユ キ「はい」
D紀 子「こんにちは」
先生、紀子に気付いてギョッとなり、緊張した声を出す。
D先 生「あ、はい」
ユキと紀子、坂道に向かって歩き出す。
Dユ キ「英語の先生。職員室でたった一人の独身」
D紀 子「そう」
二人の後ろ姿を見ていた先生、行きかけて再び止まり、振り返る。
島内放送がのんびりと流れ始める。
Dアナウンス「保健衛生課より狂犬病予防注射の実施についてお知らせします。
狂犬病予防注射を全町各所で、順次移動しながら実施します───」
先生、思い切るように走り出そうとし て溝に落ちそうになり、ひっくり返る。
前輪だけ溝に落ちた自転車を必死に引っぱり上げる。
137 周吉の家 周吉の部屋
少し日が陰っている。
机を囲む、周吉、幸一、滋子、昌次、文子たち。
幸一と昌次の前にビール瓶が置いてある。
幸一、周吉にコップを差出す。
D幸 一「もう少しどう。大丈夫だよ。この間の血液検査の数字は割によかっ
たから」
周吉、コップに手を伏せる。
D周 吉「いや、やめとく」
D滋 子「お酒好きのお父さんよりお母さんが先に逝くなんてね」
D文 子「美味しい美味しいってご飯もたくさん食べてくれたのに。夢みたい」
周吉、ふと顔を上げる。
D周 吉「こねなことがあっての。ホテルに泊めてもろうた翌朝、母さん、ち
ょっとふらふらっとして。いや、たいしたことはなかったんじゃが」
D滋 子「何故、お父さんそれ言わなかったの、兄さんに。ねえ」
D周 吉「そうじゃったの」
滋子、立って祭壇に向かい線香をつける。
D幸 一「それが原因じゃないよ。急に来たんだよ。しょうがないよ」
D滋 子「今更後悔しても始まらないわね、死んじゃったんだもん―――そう
そう、兄さん」
線香を立てた滋子が振り返る。
D幸 一「ん?」
D滋 子「お母さん、東京に持ってきてたけど、あの大島、私大好きなんだけ
ど、あれ、形見にもらっていいかしら」
D幸 一「いいだろう」
D滋 子「それから細かい絣の上布、あれとってもいいものなんだけど、あれ
も、もしあったらもらっていい?」
D幸 一「いいよ」
D滋 子「文子さんにも形見探してあげるから」
D文 子「私はいいんです」
D滋 子「そんなこと言わないで。ほら―――」
昌次、たまりかねたように口を挟む。
D昌 次「やめてくれよ、ここで形見分けの話なんか。葬式終ったばかりじゃ
ないか」
D滋 子「お母さんの思い出に、大事にしていた着物を欲しいというのがどう
していけないの」
D昌 次「欲張りなんだよ、姉さんは。あれも欲しいとか、これももらいたい
とか」
D滋 子「何よ、その言い方は」
周吉が口を挟む。
D周 吉「やめんか、お前たち。母さんが見とるじゃろ」
滋子、目を伏せて立上り、自分の席に戻る。
D滋 子「ごめんなさい」
D幸 一「また四十九日があるから、そういう話はそこでするとして、ぼくた
ちが気になるのはとりあえず、明日からのお父さんの一人暮らしにつ
いてなんだ」
D周 吉「そねなこと心配せんでええ。何とかやっていくけ」
D滋 子「何とかと言うけどね。たとえば毎日のご飯」
D周 吉「ユキちゃんのお母さんが作って下さる」
D滋 子「そんなこといつまでもできる訳ないでしょ。お隣にだってお年寄り
がいるのよ。食事だけじゃなくって、お洗濯とかお風呂とかお掃除と
か。どうするの、これから」
幸一、姿勢を改める。
D幸 一「まだ文子には話してないんだけど、いずれ将来、ぼくの家に来ても
らうことも、お父さんの暮らし方の選択肢の中に入れた方がいいと思
うんだ」
D文 子「建て増しをしたいというのはそういうことだったの」
D幸 一「うん。お父さん、どうですか、ぼくたちと暮らすというのは」
D周 吉「そねなこと考えんでもええ」
D幸 一「でも」
周吉、憮然と言い放つ。
D周 吉「東京には二度と行かん」
D滋 子「でも、いつかは体が利かなくなるのよ。今日だって腰が痛いんでし
ょ」
周吉、いらいらしたように言い返す。
D周 吉「もうその話はするな。島には親戚も知り合いもおるし、役場だって
ある。一つ一つ解決していけば何とかなる。子どもたちの世話にはな
らん」
幸一、滋子と顔を見合わせ、溜息をつく。
D幸 一「わかった。今日はやめよう、この話は」
勝手口でゴローが鳴き、紀子の声がする。
D紀 子「ただいま」
台所の方から紀子が姿を現す。
D紀 子「遅くなりました。ねえ、天気悪くなったわよ」
一同、表を見る。
D紀 子「ユキちゃんとフェリー乗り場に寄ったら、明日は風が吹くからフェ
リーが欠航になるかも知れない。その場合、今夜の便で向こうに渡っ
ておいた方がいいんじゃないかって」
D幸 一「そりゃいかん。じゃ、お父さん、ぼくたち、今夜の最終便で帰りま
す。―――滋子、どうする?」
D滋 子「私もそうする。明日中に帰らないとお店が困るのよ」
D文 子「昌次さんは? できたらもう少し二人でお父さんのところにいてあ
げたら」
D幸 一「どうせ暇なんだろ」
D昌 次「どうせって言い方は引っかかるけどな」
D文 子「お願いできるのね」
頷く昌次。
D幸 一「じゃ、お父さん、そういうことで」
D周 吉「そうか。まあ、おかげですっかり片づいた。忙しいのにみんな来て
くれて、母さんもきっと喜んどるじゃろう。どうもありがとう」
周吉、頭を下げる。
D滋 子「さあ、そうと決まったら急がなくちゃ。文子さん、着替えしよう」
滋子と文子、立上る。
D文 子「後で一緒に片づけるからね」
文子、紀子にそう言うと、滋子と慌ただしく部屋を出ていく。
窓ガラスがカタカタ鳴り、雨が降り始める。
D紀 子「あら、雨降ってきた」
紀子、立上り縁側のガラス戸を閉めに行く。
第七巻終り
第八巻
138 波止場
人気のない波止場の堤防に釣り人が二、三人。
青い空にカモメが高く低く飛んでいる。
139 畑
家の近くの狭い畑で麦藁帽子をかぶった周吉が、野菜を収穫している。
傍らで遊ぶ愛犬のゴロー。
140 周吉の家 表
昌次、屋根に上って瓦を直している。
庭に紀子が顔を出す。
D紀 子「昌ちゃん、まだ済まないの。早めにお昼食べないと一時のフェリー
に間に合わないよ」
D昌 次「オッケー」
D紀 子「今朝、話したの? お父さんに。今日帰りますって」
D昌 次「いやまだだよ。紀から言ってくれよ」
D紀 子「何でそんな大事なこと私に押し付けるの」
D昌 次「さよならって言いにくいだろ、なんとなく」
D紀 子「変な親子ね。私なんか田舎に帰ったら一日中喋ってるわよ、お父さ
んと」
D昌 次「娘と息子は違うの。頼むよ、言ってくれよ、お母さんの分まで長生
きして下さいとかなんとか」
D紀 子「いや。知らない」
紀子、引っ込む。
141 同 勝手口
周吉がゴローを連れてのっそりと帰ってくる。
142 同 台所
紀子、お盆に食事の皿を載せ、お吸物、お茶を用意していく。
143 同 周吉の部屋
食事を載せたお盆を持って入ってくる。
座卓にお盆を置くと、周吉の机の周りをざっと片づける。
そこへ野良仕事を終えた周吉が、入ってくる。
紀子、緊張した表情で膝をつく。
D紀 子「あの、これ、お隣のおばさんが下さいました。ばら寿司、お昼には
少し早いけど。あの、私たち一時のフェリーで帰りますから」
周吉、顔を上げ紀子を見る。
紀子、へどもどと挨拶を続ける。
D紀 子「長い間お邪魔しました。あの、お父さん、どうぞお身体大切に。そ
してお母さんの分も長生きして下さい。じゃあ」
逃げるようにそそくさと立上る紀子を周吉が呼び止める。
D周 吉「ちょっと」
D紀 子「はい」
D周 吉「ま、座って下さい」
紀子、どぎまぎしながら座る。
周吉も座ると、しみじみと紀子を見る。
D周 吉「紀子さんと呼んでいいですか」
D紀 子「はい、どうぞ」
D周 吉「あんたはいい人だね」
D紀 子「ええ?」
D周 吉「母さんが昌次のアパートに泊めてもろうたあくる日、幸一の家に戻
ってきて、よかったよかった昌次はこれで安心。そう言うて、その訳
を私に話す前に死んでしもうたんじゃが、母さんの気持ちが今なら私
にようわかります。幸一や滋子たちがバタバタと東京へ帰った後、三
日も四日もいてくれて、何ひとつ嫌な顔をせずに気持ちよう私の世話
をしてくれて本当にありがとう」
紀子の顔が赤くなる。
D紀 子「気持ちよくなんて、そんなことないんです。本当は私、ここに来た
の後悔したくらいなんですよ。何だか窮屈だし、仕事も気になるし。
嫌な顔ひとつせずになんてそんなの、そんなの嘘です」
D周 吉「正直じゃの、あんたは。本当にいい人だ」
周吉、立上り、祭壇に置いたとみこのバッグを手に取り、戻ってくると中から時計を取り出す。
D周 吉「これは母さんが三十年間大切に身につけていた、時計です。形見に
もろうておくれ。あんたが使うてくれれば母さんはきっと喜ぶ」
D紀 子「駄目です、そんな大事なもの」
D周 吉「遠慮せんでええ。こんな古くさい時計、嫌だったら、引出しの隅に
でも入れといてくれたらええ。とにかく受取って下さい。母さんにも
ろうたと思うて」
D紀 子「じゃ、頂きます。どうもありがとう、お父さん」
紀子、時計を受取り、頭を下げる。
D周 吉「昌次のことだが、長い間私は、あれを女々しくて頼りない息子だと
決めつけていました。しかし、あんたと二人仲良うしている姿を見て
いると、あれは母親似の優しい子で、その優しさが何よりあの子の値
打ちなんだ、ということに気付かされました。この先、厳しい時代が
待っとるじゃろうが、あんたがあの子の嫁になってくれれば、私は安
心して死んでいけます。紀子さん、どうか、どうかあの子をよろしく
お願いします」
畳に手をついて丁寧に頭を下げる周吉。
D紀 子「はい」
紀子、やっとのことで一言返事をするが、そのまま顔を覆って泣き出す。
144 欠番
145 防波堤
防波堤を今しもフェリーが離れて行くところである。
146 フェリーの上
デッキの手すりにもたれている昌次、遠ざかる島を眺めている。
紀子、階段を上ってきて、昌次の隣に並び立つ。
バッグを開け、時計を取り出す。
D昌 次「何?」
紀子から手渡された時計を見る昌次。
D昌 次「おー、お袋の時計だ。昔からしてたな。どうしたの、これ」
D紀 子「お父さんにもらったの。お母さんの形見だって」
D昌 次「え、形見?」
D紀 子「息子をよろしくお願いしますって」
不思議そうな顔をする昌次。
D昌 次「本当に言ったのか、そんなこと」
紀子、むきになって言い返す。
D紀 子「本当に言ったわよ。ちゃんと畳に手をついて頭を下げて。私、嬉し
くなって胸がいっぱいになって、おいおい泣いちゃった」
D昌 次「そんなこと言ったのか」
D紀 子「言ったわよ。とっても感じよかった」
D昌 次「へえ。あの親父がね」
昌次、遠ざかる島にもう一度目をやる。
147 周吉の家 周吉の部屋
周吉が座って足の爪を切っている。
ユキの声が聞こえてくる。
Dユキの声「ゴロー」
庭先でゴローが鳴く。
147B 同 表
坂の下を見ているゴロー。
坂の下から洗濯カゴを手にしたユキが現れる。
Dユ キ「ゴロー、ゴロー、ほら、一緒にボールで遊ぼう。ほらほらほら、ほ
らほら」
ユキ、片手に持ったテニスボールをゴローに見せると、玄関に向かって転がす。
ゴロー、興奮してボールを追いかける。
それについてユキも玄関の方へ行く。
147C 同 周吉の部屋
ユキが洗濯カゴを手にして玄関を入ってくる。
Dユ キ「こんにちは。みんな帰ってしもたね」
D周 吉「東京の者は忙しいけえの」
ユキ、座敷に上がり、食べ終った昼食のお盆を片づけながら、周吉に話しかける。
Dユ キ「母さんがね、お洗濯物まとめてこのカゴに入れておいて下さいって。
そしたら私が毎日取りに来るけえ」
D周 吉「ありがとう」
Dユ キ「あと、何か困ったことがあったら何でも言うてくださいって」
周吉、頷く。
D周 吉「ええ子じゃの、ユキちゃんは」
ユキ、照れ臭そうに笑う。
Dユ キ「ゴロー、散歩に連れていくね」
バタバタと玄関を出て行くユキ。
Dユ キ「ゴロー、さあ行こう。ほらよしよし、さ、行こう」
ゴローがユキに甘えるような鳴き声をあげている。
148 欠番
149 道
海を見下す蜜柑畑の間の道をゴローとユキがフルスピードで走る。
Dユ キ「待って、待って」
ゴローに引っ張られて必死に走るユキ。
蜜柑畑の手入れをしている老人に声をかけて走り過ぎる。
Dユ キ「こんにちは」
D老 人「こんちは」
小鳥の鳴き声が聞こえている。
150 周吉の家 周吉の部屋
がらんとした室内で周吉、足の爪を切っている。
遠い沖合からフェリーの汽笛が聞こえる。
151 海
島から漁船がのんびりと出て行く。
瀬戸内海の緑の島の間を大型船がゆっくりと進んで行く。
太い汽笛が鳴り響く。
エンドタイトルへとオーバーラップする。
T 松竹株式会社 住友商事株式会社
株式会社テレビ朝日 株式会社衛星劇場
株式会社博報堂DYメディアパートナーズ 株式会社講談社
日本出版販売株式会社 ヤフー株式会社
ぴあ株式会社 株式会社読売新聞東京本社
株式会社エフエム東京 朝日放送株式会社
名古屋テレビ放送株式会社 株式会社中国放送
九州朝日放送株式会社 北海道テレビ放送株式会社
松竹マーク
1 メインタイトル
黒みからフェイド・イン。
T 東京家族
2 坂道
なだらかな多摩丘陵地帯の住宅地にある畑に菜の花が咲いている。
桜はとっくに散り、間もなく若葉の季節が訪れようとしている。
高圧線の鉄塔が青空に向かって伸びる。
私鉄の電車が音を立てて行き交う。
晴れた日の昼下がり、中学生が二人、ふざけながら坂道を上ってくる。
3 別れ道
平山実と友だち、別れ際にじゃれるようにふざけ合う。
4 平山医院 表
坂道の途中にある二階建てのこぢんまりとした建物。
その表に「平山医院」の看板。
ベランダに干した二組の蒲団に日差しが当たっている。
実と友だちのふざける声が聞こえる。
D 実 「危なーい、ハハハハ。じゃあな」
D友だち「ふざけんなよ」
5 同 二階の一室
畳敷きの部屋が片づいている。
長男の実が使っていた部屋。
文子がベランダに干した蒲団を取り込んでいる。
次男の勇がリモコンのヘリコプターをいじっている。
D文 子「もう散らかしちゃ駄目よ」
遊んでいる勇に声をかけると、掃除機を持って部屋を出て行く。
6 同 玄関ロビー
玄関のドアが開いて実が入ってくる。
D 実 「ただいま」
二階から掃除機を持って降りてくる文子。
D文 子「お帰り」
D 実 「おじいちゃんおばあちゃん、まだ?」
D文 子「今、何時?」
文子、居間の時計を見る。
D文 子「丁度品川駅に着いた頃じゃないかしら」
ばたばた階段を駆け上がる実。
6B 同 二階
実が上がってくる。
寝そべって遊んでいる勇を、足で蹴飛ばす。
D 勇 「何だよ、みのむし」
すっかり片付けられた部屋を呆然と眺める実。
6C 同 居間
二階からバタバタと駆け下りてくる実。
D 実 「ママ!」
居間の掃除をしている文子を不満げに見て口を開く。
D 実 「何でぼくの勉強机、勇の部屋に入れちゃうんだよ」
D文 子「しょうがないでしょ、あんたの部屋にはおじいちゃんたちがお泊り
になるんだから」
D 実 「え、家に泊るの? ホテルに泊りゃいいじゃないか」
D文 子「そんな言い方するもんじゃないの。おじいちゃんやおばあちゃんは
孫のあんたたちと二日でも三日でも過ごしたいのよ」
台所に行く文子の後を追う実。
D 実 「じゃあぼく、どこで勉強すりゃいいんだ」
D文 子「勇の部屋ですればいいでしょ」
D 実 「できないよ、あんなうるさいやつと一緒じゃ」
D文 子「何言ってるの、勉強なんかろくにしないくせに」
洗い物を始める文子。
D 実 「あ、そう。じゃ、勉強しなくたっていいんだね。赤点取ってもいい
んですね。ラッキー」
D文 子「こら」
実、廊下を滑るように階段へ向かい、二階へ行く。
7 欠番
8 平山医院 表
外出姿の金井滋子、息を切らせながら階段を上ってくる。
D滋 子「よいしょ」
階段を上ると玄関に向かう。
9 同 玄関ロビー
玄関のドアが開いて滋子が入る。
D滋 子「こんにちは」
台所から洗い物の手を止めて文子が覗く。
D文 子「あらお姉さん」
D滋 子「昌次から電話あった?」
D文 子「いいえ、まだ」
D滋 子「変ね。新幹線遅れさえしなければとっくに品川に降りてる頃よ、お
父さんたち」
D文 子「そうね」
滋子、居間に向かう。
10 同 居間
滋子、バッグや荷物を食卓の椅子に置く。
D滋 子「ああ疲れた」
D文 子「歩いてらしたの」
D滋 子「そうよ。年取ったら大変ねこの家は。坂道上がったり下りたり。今
の内はまだいいけどさ」
D文 子「お姉さん、今夜すき焼きにしたけどいいかしら」
D滋 子「ああ上等よ、二人ともお肉大好きだし。はいこれ、いつものよもぎ
餅」
滋子、紙袋を差出す。
D文 子「どうもすみません」
文子、椅子に座る。
D文 子「ねえ、昌次さんが自分で言い出したの? お父さんたち迎えに行く
って」
D滋 子「私。たまには親孝行の真似事くらいしなさいって言ったのよ。いつ
も心配ばかりかけてるんだから」
くすくす笑っているところへ電話が鳴る。
D滋 子「昌次かな」
滋子、立ち上がると気楽に取り上げる。
D滋 子「はい平山です―――あ、昌次。どうした、お父さんたち。―――見
つからない? だってとっくに着いてるでしょ、新幹線」
滋子、ハッと気付く。
D滋 子「ちょっと今あんたどこにいるの。東京駅? 馬鹿ね、お父さんたち
品川駅に降りるのよ。私、そう言ったじゃない。何聞いてるの、相変
らずぼんやりね」
11 東京駅 新幹線ホーム
携帯を耳にしてい平山昌次、ハッとする。
D昌 次「あれ、そうだっけ。あー、電話くれた時、俺忙しかったからな。あ
ー、どうするかな。じゃあ、俺、今から品川に行くわ」
12 平山医院 居間
いらいらしながら電話している滋子。
その背後に白衣を着た平山幸一が顔を出す。
D滋 子「そうして。なるべく早く行くのよ。私がお母さんの携帯にそこで待
ってなさいって言うから。何分くらいで行ける?」
13 東京駅 新幹線ホーム
D昌 次「電車だと十分か十五分位だけど、車だからな。三十分くらいかかる
かもしれないよ。―――はい、なるべく早く行きますよ」
溜息をつきながら携帯を切る昌次。
14 平山医院 居間
滋子、バッグを探って携帯を取り出す。
D滋 子「全く役に立たないんだから、あの子は。小さい時からこうなのよ。
兄さん、聞いてた?」
D幸 一「うん」
D滋 子「やっぱり私が迎えに行けばよかった」
滋子、携帯のボタンを押し始める。
15 品川駅 コンコース
広々としたコンコースの一隅で平山周吉がきょろきょろ辺りを見回している。
その傍ら、大きな鞄や土産物の入った袋の側にしゃがみ込んでいる周吉の妻とみこ。
英語や韓国語のアナウンスが聞こえ、忙しげに旅行客たちが行き来している。
とみこの抱えたバッグの中で携帯の呼び出し音が鳴っている。
D周 吉「おい、電話鳴っとるど」
とみこ、慌ててバッグから携帯を取り出すと、不器用な手つきでボタンを押す。
Dとみこ「もしもし、あ、滋子。今品川駅におるんじゃけど。昌次、見つから
んのいね。―――うん、―――ああそう。しょうがない子じゃね」
とみこ、立上ると周吉に語りかける。
Dとみこ「昌次、間違うて東京駅で待っとったらしい。今こっちに向こうとる
け待っとけって滋子が言うんじゃけど」
D周 吉「そんなん待てるか。わしらで行こう。タクシーに乗りゃあえんじゃ」
周吉、荷物を持ち上げるときょろきょろする。
Dとみこ「もしもし、お父さん待ち切れんけ先行くてえね。昌次にそう言うと
いて」
16 平山医院 居間
滋子、携帯を耳にしている。
D滋 子「大丈夫なの。タクシー乗り場分るの? 誰でもいいから通りすがり
の人に尋ねて聞きんさい。家の近くに来たらもう一回この携帯に電話
するんよ。いいわね。じゃあ、気いつけて」
滋子、やれやれと携帯を切る。
D滋 子「待ち切れないからタクシーで来るって。お父さんらしいわ、せっか
ちで。誰が似たんだろう」
D幸 一「お前じゃないか」
D滋 子「あ、そうか」
文子、笑い出す。
滋子、携帯をしまいながら
D滋 子「文子さん、買い物はもういいの?」
D文 子「ええ」
D幸 一「今夜は何にするんだい」
D滋 子「すき焼きだって。いいわね、それで」
D幸 一「いいだろ」
D文 子「それとも他にお刺し身でも」
D幸 一「いらんだろう(滋子に)どうだい?」
D滋 子「たくさんよ、お肉だけで」
看護師の吉田が入口に顔を出す。
D吉 田「先生、患者さんです」
D幸 一「うん」
幸一、頷いて立上り、奥に引っ込む。
D滋 子「あ、そうだ。昌次に電話しなくちゃ。品川に来なくてもいいって。
ああ、面倒くさい」
滋子、しまった携帯を出そうとバッグを探り始める。
17 タクシーの中
直線道路をかなりなスピードで走るタクシーの中。
後部座席に座っている周吉ととみこ。
とみこ、手にした手帳を見ながら運転手に説明している。
Dとみこ「今渡ったのが多摩川の鉄橋ですね。もう少し行くとつくし野ちゅう
交差点があるから、そこを左に曲って、しばらく行くと―――」
運転手、面倒くさそうに答える。
D運転手「ナビに入れたから大丈夫だよ、おばあちゃん」
キョトンとしているとみこ。
周吉がナビを指差す。
Dナ ビ「およそ七〇〇メートル先、つくし野を左方向です」
ナビが案内を告げる。
18 高圧線 鉄塔
茜色に染まり始めた空。
19 平山医院 診察室
カルテを整理し終えた幸一、立上り、片づけ物をしている看護師の吉田に声をかける。
D幸 一「湯沢さんの採血データ、至急にしといて」
D吉 田「はい。田村さんのお婆ちゃん、明日往診なさいますか」
D幸 一「うん。行かないと心配だな。ご苦労さま」
D吉 田「お疲れさまです」
幸一、部屋を出て行く。
20 同 居間
周吉ととみこが縁側に立って暮れゆく庭を眺めている。
台所で夕食の準備をしている文子に診察室から出てきた幸一が声をかける。
D幸 一「おい、暗いじゃないか」
D文 子「あ、ごめんなさい」
居間の電気がつき、周吉ととみこが振り返る。
幸一が笑顔で顔を出す。
D幸 一「お父さんお母さん、いらっしゃい」
Dとみこ「まあ、あんた、元気そうで」
D幸 一「新幹線、混んだ?」
D周 吉「いや、そねえでもなかった」
D幸 一「そう」
滋子、階段を見上げている。
D滋 子「実、勇。何してんの、おいで」
階段の中段に立っていた実と勇が下りてくる。
D滋 子「ほら」
滋子、二人の肩を押して
D滋 子「はい、おじいさんおばあさん」
D 実 「こんにちは」
実と勇、ぺこりと頭を下げる。
D周 吉「大きゅうなったの」
D幸 一「実はもう中学生です」
D周 吉「それか」
Dとみこ「勇ちゃんはなんぼ」
D 勇 「九才です」
勇、そう言うなり、パッと二階へ逃げて行く。
D幸 一「こら」
一同、笑い声を上げる。
文子が食卓に広げた土産物を幸一に示す。
D文 子「ほら、お土産。あなたの好きなサヨリの干物とこれ、お味噌ですっ
て」
Dとみこ「後藤さんのおばさんの手作り。わざわざ持ってきてくれたんよ、あ
んたにあげてくれいうて」
D滋 子「うちのが大好きなのよ、このサヨリ。お酒が美味しいんだって。い
い匂い」
D幸 一「お父さん、酒の方はどうですか」
D周 吉「お前に言われてから一滴も口にしとらん」
D幸 一「そのせいだな、顔色がいい」
D滋 子「もう一生分飲んじゃったんだからね、お父さん」
D周 吉「うるさい」
笑い声が上がる。
文子、実に弁当を渡す。
D文 子「はい、お弁当。おじいちゃんとおばあちゃんに行って参りますと挨
拶しなさい」
周吉、変な顔をする。
D周 吉「何じゃ、どっか行くんか」
D文 子「これから塾なんです」
D周 吉「弁当、持ってか」
D文 子「塾で食べるんです」
Dとみこ「まあ、夜もお勉強。大変じゃね、東京の子は」
D幸 一「勉強してるんだかどうだか」
実、幸一にムッとした目を向ける。
D文 子「さ、行きなさい」
D 実 「行ってきます」
D幸 一「ん」
Dとみこ「行っといで、ご苦労さま」
実、一同に見送られて玄関へ向かう。
21 坂道
薄暗くなり始めた道をあまり見かけない中古の欧州車が怪しげな音を立てて上ってくる。
下りてくる実にクラクションを鳴らし、スピードを落とす。
実、手を上げて応えると、運転席の方に周り込む。
止まった自動車の運転席から昌次が顔を出す。
D昌 次「実、おじいちゃんおばあちゃん、来たか」
D 実 「とっくに来てるよ」
D昌 次「俺の悪口言ってただろ、みんなで」
D 実 「言ってた言ってた」
D昌 次「どこ行くんだ。塾か、送ってやろうか」
D 実 「やだよ、こんなボロ車」
D昌 次「お前、フィアットのチンクエチェントに向かってボロ車とはなんだ
よ、え?」
D 実 「ボロはボロだよ」
実、言い捨てて坂道を下りて行く。
D昌 次「おい、ったく」
昌次、苦笑しながら実を見送ると、車を発進させる。
22 平山医院 台所
文子と滋子、台所で夕食の支度をしている。
玄関のドアが開いて昌次が入る。
D昌 次「こんにちは」
D文 子「昌次さんよ」
昌次、台所に現れる。
D昌 次「オッス」
滋子、昌次を睨む。
D滋 子「もう」
D昌 次「ごめんごめん。無事着いた?」
D滋 子「あんたが私たちの役に立ったためしが無いわね。いつも混乱の種ば
かり蒔いて」
D昌 次「謝ったじゃないか」
D文 子「お父さんとお母さん、二階よ」
D滋 子「顔見せておいで。こんにちはって」
昌次、乗らない表情で階段を上って行く。
23 同 二階の一室
着替えをしている周吉。
荷物の整理をするとみこ。
傍らに幸一が座っている。
昌次が姿を現す。
Dとみこ「まあ」
D昌 次「どうやって来たの、品川駅から」
D幸 一「タクシーだよ。お前が間違って東京駅なんか行ったから」
D昌 次「新幹線、品川に止まるなんて忘れてたんだよ。タクシー、高くつい
たんだろ。俺、送ろうと思って愛車のフィアット出したのに」
D幸 一「まだあの車に乗ってんのか」
D昌 次「大分ガタがきたけどね。この間仕事場の前に置いといたら不法投棄
禁止って紙貼られちゃったよ。ゴミ扱いだよ、イタリアの名車を」
Dとみこ「昌次、あんた、毎日ちゃんと食べとるの」
D昌 次「食べてるよ―――今朝、何時に出たの?」
Dとみこ「十時のフェリー。あんたの友だちの健ちゃんに会うたいね、フェリ
ーの上で」
D昌 次「へー、何してるんだ、あいつ」
D周 吉「トラックの運転手じゃ。富岡運輸。父さんの友だちがやっとる会社」
Dとみこ「日焼けして、こねえに太い腕して。はあ子どもが二人おるんてえね」
D昌 次「高校の同級生と結婚したんだよ、あいつ。両方とも不良でさ。手焼
いたんだ、担任は。へー、あいつがトラックの運転手ね」
D幸 一「友だちの悪口を言える立場か。まず自分が自立した生活ができるよ
うになってから人のことは言え」
ムッとしてそっぽを向く昌次。
D周 吉「今どねな仕事をしとるんか?」
D昌 次「まあ、なんとか食ってるよ」
階下から文子の声がする。
D文子の声「皆さん、ご飯よ」
D幸 一「その話は後でするとして、下に行こうか」
一同、立上る。
とみこ、机の上の茶道具を片づけようとするのを昌次が乱暴な手つきで代わってやる。
D昌 次「いいよ、俺やるよ。下に降りてろよ」
昌次、茶道具をお盆に載せると、壁のスイッチを押して電気を消し、部屋を出て行く。
D 勇 「おじちゃん!」
廊下の陰から勇が現れる。
D昌 次「おう、いたのか」
勇、階段を下りかけた昌次の背中にとびつく。
D昌 次「危ない危ない、危ねーな、おい」
D 勇 「やーい昌次、破れしょうじ」
D昌 次「なんだと、この野郎」
二人、じゃれ合いながら階段を下りて行く。
窓の外はもう暗い。
24 同 台所
流しの前で洗い物をする文子と滋子。
D滋 子「お肉、美味しかったわね、柔らかくて。高かったでしょう」
D文 子「ちょっと張り込んだのよ」
D滋 子「取り皿、この棚でいいのね」
D文 子「すみません」
片づけを続ける文子。
25 同 居間
くつろいでいる周吉ととみこ、幸一。
昌次、千円札を使って勇に手品をやって見せている。
幸一、会話の接ぎ穂を探すように口を開く。
D幸 一「お母さん、お高ちゃんどうしてる?」
Dとみこ「ああ、お高さん。あの人も不幸な人いね。旦那さんと死に別れて。
去年の春じゃったか、子ども連れて愛媛の方に片づいたんじゃが、何
かあまりええ具合にはいっとらんらしいよ」
D幸 一「そう」
滋子が椅子に座る。
D滋 子「ほら、何て言ったっけ。お父さんとよく釣りに行ってた町役場の人」
D周 吉「三橋さん」
D滋 子「うん」
D周 吉「亡くなられた。はあ大分になるの」
Dとみこ「そうじゃね」
D周 吉「お前、覚えとらんか。服部さん」
D幸 一「ああ、お父さんの親友の同窓生」
D周 吉「東京で高校の先生、やっとったんじゃが去年亡くなってのう」
Dとみこ「そうそう」
D周 吉「ええ機会じゃけ東京におるうちに、お悔やみに行こうと思うとるん
じゃ」
D幸 一「どこです?」
D周 吉「板橋区のどこじゃったか。沼田君が近くにおるけ案内してもらおう
と思うとる」
D幸 一「沼田さんて、造船会社にいた」
D周 吉「息子が何やらいう会社の部長さんで、えろう羽振りがええらしい」
Dとみこ「沼田さん、奥さんは?」
D周 吉「死んだ。二年か三年前」
D滋 子「気の毒ね、奥さんに先立たれるなんて。お母さんを大事にするのよ」
D周 吉「大丈夫、こん人はしばいても死にゃあせん」
D滋 子「あんなこと言って」
D周 吉「死ぬのはわしが先。それが幸せ」
D滋 子「やめなさいよ」
とみこ、おかしそうに笑う。
そこへ文子が手を拭きながら来る。
D滋 子「片づいたの?」
D文 子「ええ」
Dとみこ「ご苦労さま。美味しかったよ、お肉。ご馳走さま」
D文 子「いいえ」
滋子、周吉に向かう。
D滋 子「お父さんお母さん、明日はゆっくり休むのよ」
D幸 一「明後日は日曜日だから、ま、どっか案内するよ」
D滋 子「そう。じゃ、私そろそろ」
Dとみこ「はあ帰るんかね」
D滋 子「ええ。昌次、あんたどうするの」
D昌 次「送ってってやるよ。俺の外車で」
D滋 子「イタリアのポンコツ車? じゃ、駅まででいいよ」
滋子、立上る。
D滋 子「お父さん、いずれまた」
D周 吉「うん。庫造君によろしゅうの」
D滋 子「はいはい」
D昌 次「勇、勉強しろよ。俺みたいにいつまでも両親に心配かけたくなかっ
たらな」
D 勇 「うん」
D滋 子「よく言うよ、この子は」
勇、昌次に向かって手を振る。
D 勇 「バイバイ」
二人、文子に送られて部屋を出て行く。
26 欠番
第一巻終り
第二巻
27 同 二階の一室
暗い部屋に二組の蒲団が敷いてある。
周吉ととみこが入ってくる。
D周 吉「スイッチわかるか」
Dとみこ「はい、ここ」
とみこが明りをつけ、二人、よっこらしょと腰を下ろす。
D周 吉「ああ、やれやれ」
Dとみこ「ああ、えらい」
D周 吉「長い一日じゃったの」
Dとみこ「じゃが、子どもらもみんな来てくれて」
D周 吉「昌次まで来るとは思わんかった」
Dとみこ「久し振りに家族が揃うたし。連れてきてもろうてよかった」
D周 吉「うん」
とみこ、鞄から着替えを取り出す手を止め、
Dとみこ「ここは東京のどの辺じゃろうね」
D周 吉「西の端の方じゃ」
Dとみこ「そうじゃろうね。タクシー代、一万円近う払うて。たまげた」
D周 吉「今どき、都心で開業しよう思うたら大変な金がかかるんじゃ。これ
でよしとせにゃ」
廊下から声がかかる。
D文 子「よろしいですか」
D周 吉「はい」
襖が開き、宅配便を手にした文子が勇を連れて顔を出す。
D文 子「これ、今朝届きました。お着物」
Dとみこ「何かあるといけん思うてね、送らせたの」
D周 吉「そんなものいらん、言うたのに。荷物ばっかり増やして」
文子、笑って
D文 子「じゃあ、お休みなさい」
Dとみこ「お休み」
勇もペコリと頭を下げる。
D 勇 「お休みなさい」
D周 吉「はい、お休み」
ふみこ、襖を閉める。
廊下のスリッパを直す文子の耳元に勇が言う。
D 勇 「じゃ、ぼく、ママのベッドで寝るね」
D文 子「うん」
D 勇 「やった」
勇、廊下をスキップして寝室に向かう。
文子、階段を下りて行く。
部屋の中でとみこの携帯の電話が鳴り出す。
とみこ、あちこち探して、取り上げ、耳に当てる。
Dとみこ「もしもし、平山です。―――ああ、ユキちゃん。無事に着いたんよ。
子どもらと美味しいすき焼き食べてね。えらい楽しかった。お母ちゃ
んにくれぐれもよろしゅうね。ああ、そうそう、家のワンちゃん元気?
―――散歩に行ってくれた。どうもありがとう。―――おじいちゃん?
着替えしとんさるよ、腰曲げて。―――はあはあ、わかりました。お
休み」
電話を切るとみこ、ズボンを脱いでいる周吉に語りかける。
Dとみこ「隣のユキちゃんから」
D周 吉「うん」
Dとみこ「可愛い子じゃね」
D周 吉「ああ」
周吉、子ども部屋との境の襖を閉める。
28 ウララ美容院 表
私鉄沿線の賑やかな通りから少し入った所。
美容院の看板に朝日が差している。
店員の清美がやって来てドアを開けて入る。
29 同 店
清美、荷物を置くと奥に向かって声をかける。
D清 美「お早うございます」
D滋 子「はーい」
店の奥から滋子が顔を出す。
D滋 子「お早う。十時に宮田さんがいらっしゃるから、パーマ液トリートメ
ントありで用意しといて」
D清 美「はーい、わかりました」
身支度を始める清美。
30 同 居間
滋子の夫、庫造が葱を刻んでいる。
席に戻って茶碗を手にする滋子。
D庫 造「お父さんお母さん、いつまでいるんだい、東京」
D滋 子「四、五日はいるでしょう」
刻んだ葱を入れた器を手に食卓に着く庫造。
D庫 造「挨拶に行かなくていいかね、俺」
D滋 子「いいわよ。どっちみち家にも来るんだし」
店から出勤してきた従業員、高野が顔を出す。
D高 野「お早うございます」
D滋 子「お早う」
びっくりした顔をした庫造が尋ねる。
D庫 造「泊るのか、ここに」
D滋 子「いいでしょ」
D庫 造「お母さんはいい人なんだけど、お父さんはちょっと苦手だな」
D滋 子「どうして」
D庫 造「学校の先生だったんだろ。理屈っぽいんだよ、話が。面倒くさいん
だよ」
庫造、練りからしを納豆の器にたっぷりなすりつける。
D滋 子「もうおじいちゃんよ。やめなさいよ、そんなにからしつけて。バカ
になるわよ」
D庫 造「もうバカになってるよ」
笑う滋子。
庫造、二階を見上げて
D庫 造「でも、二階の部屋、狭いぞ」
D滋 子「いいわよ。娘の家にも泊ったって自慢したいんだから、田舎に帰っ
て」
D庫 造「そういうもんか。今日あたり、どうしてるんだ? お二人は」
D滋 子「兄さんが、どこか連れて行くって。日曜日だから」
滋子、食べ終えた茶碗を持って流しへ向かう。
D庫 造「じゃあ俺はいいか」
D滋 子「うん」
庫造、納豆とからしをかき混ぜる。
D庫 造「きたー!」
匂いを嗅ぎ、咳込む。
31 平山医院 居間
幸一、身支度をしている。
勇に外出用の服を着せている文子。
野球のユニフォームを着た実が口笛を吹きながら階段を下りてくる。
D 実 「パパ、どこ行くの、おじいちゃんたちと」
D幸 一「お台場からレインボーブリッジ回って、横浜の港がこんなに変わっ
てしまったというのを見てもらって、中華街で昼飯というとこかな」
D 実 「いいなあ、お土産買ってきて。中華饅頭」
言いながら、勇のキャップを取り、逆さまに被せる。
ムッとして実を睨む勇。
D 実 「行ってきます」
玄関に向かう実に文子が声援を送る。
D文 子「頑張って、我が家のヒーロー、実」
D 勇 「みのむし!」
口を尖らして声をかける勇。
32 同 表
グローブやバットが入ったスポーツバッグを背負った実、自転車に跨り、やってきて、大通り手前で急ブレーキをかける。
ペダルを踏み込み、大通りの坂道を下って行く。
坂道を上ってきている小学生にからかうような声をかける。
D 実 「アキ!」
D小学生「勇、家にいる?」
D 実 「パパとドライブ」
実は見る見るうちに坂を下って行く。
33 同 二階の一室
周吉ととみこ、外出の支度をしている。
勇がそろりと顔を出す。
とみこが気付いて声をかける。
Dとみこ「なんね?」
D 勇 「パパがね、支度できましたかって」
D周 吉「ああ、ええで」
Dとみこ「お待ちどおさん」
D 勇 「じゃあ、行きましょうって」
Dとみこ「はい」
勇、階段を下りて行く。
34 同 居間
勇が階段を駆け足で下りてくる。
D 勇 「言ってきた」
D幸 一「そうか、ちゃんと言えたか」
電話の呼び出し音が鳴り始める。
D 勇 「じゃあ、行きましょうって言った」
D幸 一「ん」
幸一が受話器を取り上げる。
D幸 一「平山医院です。ああ、吉沢さん。いかがです、息子さん。―――ま
だ、食欲が出ない。熱はどうです、あの薬で下るはずだが」
幸一、ふと顔を曇らせる。
D幸 一「ええ? 九度八分―――すぐうかがいます。いや、そんなことは言
っておられません。じゃ、後ほど」
幸一、受話器を切る。
台所にいた文子が顔を出している。
D幸 一「ママ、吉沢さんの息子、あまりよくないんだよ」
D文 子「あら」
そこへ周吉ととみこが下りてくる。
D幸 一「お父さん。ちょっと心配な患者がいて、急に往診に行かなきゃいけ
ないんだ」
D周 吉「それか」
D幸 一「せっかくドライブに出かけようとしてたんだけど」
D周 吉「いや、そねなこと仕方ない」
D幸 一「ちょっと診察室へ」
幸一、部屋を出て行く。
Dとみこ「大変じゃね、お医者さんは。こねえなん、しょっちゅうあるの」
D文 子「しょっちゅうってわけじゃないけど」
D周 吉「旅行に行く時やらどねする、外国やらに」
D文 子「そういう時は地域の先生同士がネットワークを作っていて、協力し
合うんです」
Dとみこ「何かあるとすぐに訴えられるというけえね、今のお医者さんは」
D文 子「そうなんですよ」
鞄を手にした幸一が急ぎ足に出てくる。
D幸 一「勇、来週の日曜日行くからな。お父さん、じゃあ行ってきます」
D周 吉「ああ」
幸一、玄関に向かう。
文子、自動車の鍵を手に後を追う。
35 同 玄関ロビー
靴を履く幸一。
文子が送りに来る。
D文 子「パパ、車のキー」
幸一、鍵を受取って
D幸 一「ちょっと遅くなるかもしれない」
D文 子「私が代わりに行きましょうか、お父さんたち連れて」
D幸 一「留守にするのはまずいよ。何かあったら困るから」
D文 子「そう」
幸一、ドアを開けて出ていく。
D文 子「行ってらっしゃい」
勇が文子の側に来ている。
D 勇 「ねえ、やめたの? ドライブ」
D文 子「うん。しょうがないわ。患者さんの容態が悪いんだって」
D 勇 「じゃあ、他のお医者さんに行けばいいじゃないか」
D文 子「何よ、えらそうな口利いて。二階に行ってなさい」
文子、居間に向かう。
36 同 居間
文子、戻ってくる。
D文 子「どうも、せっかくのところ、あいにく」
D周 吉「いいよ。忙しいのは結構だ」
Dとみこ「ご苦労さんじゃな」
D 勇 「ママ」
入口に来た勇が口を挟む。
D 勇 「本当に行かないの。ああ、つまんねえ」
とみこがなだめる。
Dとみこ「また今度な」
D文 子「ね」
勇、無言で文子の足を踏みつける。
ギョッとなる文子。
二階へ駆け登って行く勇。
D文 子「勇! どうもすみません」
周吉ととみこに頭を下げる文子。
二階からプラスチックのメガホンが投げ落とされる。
びっくりして目をやる周吉、とみこ、ふみこ。
続いてバットとボールが音を立てて落ちてくる。
文子、慌てて階段の方へ行き、メガホンとバットを拾い上げると二階へ上って行く。
37 同 二階
階段の上で勇がサッカーボールを投げ落とそうと構えている。
そこへ、文子が上がってくる。
D文 子「こら」
慌てて逃げようとして転ぶ勇。
更に逃げようとするのを、文子が捕まえる。
D文 子「おじいちゃんとおばあちゃんの前でなんですか。今度行けばいいじ
ゃないの」
D 勇 「今度今度って行ったことないじゃないか。いつだって行きゃしない
じゃないか」
D文 子「わからない子ね。吉沢さんの坊やはあんたと同い年よ。もしあんた
が高い熱出して放っとかれたらどんな気持ちがすると思うの」
D 勇 「平気だね」
D文 子「バカ!」
とみこが階段の下から声をかける。
Dとみこ「勇ちゃん、おいで。おばあちゃんと表に行こうや」
D文 子「ごめんなさい。この子は本当に強情で」
Dとみこ「さ、行こう。おばあちゃんが欲しいもん何でも買うてあげる」
D文 子「はい」
階下に向かって返事をする文子。
D文 子「勇、おばあちゃんのおっしゃること、聞きなさい。さ」
勇の背中を押して、階段を下りて行く文子。
37B 同 玄関ホール
下りてくる勇と文子をとみこが迎える。
Dとみこ「さあ、行こう」
とみこ、勇の手を取って玄関へ。
D文 子「勇、いい子にしてるのよ」
Dとみこ「行ってきます」
D文 子「お願いします」
玄関のドアを開けて出て行くとみこと勇。
そんなやりとりを居間のソファに座ってぼんやり聞いている周吉。
38 欠番
39 小公園
丘の上の見晴らしのいい公園のベンチにとみこが座り、不機嫌な顔をした勇が手すりの上をバランスをとって、行ったり来たりしている様子を眺めている。
丘の下を私鉄電車が通り過ぎて行く。
とみこが一人で遊び続ける勇に話しかける。
Dとみこ「勇ちゃんは、大きゅうなったら何になるの?」
黙って遊び続ける勇。
Dとみこ「お父さんの跡継いでお医者さんになる?」
D 勇 「ぼく、勉強できないから」
とみこ、驚いている。
Dとみこ「勉強できないって、あんたまだ小学生じゃろうがね。勇ちゃんのお
父さんもね勉強できんかったんよ。それが一所懸命勉強して、ようや
く医学部に入れたんじゃけ、勇ちゃんも勉強すれば大丈夫」
D 勇 「無理だよ」
とみこ、深々と溜息をつく。
Dとみこ「こねに小さいうちに諦めてしもうて」
とみこ、立上ると、ジュースのペットボトルをゴミ箱に捨てに行く。
40 ウララ美容院 表
雨が降っている。
美容院のドアが開き、清美が客を送り出す。
D清 美「ありがとうございました」
立ち去る客と入れ違いに傘を差した庫造が外出先から戻ってくる。
D清 美「お帰りなさい」
41 同 店
男性従業員、高野が客のカットをしている。
庫造が入って来て、買ってきた雑誌をラックに並べる。
滋子、奥からレジに戻ってきて、
D滋 子「さっき電話かかってきたわよ」
D庫 造「どっから」
D滋 子「麒麟堂さん。お祭りの寄付の件だって」
D庫 造「ああいいんだ、片づいたんだ。―――よく降りますね」
カーラーを巻いて座る客に挨拶をして奥に入って行く。
D滋 子「新しいタオル出しといて」
D清美・高野「はい」
滋子、庫造の後を追って奥へ行く。
42 同 居間
上着を脱いでハンガーにかける庫造。
滋子が入ってきて、昼ご飯の支度を始める。
D滋 子「お昼はうどんよ」
D庫 造「はい。お父さんたち食べたのか」
D滋 子「まだよ」
D庫 造「何してたんだ、午前中」
D滋 子「ずっと二階にいたわよ」
D庫 造「へえー、何もしないでか。これ草団子」
庫造、団子の包みを食卓に置いて椅子に座る。
D滋 子「ねえ、明日は雨上がるらしいから、どっか連れて行ってやってくれ
ない、お父さんたち」
D庫 造「明日か―――集金があるんだよ」
庫造、食卓の上のラッキョウをつまんで食べる。
D滋 子「東京に来てまだどこへも行ってないんだもん」
D庫 造「うん。この雨の中あの狭い部屋に一日中いたのか」
と、またラッキョウをつまんで食べる。
D滋 子「そうよ。―――やめなさいよ、手でつかむの」
ラッキョウの容器に蓋をして立上る庫造。
D庫 造「よーし、じゃちょっと、ご機嫌伺いに行ってくるか」
庫造、二階に行こうとして、
D庫 造「おっと」
気付いて食卓に戻り、団子の包みを持って再び二階へ向かう。
43 同 二階
窓ガラスの向こうのベランダに雨が降り注ぐ。
とみこが浴衣を縫っている。
片隅のテレビを眺めている周吉。
庫造が上ってくる。
D庫 造「縫物ですか」
Dとみこ「ああ、お帰りなさい」
D庫 造「これおやつです」
座卓の上に団子の包みを置く。
Dとみこ「ご馳走さま」
D庫 造「何縫ってるんです?」
庫造、傍らにしゃがむ。
Dとみこ「浴衣。滋子に頼まれて」
D庫 造「何だ、お母さんにやらせてるんですか。お祭りで踊るんですよ。下
手な踊りを。どうもすみません」
Dとみこ「いいえ」
D庫 造「お父さん、退屈ですね」
D周 吉「ああ」
周吉、リモコンでテレビを消す。
庫造、立上って窓外に降る雨を眺める。
D庫 造「天気がよければどっかに御案内するんですけども、この雨じゃね」
庫造、ふと思いついたように声を弾ませる。
D庫 造「そうだ、温泉行きましょうよ、温泉」
D周 吉「温泉?」
D庫 造「最近、駅前にできたんですよ、上原温泉。千二百メートル掘ったら
温かいお湯が出てきて、なかなかなんですよ。サウナもあるしジャグ
ジーもあるし、それにタイ式マッサージ。これがいいんだ、天国です
よ。行きましょうよ。タオルなんか向こうで貸してくれますから」
Dとみこ「お父さん、行っといで」
D周 吉「うん」
のろのろと腰を上げる周吉。
D庫 造「財布はぼくが持ってます。お母さん、行ってきます」
Dとみこ「お世話さま」
周吉、庫造の後に続いて階段に向かう。
44 同 居間
昼飯の支度をしている滋子。
庫造と周吉が下りてくる。
D滋 子「あらお父さん、どこ行くの?」
D周 吉「天国へ行ってくる」
D滋 子「どこの天国」
D庫 造「温泉だよ、駅前の」
D滋 子「あらいやだ、あの泥みたいなお湯が天国なの」
D庫 造「そうそう。温泉で飯食ってくる、ラーメンか何か」
D滋 子「そりゃいいけど、お父さんにお酒飲ましちゃ駄目よ」
D庫 造「分かってるよ」
D滋 子「あんたもね。痛風また出たって知らないよ」
D庫 造「はいはい」
D滋 子「行ってらっしゃい」
庫造と周吉、傘を手にして裏口から出て行く。
D滋 子「そうだ」
見送っていた滋子、ふと思いついて机の上の電話に向かう。
46 大劇場 舞台裏
舞台では華やかな衣裳に長い髪をぐるぐる回して獅子が踊っている。
傍らでは可愛らしい子役も二人踊る。
お囃子が盛り上がると共に踊りも激しくなり、拍手が起きる。
その裏で次の転換に備えて黒い服を着た大道具のスタッフが思い思いの姿勢で佇んでいる。
その中に昌次もいて、文庫本を読んでいる。
ポケットの中で携帯のバイブが振動する。
慌てて、取出し、片隅へと移動して耳へ当て、ひそひそ声で応える昌次。
D昌 次「ああ、俺だよ。今、何してるかって? 公演中の舞台裏でね、次の
転換に備えて待機してるとこだよ。用事があったら早く言ってくれよ。
―――明日? そうだな、今夜、建込みの応援に行くから下手すりゃ
徹夜かもしれないけど、昼間は一応暇だよ」
46 ウララ美容院 居間
滋子が電話をしている。
食卓にはうどんが用意されている。
D滋 子「あらよかった。お願いがあるんだけど。お父さんとお母さん、まだ
東京どっこも見てないのよ。明日は天気もいいらしいから、あんた、
都合つけてどっか案内してやって欲しいの、悪いけど」
店から清美が入ってきて流しで手を洗う。
47 大劇場 舞台裏
D昌 次「え、俺が? 嫌だなあ。お袋一人ならいいけど親父がいるんだろ。
親父だって俺の顔なんてあんまり見たくないんじゃないか」
D滋子の声「何言ってんの、親子じゃないの」
48 ウララ美容院 居間
清美がうどんをすする傍らで電話をしている滋子。
D滋 子「今お父さんが一番気になってんのはあんたのことなのよ。そうよ、
お父さんと話するいい機会なんだから。―――そう、行ってくれる?
お父さんに奢ってもらいなさいよ、うなぎかなんか。あ、そう。――
じゃあ、仕事一段落したらもう一回電話ちょうだい。細かいこと打ち
合わせるから」
49 大劇場 舞台裏
D昌 次「わかったよ、はい」
昌次、携帯をポケットにしまうと、舞台に急ぐ。
幕が下りて急速な場面転換が始まっている。
昌次も合流して壁を解体し始める。
Dアナウンス「ただ今から十五分間の休憩でございます」
50 遊覧バス
スカイバスが東京の皇居のお濠端を走る。
周吉ととみこが並んで座っている。
その斜め背後に退屈そうな顔で座る昌次。
Dバスガイド「左をご覧下さい。桜田濠でございます。お濠の松と石垣の景観
は皇居の中でも最も美しい風景のひとつとして知られております」
スカイバスは秋葉原の電気街へと差しかかる。
キョロキョロと眺める周吉ととみこ。
昌次はあくびをしている。
Dバスガイド「バスは秋葉原へと入ってまいりました。戦後の闇市より発展致
しまして、高度経済成長による家電ブームにより日本を代表する電気
街となりました。また、近年はアニメ文化の聖地として脚光を浴びて
おりまして、世界中からたくさんの観光の方が訪れています」
やがて、スカイツリーの見える場所へとやってくる。
目を見張り、身を乗り出す周吉ととみこ。
昌次はすっかり眠りこけている。
Dバスガイド「あちらに見えて参りましたのが、東京スカイツリーです。二〇
一二年五月に開業致しました世界一の自立式電波塔で、武蔵の国にち
なんで高さは六三四メートルになっております」
51 欠番
52 うなぎ屋 表
帝釈天参道にある古い建物に看板がかかっている。
食事を済ました参拝客がぞろぞろ店を出て行く。
入口の傍らで昌次が携帯を耳に当てている。
D昌 次「場所はどこですか? ―――あー、池袋芸術劇場大ホール。はい、
分りました。えーとぼく、三日だけなら応援に行けますから。はい、
えっと、あの、村田君によろしく言っといて下さい。安心して怪我治
せって。八時か九時には行けますから、はいじゃ、そこでまた、はい」
携帯を切り、店の中に入る。
第二巻終り
第三巻
53 同 店内
さして広くはない、年季の入った室内の一隅に周吉ととみこが座っている。
昼食時で賑わう店内。
昌次、戻ってくる。
D昌 次「まだ来ないの、注文したもの」
Dとみこ「さっき催促したんじゃけどね」
D昌 次「いいうなぎ屋はできるまでに時間がかかるっていうからな」
ビール瓶を取り上げ、周吉のコップに注いでやろうとする。
周吉、掌でコップを押さえる。
D昌 次「本当にやめたの。よくやめられたな、あんなに飲んでたのに」
自分のコップに注ぎ、うまそうに飲む。
D昌 次「うめえ」
そんな様子を見ている周吉ととみこ。
D周 吉「昌次は今何をしとる?」
D昌 次「何をしてるって、うな重が来るのを待ってるんだけど」
Dとみこ「真面目に答えんさい」
D昌 次「真面目に答えてますよ」
Dとみこ「お父さんはあんたが何で暮しをたてとるか聞きたいんじゃろ」
D昌 次「手紙でも書いただろう。舞台美術」
D周 吉「それはどねな仕事か」
D昌 次「ほら芝居の舞台には建物が建ってたり背景が描いてあったりするだ
ろう。ああいうものを作る仕事。歌舞伎もやるけど、うんとモダンな、
たとえばパイプだけの抽象的な舞台もやるし、いろいろだよ。大きな
劇場、小さなミニシアター」
D周 吉「それで食うていけるんか、お前は」
昌次、うんざりしたように答える。
D昌 次「何とか食べてますよ」
D周 吉「その仕事の見通しはどねえか。五年先、十年先」
D昌 次「そういうことはあんまり考えたことないんだ」
D周 吉「そんなら、行き当たりばったりの生き方か」
D昌 次「そうじゃなくて、今いい仕事して勉強しておくことが大事なんだよ。
五年先のことなんか分らないよ。演劇の世界だってこの国のことだっ
て」
D周 吉「お前の口からこの国のことやら、聞きとうない。要するに楽をして
生きたいんじゃろ」
昌次、首を横に振る。
D昌 次「楽になんか生きさせてくれるもんか、この世の中は。もうやめよう
よ、この話は。不毛だよ」
ムッとする周吉。
店員がうな重を盆に載せ、急ぎ足に厨房から出てくる。
別の店員に声をかける。
D店 員「あがってまーす」
周吉たちの席にやって来る。
D店 員「すみません、お待たせして。うな重、竹でございます。肝吸いは後
でお持ち致します。失礼します。お待たせ致しました」
店員、手際よく、机の上にうな重を並べて去っていく。
昌次、蓋を開ける。
D昌 次「わー、うまそう」
Dとみこ「昌ちゃん、まだ話は終ってないじゃろ。お父さんはあんたのことが
心配なんじゃけ」
D昌 次「分ったよ、とにかくうなぎ食おうよ。俺、腹減ってるんだよ」
箸でつまみ上げようとした時、携帯が振動する。
携帯を見て舌打ちをする昌次、携帯を開く。
D昌 次「またあいつか、うるせえな」
立上り、携帯を耳に当てながら部屋を出て行く。
D昌 次「あ、もしもし、すみません―――」
周吉、ぼそりと呟く。
D周 吉「わしの話を聞こうともせん」
Dとみこ「そねなことないね。あねな顔しとるけど、お父さんの気持ちはよー
く分っとるはずよ」
舌打ちをする周吉。
Dとみこ「さあ、食べましょう」
D周 吉「わしの半分、あいつにやれ」
Dとみこ「あの子の顔見とったら食欲ものうなったんかいね」
D周 吉「ああ、のうなった」
とみこ、くすくす笑いながら周吉のお重を取り上げる。
54 ウララ美容院 店
後片づけを終えた夜の店内。
客用の椅子に腰かけて滋子が訪ねてきた幸一と語り合っている。
D幸 一「遅いな」
D滋 子「もう帰ってくるわよ」
滋子、ハサミの手入れをしながら、
D滋 子「ねえ、お父さんたち、いつまで東京にいるのかしら」
D幸 一「うむ。何とも言ってないかい」
D滋 子「同窓生の服部さんって言ったっけ、その人のお悔やみに行くって言
ってたけど、それをいつにするかだわねえ」
D幸 一「板橋とか何とか言ってたな」
D滋 子「うん。ねえ兄さん」
D幸 一「ん?」
D滋 子「私、考えたんだけど、ちょいとお金出してくれない」
D幸 一「何だい」
D滋 子「私も出すのよ。三万円でいいかな、やっぱり五万円はいるわね」
D幸 一「どうするんだい」
D滋 子「うちのお客さんで横浜のホテルの支配人の奥さんがいるのよ。うん
と安く泊めてもらえるの。どう? 豪華ホテル」
D幸 一「うむ」
D滋 子「兄さんだって忙しいし、私もここんとこ講習会だのお祭りだので手
があかないのよ。そうかって、昌次じゃ頼りないし。どう?」
D幸 一「いいかも知れないな」
D滋 子「私だってたまには行きたいわよ。ホテル」
D幸 一「行ってもらうか」
D滋 子「喜ぶわよ、お父さんとお母さん」
D幸 一「どっか行くったって、すぐに二万や三万かかるからな」
D滋 子「そうよ。結局ホテルの方が安上がりよ。静かな部屋で二人でゆった
りして。なんだか羨ましくなってきちゃった。ねえ、ちょっと」
庫造がお盆にコーヒーを載せて奥から出てくる。
D庫 造「はいはい、何だい」
D滋 子「今、兄さんと話してたんだけど、お父さんとお母さん、ホテルに泊
めてあげようと思うの。ほら、堀川さんのご主人の」
D庫 造「そりゃいいや―――私も気になってたんですよ。どうも忙しくてど
こにも御案内できなかったし」
D滋 子「だからさ、どう? 少しお金かかるけど」
D庫 造「賛成だな。お義兄さん、それがいいですよ」
D幸 一「そうか。じゃあ、そうするか」
D滋 子「家にいたって面白くもおかしくもないもんね」
D庫 造「そうだよ。ホテルはいいや。ごたごたした東京の街を見て歩くより、
ホテルの部屋でもってゆっくりテレビでも見て過ごした方がよっぽど
いいよ。天国ですよ」
D滋 子「少しお金かかるけどね」
庫造、鏡の前にある客用の椅子に腰かける。
D庫 造「いいじゃないか、それぐらいの金で親孝行できるなら。私なんか高
校の時死んじゃったんですからね、親父が」
D幸 一「そうか、高校の時亡くなったの」
D庫 造「はい、死にました。孝行したい時分に親はなしですよ」
笑いながらくるりと椅子を鏡の方へ向ける。
D幸 一「さればとて墓に蒲団も着せられずか」
D庫 造「そうそう」
幸一、スプーンでかき回して、カップを口に運ぶ。
55 ホテル 表
白亜のリゾートホテル。
近くの遊園地の観覧車がゆっくりと回り、ジェットコースターが乗客の喚声と共に猛スピードで走っている。
56 欠番
57 同 客室
広い窓の向こうに観覧車が見える。
大きなダブルベッドに腰かけた周吉ととみこが落ち着かない様子で、窓外を眺めている。
Dとみこ「ね、お父さん、あすこに寝巻があったけ、着替えたら」
D周 吉「寝巻で飯食いに行っちゃいけんのじゃろ。たいぎい」
Dとみこ「ほんなら、どねする、これから日が暮れるまで」
D周 吉「こねして空でも眺めとるしかなかろうが」
周吉ととみこ、窓の外に目をやる。
Dとみこ「ああ、ええ天気じゃね」
青空に白い雲が浮かんでいる。
58 同 ディナールーム
広い室内で何組かの客が静かに食事をしている。
その一隅のテーブルでかしこまっている周吉ととみこ。
ボーイが卓上に置かれた料理の内容を説明している。
Dボーイ「お待たせ致しました。マト鯛のポワレでございます。バジリコのソ
ースとリコッタチーズ、ご一緒にどうぞお召し上がり下さいませ」
いちいち頷いて聞いている周吉ととみこ。
ボーイが去るととみこは、ナイフとフォークを手に取る。
グラスの水を飲む周吉。
Dとみこ「お酒頼むかね?」
D周 吉「いや、ええ」
周吉もナイフとフォークを手に取る。
二人、慣れない手つきで料理を口に運ぶ。
59 同 客室
寝巻に着替えたふたり。
暗い部屋の中で周吉はダブルベッドに、とみこは床に座っている。
窓の外で賑やかにネオンをともした観覧車が回っていて、その明りが室内に差し込んでいる。
とみこ、立上りカーテンを閉めようとする。
D周 吉「どねするんじゃ」
Dとみこ「カーテン閉めんと眠れんでしょうが」
D周 吉「そのままでええ。滅多に見られん景色じゃけ、しばらく見とこう」
Dとみこ「はいはい」
とみこがベッドに戻ると、二人、しばらく無言で窓外の景色を眺める。
D周 吉「覚えとるか」
Dとみこ「何を?」
D周 吉「広島の東洋座。お前と二人で映画見に行ったじゃろうが。まだ結婚
する前。あの時の映画が『第三の男』」
Dとみこ「そうでしたかいね」
D周 吉「ウィーンの遊園地の観覧車の中での芝居が印象的じゃった。ええ台
詞を言うんじゃ、オーソン・ウェルズが」
窓外、明りの色をとりどりに変えながら観覧車が回っている。
60 同 廊下
鞄を積み上げたカートをボーイに押させて、今到着した中国人の富裕層が賑やかに喋りながら歩いて行く。
一組の夫婦は、通訳に文句を言っている。
もう一組の夫婦は楽しそうに記念写真を撮ったりしている。
61 同 客室
ダブルベッドに並んで横たわっている二人。
周吉、黙って天井を見ている。
62 同 廊下
中国の富裕層の一組の夫婦が通訳に文句を言っている。
ボーイはもう一組の夫婦の部屋に荷物を運び込んだりしている。
63 同 客室
廊下の中国の富裕層の喋り声が聞こえている。
周吉、枕を一つ抜いて、床におろす。
Dとみこ「こねに立派なベッドじゃよう眠れんね、お父さん」
D周 吉「うん」
Dとみこ「枕もフワフワじゃし」
D周 吉「うん」
周吉、身体を起す。
Dとみこ「眠り薬あげようか」
D周 吉「いらん」
周吉、再び横になると目を閉じ、溜息をつく。
64 同 廊下
朝。
メイドが朝日の差し込む部屋に掃除機をかけている。
別のメイドが食器を載せたカートを片づけていく。
65 プロムナード
朝日の差すプロムナードの一隅にとみこと周吉が腰かけて休んでいる。
D周 吉「やっぱり海はええのう。気持が落ち着く」
周吉、あくびをしながら自分の肩を叩く。
Dとみこ「昨夜、眠れんかったかね」
D周 吉「母さんはよう寝とったの」
Dとみこ「私も眠れんかったよ」
D周 吉「嘘言え。鼾かいてぐうぐう寝とった」
Dとみこ「私、鼾やらかくかね」
D周 吉「ああ、近頃ようかく」
Dとみこ「ありゃ」
周吉、肩を叩く。
66 ホテル 客室
メイドAがダブルベッドのマクラカバーを換えている。
67 同 同 バスルーム
メイドB、バスタブの掃除をしている。
ベッドルームの掃除をしているメイドAに声をかける。
DメイドB「まあ、綺麗に掃除してある」
メイドAが仕事を続けながら答える。
DメイドA「寝巻もきちんと畳んであるわよ。多分お年寄りの夫婦ね」
DメイドB「言いたくないけど、ひどいわよね、今の若者たちの汚し方」
DメイドA「親は何考えてんだろう」
掃除を続ける二人。
68 プロムナード
ぼんやり景色に目をやっている周吉ととみこ。
男性が散歩させている犬に目を向ける。
D周 吉「ゴローはどうしとるかの。ちゃんと餌、食べとるかの」
Dとみこ「昨夜ユキちゃんに電話したら、えらい元気なんて。あの子が見てく
れとるけ大丈夫」
D周 吉「ほんまにええ子じゃの、あの子は」
Dとみこ「ねえお父さん、島に帰りたいんじゃないかね」
D周 吉「まあ子どもらの暮しも一応見届けたけ、後は服部君のお悔やみに行
って、そしたらいのう」
Dとみこ「そうじゃね。帰りましょう」
周吉、立上り、ホテルの方に向かう。
とみこも続いて立つが、眩暈がしたようによろよろしてしゃがみ込む。
周吉、気がついて
D周 吉「どねしたか」
Dとみこ「何やらふらっとして」
D周 吉「気分悪いか」
Dとみこ「時々あるんよ、こねなこと。はあ大丈夫」
D周 吉「本当に大丈夫か」
Dとみこ「大丈夫」
立上り、周吉の後をついてホテルの方にゆっくり歩いていく。
69 欠番
第三巻終り
第四巻
69B ウララ美容院 近くの道
美容院近くの幹線道路を車が行き交う。
70 同 店
昼下がり。
順番を待って雑誌を読んでいる女性客。
高野、パーマ液を作りながら、鏡の前に座る別の女性客に話しかけている。
D高 野「今よりちょっと明るめにしません?」
D女性客「そうかな」
滋子は奥さん風の女性にヘアスタイルの提案をしている。
側に控える清美。
D滋 子「奥様、一度アップにしてみない。きっとお似合いよ」
D 女 「そうかしら」
D滋 子「襟あしがとっても綺麗だもの。この辺、フワッとボリュームを付け
て。どう?」
D 女 「そうしてみようかしら」
D滋 子「そうなさいよ」
居間から庫造が顔を出し、手招きする。
D滋 子「何?」
D庫 造「お父さんとお母さん、帰ってきちゃったぞ」
D滋 子「ええ? もう」
D庫 造「今夜はまずいだろ?」
D滋 子「まずいわよ」
滋子、客の傍にいる清美を振り返る。
D滋 子「清ちゃん、支度しといて」
D清 美「はい」
滋子、奥に行く。
庫造、客に笑いかける。
D庫 造「あ、奥さんこんにちは」
D 女 「こんにちは」
D庫 造「どうも」
D 女 「誰かお客さん?」
D庫 造「ええ。年寄りが田舎から出て来てるんですよ」
D 女 「大変ね」
D庫 造「ほんと、大変なんですから」
庫造、笑いながら箒と塵取りを手にして床を掃き始める。
71 同 二階
周吉ととみこ、暗い室内に座っている。
不機嫌な表情の滋子、カーテンと窓を開けて部屋に明りと風を入れる。
D滋 子「それで、ホテル、どうだったの?」
周吉、ぶっきらぼうに答える。
D周 吉「よかった。広い大きな部屋で」
Dとみこ「見晴らしがようてね」
滋子、二人の傍に座る。
D滋 子「私たちも泊ったことないのよ。御馳走、何が出たの」
Dとみこ「ステーキにお魚のグリル。いろいろ説明してくれるんじゃけど、何
のことやら分らずにようけ食べたいね」
D滋 子「美味しかったの」
Dとみこ「そりゃ、美味しかった」
D滋 子「だったら何で帰ってきたの。二泊三日の予定で予約したのよ。何だ
ったらもう一日くらい延ばしたっていいって思ってたのに」
D周 吉「一晩で十分じゃ。金、勿体ない」
D滋 子「びっくりするくらい安くしてもらってるって言ったじゃないの。あ
のねえ、お母さん。今夜家で商店街の飲み会があるの。今、個人商店
は大変だから勉強しなくちゃいけないって持ち回りで毎月講習会開い
て、その後でお酒になるの、この狭い家の中で。夜遅くまでかかるの
よ、酒好きが多いから」
Dとみこ「じゃこの家に大勢の人が見えるん」
D滋 子「うちがあいにく番なのよ。だからゆっくりホテルに泊って欲しかっ
たの。私もそう言っておけばよかったんだけどね、まさか一晩で帰っ
てくると思わなかったから。電話ぐらいしてくれればよかったのに」
周吉ととみこが顔を見合わせる。
清美が階段に顔を出す。
D清 美「先生」
D滋 子「はい」
D清 美「支度ができましたけど」
清美、言い捨てて階段を下りる。
D滋 子「とにかく、今夜はうちにいられては困るのよ。ご飯だって作ってあ
げられないんだし―――じゃ、ちょっと」
滋子、急ぎ足に階段を下りて行く。
がっかりしている周吉ととみこ。
Dとみこ「どねしよう」
D周 吉「うん」
Dとみこ「ホテルははあ断ってしもたし、幸一のとこも突然行っちゃ迷惑じゃ
ろうし」
周吉、顔を上げる。
D周 吉「わしはこねする。沼田君に連絡して服部君の家に案内してもろて線
香あげる。奥さんが家におっちゃたらじゃが」
Dとみこ「今夜は?」
D周 吉「沼田君の家に泊めてもらう。いつでも来い言うとったから。息子さ
んが出世して大きな家に住んどるらしい」
Dとみこ「そう」
D周 吉「で、お前はどねする?」
Dとみこ「じゃあ、私は昌次のとこに行きます」
D周 吉「知っとるんか、アパートがどこにあるのか」
Dとみこ「地図描いてもろたから。私ね、お父さん。東京来たらあの子の部屋
に行こうと思うとったの。どうせ汚く散らかして暮しとるじゃろうけ
え。掃除してやったり洗濯してやったり。前掛けも持ってきとるんよ」
D周 吉「夜はどねする」
Dとみこ「あの子の部屋に泊る。大丈夫いね。私の寝るところくらいあるじゃ
ろ。なんぼ狭いいうても」
D周 吉「じゃあ、そねするか。今夜はふたりバラバラで―――とうとう、宿
無しになってしもたか」
Dとみこ「そねなこと言うて」
周吉、不機嫌に荷物の中から洗面具などを取り出し始める。
とみこは帯をほどいて着替えを始める。
71B 同 表
裏口から出てきた周吉ととみこが店の前を通って、駅の方へ向かう。
中年の婦人客が店へ入って行く。
D清 美「いらっしゃいませ」
客を迎える声が中から聞こえている。
71C 同 二階
カーテンの閉まった薄暗い部屋の隅に、周吉の荷物ととみこの畳んだ着物が置いてある。
72 デパートの屋上
屋上の片隅に設けられた椅子に周吉ととみこが腰を下ろしている。
若い母親が小走りで幼い女の子に風船を持っていく。
その姿をぼんやり見ている周吉ととみこ。
D周 吉「のう母さん。女の子は嫁にやったらお終いじゃの」
Dとみこ「何で」
D周 吉「滋子は小さい時はほんとに優しい子じゃったけど」
Dとみこ「あの子には甘かったけえね、お父さんは。その代り男の子にはきつ
うて」
D周 吉「きつかったか」
Dとみこ「きつかったいね。成績が落ちると頭ごなしじゃけえね。特に昌次に
はきつうて。あの子がお父さんの顔色見るようになったんはそのせい
よ。可哀想に」
周吉、目を伏せる。
D周 吉「わしのせいか」
Dとみこ「今夜一晩ゆっくり話聞いてやって、お父さんの気持ちも伝えるけ」
溜息をつく周吉。
D周 吉「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃの」
Dとみこ「でも、うちなんかええ方よ」
D周 吉「それか。ええ方か」
Dとみこ「そうよ」
親子連れがびっくりしたような声を上げる。
D女性の声「まな、風船! 風船飛んで行っちゃう」
声の方を見る周吉ととみこ。
風船が手を離れて飛んだのを親子連れが騒ぎながら追いかけている。
とみこ、腕時計に目をやる。
Dとみこ「お父さん、そろそろ行った方がええよ」
二人、よっこらしょと立上る。
行きかけて、周吉が振り返る。
D周 吉「おい、忘れ物」
とみこ、慌てて戻ると鞄を持って周吉の後を追いかける。
73 服部の家 近く
かなり年季の入った団地の建物がずらずら並んでいる。
あたりには子どもの姿もない。
ベランダに干した蒲団を叩く中年の主婦。
廃品回収業者の軽トラックが止まって荷物を積み込んでいる。
74 同 中
ささやかな仏壇に立てられた服部の遺影と灯明。
香典を置き、線香を立てた周吉、鐘を鳴らして手を合わせる。
傍らに控える妻の京子。
リビングの椅子に腰をかけている友人の沼田三平。
さして広くない室内の壁は本でびっしり埋まっていて、いかにも手狭である。
片隅に置かれた勉強机は服部が生前使っていた状態のまま整えられ、壁には生徒たちとの記念写真がかけられている。
周吉、遺影を見つめながら語り始める。
D周 吉「長い教員生活を通して服部君には大変お世話になりました。勤務評
定、学力テスト、道徳教育反対といった大きな問題にぶつかるたびに、
私は服部君に相談に乗ってもらったもんです。本当にええ人でした。
本来なら、お通夜に駆けつけてお手伝いしなければならんかったとこ
ですが、腰の具合が悪うてどうしても来れんかったことを申訳のう思
うとります。奥さん、心からお悔やみ申し上げます」
京子、頭を下げる。
D京 子「遠いところから来て下さって、きっと主人も喜んでおります。あり
がとうございました」
D沼 田「平山、こっちに来て楽にせんか。仏の前じゃ、バカっ話もできんじ
ゃろ」
D周 吉「ああ」
D京 子「どうぞどうぞ」
京子、立上りリビングでお茶の支度を始める。
D周 吉「奥さん、看病は大変だったそうですね」
D沼 田「葬式の時、あなたげっそり痩せてて、大丈夫かと思いましたよ」
D京 子「その後、お陰様で持ち直しましたけど」
京子、口に手を当てて笑う。
周吉、本棚の前に立って書籍を眺める。
D周 吉「服部君の隣のお写真は?」
D京 子「私の母です」
D周 吉「最近、お亡くなりになったんですか」
京子、頷く。
D京 子「ええ、去年の三月十一日に」
周吉、本を引っ張り出そうとした手を止める。
D周 吉「ええ?」
周吉の顔色が変わっている。
D沼 田「奥さん、岩手県なんだよ。陸前高田。お母さん、流されたまま、い
まだに見つからないんだそうだ」
D周 吉「そうだったんですか」
D京 子「私の父は出征して南方に向かう途中、輸送船と一緒に沈んでしまっ
たので、遺骨も帰ってきてないんですよ」
D沼 田「お母さん、諦め切れなくて、お父さんのお墓たてなかったそうだよ」
D京 子「今頃海の底でようやく一緒になれたんじゃないかななんて思ったり
してるんですよ」
周吉、再び遺影の前に座り、手を合わせる。
廃品回収業者の軽トラックのスピーカーから流れるアナウンスが聞こえてくる。
Dアナウンス「毎度お騒がせ致しております。こちらは廃品回収車でございま
す」
75 団地の道
廃品回収業者の軽トラックがアナウンスを流し ながら人気のない道をゆっくり走る。
Dアナウンス「ご家庭で不要になりましたテレビ、冷蔵庫、洗濯機、パソコン
…」
75B 劇場 舞台
舞台上にある大道具の扉を直している昌次。
道具をしまって立上り、客席で打合せしているスタッフに声をかける。
D昌 次「やっときました」
表へ向かう昌次。
76 同 楽屋口
繁華街のビルの一角の小劇場。
表通りに通じる楽屋口の階段で、出を待つ派手な衣裳を着た俳優たちが、お喋りや柔軟体操をしたりしている。
昌次が出て来て携帯を耳に当てる。
D昌 次「ああ、俺。今夜、ちょっと来て欲しいんだけどな。―――実はな、
お袋が来るんだって。さっき、電話してきてな、今夜泊るところがな
くなったからついでにお前のところに行って、掃除したり洗濯してや
るって言うんだ。まあ、久し振りにお袋の作った飯でも食うかなと思
ってるんだけど、いいチャンスだからさ、会わせたいんだよ。―――
大丈夫だよ。―――何でって、お前感じいいじゃないか。年寄りはき
っと気に入るよ。大丈夫大丈夫。じゃあ、待ってるから」
昌次、電話を切ると劇場へ戻って行く。
俳優たちが台詞の自主稽古を始める。
77 昌次のアパート 表(夜)
Y字のコーナーに建っている小さなアパート。
猫の額ほどの駐車場に昌次のフィアットが止めてある。
二両編成の電車が音を立てて通過していく。
78 同 昌次の部屋
1DKの手狭な室内。
雑然とはしているけれど不潔ではない、一種の居心地の良さがある。
お宝物の車のハンドルやフィアット500の写真やミニカー、ラジコンのヘリコプターがありがたそうに飾られている。
小さな卓袱台の上に皿や鉢が並んでいて、胡座をかいた昌次がうまそうにご飯をかき込んでいる。
その前に味噌汁のお代わりを置くとみこ。
Dとみこ「はい。―――美味しいかね?」
D昌 次「うん」
頷く昌次。
Dとみこ「うちの味噌といりこがあればちゃんとした味噌汁が作れたんじゃけ
どね」
昌次、うまそうに味噌汁を啜る。
その様子を満足げに眺めているとみこ、やがて立上り部屋の中を眺める。
Dとみこ「結構片づいとるじゃないの、お前の部屋。お母さんはゴミ箱みたい
なとこにいるんじゃないかと思うとったよ。成長したんじゃね、お前
も」
昌次、困惑しながら答える。
D昌 次「違うんだ」
Dとみこ「何が」
D昌 次「いるんだよ」
Dとみこ「誰が。掃除する人がかね?」
D昌 次「うーん」
Dとみこ「お金払うの」
D昌 次「払わなくていいんだ」
Dとみこ「ボランティアかね」
D昌 次「うん、まあそんなもんだ」
その時、ドアのチャイムが鳴る。
昌次、立上ってドアを開ける。
若い娘、間宮紀子が息を切らせて立っている。
D紀 子「遅くなったかしら」
D昌 次「上れよ」
靴とコートを脱ぐ紀子。
D紀 子「これ」
土産物の紙袋を昌次に渡して部屋へ向かう。
キョトンとしているとみこ。
紀子、部屋に入り、ぺこりと頭を下げる。
昌次、あたふたと紹介する。
D昌 次「この人紀子っていうんだ、間宮紀子。彼女がね時々来てくれて、掃
除なんかしてくれるんだ。ま、ボランティアみたいなもんだけどね。
ほら紀、母さんだよ」
紀子、硬い表情で頭を下げる。
D紀 子「こんばんは」
D昌 次「これからあんたのこと、話そうと思ったら来ちゃったんだ」
D紀 子「じゃ、早く来過ぎたわけ」
D昌 次「そうなんだよ。えーと、何話したらいい?」
D紀 子「あの、たとえば私の仕事とか」
紀子に言われてペラペラと話し始める昌次。
D昌 次「勤め先は本屋さん、二つ先の駅でアパート暮らし、九州出身、お母
さんが小さい時亡くなって、お父さんが田舎で一人暮らし。血液型は
O型、九月生れの乙女座、スリーサイズは上から―――」
紀子が慌てて昌次の袖を引っ張る。
D昌 次「あ、それはいいか」
ごまかすように笑う昌次。
D昌 次「他に知りたいことある?」
Dとみこ「バカじゃねえこの子は」
叱りつけるように言うとみこ。
D昌 次「あとは本人に聞いてくれよ、ご馳走さま」
昌次、逃げ出すように自分の食器を流しに運ぶ。
とみこ、エプロンを外し膝をつく。
慌てて紀子も座る。
Dとみこ「紀子さんてお呼びすればええんかね」
紀子、慌てて答える。
D紀 子「はい」
Dとみこ「私、あの子の母親でとみこといいます。初めまして」
D紀 子「はい」
Dとみこ「お聞きしとると息子が大変お世話になっとるようじゃね。どうもあ
りがとう」
とみこ、一礼する。
紀子、慌てて手をつき頭を下げる。
D紀 子「こちらこそ。お世話になってます。すみません、驚かせてしまって」
紀子、しきりに汗を吹く。
とみこ、その様子を見ながらふと微笑む。
Dとみこ「あんたって」
D紀 子「はい」
Dとみこ「あんたってとっても感じのええ人ですね」
紀子、真っ赤になる。
ホッとしたように笑顔になって傍に来る昌次。
D昌 次「な、言っただろ、年寄りはきっと気に入るって。やったやった」
残りの食器を持って再び流しへ向かう。
Dとみこ「自分の親を捕まえて年寄りだなんて」
D紀 子「そうなんですよ、とっても口が悪いんですよ、昌ちゃんは。―――
今、お茶いれますね」
紀子、立上ると洗い物をしている昌次の隣に立つ。
D昌 次「感じいいだろ、俺のお袋」
D紀 子「そうね。お父さんも感じいい?」
D昌 次「いや、親父は感じ悪い。最悪」
D紀 子「大きな声で」
紀子、困ったようにとみこを振り返る。
Dとみこ「聞こえましたよ」
D昌 次「悪口は聞こえるんだ」
Dとみこ「そうですよ」
とみこ、笑顔で応える。
D紀 子「お茶っ葉は?」
昌次、棚の上を指差す。
そんな様子を眺めるとみこ。
第四巻終り
第五巻
79 駅前商店街
私鉄駅近くの飲み屋街。
居酒屋「かよ」の看板にも明りが灯っている。
80 居酒屋 中
カウンターに向かっている周吉と沼田。
有線放送が流れている。
他に客はサラリーマンの三人連れが入口近くのカウンターに向かっている。
女将のかよが相手をしている。
沼田、かん徳利を周吉に差出す。
D沼 田「まあ、飲めよ」
D周 吉「さっきも言うた通り、やめとるんじゃ」
沼田、真顔になる。
D沼 田「お前、友だち甲斐がないぞ。青春を共にした俺とお前が十年ぶりに
会うたんじゃないか。そしてこの次はいつ会えるのか分らんのだぞ。
医者が何だ。一緒に飲もいや。の、平山」
D周 吉「じゃあもう一杯だけ」
沼田、周吉のぐい飲みに酒を差し、周吉が飲み干す。
D沼 田「よーし、よし。―――おい、熱いの」
沼田、かよに空になった徳利を渡す。
D沼 田「お前、強かったのう、若い時。あれいつだったか、小川先生の叙勲
祝いを兼ねて同窓会やったじゃろうが」
D周 吉「ああ、竹村屋でか」
D沼 田「あん時、お前すっかり酔っ払って。小川先生にしつこく絡んでのう。
えらい騒ぎじゃった」
D周 吉「昔から飲むといかん」
D沼 田「そんなことはない。さあ、もう一杯。思いっきりやろう。のう、平
山」
周吉、手で制する。
D周 吉「いや、ほんまに」
D沼 田「頼む、飲んでくれや、お前と飲むのはこれが最後かも知れんのだぞ」
D周 吉「なら、もう一杯」
周吉、仕方なく沼田の注いだ酒をひと啜りする。
D沼 田「ぐっといけ、ぐっといけ」
沼田にあおられて飲み干す周吉。
D沼 田「しかし、お前のとこはええの。子どもが皆しっかりしとるから」
D周 吉「あんたの息子も出世したんじゃろが」
D沼 田「あいつは駄目。女房の機嫌ばかりとって俺を邪魔にしよる」
D周 吉「じゃが、印刷会社の部長さんじゃろ」
D沼 田「何が部長さんなもんか。まだ係長じゃ。体裁が悪いんで俺は人様に
は部長さんだと言うとるが、出来損ないのぼんくらじゃ。遅く生れた
一人っ子で甘やかしたのが大失敗。それから見ると、お前のとこは医
学博士じゃもんの。満足じゃろ」
D周 吉「いやあ、決して満足はしとらん」
D沼 田「またまた、そんな淋しいこと言うないや。お前が満足できにゃ俺は
どうしたらええんか。ああ、なんか悲しゅうなってきたな」
沼田、ハンカチを出して涙を拭く。
周吉、無意識に徳利をつかみ、自分のぐい飲みに酒を注ぐ。
その様子を眺めているかよ。
D沼 田「のう平山、本来なら、家に泊ってもろうて夜明かしでやるんじゃが、
息子の嫁のバカが嫌な顔するんじゃ、俺が客連れて来るとな」
Dか よ「あら」
D沼 田「すまんの」
D周 吉「いや」
沼田、空の徳利を差上げる。
D沼 田「かよちゃん、お酒。やるぞ、今夜は!」
かよ、徳利を受取りながら
Dか よ「大丈夫?」
D沼 田「大丈夫大丈夫。愛があるから大丈夫なの」
下手な節回しで歌う沼田。
先程から周吉たちをうんざりして眺めていた三人組の年長者が立上る。
D三人組A「行こう」
沼田が振り返る。
D沼 田「なんだよ、もう帰るのか」
D三人組A「女将さん、お勘定」
Dか よ「また今度でいいわよ、部長さん」
D沼 田「部長さん? 本当かお前」
D周 吉「おい、沼田君」
からもうとする沼田を周吉が押える。
D三人組B「御馳走さま」
D三人組C「じゃまたね」
かよ、三人組の後を追って表に出る。
D沼 田「かよちゃん、お酒!」
その背中に沼田が大声を出す。
81 同 表
三人組の後を追ってかよが出てくる。
Dか よ「ごめんね」
D三人組A「何だ、あのじじいたちは」
Dか よ「最近よく来るのよ。近所らしくて」
D三人組A「ああ嫌なもの見た」
D三人組B「部長もね、もうすぐああなるんですからね」
D三人組A「バカヤロー」
Dか よ「すみません。これに懲りずにまた来てね。ありがとうございました」
歩き出す三人組。
三人組BがAに頭を下げる。
D三人組B「ご馳走さまでした」
D三人組A「なんだ、もう帰るのか」
三人、駅の方に去って行く。
82 同 中
沼田、鼻歌を歌いながら便所から出てくる。
D沼 田「泣いたりせずに、父さん母さん、大事にしてね〜か」
かよ、カウンターから徳利を差し出す。
Dか よ「はい、熱いの」
沼田、受取る。
周吉は少し酔っている。
D沼 田「酌してくれや」
Dか よ「これで最後よ。随分酔っ払ってるわね、今夜は」
D沼 田「のう、平山、どうこの女、似とるじゃろ」
Dか よ「また始まった」
D沼 田「似とらんか」
D周 吉「誰に?」
D沼 田「似とる似とる」
D周 吉「竹村屋の梅ちゃんか」
D沼 田「違う。梅ちゃんはもっと太っとった。死んだ俺の家内じゃ」
D周 吉「ああ、そういやあ似とるの」
D沼 田「似とるじゃろう、この辺が」
沼田、自分の顎の辺りを指す。
Dか よ「もういい加減に帰ったら。またお嫁さんに叱られるわよ」
沼田、笑う。
D沼 田「邪険なところもよう似とる」
Dか よ「くどいのよ、あんたは」
D沼 田「家内もようそう言うとった。くどいのよって。そういうところが好
きなんじゃ。アハハハ」
かよ、相手にせず片づけ物をしている。
周吉、徳利を差出す。
D周 吉「沼田君、もう一杯いくか」
沼田のぐい飲みと自分のぐい飲みに酒を注ぐ。
D沼 田「しかし平山、お前が一番幸せじゃ」
D周 吉「何で」
D沼 田「糟糠の妻を連れて、息子や娘の家を泊りながら東京見物。ハネムー
ンじゃのうてフルムーンて言うんじゃろ。嬉しいじゃろ」
周吉、首を横に振る。
D周 吉「いや、それほどでもない」
D沼 田「何言うとるんじゃ、この幸せ者が」
周吉、ぐい飲みの酒をひと息に飲む。
D周 吉「わしのどこが幸せなんじゃ」
D沼 田「決まっとるじゃろが。長男は医学博士」
D周 吉「わしは幸一には地元で開業して欲しかったが、あいつは言うことき
かんで東京へ行ってしもうた」
D沼 田「そうか」
D周 吉「そしたら娘も下の息子も後を追って皆東京へ行ってしもうた。わし
らの故郷は淋しゅうなるばかりじゃ。本通りの店もあらかた潰れてし
もうて」
D沼 田「俺は帰りとうない、あねな島には」
D周 吉「どっかで間違うてしもうたんじゃ、この国は」
D沼 田「そうだ」
D周 吉「のう、沼田君。もうやり直しはきかんのかのう」
D沼 田「きかんきかん」
D周 吉「しかしのう、このままじゃいけん、このままじゃ」
周吉、ぐい飲みの酒を飲み干す。
D周 吉「もう一本つけてくれ」
周吉、徳利の酒をかよに差出す。
D沼 田「おい平山、まだ飲むんか」
D周 吉「ああ、今夜はとことん飲む」
D沼 田「とことんてお前、もうやめた方がええんじゃないか。医者にと、と、
とめられとるんじゃろ」
D周 吉「医者がなんじゃ」
D沼 田「え?」
D周 吉「女将さん、お代わり」
かよ、躊躇する。
Dか よ「ねえ沼田さん。いい加減帰ってよ」
沼田、時計を見ながら救われたように立上る。
D沼 田「そうだな、俺、電車の時間あるから、ひと足お先に」
立って出て行こうとするのを周吉が襟首を掴んで引き戻す。
D周 吉「今夜は思いっきりやろう言うたんはお前じゃろ。女将さん、お代わ
り。女将さん、お代わりと言うとる」
Dか よ「もうやめた方がいいんじゃないの、おじいちゃん」
D周 吉「客の言うことが聞けんのか、この女!」
突然、周吉が大声を出す。
D沼 田「おいおい」
慌てて徳利を受取り、新しい徳利をカウンターに置くかよ。
D周 吉「いけん、このままじゃいけん」
そう言いながら徳利に手を伸ばし、そのまま眠ってしまう。
Dか よ「ねえ、沼田さん」
沼田も、カウンターで鼾をかき始める。
83 昌次のアパート 玄関口
帰り支度の紀子がドアを開ける。
その後に続くとみこを振り返る。
D紀 子「それじゃ」
Dとみこ「もう少し部屋が広けりゃ泊ってもろうて、今夜ゆっくり話ができた
のにね」
D紀 子「大丈夫? 寝られますか、あんな狭いとこで」
Dとみこ「狭いとこは慣れとるけ」
D紀 子「可愛い息子の側ですもんね」
Dとみこ「何が可愛いもんかいね、あねな男」
居間から昌次が声をかける。
D昌 次「聞こえてるぞ」
D紀 子「それじゃ、東京にいらっしゃるうちにまたお会いしますね」
Dとみこ「今度は是非会うて頂戴ね、感じの悪いお父さんにも」
D紀 子「はい」
紀子、笑顔で頷く。
D紀 子「じゃあ、お休みなさい」
紀子、表に出て行く。
84 同 表
紀子、置いてあった自転車に跨り、ペダルを踏んで夜道を去っていく。
85 同 昌次の部屋
昌次、畳の上に毛布を敷いている。
パジャマ姿のとみこに話しかける。
D昌 次「母さん、俺のベッドで寝る? それとも下?」
Dとみこ「お前の臭い蒲団でなんか寝とうないよ。畳の上で十分」
D昌 次「はいはい」
昌次、ベッドにどさっと座る。
D昌 次「ああ、少しビール飲み過ぎた」
Dとみこ「今日の一日は長かったよ、昌次。ホテルで朝ご飯食べて、滋子のと
ころへ行って、それから電車に乗って池袋へ出て、一杯の人で、あち
こち探し回ってここへ来て。そしたらとんでもない人に会うことにな
って」
D昌 次「驚いたか」
昌次、立上り机の方へ行き、携帯の充電をしかける。
Dとみこ「そりゃあ驚くよ」
D昌 次「でもよかったよ、母さんが気に入ってくれて。親父にはうまく話し
てくれよ」
Dとみこ「それはいけんよ。お父さんにはあんたの口からちゃんと話さんと」
D昌 次「面倒くさいよ」
Dとみこ「これは何か買うて欲しいとか、お金が足りんから貸してくれとかそ
ねな種類の問題じゃないの。もしあんたが、紀子さんを大切に思うな
ら、あんたの口からちゃんと話しんさい。この人と結婚しますって」
D昌 次「怒るだろうな」
Dとみこ「初めは怒るかもしれんけど、そん時は私が間に入ってあげるけ」
D昌 次「分った」
昌次、ベッドに戻ると大あくびをする。
その横顔を眺めるとみこ。
Dとみこ「どこで知り合うたんかね、あねなええ娘と」
D昌 次「福島の南相馬」
Dとみこ「というと、震災のあった?」
D昌 次「うん。去年の夏ボランティアに通ってたんだ。ほら」
昌次、壁の写真を指差す。
被災地での二人のスナップ写真が貼り付けてある。
二人ともヘルメットにマスク姿。
D昌 次「これが紀子」
Dとみこ「こねな格好じゃ、男も女もわからんじゃろうがね」
D昌 次「昼飯の時にさ、マスク取ってヘルメット脱いだら、黒い髪がぱらり
っと落ちたんだよね。うわ、綺麗だなと思って」
Dとみこ「ひと目惚れかね」
D昌 次「まあね」
Dとみこ「それでどねえしたの」
D昌 次「早く申し込まないと誰かに取られちゃうと思ったからさ、三回目の
デートの時に言っちゃったんだ」
Dとみこ「何て」
D昌 次「俺と結婚の約束してくれないか」
Dとみこ「まあ、厚かましい」
D昌 次「でも、今すぐ返事しなくたっていいよ。俺もフリーターみたいなも
んだからさ、その辺よく考えて後で返事してくれないかな。駄目なら
駄目でいいよ、俺諦めるからって。そう言ったら、彼女がね、今すぐ
返事するわって答えて、小指を」
昌次、片手の小指を立てて見せる。
D昌 次「こういう風に。―――だから、俺、こう」
昌次、反対の手の小指を絡めて見せる。
とみこ、ふと目を潤ませる。
Dとみこ「幸せじゃったろう、そん時」
D昌 次「まあな」
昌次、手を伸ばして電気を消す。
毛糸のチョッキを脱ぐとみこ。
カーテン越しの柔らかい光がその横顔に差している。
Dとみこ「ええねえ、若いいうんは」
D昌 次「母さんとお父さんはお見合い結婚だろ」
Dとみこ「そうよ」
D昌 次「お父さんのどこがよかったの」
Dとみこ「そねなこと覚えとらんよ。周りがわあわあ言うけえ一緒になってし
もうただけ」
D昌 次「でも返事したんだろ、一応」
Dとみこ「そりゃしたけど」
D昌 次「どっかいいとこあったからだろ」
とみこ、困ったように言葉を濁す。
Dとみこ「うーん、いや、どね言ったらええかね、お父さん、ええ男じゃった
んよ。そんだけ」
昌次、くすくす笑う。
D昌 次「そうか、母さんのタイプだったのか」
Dとみこ「そう」
とみこ、くすくす笑いながら蒲団に顔を埋める。
86 同 表(朝)
朝日を浴びて自転車に乗った紀子が急スピードで来て止まる。
87 同 昌次の部屋
片づいた室内で、窓を開け放してとみこが掃除機をかけている。
玄関のドアが開き、紀子が顔を出す。
D紀 子「お早うございます」
とみこ、振り返る。
Dとみこ「あら、どうしたの、こねに早く」
D紀 子「昨日見たら冷蔵庫空っぽだったんで、お母さんの朝ご飯買ってきま
した。サンドウィッチとゆで卵ですけど」
紀子、部屋を覗いて
D紀 子「昌ちゃんもう出かけたのね」
Dとみこ「今朝早くお友だちが車で迎えに来たの」
D紀 子「お母さん、一人で帰れますか、つくし野まで」
Dとみこ「大丈夫いね。地図、持っとるし」
D紀 子「じゃ、私近いうちに休み取りますんで、その時またゆっくり」
部屋を出ようとする紀子をとみこが呼び止める。
Dとみこ「紀さん、ちょっと待って」
とみこ、膝をついてバッグに入れてあった封筒を取り出す。
Dとみこ「実はね、昌次が貧乏してるじゃろと思うて、田舎を出る時少しお金
を用意して持ってきたの」
紀子も膝をつき、不思議そうにとみこを見る。
Dとみこ「あんたはまだ気がついてないかもしれんけど、昌次はまるで経済観
念てものがないんよ。贅沢というんじゃないけど、とても欲しいもの
に出会うと、後先考えずに大変な借金までして買い込んだりするん。
ほんまに変な子なんよ。じゃけえあんたはね――」
紀子、とみこの言葉を制する。
D紀 子「お母さん、私分ってます。今までそんなことで何度も喧嘩もしたも
の。でも私、昌ちゃんのそういうところが好きなんです。イタリア製
の古い車に夢中になったりするところが」
とみこ、マジマジと紀子の顔を見つめる。
Dとみこ「そんな風に思うてくれとるの、あの子のことを」
D紀 子「おおらかというか、先入観にとらわれずに物事をあるがままに受け
入れてしまうような、そこがあの人のいいとこなんです。だから大丈
夫よ」
Dとみこ「ありがとう」
とみこ、膝を進め紀子の手にお金の包みを渡す。
Dとみこ「これ、あんたに預けておく。何かあった時のために、ほら、怪我し
たり病気になったりすることあるでしょう。そねな時にこれ使うて。
あんたが持っとってくれた方が安心じゃから」
紀子、封筒を受取る。
D紀 子「じゃあ、預かるだけ」
Dとみこ「昌次に言うちゃ駄目よ、このお金のことは」
紀子、首を横に振る。
D紀 子「言いません」
とみこ、小指を差出す。
Dとみこ「約束」
紀子、その小指に自分の小指を絡ませる。
Dとみこ「これで安心。引き止めて悪かったね。はよ行きんさい」
D紀 子「はい」
紀子、立上り玄関へ向かう。
D紀 子「行ってきます」
Dとみこ「行ってらっしゃい」
ドアを開ける紀子、笑顔を残して去って行く。
88 同 表
紀子、バッグに封筒を収めると、自転車のカゴに置き、ペダルを踏みこむ。
中学生たちがお喋りをしながらやってくる。
紀子、踏み切りを渡って去って行く。
89 欠番
第五巻終り
第六巻
90 平山医院 居間
コーヒーを淹れる文子。
疲労の色濃い周吉、ソファで居眠りをしている。
その側でリモコンヘリコプターをいじっている勇。
電話が鳴り、目を開ける周吉。
文子、コーヒーのカップを周吉の前に置く。
D文 子「向こうで遊んでなさい」
勇、ヘリコプターを持って座敷へ行く。
文子、受話器を取り上げる。
D文 子「はい平山です。―――ああ、お姉さん。ええ、お父さん、三十分ほ
ど前に。今コーヒー差上げたとこだけど、ひどく疲れてらっしゃるみ
たい。何かあったの?」
91 ウララ美容院 店
滋子、電話をかけている。
庫造、窓を開け放して懸命に床を掃除している。
D滋 子「もう大変だったのよ。夜中の二時頃かしら。お父さん、酔っ払って
タクシーで帰ってきたの。それもほら、東京の地理なんか分らないか
ら、運転手さんさんざん苦労したみたいで二千円もチップ払っちゃっ
た。―――お父さん、覚えてやしないわよ、あの酔い方じゃ」
高野、入ってくる。
D高 野「お早うございます」
滋子、通話口をふさいで高野に店を指差す。
D滋 子「手伝って」
D高 野「はい」
訳も分らないまま頷いて奥へ行く。
D滋 子「若い頃、お母さん苦労したのよ、お父さんのお酒では。せっかくや
めてたのにね、夜中に大声出したり、店にゲロ吐いたりワゴンひっく
り返したり。お酒飲みって大嫌い。朝っぱらからね親子喧嘩しちゃっ
たの。プンプン怒って出て行っちゃったから、どうなったかと思って
ね。でもまあ、無事にお宅に着いてよかったわ。悪いけど文子さん、
よろしくね」
92 平山医院 居間
ムスッとした表情でコーヒーを飲む周吉。
D文 子「はい、分りました。大丈夫よ。じゃあ、ごめんなさい」
溜息まじりに電話を切る文子。
側で電話が終るのを待っていた勇が声をかける。
D 勇 「ママ、お昼まだ?」
D文 子「もうすぐよ」
ヘリコプターを持って座敷へ戻る勇。
白衣を着た幸一が来て、薬を周吉に差出す。
D幸 一「二日酔いに効く薬なんてないけどね。これ飲めば頭痛はなくなるよ。
ママ、水持ってきて。―――昨夜何があったの」
周吉、憮然と答える。
D周 吉「沼田君と飲んだ」
D幸 一「造船会社の専務さんしてた」
D周 吉「ああ」
D幸 一「そこに泊めてもらうつもりじゃなかったの」
D周 吉「断られたんじゃ。嫁がええ顔せんいうて。それで宿無しになってし
もた」
幸一、顔をしかめる。
D幸 一「宿無しなんて言い方しないでも。どうしてうちに来なかったの」
D周 吉「文子さんに悪いけえの。あんまり迷惑かけちゃ」
勇、リモコンのヘリコプターを飛ばし始める。
D幸 一「いいんだよ、そんな遠慮しなくたって―――勇うるさい、やめなさ
い!」
飛んでいたヘリコプターがぽとりと落ちる。
文子が水を持ってくる。
D文 子「はいお水」
D周 吉「何も怒らんでもなあ」
玄関のチャイムが鳴る。
文子が玄関に向かう。
周吉の脈をとり始める幸一。
玄関から文子の声が聞こえている。
D文 子「あら、お母さん」
Dとみこ「ただいま」
D文 子「お帰りなさい」
Dとみこ「お父さんは?」
D文 子「いらっしゃるわよ」
Dとみこ「そう」
文子が入口に顔を出す。
D文 子「お母さんよ」
とみこも後から、笑顔を浮かべて入ってくる。
Dとみこ「ただいま」
D幸 一「お帰り」
とみこ、周吉の顔を覗き込む。
Dとみこ「まあ、お父さん、くたびれたような顔をして。沼田さん、元気じゃ
った?」
周吉、乱暴に答える。
D周 吉「ああ、元気元気」
Dとみこ「そう、よかった」
文子、とみこに椅子を勧めながら
D文 子「お母さんは、昌次さんところに泊ったんですって」
Dとみこ「うん、狭いとこにね」
D幸 一「洗濯したり掃除したりしたんでしょう」
Dとみこ「したよ」
周吉、憮然と口を開く。
D周 吉「いつまでも親に心配かけおって。いくつだと思うとるんだ」
Dとみこ「じゃけどね、お父さん。行ってよかった。私、ホッとしたんよ」
D周 吉「何が」
Dとみこ「大丈夫。ちゃんとやっていくいね、あの子は」
D幸 一「バカに機嫌がいいね、親父に比べて」
幸一、苦笑しながら診察室に戻る。
D文 子「一体何があったの、お母さん」
Dとみこ「どねに話したらいいかね、お父さんに」
D周 吉「聞きとうない、あいつのことなど」
Dとみこ「すぐにこうなんじゃけ、お父さんは」
とみこ、楽しそうに笑う。
D文 子「とにかくお着替えなさったら。お茶飲みながらゆっくり話を聞きま
しょう」
とみこ、よっこらしょと立上る。
Dとみこ「そうじゃね。ああ、よかった。勇ちゃん、元気じゃった」
D 勇 「うん」
勇、とみこの側へやって来る。
Dとみこ「ヘリコプターで遊んどったの」
D 勇 「うん」
部屋から出て行くとみこに文子が声をかける。
D文 子「洗濯物、二階に置いてありますから」
Dとみこ「はい」
勇と二階へ行きかけて、振り返るとみこ。
Dとみこ「なあ、文子さん」
文子が声に足を止めて振り返る。
D文 子「はい」
Dとみこ「東京に出て来て本当によかった、私」
D文 子「まあ、そう言って頂けると私も嬉しいわ」
Dとみこ「ありがとう」
D文 子「いいえ」
Dとみこ「さあ、行こう」
とみこ、勇を伴って上機嫌に階段を上って行く。
Dとみこ「よいしょよいしょ」
文子、とみこを見送ると笑顔で周吉に話しかける。
D文 子「何があったんでしょうね、昌次さんとこで。あんなニコニコして」
D周 吉「ありゃ、極楽とんぼじゃけ」
文子、笑いながら台所へ行く。
階段の方から勇が戻ってきて、ひどく緊張した表情で周吉の膝をつつく。
D周 吉「何かね」
勇、呟くように言う。
D 勇 「おばあちゃんがね」
D周 吉「おばあちゃんがどねしたか?」
勇、階段の方を指す。
コーヒーを飲もうとしていた周吉の笑顔がふと消え、立上ると階段の方へ急ぐ。
階段の中段に倒れているとみこを見つけ、大声で呼びかける。
D周 吉「母さん! 母さん!」
台所で昼食の支度をしていた文子、周吉の声にハッとなる。
慌てて階段の方へ向かう文子。
93 欠番
94 欠番
95 同 階段
周吉がぐったりとしたとみこを抱え起こしながら呼びかけている。
D周 吉「おい、母さん、どねした? 母さん」
台所から走ってきた文子がその様子を見て、慌てて周吉を制する。
D文 子「お父さん駄目、動かしては駄目」
文子、周吉の手からとみこを受取り、そっとそのまま寝かせる。
D文 子「今、パパ呼んでくるから。―――そのままよ、そのまま」
文子、診察室に向かって駆け出す。
呆然ととみこを見ている周吉。
診察室の方から幸一に話す文子の声が聞こえてくる。
D文子の声「パパ、お母さんが大変。ちょっと来て」
恐る恐るとみこに声をかける周吉。
D周 吉「おい、とみこ、とみこ、何があった。とみこ・・・」
足音荒く幸一が現れ、階段を駆け上がり、とみこの耳に顔を寄せて呼びかける。
D幸 一「お母さん、お母さん! わかる? お母さん、手握って」
幸一、とみこの指をつかんで様子を窺う。
階段下から見ていた文子に声をかける。
D幸 一「ママ、救急車」
周吉がおろおろと尋ねる。
D周 吉「幸一、どねしたんじゃ」
幸一、立上ると周吉の肩に手をかける。
D幸 一「お父さんは下の部屋で座ってて下さい」
D周 吉「どねしたんじゃ」
D幸 一「大丈夫、大丈夫だから」
幸一に促された周吉、不安げに階段を下りて、居間に向かう。
文子が電話をしている。
D文 子「もしもし、救急車お願いします―――母親が階段の途中で倒れて意
識がありません。主人は医者ですがすぐに救急をと申しております。
年は六十八歳です―――はい、住所を申し上げます。多摩中央つくし
野三―二十―四です。はい、お願いします」
不安そうな顔で文子のもとに来た勇を抱きしめる。
看護師の吉田が来て幸一の指図を受け、慌ただしく診察室に戻って行く。
その背に更に幸一が声をかける。
D幸 一「往診バッグも」
D吉 田「はい、わかりました」
幸一、とみこに顔を近づけ呼びかける。
D幸 一「お母さん、お母さん」
居間のソファに所在なく座っている周吉。
96 欠番
97 欠番
98 欠番
99 ウララ美容院 表
庫造がふうふう言いながら小走りにやってくる。
100 同 居間
裏口を開けて駆け込む庫造、その辺に荷物を放り出す。
101 同 店
庫造が顔を出す。
D高 野「お帰んなさい」
庫造、客にカーラーを巻いている滋子に手招きする。
D滋 子「清ちゃん、ちょっとお願い」
D清 美「はい」
滋子、庫造の後について居間に行く。
102 同 居間
息を切らせて水を飲む庫造。
滋子、顔を出す。
D滋 子「お帰り」
食卓の椅子に腰をかける滋子。
D庫 造「留守電聞いたよ。どうなんだい、お母さん」
D滋 子「よくないらしいのよ」
D庫 造「だって昨日は元気だったじゃないか」
D滋 子「私、最初はお父さんだと思ったの。だってあんなに酔っ払ってたん
だもの」
庫造も椅子に座る。
D庫 造「今どこなんだ」
D滋 子「救急車でね、西多摩総合病院」
D庫 造「兄さん、何て言ってるんだ」
D滋 子「なるべく早く来てくれって」
D庫 造「そうか。弱ったな、明日お祭りなんだけど、俺、渉外担当だからな」
D滋 子「いいわよ。まさか今日明日ってわけじゃないでしょ。とにかく私、
仕事片づけたら病院行くわ。ああ本当嫌になっちゃう、こんな忙しい
時に限ってね」
D庫 造「なあ」
滋子、あたふたと店に出て行く。
103 書店
絵本を中心に扱う洒落た雰囲気の書店。
一隅の書棚の前に踏み台を置いて、エプロンをした紀子が本を探している。
D紀 子「ありました。これですね」
紀子、一冊の本を取出し、幼い子連れの客に渡す。
D 客 「ああどうも」
客、本棚を指差し、
D 客 「隣に同じ著者の本がありますね。大判の」
D紀 子「はい」
D 客 「それもちょっと」
紀子、「ちいさいおうち」というタイトルの絵本を引き抜き、客に渡す。
紀子のポケットでスマートフォンが震える。
客が本を開いて見ている間、踏み台から下り、ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面を見て、ふと顔色を変える。
メールの文字。
「緊急事態 お袋が倒れた。西多摩総合病院に入院している。仕事を終
えたら直接行く。今夜会う約束はキャンセル」
客から声がかかる。
D 客 「こっちもらいます」
D紀 子「はい」
大判の本を紀子に返して子どもとレジに向かう客。
紀子、気を取り直して踏み台に上り、本を元の位置にしまう。
104 西多摩総合病院 廊下
忙しくカートを押して行く看護師。
患者の訴えを辛抱強く聞いている別の看護師。
105 同 病室
とみこが酸素吸入器を顔につけて横たわっている。
傍らでじっとその様子を見守る周吉。
文子がスマートフォン片手に急ぎ足に入ってくる。
D文 子「パパは五時までには来れるそうです。お姉さんもその頃までには何
とかってさっき電話があって」
D周 吉「ああ」
D文 子「売店に行って、吸い飲みとか寝巻の替えとかそういったもの買って
きます」
文子、足音を忍ばせて出て行く。
とみこが微かに動く。
D周 吉「おい、おい。どうした。ん? 暑いんか」
周吉、タオルを手に取りながら
D周 吉「幸一は医者じゃけ患者ほったらかして来る訳にはいかんのじゃろ。
じゃが、この病院の医者は知り合いだそうだから安心。滋子もすぐ来
る。もうすぐみんな来る。きっと治る、治る、治る」
呟くように言いながらとみこの汗を拭いてやる周吉。
106 同 駐車場(夜)
駐車場の入口にある電灯の回りを蛾が飛んでいる。
107 同 病室
窓の外はもう暗い。
病院の医師と幸一がとみこを診察し、会話を交わしている。
D医 師「散瞳してますね」
D幸 一「ええ」
D医 師「階段の途中で?」
D幸 一「ええ、踊り場でね」
D医 師「大変でしたね。血圧は―――」
D幸 一「一〇〇ですね」
D医 師「うん」
そんな様子を見守る周吉、滋子、文子。
足もとに実、勇の兄弟が所在なげに立っている。
滋子が文子に囁く。
D滋 子「昌次、遅いわね。メール届いたのかしら」
D文 子「すぐ行くってたった一言だけど、一応返事は来たわよ」
D滋 子「肝心な時に役に立たないんだから、あの子は」
医師、幸一に小声で語りかける。
D医 師「血圧が下っていたのでDOAを始めました」
D幸 一「ああ、そのせいですか」
D医 師「酸素が下ったら気道確保しますか」
D幸 一「それはちょっと相談します」
医師、頷く。
D医 師「それじゃ、後ほど」
D幸 一「どうぞよろしく」
D医 師「お大事に」
D滋 子「度々どうも」
医師、部屋を出て行く。
文子、実たちを呼び寄せる。
D文 子「パパ、この子たち」
D幸 一「うん、帰った方がいいだろう」
D文 子「あんたたち、おばあちゃんにお休みなさいって言いなさい」
実と勇、おどおどととみこの傍に行き声をかける。
D 実 「おばあちゃん、お休みなさい」
黙っている勇を実が促す。
D 勇 「お休みなさい」
勇、鼻を啜る。
D文 子「また明日来ますからね」
D周 吉「ええ子じゃの」
D文 子「さ」
D滋 子「気をつけて」
文子、頷くと二人を押すようにして部屋を出て行く。
滋子、ベッドの足もとにしゃがみ、蒲団に手を入れる。
D滋 子「可哀想。母さん、足冷たい。兄さん何とかして」
困ったような顔で見ていた幸一、周吉に声をかける。
D幸 一「お父さん、ちょっと。滋子、お前も」
滋子にも声をかけて、出て行く。
後に従う周吉と滋子。
108 同 廊下
幸一、部屋から出てきて立ち止まる。
周吉と滋子が来る。
D幸 一「お父さん。お母さん、どうも悪いんだけどな」
D周 吉「それか」
D滋 子「悪いってどんな風に」
D幸 一「MRIの結果がよくない」
周吉と滋子、長椅子にがっくりと腰を下ろす。
D周 吉「それか。長旅をして疲れたんがようなかったのかの」
D滋 子「そんなことはないでしょ。だって昨日まであんなに元気だったじゃ
ない。ねえ」
D幸 一「いや、それもあるかもしれん」
幸一も滋子の隣に腰を下ろす。
D幸 一「ぼくの注意が足りなかった」
D周 吉「で、どうなんじゃ」
D幸 一「橋本先生も同じ意見なんだけど、明日の朝までもてばいいと思うん
だ」
D滋 子「え? 明日の朝」
D幸 一「うん。明け方までもつかもたないか」
D周 吉「それか。いかんのか」
溜息まじりに呟く周吉。
滋子の目に急に涙が溢れてくる。
顔を覆って泣き出す滋子。
D幸 一「お母さん、六十八だったね」
D周 吉「ああ、それか、はあもう駄目か」
D幸 一「ぼくはそう思います」
D周 吉「お終いか」
幸一、頷いて立上り、部屋に戻る。
泣き続ける滋子。
109 同 病室
こんこんと眠り続けるとみこ。
幸一が来てその様子を見る。
110 同 廊下
長椅子に黙然と座っている周吉。
傍らで滋子が泣いている。
D周 吉「昌次は間に合わんか」
周吉、立上ると、滋子の膝にポケットから取り出したハンカチを置いて病室の方へ立ち去る。
泣き続ける滋子、ハンカチで顔を押さえる。
111 同 玄関(深夜)
古ぼけたワゴン車が止まり、助手席から昌次が降りる。
D昌 次「サンキュー、悪かったな、突然」
運転していた友だちが答える。
D友だち「お大事に」
昌次、玄関を入る。
112 同 ロビー
昌次が急ぎ足に入ってきてふと足を止める。
人気のないロビーの長椅子のひとつに紀子がぽつねんと腰を下ろしている。
D昌 次「何だよ、来てたのか」
紀子、立上り、頷く。
D紀 子「あのね、大したことでなければいいけど、万一ってことだったとし
たら私、どうしてもひと目会いたくて、お母さんに」
D昌 次「わかった。ええと何階に行けばいいのかな」
D紀 子「五階の五二三号室、私調べといた」
D昌 次「さすが。行こう」
紀子、昌次の袖を引く。
D紀 子「でも私のこと、お父さんに何て説明する?」
D昌 次「いいんだよ、そんなことは」
紀子の腕を取って廊下の奥に向かう昌次。
113 同 病室
ベッドに横たわるとみこ。
その傍らに周吉、幸一、滋子、文子たちが言葉なく腰を下ろしている。
ドアの開く音に滋子たち、振り返る。
D滋 子「あ、来た」
昌次と、その後に紀子が続いて入ってくる。
D昌 次「ごめん、遅くなって」
変な顔をしている幸一たち。
昌次、とみこの枕元に立つ。
D昌 次「母さん、母さん。ねえ、ど・・・」
昌次、幸一を振り返る。
D昌 次「ねえ」
幸一、首を横に振る。
D昌 次「え、もう駄目なの」
昌次、顔色を変えてとみこに顔を近づける。
D昌 次「お母さん、俺だよ。何だよ、もう聞こえないのか。紀子も来たんだ
よ、ひと目会いたいって。ねえ、母さん、母さん」
紀子の目から涙が溢れてくる。
滋子が声をかける。
D滋 子「昌次、この娘さんは」
D昌 次「うん。昨夜、俺の狭い部屋で母さんとこの娘の三人で遅くまでいろ
んなこと喋ったんだよ。紀子っていって、俺が嫁さんにしたいんだっ
て言ったら母さんが、自分の口からきちんと父さんに言わなきゃ駄目
だって、もし父さんが反対したら、その時は母さんが応援してあげる
からって、そう言ってくれたんだよ、昨夜。な、紀」
紀子、顔を押さえながら頷く。
D昌 次「それなのに駄目じゃないかよ。こんなことになってしまって」
泣き出しそうになるのを懸命にこらえる昌次。
呆然とその様子を見ている周吉、幸一、滋子、文子たち。
昌次、つと立上り、紀子を連れて部屋を出て行く。
114 同 廊下
部屋を出てきた昌次と紀子、椅子に腰を下ろす。
昌次、顔に手を当てて泣き出す。
紀子、慰めるようにその肩に手を置いて泣き出す。
115 ウララ美容院 居間
薄暗い部屋の中で電話が鳴り始める。
寝室からパジャマ姿の庫造が寝ぼけ眼で出て来て受話器を取る。
D庫 造「はい。ああ、俺だよ。どうした」
庫造、ギョッとして立上る。
D庫 造「ええ? こんな早く。そうか、えらいことだったな。何時ごろだ?
―――四時半。そうか」
庫造、食卓の椅子に座る。
D庫 造「お母さん、苦しんだのか。全然? そりゃせめてもの慰めだな。
―――お店の方? 大丈夫、任しとけ。清ちゃんと相談してちゃんと
やるから。お前も気をつけろよ、体疲れてるからな。お悔やみ言って
くれよ、お父さんに。悲しいな、一人になっちゃうんだもんな。うん、
それじゃ」
受話器を切った庫造、深々と溜息をつく。
116 欠番
第六巻終り
第七巻
117 西多摩総合病院 病室
ベッドのとみこの顔に白布がかけてある。
幸一、滋子、昌次、紀子、文子たち、いずれも悲しくうな垂れている。
ひとしきり泣いていた滋子、涙を拭く。
D滋 子「人間なんてあっけないもんね」
幸一たち黙っている。
D滋 子「あんなに元気だったのに」
紀子もそっと涙を拭く。
D滋 子「東京に出て来たのも虫が知らせたのよ、きっと」
D文 子「そうね」
滋子、とみこの枕元に行き、
D滋 子「でも、出て来てくれてよかったわ。お母さん、元気な顔も見られた
し、いろいろ話もできたしね。あ、そうだ、お父さん、喪服どうする
んだろう」
D文 子「この人の古いのがあるから」
D滋 子「寸法が合わないじゃない、ダブダブよ。ま、いいか。貸衣装屋で借
りれば。―――お葬式どうするの、兄さん」
D幸 一「田舎でやるべきだろ。なんてったって親戚は向こうに多いし、和尚
さんだって古いつき合いだし」
D滋 子「じゃあ、こっちでお骨にして田舎へ」
D幸 一「一応、そういうことにしようか。まだお父さんには相談してないけ
ど。どうしたんだ、お父さんは」
D文 子「さっき表の空気を吸ってきたいとかおっしゃって」
D幸 一「昌次、探してこいよ、そういう相談もあるし」
昌次、紀子と出て行こうとする。
D幸 一「あ、君はここにいていいんだよ」
D紀 子「はい」
昌次、部屋を出て行く。
再び悲しい沈黙が訪れる。
118 同 屋上への階段
昌次、きょろきょろ見回しながら階段を上って行く。
119 同 屋上
周吉がぽつんと佇んで夜明けの空を見ている。
東京都下にあるこの病院の西の方には、低い山が重なって見える。
朝靄の中を走る電車。
昌次がその姿を見つけて傍に来る。
D昌 次「父さん。―――何してたんだよ、こんなとこで」
D周 吉「ああ、綺麗な夜明けじゃった」
周吉と昌次、並んで東の空に目をやる。
D昌 次「兄さんがね、今後のこといろいろ相談したいって」
D周 吉「のう、昌次」
D昌 次「ん?」
D周 吉「母さん、死んだぞ」
D昌 次「うん」
昌次の眼に新たな涙が溢れる。
周吉、踵を返して引き返す。
その後を追う昌次。
120 同 病室
幸一たち、黙って座っている。
窓のカーテンに朝日が差し始める。
121 ××島 港
晴れた青空にカモメが舞う。
穏やかな瀬戸内海を港に向かうフェリー。
122 同 桟橋
石垣を静かに波が洗っている。
中学生の少女ユキと母親信子を交えて十人ほどの島人が佇んで沖を眺めている。
123 フェリーのデッキ
旅姿の昌次と紀子がデッキに立って海を眺めている。
スピーカーから到着のアナウンス。
Dアナウンス「本日も瀬戸内ライン、さざなみ号にご乗船頂きありがとうござ
います。本船は間もなく天満港桟橋に到着致します」
昌次、紀子に声をかける。
D昌 次「ちょっと待ってて」
昌次、客室に向かう。
Dアナウンス「お手回り品などお忘れ物ございませんようご準備下さい」
124 同 客室
人気のない室内の一隅で遺骨を傍らに置いた周吉が居眠りをしている。
昌次が来て、その肩に手をやる。
D昌 次「着いたよ」
周吉、目を覚まし、遺骨を膝に乗せる。
125 ××島 桟橋
フェリーが到着している。
浮き桟橋を踏み鳴らしながら数台の車がフェリーに入っていく。
Dユキの父「とみこおおばさん、お帰りなさい」
ユキの父に合わせて居並ぶ島人たちが手を合わせる。
対面する遺骨を抱いた周吉と荷物を持った昌次、紀子たち。
周吉がユキに声をかける。
D周 吉「ユキちゃん。ほれ、おばあちゃん、こねになってしもた」
ユキ、ワッと声を上げて泣き出す。
母の信子、その肩を抱きながら周吉に語りかける。
D信 子「とんだことじゃったねえ、先生」
うなだれている周吉。
そんな光景を見つめる昌次と紀子。
126 夜の港
灯台に明りが灯っている。
漁を終えた漁船が戻ってくる。
127 周吉の家 周吉の部屋
玄関に居間の明りがもれている。
仏壇に置かれたとみこの遺骨。
その前に周吉が座って線香を供える。
台所からユキや紀子の笑い声が聞こえる。
128 同 台所
流しに立つユキと信子、笑い声を上げている。
信子が紀子に説明を始める。
D信 子「じゃあ、明日の朝、お鍋温めて味噌入れればええようになっとるか
らね。お魚は冷蔵庫」
D紀 子「はい」
Dユ キ「おじいちゃん、昆布の佃煮が好きじゃけ」
D紀 子「この容れ物ね」
D信 子「何かあったらいつでも声をかけて」
D紀 子「いろいろありがとう」
Dユ キ「お休みなさい」
D紀 子「お休みなさい」
挨拶をして信子とユキ、勝手口から出て行く。
Dユ キ「ゴロー」
犬がユキの呼びかけに鳴き声をあげる。
129 同 周吉の部屋
仏壇の前に東京へ持って行った荷物を広げている周吉。
とみこの着ていた大島の着物をぼんやりと手にする。
紀子が顔を出し、周吉に恐る恐る声をかける。
D紀 子「お父さん、何かお手伝いすることありますか。なかったら、寝ます
けど」
周吉、頷く。
D紀 子「お休みなさい」
紀子、頭を下げて立上る。
130 同 渡り廊下
裸電球の下、細い板を渡って紀子が離れに行く。
131 同 昌次の部屋
スウェットの寝巻を着た昌次が蒲団を敷いている。
紀子、入ってきて部屋の隅の机の前にやれやれと腰を下ろす。
D紀 子「ねえ、大丈夫かしら」
D昌 次「何が」
D紀 子「お父さん。だって、新幹線の中でも晩ご飯食べる時でも一言も口き
かないんだもん。私が恐る恐るお代わりいかがですかなんて言ったっ
て、顔、見ようともしないでしょう」
D昌 次「ショックで少しぼけたのかな」
D紀 子「それとも、私、無視されてるのかしら」
D昌 次「俺なんか、子どもの頃からずっと無視されてるよ。兄貴と喧嘩する
たびに親父が兄貴に向かってこう言うんだよ。こいつなんか相手にす
るな。直接言われるならまだいいんだよ、そういう言い方されると、
まるで自分の存在否定されたような感じになるんだよな、子ども心に
も」
D紀 子「じゃあ、冷たい人なの」
D昌 次「どっちかって言えばな」
紀子、深々と溜息をつく。
D紀 子「ああ、私、来るんじゃなかった」
D昌 次「そう言うなよ」
D紀 子「昌ちゃん、一人で来ればよかったのよ」
D昌 次「俺とあの親父二人きりでもつわけないだろ」
D紀 子「私がいたって何も言わないんだから、同じことじゃない」
D昌 次「しょうがないよ。ぼけたんだから。俺、寝るぞ」
昌次、蒲団に潜り込む。
D紀 子「よいしょ」
紀子、立上り、二つ敷いた蒲団の一つを引っ張って隣の部屋に行く。
D昌 次「なんだよ、ここで寝りゃいいじゃないか」
D紀 子「一応喪に服してなきゃ。私たちはまだ夫婦じゃないんだから」
D昌 次「ちぇっ」
D紀 子「お休みなさい」
紀子、襖を閉める。
庭先で飼い犬のゴローが鳴いている。
132 寺
周吉の菩提寺での葬儀。
古い瓦の向こうに広がる青い海。
苔むした石灯籠。
三十人ほどの参列者が本堂に並んでお経を聞いている。
D和 尚「歸命无量壽如來 南无不可思議光 法藏菩薩因位時 在世自在王佛
所 覩見諸佛浄土因 國土人夭之善悪 建立无上殊勝願 超發希有大
弘誓 五劫思惟之攝受 重誓名聲聞十方 普放无量无邊光 无 无對
光炎王 清淨歓喜智慧光」
喪服を着た周吉、幸一、文子、滋子、昌次。
肉親の席の端に紀子がユキと肩を並べて座っている。
133 墓地
蜜柑畑に囲まれた墓地。
古い墓石に暖かい午後の日差しが当たっている。
遠くから読経の声が聞こえている。
D和 尚「不斷難思无稱光 超日月光照塵刹―――」
134 周吉の家 勝手口
昌次、犬小屋につながれたゴローと遊んでいる。
文子が顔を出し、声をかける。
D文 子「昌次さん、お茶が入ったわよ」
昌次、立上り、勝手口に向かう。
135 同 周吉の部屋
床の間にとみこの写真と遺骨が置いてある。
周吉を囲んで、幸一、滋子、隣家の信子夫妻たちが談笑している。
D滋 子「何しろ、久し振りに会うんだから、誰が誰だかわかんないわよ」
そこへ、昌次を呼びに行った文子が戻ってくる。
D幸 一「でも、新家のおばさんにどなたでしたかは、ひどいぞ。あんなに可
愛がってもらってたじゃないか、小さい時」
D滋 子「だって、よぼよぼになってしまってるんだもの、わかりゃせんよ。
あら、お国訛りが出てしもうた」
一同、笑い声を上げる。
そこへ昌次が入ってくる。
D幸 一「昌次、紀子さんは?」
D昌 次「車に乗れなかったからユキちゃんと見物しながら歩いてくるって」
D幸 一「お前、結婚するんだろうな」
D昌 次「するよ」
D幸 一「向こうにも御両親がいるんだろうし、きちんとしなきゃ駄目だぞ」
D昌 次「大丈夫。ちゃんとやるよ」
D文 子「でも、よさそうな人じゃない、今度の人は」
D滋 子「あら、前にもいたの」
D昌 次「姉さん!」
D文 子「あらご免なさい。内緒だったわね」
D滋 子「しょうがない子ね、大丈夫なのかしら、こんなことで」
一同の笑い声を黙って聞いている周吉。
改まって信子が声をかける。
D信 子「それじゃ、私らこの辺で」
一同、ざわざわと別れの挨拶をすべく居住まいを正す。
D文 子「今日はありがとうございます」
D幸 一「なんもかもお世話になってしもうて」
D滋 子「お父さんのこと、よろしくお願いします」
D信 子「先生、お疲れが出ませんように」
周吉も頭を下げる。
D周 吉「どうもありがとう」
D信 子「それじゃ」
D幸 一「どうも」
立上る信子夫妻。
見送りに立った滋子と文子に見送られて玄関に向かう信子夫妻。
D信 子「よかったわ、天気が良うて」
D滋 子「おかげさまで」
去って行く様子を並んで膝をつく滋子と文子が見送る。
136 島の道
喪服姿の紀子がセーラー服のユキと歩いている。
D紀 子「じゃあ高校生になったら自転車で通うの?」
Dユ キ「うん。山越えして」
D紀 子「大変ね―――中学校はどっち?」
Dユ キ「こっち―――あ、先生が来た」
自転車に乗った青年が来る。
Dユ キ「先生、こんにちは」
先生、自転車を止める。
D先 生「葬式か」
Dユ キ「はい」
D紀 子「こんにちは」
先生、紀子に気付いてギョッとなり、緊張した声を出す。
D先 生「あ、はい」
ユキと紀子、坂道に向かって歩き出す。
Dユ キ「英語の先生。職員室でたった一人の独身」
D紀 子「そう」
二人の後ろ姿を見ていた先生、行きかけて再び止まり、振り返る。
島内放送がのんびりと流れ始める。
Dアナウンス「保健衛生課より狂犬病予防注射の実施についてお知らせします。
狂犬病予防注射を全町各所で、順次移動しながら実施します───」
先生、思い切るように走り出そうとし て溝に落ちそうになり、ひっくり返る。
前輪だけ溝に落ちた自転車を必死に引っぱり上げる。
137 周吉の家 周吉の部屋
少し日が陰っている。
机を囲む、周吉、幸一、滋子、昌次、文子たち。
幸一と昌次の前にビール瓶が置いてある。
幸一、周吉にコップを差出す。
D幸 一「もう少しどう。大丈夫だよ。この間の血液検査の数字は割によかっ
たから」
周吉、コップに手を伏せる。
D周 吉「いや、やめとく」
D滋 子「お酒好きのお父さんよりお母さんが先に逝くなんてね」
D文 子「美味しい美味しいってご飯もたくさん食べてくれたのに。夢みたい」
周吉、ふと顔を上げる。
D周 吉「こねなことがあっての。ホテルに泊めてもろうた翌朝、母さん、ち
ょっとふらふらっとして。いや、たいしたことはなかったんじゃが」
D滋 子「何故、お父さんそれ言わなかったの、兄さんに。ねえ」
D周 吉「そうじゃったの」
滋子、立って祭壇に向かい線香をつける。
D幸 一「それが原因じゃないよ。急に来たんだよ。しょうがないよ」
D滋 子「今更後悔しても始まらないわね、死んじゃったんだもん―――そう
そう、兄さん」
線香を立てた滋子が振り返る。
D幸 一「ん?」
D滋 子「お母さん、東京に持ってきてたけど、あの大島、私大好きなんだけ
ど、あれ、形見にもらっていいかしら」
D幸 一「いいだろう」
D滋 子「それから細かい絣の上布、あれとってもいいものなんだけど、あれ
も、もしあったらもらっていい?」
D幸 一「いいよ」
D滋 子「文子さんにも形見探してあげるから」
D文 子「私はいいんです」
D滋 子「そんなこと言わないで。ほら―――」
昌次、たまりかねたように口を挟む。
D昌 次「やめてくれよ、ここで形見分けの話なんか。葬式終ったばかりじゃ
ないか」
D滋 子「お母さんの思い出に、大事にしていた着物を欲しいというのがどう
していけないの」
D昌 次「欲張りなんだよ、姉さんは。あれも欲しいとか、これももらいたい
とか」
D滋 子「何よ、その言い方は」
周吉が口を挟む。
D周 吉「やめんか、お前たち。母さんが見とるじゃろ」
滋子、目を伏せて立上り、自分の席に戻る。
D滋 子「ごめんなさい」
D幸 一「また四十九日があるから、そういう話はそこでするとして、ぼくた
ちが気になるのはとりあえず、明日からのお父さんの一人暮らしにつ
いてなんだ」
D周 吉「そねなこと心配せんでええ。何とかやっていくけ」
D滋 子「何とかと言うけどね。たとえば毎日のご飯」
D周 吉「ユキちゃんのお母さんが作って下さる」
D滋 子「そんなこといつまでもできる訳ないでしょ。お隣にだってお年寄り
がいるのよ。食事だけじゃなくって、お洗濯とかお風呂とかお掃除と
か。どうするの、これから」
幸一、姿勢を改める。
D幸 一「まだ文子には話してないんだけど、いずれ将来、ぼくの家に来ても
らうことも、お父さんの暮らし方の選択肢の中に入れた方がいいと思
うんだ」
D文 子「建て増しをしたいというのはそういうことだったの」
D幸 一「うん。お父さん、どうですか、ぼくたちと暮らすというのは」
D周 吉「そねなこと考えんでもええ」
D幸 一「でも」
周吉、憮然と言い放つ。
D周 吉「東京には二度と行かん」
D滋 子「でも、いつかは体が利かなくなるのよ。今日だって腰が痛いんでし
ょ」
周吉、いらいらしたように言い返す。
D周 吉「もうその話はするな。島には親戚も知り合いもおるし、役場だって
ある。一つ一つ解決していけば何とかなる。子どもたちの世話にはな
らん」
幸一、滋子と顔を見合わせ、溜息をつく。
D幸 一「わかった。今日はやめよう、この話は」
勝手口でゴローが鳴き、紀子の声がする。
D紀 子「ただいま」
台所の方から紀子が姿を現す。
D紀 子「遅くなりました。ねえ、天気悪くなったわよ」
一同、表を見る。
D紀 子「ユキちゃんとフェリー乗り場に寄ったら、明日は風が吹くからフェ
リーが欠航になるかも知れない。その場合、今夜の便で向こうに渡っ
ておいた方がいいんじゃないかって」
D幸 一「そりゃいかん。じゃ、お父さん、ぼくたち、今夜の最終便で帰りま
す。―――滋子、どうする?」
D滋 子「私もそうする。明日中に帰らないとお店が困るのよ」
D文 子「昌次さんは? できたらもう少し二人でお父さんのところにいてあ
げたら」
D幸 一「どうせ暇なんだろ」
D昌 次「どうせって言い方は引っかかるけどな」
D文 子「お願いできるのね」
頷く昌次。
D幸 一「じゃ、お父さん、そういうことで」
D周 吉「そうか。まあ、おかげですっかり片づいた。忙しいのにみんな来て
くれて、母さんもきっと喜んどるじゃろう。どうもありがとう」
周吉、頭を下げる。
D滋 子「さあ、そうと決まったら急がなくちゃ。文子さん、着替えしよう」
滋子と文子、立上る。
D文 子「後で一緒に片づけるからね」
文子、紀子にそう言うと、滋子と慌ただしく部屋を出ていく。
窓ガラスがカタカタ鳴り、雨が降り始める。
D紀 子「あら、雨降ってきた」
紀子、立上り縁側のガラス戸を閉めに行く。
第七巻終り
第八巻
138 波止場
人気のない波止場の堤防に釣り人が二、三人。
青い空にカモメが高く低く飛んでいる。
139 畑
家の近くの狭い畑で麦藁帽子をかぶった周吉が、野菜を収穫している。
傍らで遊ぶ愛犬のゴロー。
140 周吉の家 表
昌次、屋根に上って瓦を直している。
庭に紀子が顔を出す。
D紀 子「昌ちゃん、まだ済まないの。早めにお昼食べないと一時のフェリー
に間に合わないよ」
D昌 次「オッケー」
D紀 子「今朝、話したの? お父さんに。今日帰りますって」
D昌 次「いやまだだよ。紀から言ってくれよ」
D紀 子「何でそんな大事なこと私に押し付けるの」
D昌 次「さよならって言いにくいだろ、なんとなく」
D紀 子「変な親子ね。私なんか田舎に帰ったら一日中喋ってるわよ、お父さ
んと」
D昌 次「娘と息子は違うの。頼むよ、言ってくれよ、お母さんの分まで長生
きして下さいとかなんとか」
D紀 子「いや。知らない」
紀子、引っ込む。
141 同 勝手口
周吉がゴローを連れてのっそりと帰ってくる。
142 同 台所
紀子、お盆に食事の皿を載せ、お吸物、お茶を用意していく。
143 同 周吉の部屋
食事を載せたお盆を持って入ってくる。
座卓にお盆を置くと、周吉の机の周りをざっと片づける。
そこへ野良仕事を終えた周吉が、入ってくる。
紀子、緊張した表情で膝をつく。
D紀 子「あの、これ、お隣のおばさんが下さいました。ばら寿司、お昼には
少し早いけど。あの、私たち一時のフェリーで帰りますから」
周吉、顔を上げ紀子を見る。
紀子、へどもどと挨拶を続ける。
D紀 子「長い間お邪魔しました。あの、お父さん、どうぞお身体大切に。そ
してお母さんの分も長生きして下さい。じゃあ」
逃げるようにそそくさと立上る紀子を周吉が呼び止める。
D周 吉「ちょっと」
D紀 子「はい」
D周 吉「ま、座って下さい」
紀子、どぎまぎしながら座る。
周吉も座ると、しみじみと紀子を見る。
D周 吉「紀子さんと呼んでいいですか」
D紀 子「はい、どうぞ」
D周 吉「あんたはいい人だね」
D紀 子「ええ?」
D周 吉「母さんが昌次のアパートに泊めてもろうたあくる日、幸一の家に戻
ってきて、よかったよかった昌次はこれで安心。そう言うて、その訳
を私に話す前に死んでしもうたんじゃが、母さんの気持ちが今なら私
にようわかります。幸一や滋子たちがバタバタと東京へ帰った後、三
日も四日もいてくれて、何ひとつ嫌な顔をせずに気持ちよう私の世話
をしてくれて本当にありがとう」
紀子の顔が赤くなる。
D紀 子「気持ちよくなんて、そんなことないんです。本当は私、ここに来た
の後悔したくらいなんですよ。何だか窮屈だし、仕事も気になるし。
嫌な顔ひとつせずになんてそんなの、そんなの嘘です」
D周 吉「正直じゃの、あんたは。本当にいい人だ」
周吉、立上り、祭壇に置いたとみこのバッグを手に取り、戻ってくると中から時計を取り出す。
D周 吉「これは母さんが三十年間大切に身につけていた、時計です。形見に
もろうておくれ。あんたが使うてくれれば母さんはきっと喜ぶ」
D紀 子「駄目です、そんな大事なもの」
D周 吉「遠慮せんでええ。こんな古くさい時計、嫌だったら、引出しの隅に
でも入れといてくれたらええ。とにかく受取って下さい。母さんにも
ろうたと思うて」
D紀 子「じゃ、頂きます。どうもありがとう、お父さん」
紀子、時計を受取り、頭を下げる。
D周 吉「昌次のことだが、長い間私は、あれを女々しくて頼りない息子だと
決めつけていました。しかし、あんたと二人仲良うしている姿を見て
いると、あれは母親似の優しい子で、その優しさが何よりあの子の値
打ちなんだ、ということに気付かされました。この先、厳しい時代が
待っとるじゃろうが、あんたがあの子の嫁になってくれれば、私は安
心して死んでいけます。紀子さん、どうか、どうかあの子をよろしく
お願いします」
畳に手をついて丁寧に頭を下げる周吉。
D紀 子「はい」
紀子、やっとのことで一言返事をするが、そのまま顔を覆って泣き出す。
144 欠番
145 防波堤
防波堤を今しもフェリーが離れて行くところである。
146 フェリーの上
デッキの手すりにもたれている昌次、遠ざかる島を眺めている。
紀子、階段を上ってきて、昌次の隣に並び立つ。
バッグを開け、時計を取り出す。
D昌 次「何?」
紀子から手渡された時計を見る昌次。
D昌 次「おー、お袋の時計だ。昔からしてたな。どうしたの、これ」
D紀 子「お父さんにもらったの。お母さんの形見だって」
D昌 次「え、形見?」
D紀 子「息子をよろしくお願いしますって」
不思議そうな顔をする昌次。
D昌 次「本当に言ったのか、そんなこと」
紀子、むきになって言い返す。
D紀 子「本当に言ったわよ。ちゃんと畳に手をついて頭を下げて。私、嬉し
くなって胸がいっぱいになって、おいおい泣いちゃった」
D昌 次「そんなこと言ったのか」
D紀 子「言ったわよ。とっても感じよかった」
D昌 次「へえ。あの親父がね」
昌次、遠ざかる島にもう一度目をやる。
147 周吉の家 周吉の部屋
周吉が座って足の爪を切っている。
ユキの声が聞こえてくる。
Dユキの声「ゴロー」
庭先でゴローが鳴く。
147B 同 表
坂の下を見ているゴロー。
坂の下から洗濯カゴを手にしたユキが現れる。
Dユ キ「ゴロー、ゴロー、ほら、一緒にボールで遊ぼう。ほらほらほら、ほ
らほら」
ユキ、片手に持ったテニスボールをゴローに見せると、玄関に向かって転がす。
ゴロー、興奮してボールを追いかける。
それについてユキも玄関の方へ行く。
147C 同 周吉の部屋
ユキが洗濯カゴを手にして玄関を入ってくる。
Dユ キ「こんにちは。みんな帰ってしもたね」
D周 吉「東京の者は忙しいけえの」
ユキ、座敷に上がり、食べ終った昼食のお盆を片づけながら、周吉に話しかける。
Dユ キ「母さんがね、お洗濯物まとめてこのカゴに入れておいて下さいって。
そしたら私が毎日取りに来るけえ」
D周 吉「ありがとう」
Dユ キ「あと、何か困ったことがあったら何でも言うてくださいって」
周吉、頷く。
D周 吉「ええ子じゃの、ユキちゃんは」
ユキ、照れ臭そうに笑う。
Dユ キ「ゴロー、散歩に連れていくね」
バタバタと玄関を出て行くユキ。
Dユ キ「ゴロー、さあ行こう。ほらよしよし、さ、行こう」
ゴローがユキに甘えるような鳴き声をあげている。
148 欠番
149 道
海を見下す蜜柑畑の間の道をゴローとユキがフルスピードで走る。
Dユ キ「待って、待って」
ゴローに引っ張られて必死に走るユキ。
蜜柑畑の手入れをしている老人に声をかけて走り過ぎる。
Dユ キ「こんにちは」
D老 人「こんちは」
小鳥の鳴き声が聞こえている。
150 周吉の家 周吉の部屋
がらんとした室内で周吉、足の爪を切っている。
遠い沖合からフェリーの汽笛が聞こえる。
151 海
島から漁船がのんびりと出て行く。
瀬戸内海の緑の島の間を大型船がゆっくりと進んで行く。
太い汽笛が鳴り響く。
エンドタイトルへとオーバーラップする。
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